2022年6月30日木曜日

花だより 親を馬鹿にする シロツメクサ

 

 
 「親をバカにする」に陥りやすい要因
「最近、子どもが親のことをからかってバカにするようになり、腹立たしい。」
「ウソをつく」という行為同様、「バカにする」という行為は、言葉が達者になったからという理由だけで出てくるものではなく、物事を複雑に考える作業ができるようになってきたことでの副産物です。
 子どもが親をバカにしたような態度をとる背景には、さまざまな理由があります。
 人をバカにすることで、自分を防衛している
 人は、自分に自信がない、自分の立ち位置が危うい、こういうとき、自分を大きく見せて威嚇したり、逆に、相手を小さく見ることで、自分を守ろうとすることがあります。
「相手をバカにする」のは、後者のパターンで、たとえば、ママに叱られてむしゃくしゃするから、ママを下に見るような発言をして、自分をなぐさめている場合などがこれに当たります。
  家庭内のバランスが崩れ、子どもが王様状態になっている
 子どもが生まれてからは、子ども中心の生活になるものですが、その途中でバランスを崩し、子どもが何をやっても許されるような王様状態になってしまうと、もしその子が軽率な発言をしたとしても、取り立てて責められることがない、正しくは、親が指摘することができない状態になっていることがあります。
 親に対する感謝や尊敬の念が育っていない
 親が尊敬できないような行動を取る場合(例:虐待、生活習慣の乱れなど)、感謝の念が育たないのは当然ですが、ここで取り上げている「バカにする発言」に多いのは、親が子どもの世話をするのは「当たり前だ」と、子ども自身が認識している場合です。
 赤ちゃん時代を過ぎても、親がお世話をやりすぎてしまっている場合に多いようです。この場合、ママが時間がなくてバタバタしていても、子どもはずっとテレビを見ていたりします。「親が動けばいい」と尊敬の念に欠けるため、親をバカにしても、良心を痛めたりすることもありません。
 全体として、親子関係のバランスが崩れていると、子供はそのスキに「バカにする」という行為に至りがちといえます。
 特に赤ちゃん時代の「のびのびと育てたい」という思いが、のちにエスカレートしている場合に多く、子どもの好きなようにやらせてあげるのが、「のびのび子育て」と考え、しつけがうまく進まなくなってバランスを崩してしまうことが非常によくあります。
 対策としては、子どもと親が、主従関係にならないようにすることがポイントになります。親は子どものお友だちではないので、しつけの場面では、毅然とした態度できちんと導いてやることです。(シリーズ「イキイキ子育てより」)

2022年6月29日水曜日

花だより 余所行きの参観日 テッポウユリ

 

  ~参観日(2)~
 ぎりぎりまで農作業をして、トラクターに乗って学校にやって来た保護者がいました。「先生、ごめんね。こんな恰好で、天気がよかったからさ、やってしまいたくね。」と教室に入ってくるなり謝るのです。
 もう廃校になってしまいましたが、農村の小さな学校の参観日のことです。この学校の参観日は、どんなに忙しい時期でも必ず夫婦で来て、出席率はいつも100%でした。
 参観日だから、余所行きのいい服を着なければならないということはありません。
“余所行き”とは、「特に改まった言葉、態度」という意味もあります。
“余所行き”という言葉が今や死語になりつつありますが、参観日は、先生も子どもたちもいつもとはちょっと違います。特に先生は、いつもよりかしこまっています。ところが、「うちの参観日は、授業を見ずに廊下でおしゃべりをしたり、中にはガムを噛んだままの保護者がいたり、授業中に我が子に声をかける親もいる。」と嘆く校長がいました。参加する保護者の方も少しだけ余所行きの態度で教室の子どもを見てはいかがでしょうか? 
 「出席率は60~70%、来るだけまだいいんだけどね。」とも言っていました。
 こんな話を学校だよりに載せたら、少し改善されました。 

2022年6月28日火曜日

花だより 「ド根性ガエル」も「トムとジェリー」も知らない? アザミ

 


  「ド根性ガエル」も「トムとジェリー」も知らない? 
 ひろしが悪いことを思いつくと、Tシャツに貼り付いたカエルのピョン吉が、「ひろし、それはないぜ!」といさめるのが、漫画「ド根性カエル」です。
「トムとジェリー」の漫画では、天使と悪魔が出てきて、互いに善いことと悪いことをささやくシーンがあります。自律とは、まさしくこのことで、悪い誘惑にのってしまいそうな自分とそれを止めるもう一人の自分(良心)が葛藤し、“最後は良心が勝る”とよいのですが、子どもは、思いつくまま、気が向くまま、衝動的、短絡的に行動してしまいます。
 小学生は自立の基礎を養う時期です。自分を律することができないと自立はできません。つまり大人になれないのです。高学年にもなれば、「何が良くて、何が悪いか」「交通ルールを守りましょう」「左右を確認しましょう」「ヘルメットをかぶりましょう」“そんなこと言われなくても分かっている”と言います。ところが高学年ほどルールが守れない。「黄色(信号)だけど、行ってしまえ!」「今日は、暑いし、面倒くさいからヘルメットかぶらない。」と悪い誘惑にすぐのってしまう。「そんなことしたら、ダメダメ!」と言ってくれるピョン吉を心の中に持つように・・・。
 ところがこんな話を子どもたちにしてキョトンとしています。今の子は、「ド根性ガエル」も「トムとジェリー」も知らないのです。保護者の皆さんは知っていますよね。自立させようと思ったら、善悪の判断をきちんとつけさせることです。「子どもの自主性を尊重します。」という親がいますが、それは子ども任せにすることではありません。まず「そんなことをしたらダメダメ!」とピョン吉役をするのが“親”の役目です。

訓子府の畑作地帯(小麦、玉ねぎ、馬鈴薯がパッチワークのようになって「美瑛の丘」と遜色ありません。)

2022年6月27日月曜日

花だより  参観日は、他の子と比べてみる 花菖蒲

 

