2021年11月29日月曜日

花だより 誤審の可能性もすべて競技の本質 キチジョウソウ タラバガニ

 

 体操は審判による採点で勝負が決まる競技です。体操に限らず、フィギアスケートなどもそうですが、審判の採点にときどき首をかしげたくなるときがあります。
 そうした中で、オリンピック3大会に出場したベテラン体操の加藤沢男選手は、後に「そのような採点によって、血のにじむような努力を評価されることをむなしく思ったことはないですか?」と質問されたとき、笑ってこう語りました。
 「それは逆だと思います。電気計時などの冷たいメカニズム、エレクトロニクスで人間の努力がはかられることこそ、私はむなしいと思います。体操は、オリンピックの中でももっとも人間的な、人間くさい種目です。審判をふくめた人間対人間の戦いだからこそ、おもしろくてならないのです。」
 体操に限らず、審判が人間である以上「微妙な判定」はつきものです。今回の東京オリンピックでも、「日本びいきの採点だ!」というSNSの投稿や、さらに選手に対しての誹謗中傷の投稿も多くあったといいます。しかし、「誤審の可能性もすべて競技の本質」という加藤選手の意見は、体操を、そしてスポーツを深く理解した「スポーツマン」としてのすごさを表しています。

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