2021年11月12日金曜日

花だより 至誠の不足 シラタマホシクサ シメジ

 

「至誠而不動者未之有也」
 幕末の長州を舞台にしたNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は、低視聴率でした。その理由は、主人公である吉田松陰の妹のみわと再婚相手の揖取素彦(初代群馬県令)が有名な歴史上の人物ではなかったからだと言われています。しかし、共感するところが多くありました。みわは生涯にわたり、女子教育の普及に努めました。「新しい日本をつくるためにも、学ぶことは、とても大切なことです。学ぶことで、考えることができるからです。」という言葉を残しています。しかし、残念ながら女性の社会進出は進んでいません。今回の衆議院選挙でも女性議員の数は増えませんでした。まだ、あらゆる業界で男社会が幅を利かせています。唯一、こども園は女性の職場です。女性の有能さがわかるだけに、残念でなりません。
 表題にある語は、その吉田松陰が揖取素彦におくったものです。
~自ら至誠の限りを尽くして計画し、あるいは実行したにもかかわらず、いずれも失敗に終わったことを振り返ってきたとき、どうしてもこの「未だよくこの一語を解するに能わず」と思わざるを得ない。孟子の語に偽りがあるのか、それとも自分の至誠の不足によるものなのかを考えずにいられない。~(原文解説)
 我が教員人生を振り返るとき、満足感や達成感など全くありません。なぜなら北海道の学力も体力も最低のままだからです。孟子の語に偽りなく、自分の至誠の不足だということは、十分理解しています。退職して、もう教育に携わることはないと思っていましたが、こども園に勤めることになり、自分の至誠の不足を少しでも埋める機会をいただいたと思い、老体に鞭打って頑張っています。


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