 
 【参観日】他の子と比べてみる!
「他の子と比べるな!」と言いますが、比べてみないと自分の子がどの程度だか分からないものです。「背が高い方なのか?」家でわが子だけを見ていても分かりません。足が速いかどうかも、運動会で走ってみないと分かりません。同年代の子と比べて初めて分かることがあります。それが参観日です。
 ★こんなところを見る★
 ①児童玄関~靴箱を見る。外靴がきちんとそろえてあるか?まずチェック!
 ②廊下掲示板~子どもの作品が展示されています。他の子と比べてその出来栄えをみる。
 ③授業中~姿勢、態度を見る。机上が整理されているか
  先生の話や友だちの話をきちんと聞いているか?
  手を挙げて発表しなくても、聞く態度(姿勢)を見れば、理解度が分かります。
 ④教室内の掲示~子どもの目標や作品など、字の書き方も要チェック
 ⑤授業が終わったら、整理箱や机の中もチェックしてみる。
  気になったことは、「いつも、こうなんですか?」と担任に相談する。
 ただし、帰ってから、他の子と比べて「〇〇ちゃんは、こうやっていたのに、何よ!あんたは、・・・!」とは言わないことです。
 子どもは、参観日に来た親の感想が気になるものですが、根掘り葉掘り、重箱の隅をつつくようなことを言わないことです。子どもの評価は、「可山優三(かやまゆうぞう)がいい・」可は山のようにたくさんあっても、優(良いところ)が三つもあれば十分。親として、参観日の評価をきちんと言ってあげることが大切です。せっかく参観日に行っても、隣のお母さんとおしゃべりをしていたら、それはできないと思います。

訓子府の麦畑

2022年6月26日日曜日

花だより 教育実習生の授業 ノハラアザミ

 

 授業が成立するための最低条件
 教育実習生が授業をしました。何回も何回も指導案を書き直したそうです。教育実習生を受け入れる学級担任は、力のある教員を当てます。学級も落ち着いていて、学習のルールがきちんと身についているため、実習生でもそれなりに授業は成立します。授業反省では、先輩教師から、多くの助言がありました。私からは、「今日の授業が何とかできたのは、学級担任の4月からの学級経営がベースにあることを理解すること」と伝えました。
 ルール以前の躾(しつけ)が大事 
 書写の時間に数枚の半紙に字を書いたからといって、うまくなるものではありません。
 始まりの挨拶、きれいな黒板、書写の道具の準備、手の挙げ方、正しい姿勢、後片付けの丁寧さなど、「書道」と言われるだけあって、所作とか作法を身に付けることが基本です。それができると、自ずと丁寧な美しい字を書くことができます。ルールやしつけは、授業成立の第一条件です。
《学習のしつけ》  
 当たり前のことが当たり前にできること、指導が一貫していることが大事です。
1 遊び時間と、授業時間のけじめをつけること
2 指示されたこと、決まっている学習用具を忘れないこと
3 必要な学習用具が正しい置き方で机の上に用意されていること
4 教師の話や友だちの発言を終わりまでよく聞くこと
5 指名による発言と自由発言とを区別すること
6 発言は大きな声で、みんなに聞こえるように話すこと
7 友だちのまちがった発言や失敗を笑わないこと
8 友だちを押しのけるような自分勝手な行動を押さえること
9 仕事はすべて終わりまでやり通すこと
10 何事も順番を守って行動すること
11 いつも学習姿勢をくずさないようにすること
  最近、こうした「しつけ」がきちんとされていないように思います。
訓子府のジャガイモ畑(6月)




2022年6月25日土曜日

花だより 「バイバイ」と「さようなら」 月見草

 


 子どもの目線に立つのと同じ言葉遣いをするのは別
 😁「園長先生、『バイバイ!』」と言うと、お母さんが「『さようなら』でしょ!」と子どもに言い直させました。私も「バイバイ!」と言った後、「さようなら」と応えました。よくできたお母さんです。
 😒ところが、お母さんの中には「うちは友だちみたいに仲がいいんですよ」と自慢する人もいますが、それは違うと思います。友だちのように子どもと話すのが、子どもと良好な関係を保つ秘訣だというのは勘違いです。友だちと母親は違います。
 🤦‍♂️友だちはたしなめませんが、母親は子どもをたしなめます。間違ったことをしたらその場で「それは違います」と諭すのがお母さんです。
 😢子どもを叱るとうまくコミュニケーションがとれなくなると思っているお母さんが結構たくさんいます。それでついつい優しくしてしまうのです。優しくする方が叱るよりずっと楽だからです。友だちのようなお母さんというのは、実は子どもを叱れないお母さんなのです。お母さんに叱られたことがなく、友だちのように付き合って育った子どもは、いったいどうやって善悪の判断を身に付けていくのでしょうか?
 👀いくら「人をいじめないようにしましょう」といっても、子どもは何がいじめになるかわかりません。「遊び」か「いじめ」かその境目があいまいなことが多いのです。その場で「それがいじめです。いじめてはいけません。」と叱るのが、子どもにしたら一番わかりやすいのです。子どもは悪いことをして叱られながら善悪の判断をつけていきます。これは友だちではできません。(「母の品格」 多胡 輝著より)

2022年6月24日金曜日

花だより 「家、ついて行ってイイですか?」 タイセンボク

 

 「家、ついて行ってイイですか?」(テレビ東京の番組)
  ついて行くと、そのほとんどがごみ屋敷!テレビで全国放送されるというのに、どんな神経しているんだ?と思ってしまうのですが、ついつい見てしまいます。
 身の回りをきれいにしておいた方が気持ちがいいという、気持ちの問題が根本にあります。でも、理屈をこねると「わたしは身の回りが汚れていても一向に気にならない。」とか「むしろ汚い方が落ち着く」という、困った理屈を言い出す人がいるからやっかいです。
 しかし、ふだんからお母さんが「ゴミで散らかっている部屋にいるのはイヤだよね。」と子どもに言っていれば、また、いつもお母さんが部屋をきれいにしていれば、子どもも気持ちのいい部屋は、きれいに片づいた清潔な部屋と思うようになります。これがごく自然な感情で、理屈をこねる必要などなくなります。また、こども園では、自分で片付けをしていても家に帰ったら、していないという子がいます。
 マナーを教えるということは、ごくふつうの感情を育むこと
 私たちは、「弱い者いじめをしてはいけません」「悪口をいうものではありません」「困っているとき人助けするのはおたがいさま」など、じつにいろいろなことをマナーとして教えられてきました。どれも理屈としてではなく体の中にしみ込んでいます。こういうマナーは、何度となく言われているうちに少しずつ身に付いていくものです。また、しつけと言って大声で怒鳴ったり、叩いたりする親もいますが、逆効果です。マナーを身に付けさせようと思ったら、根気強く諭すことです。

