▼△▼特別支援教育の難しさ▼△▼
《嫌悪感と増悪感》 発達に偏りのある子どもは様々な問題行動を起こします。そこで決まってわき起こるのがその子どもへの嫌悪感・増悪感です。発達に偏りがあるのが分かっていても、この感情が抑えきれなくなります。多くの教員はこの感情を心の奥底に押しやろうと努力します。そして、次にわき起こるのが、「学校ではここまでやっているのに、親は何をしているのだ」という保護者への嫌悪感や増悪感です。ところがこの感情も仕舞い込んでいると、次に来るのが自分自身への嫌悪感・増悪感です。教員としての能力に疑問を感じ苦悩するのです。このストレスに耐えられなくなると、子ども自身が困っていることや保護者も苦しんでいることを察することができなくなり、子どもへの暴言や家庭への責任転嫁に行き着くこともあるのです。
《保護者も陥る嫌悪感と増悪感》 これは保護者も同じです。「いくら勉強を教えてもできない、授業中立ち歩いている。」こう担任から指摘を受けると、子どもへの嫌悪感・増悪感がわき起こってきます。「私ががんばらなくては!」と耐え続けても、子どもはよくなるとは限りません。こうしたストレスが溜まると、子どもへの虐待や学校への執拗な抗議になるのです。
《心の奥底に秘められた教育観》 教員や保護者がこのような嫌悪感や増悪感を抱いてしまう理由は、私たちの持つ独特な教育観にあります。ひとつは「頑張れば皆同じようにできる」という努力主義、もう一つは「能力は皆同じように備わっている」という能力平等主義です。私たちの多くは、これらを支えに頑張ってきました。「練習は裏切らない」とハッパをかけられ、私たちは純粋にそれを信じ頑張ってきたと思います。
この二つの教育観がまるで呪縛のように心の奥底から私たちの思考回路をコントロールしているような気がしてなりません。特別支援教育では、本人の努力だけでは克服できないことや、年齢が同じでも皆違うことを分かっています。むしろ学校という環境に不都合がある場合は、その環境そのものが障害であるという考え方をしなくてはならなくなりました。努力主義や能力平等主義を信じてしまうと、目の前の子どもが見えなくなり、学校と保護者の関係がうまくいかなるのです。
《大きな意識改革》 勉強が苦手な子ども、人間関係が難しい子どもが皆と生活できるようになる標準化されたプログラムを残念ながら学校も行政も持ち合わせていません。また、いくら研修を積んでも、結局自信(教員や保護者)の心が追いついていない。という大きな二つの課題を抱えているのです。
できない子がいると、その理由について科学的根拠をもった説明と指導の成果を出さなければならない時がきています。確かに難しい課題です。(特定非営利活動法人CEセンター理事 野田弘一氏)
《学校はどう変わるべきか?》 現在、通常学級をはじめとして、特別支援のニーズがある子どもたちは、学校・幼稚園・保育所・家庭などに点在しています。また、診断から支援につながっているケースばかりでなく、保護者の支援に対する理解が得られない、支援者同士(関係者)の連携がうまくとれないなど、多くの困難事例があり、その対応に多くの学校が苦慮しています。
平成24年度の文科省の調査によると、小中学校の通常学級における発達障害の疑いのある児童生徒は、全体で約6.5%、小学校1年で約9.8%と報告されています。特別な支援を必要とする児童生徒の数は、増加傾向にあります。このような状況になると、「診断のある子どもを支援する」という考え方では追いつかず、子どもに関する誰もが、困っている子どものために、自分のできる小さなことから、学校全体で特別支援教育に取り組んでいくという発想の転換が求められています。
《対象児だけでない》 特別支援教育は、対象児だけでなく、子どもに関わるすべての人が基礎的な支援方法を理解しなければ、本当の意味での支援は難しいのです。例えば、対象児がコミュニケーションスキルを学んだとしても、学級の子どもが、言葉の勘違いをからかい、仲間はずれにしていては、特別支援教育はできません。また、近年では、地域から家族が孤立しているケース、教員と保護者が対立し、問題行動が悪化するケース、さらに教員が孤立し、退職してしまうケースなども少なくありません。そこで学校も対象児だけでなく、学級の子ども、保護者、地域など、周囲の人々への理解・啓発に積極的に取り組む必要があります。学級担任に任せきりにせず、学校全体で取り組む努力が必要です。(明星大学 教授 星山麻木氏)
特別支援教育の研修会に参加して、いつも思うことは理念は素晴らしい。しかし、現場は厳しい。
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