論語には、「六十にして耳順(したが)う。修養を積んで他人の言葉を素直に受け入れられるようになる年が六十である。」という。
愚職はもう8年も過ぎてしまったが、孔子のような悟りの境地には一生至らないだろう。後に続く人には、「学問が人生の最上の楽しみ」であって欲しいと願う。
第一章 学而編一 「人生の最上の楽しみ」愚職はもう8年も過ぎてしまったが、孔子のような悟りの境地には一生至らないだろう。後に続く人には、「学問が人生の最上の楽しみ」であって欲しいと願う。
「孔子先生がおっしゃった。学問を学び、それを反復すれば自分のものとなり、こんなに喜ばしいことはない。また、学んでいると同学同志の友が遠方より訪ねて来て、ともに語り合い、いっそう楽しくなる。たとえ学問が成就したことを世間の人が認めてくれなかったとしても、それを嘆くことはあるまい。その道を求めていく人を君子というのだから…。」とある。
第二章 為政編十九 「まず実行せよ」
孔子の高弟が「君子とはどのような者か」と聞いた。孔子は答える。「君子とは、まず行動を先に見せ、その後にものをいうものである。」
第一章 学而編十 「学問は自分を磨くためにある」
「学問は自分自身の教養を深めるためで、人に知られるためにやるわけではない。学問が進み人格が備わったことを、人が知るか知るまいが、そんなことはどうでもいいことだ。それより他人の真価を見抜けない自分の能力の低いことを憂うべきである。」
「論語読みの論語知らず」という言葉があるらしい。論語の言葉を座右の銘にしている企業経営者が多い。私と違い、それを実行しているから成功者なのだ。ところが、ビックモーターのような企業経営者もいる。是非、論語を読んでもらいたい。
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