2022年6月23日木曜日

花だより 日本人独特の色彩感性 ウツボグサ

 

 今は、「肌色」とは言わず「うすだいだい」とか「ペールオレンジ」「ベージュ」と言うようになりました。白人もいれば褐色の人もいる人の肌の色はそれそれ違う、グローバルな時代になったからでしょう。しかし、「はだいろ」は間違った言葉ではないように思います。色味が若干異なります。日本特有の色表現だと思います。
 桃色がピンク、灰色がグレーと英語表現をするようになりましたが、
日本人は、同じ緑でも、松葉色(まつばいろ)、鶯色(うぐいすいろ)、若竹色(わかたけいろ)、苗色(なえいろ)、萌葱色(もえぎいろ)など自然の中で微妙な変化を感じ取り表現しました。春の花見、秋の紅葉狩り、四季の移り変わりの中で生活してきた日本人独特の感性は、欧米とは全く異なる文化を育んできました。
 「国家の品格」の著者 藤原正彦氏は、日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの改革では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理より情緒、英語より国語、民主主義より武士道精神である。と言っています。日本人の心を失いたくないものです。

 

2022年6月22日水曜日

花だより 読解力指導の課題 エゾキスゲ

 


 読解力指導の課題
 従来、国語教育において、文学的文章や説明的文章を読み取る「読解指導」は非常に熱心に行われてきました。主人公の気持ちの読み取りやどういうことが述べられているか、正しく理解することに重点が置かれていました。テストの記述問題でも、子どもに自由に書かせるものは少なく、正解を求める問題が主流でした。
 書かれている事柄を正しく理解する力は確かに必要ですが、社会は大きく変わり、日本も国際社会を生き抜くために、議論を重ねて新しいものを生み出したり、論理的に相手を説得したりする必要が出てくると、学習指導要領においても「自分の意見を適切に述べる力」が求められるようになりました。このような課題に対して、①文章を正しく理解した上で、②それを根拠にして、③自分独自の解釈を述べる力が、これからの社会を生きていく上で必要になると考えられるようになりました。そして、この読解力は、国語の指導のみならず、学校の教育活動全体を通じ、「考える力」を中心にして、「読む力」「書く力」を総合的に高めていくことが重要であるとされました。
 そして、始まったのが全国学力・学習状況調査ですが、北海道の状況は芳しくありません。旧態依然とした授業の展開が原因ではなく、どっちつかずの中途半端な授業が展開されているような気がします。

   小麦の値段が上がっています。日本人は、もっとお米を食べましょう。

2022年6月21日火曜日

花だより 叱るときは、1ミリも譲歩しない アジサイ

           
  叱っても効果がなければ叱る意味がない! 
「みっともないから止めなさい。」「みんなに笑われますよ。」
こういうしかり方をよくします。いずれも世間の目を気にした、このしかり方には重大な落とし穴があります。人のいないところなら何をしてもいいのか?ということになりかねません。「あれ買って、これ買って…」と泣いている子に「みっともないから止めなさい。」と母親が叱っても「買って、買って」と泣き続けるでしょう。
 他人が周囲にいないところで同じような状況が起こったら、「みっともないから止めなさい。」と言うでしょうか?「いいこと」と「悪いこと」のけじめは、この子にとって、周りに人がいるか、いないかということになります。
 人がいようがいまいが、“ダメなものはダメ、悪いことは悪いこと”としっかりけじめをつけるのが叱るということです。
 また「お父さんに言ったらなんと言うかしら」という言い方をよく母親はしがちですが、これは母親としての責任逃れです。父親の権威に頼って叱っているだけです。「お父さんがダメといったダメ。お父さんがいいと言ったら(私も)いいよ。」つまり、子どもに嫌われたくないという母親のエゴイズムがよく現れています。
 叱るときは真剣勝負です。「自分はいいんだけど」という曖昧さを残していたら、子どもはその辺の空気を読むのが上手ですから、「ハハーン、お父さんに分からないようにやればいいんだ。」と思ってしまいます。
 叱るというのは、“ダメなものはダメ、悪いことは悪い”、1ミリの譲歩もないということを子どもの脳裏にすり込むことです。
 それによって、子どもは世の中には越えてはならない一線があることを会得していくのです。その一線を越えたいと思ったとき、ここはがまんするしかないなと思える子が、心の強い子です。 「心の強い子を育てる」から
たんぽぽからコウリンタンポポへ季節は夏です。



2022年6月20日月曜日

花だより 運動会日和 マイヅルソウ

 

 運動会日和 日和=○○にふさわしい天気 穏やかに晴れた日、事の成り行き 
 6月18日(土)こども園の運動会が行われました。コロナも落ち着きを見せ、昨年までの制限を緩和したことで、遠方のおじいちゃん、おばあちゃんも駆けつけ、孫の成長した姿に涙していました。
 予報は曇りのち雨で、当日の朝まで心配でしたが、開会式が始まるころには、青空が広がり、気温は22~25℃、絶好の運動会日和になりました。来賓からは、「園長先生の日ごろの行いがいいからですか?」これは晴れた日の決まり文句、小雨の中を決行すると「だれか雨男がいるんですか?」と言われます。運動会の成功は、8割は天気で決まります。「いい運動会になりましたね。」と皆さんから言われました。
「和」は「おだやかな、のどかな、仲よくすること、日本風」という意味があります。
「待てば海路の日和あり」という諺があります。“たとえ時化が続いても、待っていればそのうち必ず穏やかな天気になる。じっくり好機を待て”という例えです。早くコロナが収束するのを待つばかりです。
 「日和る(ひよる)」ネット上で若者は、「ビビる」という意味で使っていますが、本来の意味は、「空模様を見ること、積極的に関わるのではなく傍観する。形成有利な方につこうとすること」です。怖がってすくんでいる場合ではありません。

2022年6月19日日曜日

花だより 運動会の開催は、マストではない スイカズラ

 

 運動会はなんのため?だれのため?
  妹尾 昌俊氏(教育研究家、学校・行政向けアドバイザー、学校における働き改革特別部会メンバー)
 ぼくが働き方改革の講演や研修をしていて、運動会など行事はもっと見直せるという話をすると、きまって、こんな声が教職員から聞こえてくる。
「去年のほうがよかった、盛り上がった」といった保護者等の声も予想されて、なかなか見直せない。中央教育審議会(中教審)の学校の働き方改革についての答申のなかにも、こんな一節がある。
 学校としての伝統だからとして続いているが,児童生徒の学びや健全な発達の観点からは必ずしも適切とは言えない業務又は、本来は家庭や地域社会が担うべき業務、地域や保護者の期待に過度に応えることを重視した運動会等の過剰な準備について大胆に見直し・削減はできないものか?
 運動会の開催は、マストではない
 運動会はなんため、だれのためか。小学校の学習指導要領(H29告示)を読んでみよう。なにも指導要領を金科玉条にする必要はないが、大事な拠り所のひとつではあるはずだ。
 ところが、なんと、指導要領には一言も「運動会」という言葉は出てこない。この事実を教職員は知っているだろうか?
  正確に言うと、特別活動の学校行事のひとつとして、「健康安全・体育的行事」という記述はある。この体育的行事のひとつの例として、運動会はある。
  ぼくが言いたいことは、「働き方改革の一環で、運動会なんてやめてしまえ」ということではない。運動会には教育的意義や効果もあると思うし、保護者目線からしても楽しみだ。だが、「マスト(Must)ではないわけだし、保護者のためのものでもないのだから、もっと柔軟にプログラム内容や準備の負担を見直していきましょうよ」ということを確認したい。
 👀昨日、こども園の運動会が青空の下、開催された。1歳から5歳までの園児の競技に涙しながら観戦する祖父母の姿があった。こども園の運動会は、保護者や地域の協力なくして成り立たない。妹尾氏の指摘通り、大胆な見直しや削減は難しいのが現実だ。さらにこれから運動会の反省が行われる。ここでは感想を言い合い、運営方法について各係から反省が出て、「いい運動会でした。」で終わりだ。運動会のねらい(子供の育ち)に対しての反省はない。まず、ここから改善しなければならないと思う。

2022年6月18日土曜日

花だより 親が謝る姿を見せる スイレン

~「叱られる側」の子どもの立場~
 しつけは大切ですが、“しつけなくては”という気持ちから、つい叩いてしまい、その行為に歯止めがきかなくなってしまう場合もあります。子育てのイライラやストレスが、子どもへの愛情を忘れさせ、叱るという行動にすりかわっていることがあります。
 上手なしかり方のヒントは、「叱られる側」の子どもの立場にもなって考えることです。 
 子どもの心や身体を傷つけるような叱り方は、教育的な効果がないばかりでなく、児童虐待につながる可能性もあります。また、「自分の子だけ良ければいい」という考え方(自子主義・モンスターペアレント)が増えています。
 学校の窓ガラスを割った子の親が、学校に対して「石が当たったくらいで割れるガラスを使っているのが悪い。近くにそんな石が転がっているのが悪い。」と言ってくる事例もあります。
🤔私が3年生の時。近所の家の窓ガラスを割ったことがありました。何をして割ったかもう覚えていませんが、母に連れられてあやまりに行きました。母は何度も何度も頭を下げていました。その後、じいちゃんが、物置にあったガラス板とガラス切りを持って、その家にガラスを入れに行きました。そのときも連れて行かれ、じいちゃんに「ヨシミツ、もう一度ちゃんとあやまりなさい。」と言われました。また二人で何度も何度も頭を下げてあやまりました。子ども心に、親のあやまる姿を見て“大変なことをしたな!悪いことをしたら、こうやってあやまるものなんだ。”と思いました。その後で、ばあちゃんが夕飯用に作った煮物をその家に持って行きました。最後は、夕方帰ってきた父から、痛いゲンコツをもらいました。私は、この1件しか覚えていませんが、母は「何回、ヨシミツを連れてあやまりに行ったもんかねぇ~。」と言っています。子どものやったことは親の責任、あやまるのは親の役目なのです。

2022年6月17日金曜日

花だより 親は「心のモノサシ」を子どもにプレゼントする ガーベラ


 「いいこと」「悪いこと」がはっきりわかる子に育てる
 ガムを買って、紙包みをそのまま捨ててしまう子がいました。包み紙を捨ててしまうのですから、ガムを捨てるときもそのままプッとはき出してしまうのでしょう。
 これはマナー違反です。ゴミを捨ててはいけないという社会のルールを無視しています。こういう行為をする子は、捨てたいから捨てるだけだと思っているのです。捨てたいという自分の欲望とか気分をコントロールできないのです。近くにゴミ箱があっても、そこまで行くがまんができないのです。自分の欲望や気分のままに生きるのはこころの弱さの現れです。
 こころの強い子は、そこでがまんします。周囲を見て、近くにゴミ箱があればそこに捨てに行きます。
 マナーやルールを守って、自分を抑制することを知っている子はこころが強い子です。こういうことは日頃から父母がしつけることで身に付きます。
 人間は気分とか情緒で善悪を判断するのは難しいのです。今日は気分が悪いから捨ててやれ。今日は気分が良いから守ろうか。そんな曖昧なことでは世の中のルールとかマナーは守れません。
 守るのには何が大切なのでしょうか?
 こころの中にあらかじめ決まりごとを持つということです。ゴミはいついかなるときも捨ててはいけないという規範(モノサシ)をこころの中に持てば、気分が良かろうが悪かろうか、人がいようがいまいが、こころの中のモノサシに照らして行動できます。子どものこころにモノサシを持たせるのは両親の役割になります。ぜひ「いいこと」「悪いこと」を区別できるモノサシを子どものこころにプレゼントしてください。
                                  「こころの強い子」は成績も伸びる 多胡 輝 著(心理学者) 
👀たいした理由もなく「今日は、学校に行きたくない。」と言う子がいます。すぐ「面倒くさい!」という子がいます。子どもに限らず、人は楽な方に流れがちですが、子どもを持つ親は、「率先垂範」が大切です。親自身が心の強く持つことです。

2022年6月16日木曜日

花だより ストレスに打ち勝つ強い心 ヤマボウシ

 

  “子どもにもストレスはある”
  ~ストレスに打ち勝つ強い心~
 ストレスが溜まると心身にいろいろな「異常」も現れます。生きるとはストレスと戦うことですが、戦う力は「心の強さ」です。心の弱い子は、ちょっとしたストレスにも悲鳴を上げてしまいます。「がまん」できる子は、このストレスと戦う力を持っています。
 ストレスは人の心を強くするのに必要なものです。暑さ寒さもストレスです。がまんすることです。がまんすることはストレス耐性を強くし、心を強くしてくれます。
 「がまん」というのは、たとえて言えば輪ゴムの延びる力のようなものです。輪ゴムを引っ張る力がストレスで、延びていくことががまんすることです。でも、いつか限界がやってきます。輪ゴムはプツンと切れてしまいます。その状態が「うつ」とか「心身症」などです。
 心の強い子というのは、この引っ張られる力に耐えられる子なのです。しかし、「がまんしなさい」とか「がんばれ」と口で言うだけではダメです。根性論だけでは乗り切れません。
 「高校を卒業して就職した生徒の約3割は、一年で辞めて他の職に就く。」と進路指導の先生が言っていました。小さいころから、何でも買い与えたり、転ばぬ先に杖で、親が何でもやってやると強い心は育ちません。

2022年6月15日水曜日

花だより “父の日”の経済効果は、“母の日”の半分 ユキノシタ

 


 “父の日”の経済効果は、“母の日”の半分
 あなたは“父の日”に何をしましたか・
「あのね。お父さんいつも一生懸命働いて疲れているから、みんなで温泉に行って来たんだよ。」
「お母さんがね。“ビール1箱でも買ってやるかな?”と言っていたけど、黒烏龍茶1箱にしたんだよ。体にいいからだって!」
「なるほど、それはいいね。いい“父の日”だったね。お父さん喜んだしょ!」
「うん、晩ご飯は、“母の日”の方が、もっと豪華だったよ。」(???)
 お父さんは、頼りにされたら「まかせておいて!」と張り切る。
 お父さんは、愛されていると感じたら笑顔を返してくれる。
 お父さんは、褒められると、また次も頑張ろうと思う。
 お父さんを頼りにしよう。 お父さんに任せてみよう。
  父の威厳は、いつから薄くなったのか?
 給料が振り込みになってからだと言われています。給料日に、お父さんがお母さんに給料袋を渡す。するとお母さんは、「お父さん、今月もご苦労様でした。」と言う。お父さんが働いてくれたお金で家族が生活できる。夫婦共働き家庭が多くなったのも原因でしょうか?男女平等です。「父の日」を軽く扱うのは止めてください。
 

2022年6月14日火曜日

花だより かわいいだけでは務まらない! AKB48グループのリーダーの資質 ノイバラ

 


 AKB48グループのリーダーの資質 かわいいだけでは務まらない!
 ~卒業後インタビューに答えて~
○多感な年頃の女性たちをまとめるには?
 目線を下げ、後輩の意見を聞きながら一緒にやっていかないと回らない。掃除をしたくない人にいくら言ってもダメ。まず自分が示さないと。後輩に背中でプレッシャーを与えられるような存在になりたい。
○チームをうまくまとめるには? 
 ふるいをかけていない小麦粉を水で溶くとダマができるように、仲良し同士が固まって、ダマがいくつもできたときがありました。そのまま一生懸命かき混ぜてもうまくまとまらないので、ダマを壊しちゃえと思い、ダマに入り、その中の一人を引っ張り出して別のダマに入れてしまう。
○人気投票の総選挙は、競争したり落ち込んだり大変では? 
 メンバー同士の戦いと思われがちですが、自分を超えられるかというプレッシャーの中でみんな自分と戦っています。落ち込んだら必死に考え、最後は割り切ります。
 まだまだ若い女の子ですが、さすが世界的に活躍している国民的アイドルグループのリーダーです。しっかりした考えを持っていることに驚きます。
 高橋みなみさんの後は、指原さんでした。かわいいだけでは、アイドルにはなれないのです。人には言えない努力をしているのでしょう。
 😊アイドルを夢見る女子は多いです。そんな子に「かわいいから、なれるかもね!」とは言わないで、「しっかり勉強したら、なれるかもね!」と言ってあげましょう。


2022年6月13日月曜日

花だより 『星の王子さま』は、何故世界中で愛されているか? イワカガミ

 


 『星の王子さま』は、何故世界中で愛されているか?
 この作品の巻頭には、「その大人の人は、昔、一度は子どもだったのだから、私は、その子どもに、この本を捧げたいと思う。」と書かれています。何でも興味深く受け入れることができた子ども時代の自分を思い起きしなさい。そして、今の自分をしっかり見つめなさい。大切なものを見失っていませんか、とサン=テグジュベリは問いかけています。
 校長として、教職員であれ、保護者であれ、その出会いが豊かになり得るためには、まずその人に時間を使ってその人の話に耳を傾けることが大切でしょう。
 「和」という文字を大切にしている人が多くいます。誰であっても受け入れるという「和」の意味することは、人間形成にとても大切なことと考えるからです。
 AかBかと問い詰める現代の風潮ではなく、教育は、その間にある人としての哀歓や温かさ、迷いを大切にするものです。「止揚」も然り、「調和」も然り。人との出会いを大切にしながら、学校を子どもが豊かに成長し生きる力を備える場として営みたいものです。「星の王子様」から、学んだことです。

2022年6月12日日曜日

花だより 母親の不思議な力 アカツメクサ

 



  「母親の不思議な力」 
 今日は、お父さんもお母さんもお仕事休みだけど、あんたは、こども園に行きなさい。ゆっくり休みたいからだって…。
🤦‍♂️赤ちゃんを家に置いて、一日中パチンコをしている親がいます。こんな親がいるから「子ども家庭庁」ができました。
👍親には「直接的な育児能力」(本能的に子どもを育てる力)があると言います。お母さんは赤ちゃんが幸せな気持ちで興味が湧くように、明るく優しいリズムや調子を選んであやしたりします。これは知識で教えられるものではなく、幼い頃に愛された体験を基盤に親になると自然に湧いてくるものです。直接的育児能力(母性本能)は、未開発国ほど豊かに見られ、高度に発達した文明社会の母親は高等教育により、頭でっかちになりダメになるとも警告しています。
👀日本は世界最低の乳児死亡率と最高の平均寿命を誇りながら、子どもたちはかつてなく、いじめ、不登校、虐待などで苦しんでいます。仲間と心ゆくまで遊びながら自然に鍛え合う、幸せな子どもの発達環境が破壊されているのです。
😃しかし、不思議なことに、どんなにひどい心の傷を負い絶望している子でも、お母さんが真心をこめてわが子を理解し、抱っこしてあげると、水を得た魚のように蘇るのです。子どもの心を癒すお母さんの不思議な力に持っています。その力をいつも発揮してほしいです。
😉カラスの親は、雄も雌も一緒になってヒナを守ります。まさに直接的育児能力です。動物は教えなくても本能的に子を守ろうとします。ところで人間のお父さんには、「不思議な力はないのかな?」と思いました。
 

2022年6月11日土曜日

花だより 『どくとるマンボウ』シリーズ  ツリガネソウ

 

  “子どもよ書物を読みなさい!!”  
  「西条八十の詩」
 雨がふるとき 風邪引いて すきな遊びができぬとき 子供よ 書物を読みなさい
 書物は あなたをつれていく 海山こえて いく千里 知らない国や 遠い国
 見たこともない人たちや また めずらしい動物が あなたと遊び 話をする
 書物を読めば 友だちは いつも出てくる 眼の前に
 どんなに大事にしまっても 万年筆やカメラなど なくしてしまうことがある
 書物はいっぺん読んだならば あなたの心の奥ふかく じっとそのまま残っている
 書物がくれる財産は 一生消えない なくならない

 読書好きになる きっかけとなった本との出合い
 『どくとるマンボウ』シリーズが、読書好きになるきっかけだったという人が多いのではないでしょうか?
 北杜夫氏は、小学生の頃、こんな俳句を作りました。
 ~コオロギが コロコロと鳴く 秋の夜~ 
 大歌人だった父は面白半分にそれを見たが何も言わなかった。とご本人は回想しています。もう亡くなった作家北杜夫さんは、本名斉藤宗吉といいます。斎藤茂吉の息子が下手な小説など書くのは恥ずかしいという思いでペンネームを使い出しました。
 松本から仙台と寒い地で学んだから北。トーマス・マンの小説「トニオ・クレーゲル」に心酔して杜二夫(トニオ)、それが杜夫になったのはよく知られています。
 日本の文学はユーモアに乏しい。とかくシリアスに傾き、笑うようなものは格落ちとみる風潮に、マンボウシリーズは、気持ちよく風穴を開けたと評されています。誰にも好きな本、好きな作家がいると思います。子供よ、とにかく書物を読みなさい!

2022年6月10日金曜日

花だより 勉強にごほうびは必要なし ボタン

 

  子どもの学びは、遊びから始まる。
👀草むらで虫を見つけて追いかけているうちに、興味の種の芽が出て「なんで蝶はこんなに小さいのにボクより力もないのに、空が飛べるのだろう?」そのときタイミングよく「調べてごらんなさい。」と言うと、自分から図鑑と見て名前や特徴を覚えたりするものです。漢字を覚えるにしてもノートや練習帳にただ繰り返し書き取り練習をしたっておもしろくもなんともありません。ところが、「“馬”という字は、馬が走っている絵がそのまま字になっているのよ。」「“火”はたき火が燃えている様子なんだって!」と漢字の成り立ちを話して聞かせたら、子どもの想像はどんどん大きくなって漢字に興味がわいていきます。学ぶことと、知るとはおもしろいことだと体験的に味わうことが大事です。
😃こども園の園児や小学校低学年は勉強の楽しさ、おもしろさを知る場でいいのです。楽しさやおもしろを存分に味わったのなら、ごほうびは必要ありません。


2022年6月9日木曜日

花だより 時代に合わない校則 ウツギ

 

 時代に合わない校則
 最近、学生の制服や髪型が乱れているという話は聞かなくなった。校則を厳しく指導しているからだろうか、そうではないらしい?
 校則違反に対して行われている指導自体に、もともと校則の合理性・必要性とは別の権利侵害が生じていることが問題になっている。例えば、子どもの髪型などで校則違反をしたときに、「髪を直してこないと教室に入れない」「修学旅行に連れて行かない」などと発言する先生がいるが、これは人権侵害です。
 中には「校則に違反した生徒が悪い」という考えの先生もいるかもしれませんが、校則を守らない生徒に何をしてもよいわけではない。犯罪を犯し有罪が確定した人に対して何をしてもよいわけではないのと同じです。
 また、校則に合うように、先生が実力をもって指導することも人権保障の観点からすると問題です。もしも職員室で先生が生徒の髪を無理やり切れば、傷害罪に当たるおそれもあります。個人的には、校則そのものよりも、校則違反の指導のためのルールや規準(明文化されていないものも含め)に問題があります。
 髪の毛が生まれつき茶色にもかかわらず、先生から黒く染めるように強要された公立高校の女子生徒が裁判を起こし、話題になりました。このケースでは生徒の生来の身体的特徴を変えるよう強要されており、憲法13条で保障された自己決定権が侵害されたといえます。
 先生方には校則の合理性・必要性とは別に、校則違反に対する指導自体の合理性・必要性を改める必要があります。
 これからの時代の校則は、学校が子どもたちを管理するためのものではなく、子どもたちにとって、よりよい学習環境をもたらすためのルールでなければなりません。少なくても、特定の校則によって窮屈な思いをしたり、学校に行くのが嫌になったりする子どもがいないようにすべきです。
 校則の見直しにあたっては、全校生徒が集まって多数決で決めるものではありません。先生方で決めても、校長先生が決めてもいいと思います。校則の中には、多数決で決めることが適切でないものもあります。制服に関する校則を変えるのであれば、性的マイノリティの子どもたちに対する配慮も必要でしょう。
 さらに、校則の見直しを定期的に行うことがこれからは必要です。法律でも時代とともに合理性が失われることがあります。

道端に咲いたルピナス(下り藤)

2022年6月8日水曜日

花だより 子どもの生き方 アヤメ

 


  子どもはこうして生き方を学ぶ
 😢批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりするようになります。敵意に満ちた中で育った子は、だれとでも戦い、ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになるのです。
 しかし、😃心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなり、はげましを受けて育った子は、自信を持ち、ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。
 公明正大な中で育った子は、正義感を持ち、人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけるのです。
                  ドロシー・ロー・ノルト (訳 吉永 宏)

道端に咲いたアヤメ

2022年6月7日火曜日

花だより お店のトイレ サツキツツジ 藤

 

 
 イオン北見支店の店長宛に「🤷‍♀️トイレが汚かった」という苦情があり、その対策として、店員専用トイレの使用を止め、お客様と同じトイレを使うようにしました。定時に清掃員が掃除をする他に、店員が絶えずトイレの汚れをチェックして、気が付いた者が掃除をするようにしたそうです。トイレはお店の顔ともいえます。(😃有名店のトイレはどこも豪華できれい!)そういえば、最近お店のトイレに「恐れ入りますが、従業員も使用します。」という貼り紙があるのを目にします。
👌苦情を改善に生かす。絶えずお客様の目線に立ったサービス。苦情に感謝する姿勢。これが成功の秘訣なんだそうです。
👀学校もある意味サービス業に近い。苦情電話もときどきかかってきます。かかってくるうちは「良し」としなければなりません。「相談しても解決にならない」と思われたら学校が信頼されていないことになります。苦情電話には、真摯に対応することです。

2022年6月6日月曜日

花だより 家庭のせいにしない! タニウツギ 

 

東藻琴の芝桜まつりは、6月5日最終日

 🤷‍♂️問題のない学級などありません。トラブルはつきものです。問題行動を起こす子どもの99%は家庭に問題がありますが、家庭のせいにしてはいけません。いろいろな家庭事情の子が集まっているのが学級です。それをどう解決したり、指導したりするか、そこに教えるプロとしての力量が問われます。
 🤞しかし、一人一人の家庭の中にまで立ち入って解決することなどできません。教師一人の力なんてたかがしれています。それより、大きくゆったりと構え、夢や希望を語っていればいいのです。それくらいの気持ちが必要で、教師の暗い表情は禁物です。それが子どもに安心感を与えます。
 👍教師の指導だけで子どもが変わると思ったら大きな間違いです。自分の子どもの頃のことを振り返ってみて下さい。いちいち先生に言われて行動していましたか?ただし、教師の配慮に欠けた言葉で、子どもや親から反感をかったり、不信感を招くことがあります。気をつけなければなりません。
 👀道徳は週に1時間です。生徒指導の時間はありません。学校の9割は教科指導です。“教師は授業で勝負する”とは、生徒指導も含め、学級づくりは授業を通じて行うということです。何でも話せる雰囲気、一人一人が大切にされる授業、人の話をきちんと聞く姿勢など、授業を通して培われるものです。どうか毎日の一時間一時間の授業を大切にして欲しいと思います。


2022年6月5日日曜日

花だより たんぽぽが消えた ハマナス

 

《花の季節を迎えて》 
 花の命は短く、桜はその代表ですが、その潔さがまたいいのです。こども園近くの公園が一面黄色のたんぽぽ畑になったので、次の日写真を撮りに行くと草刈り作業をしていました。桜より、たんぽぽの方が短い一生でした。
 たんぽぽの綿毛が飛んで行って姿を消すと季節は「夏」に移ります。東藻琴の芝桜まつりが最終日を迎えました。昨年の猛暑で、今年はあまりきれいに咲かなかったのと今年もコロナの影響で入場者は少なかったそうです。また、今は「藤」が咲いています。町内には手入れの行き届いた藤棚がいくつもあります。下り藤のルピナスも咲き始めました。
 ライラックが咲くころ北海道は「リラ冷え」といって、暖かくなったと思ったら、急に冷え込むことがあります。週末の運動会は、雨と寒さとの戦いになりました。それでも6月に入ると、オホーツクは花の季節を迎えます。園舎玄関前には、保護者の皆さんがペチュニア、マリーゴールド、サルビア、アリッサムの花の苗を植えてくれたプランターが並びました。花で飾られている街は、犯罪が少ないそうです。「花があるとなんかいいよね。」と出勤してきた先生が言いました。間もなく原生花園にハマナスが咲きます。花言葉は「あなたの魅力にひかれます」

2022年6月4日土曜日

花だより 運動会を見直す時期に来ている セッコク

 

 コロナで2年間中止になっていた運動会は、今年はできそうです。しかし、まだ入場制限をして開催した学校もあるようです。「遠くにいる祖父母から『今年は、見に行ってもいいのかい?』と言われたんですが、校長先生いいですか?」と聞かれ、「返答に困った!」という校長先生がいました。
 運動会の目的を改めて議論すべき 
 組体操や棒倒しなどは子どもたちがケガをして危ないということで、ほとんどの学校で禁止になりましたし、順位で優劣をつけないために、徒競走の『手つなぎゴール』や短距離の『全員リレー』にルール変更する学校も増えました。本来の“競う”運動会から、日ごろの体力づくりやチームワークなどを保護者に“披露する”だけの機会に変わりつつあります。
 時短化が進んでいるのは、単にこうした禁止・変更種目が増えたからだけではありません。ダンスなど運動会に向けた練習をする時間がないうえに、高学年は修学旅行があるので、その準備も大変。また、小学3年生以上は英語の授業数が増えて、あまり運動会にばかり時間を割いていられないのが現状です。
 働き過ぎとの指摘も多い学校教員の“負担軽減策”として運動会の規模縮小が図られている背景もあります。
 一方保護者は、「ウチは共働きで、毎年、朝早くにお弁当を作るのも面倒ですし、夫も明け方から場所取りのために校門前に並ぶ“恒例行事”に疲れてしまって……。今年は開会式ギリギリに行って、校庭が見えない後ろでも座れる場所を確保して、子どもの出番の時だけ前のほうで見る予定です。もう午前中だけの運動会になってもいいと思います。」
 弁当要らずの時短化となれば、こうした共働き夫婦の負担を減らすこともできるが、最近は午後まで運動会を開催する学校でも、あえて親と子が別々に昼食を食べる時間を設けているケースもあります。これは弁当を作れない共働き夫婦や、母子・父子家庭への配慮だけが理由ではありません。
「親はまだしも子どもは応援合戦などでずっと直射日光を浴びているので、長時間の運動会で熱中症にでもなったら、すぐクレームに繋がります。そうした問題を起こさないためにも、屋内での昼食や、運動会自体の時間見直しは仕方のないこと。逆に小雨で順延になっても学校に『なんでやらないんだ!』とクレームの電話がかかってくる時代です。
 教育関係者の中には、「時短化してまで続けるくらいなら、いっそ運動会自体をやめてしまったほうが学校も保護者も楽になるのでは」と廃止論まで飛び出す始末です。そこには運動会の主役である子どもたちの存在が完全に無視されています。
 子どもの中には、勉強だけでなく運動が得意な子だって当然いますし、応援合戦やダンスなど表現活動に秀でた子もいます。運動会の時短化や廃止は、子どもたちからそうした能力を発揮する大事な場を奪うことになります。
 学校や親の都合、事なかれ主義ばかりではなく、教育的配慮から運動会の目的を改めて議論すべき時期にきています。


2022年6月3日金曜日

花だより 今どきの運動会 キンギョソウ

 


 
 今どきの運動会? 運動会シーズンになりました。子どもたちが一生懸命走っている姿を見ると、心から「がんばれ」と声援を送りたくなります。見ている者も夢中にさせるのが運動会での徒競走です。
 ところが今の運動会は、子どもたちがゴールしても1番や2番を決めるわけではなく、昔のように1等賞、2等賞というような賞をもらうことをしない学校があります。
 ゴールには親がビデオカメラや携帯電話のカメラをかまえて待っているので、わが子が何番だったかは、カメラの中に残されているだけというのが多いのです。
 中にはあらかじめ子どもたちのタイムを記録しておいて、同じようなタイムの子を並べて走らせる学校もあります。そして、みんな頑張ったからということで、みんなに「がんばったで賞」を配るところもあるようです。
 なぜこうなったのか?「1等賞がとれなかった子やビリになった子がかわいそう」という親の真理が働いているようです。
 今の運動会は、昼のお弁当も親と子は別々の場所で食べたり、午前中で終わるところもあります。これも「運動会を見に来れなかったお父さんやお母さんがいる子どもはかわいそう」という親の心理が働いています。
 子どもが「かわいそう」なことはできるだけさせたくないという気持ちは大切です。しかし、それと同じくらい「かわいそう」な状況になったときにどう耐えられるかを学ぶことも大切です。
 今は「かわいそう」という親の気持ちが大きくなって、どんどん子どもを過保護にしています。「保護」することと「過保護」にすることは、天と地ほどの大きな差があります。お母さんが子どもを「保護」したいというのは理屈ではなく、心の底からにじみ出てくる母性本能です。でも、この気持ちをうまくコントロールしていかないとあふれる母性本能で「過保護」になってしまいます。気持ちがあふれて暴走しないようにコントロールすることです。

2022年6月2日木曜日

花だより 児童虐待とこども家庭庁 オオアマドコロ 藤棚

 


 児童虐待がなくなりません。
🤔日本のしつけは、もともと全体として厳しい傾向にあります。ある調査では、日本のしつけは体罰を用いる傾向が高く、子どもをたたく母親は9割を超えています。それが最近では、ますます極端になっています。

😢しつけのつもりが虐待に一直線につながってしまうかもしれません。だめだと思っていても、ついビンタしたり、「あんたなんか産まなきゃよかった。」という言葉を浴びせたり、子どもを蹴ったりしてしまう。最初は、しつけのつもりでやっていたのに、だんだんそれがエスカレートしてしまう傾向にあります。最近、このような家庭がずいぶん増えてきたそうです。叩かれた子は、「ぼくが悪いから叩かれた。」と「親が悪い」とは絶対言いません。
😒逆に、子どもに甘すぎてほとんどしつけをしていないお母さんも増えています。こちらの方は極端になると、ほったらかし育児から虐待のネグレクト《子どもに対するネグレクトは育児放棄(いくじほうき)、育児怠慢(いくじたいまん)、監護放棄(かんごほうき)》へとつながっていきます。しつけがされていない子は、何が良くて、何が悪いか理解できません。
🤦‍♂️両極端な子育てと虐待が増加しています。これが「こども家庭庁」が新設された原因の一つです。

藤の花の門 こども園のお隣さんの家です




2022年6月1日水曜日

花だより 子どもの意見を聞く アマリリス 

 


「あなたはどう思う?」「あなたの考えは?」という質問は、大人が家庭や職場でごく普通に交わしている会話の一部ですが、親子の関係では軽視されがちです。
 子どもも自分の意見は持っていますが、親はそれを聞かないだけです。さらに悪いことに意見を求めても途中でさえぎってしまうことがよくあります。あなたは子どもが何を考えているか、知っているでしょうか?子どもに意見を求めたことはありますか?
 子どもの心を育むには、親が子どもの方を向いて「あなたはどう思う?言いたいことはある?」と尋ねる必要があります。子どもの意見をいつも批判してはいませんか。「ばかばかしい」ではなく「なるほど」「そうか、考えておこう」と言えばいいのです。たいていの場合、子どもは自分の意見が取り入れられなくても、表現できたことに喜びを感じるものです。
 子どもの意見をからかってはいけません。子どもにとって、意見を言うことは考えをまとめるための方法であり、やがてそれはよりよい意見につながります。頭ごなしに否定してはいけません。こども園の先生は、4歳、5歳の子にも「それをしたらどうなると思う?」「それでうまくいく?」と問い返します。話す内容より、話したことを褒めます。このような会話が子どもの創造性を養うのです。
 親の働きかけで子どもの性格が形成されます。幼いころ意見を求められなかった子どもは、思春期になると心を閉ざし、親と話すのを嫌がるようになります。高い自尊心を持っている子どもは、「自分の意見は価値がある」と思うことができます。そういう思いが、子どもの心の中で「自分は価値がある」という信念に変わります。