この本には、生い立ちから自然保護運動への目覚め、知床の世界自然遺産登録までの道程が詳しく綴られています。10年後、20年後を考える政治家は、そんなに多くない。まして、50年後100年後を考える政治家がこの国に何人いるだろう。午来町長は、100年後、いや1000年後の知床の森のありようを思い描きながら仕事をしてきた。(まえがきから)
知床の深い森から、人と自然のあり方を思考し、人々と共に行動してきたミスター知床が語りおこす、迷走する「美しい国」への、熱く深くまっすぐなメッセージ
“私は、ウトロの開拓農家に育ち、貧困の中で中学しか出ていないけれど、大切なことは、みんな知床が教えてくれた。大自然と毎日五感でふれあっていたことが、私のものの見方、考え方、そして、生き方を決定づけた。”
知床の観光船沈没事件が起きて、知床が別の意味で注目を浴びてしまいました。斜里朝日小学校に赴任したのと同時にミスター知床の牛来町長が勇退しました。そのときにいただいたのがこの本です。この事件に一番心を痛めているのは、牛来さんでしょう。
斜里町では、7月22日・23日に斜里知床ねぷたが巡行します。津軽藩士殉難慰霊碑を建立し、弘前市と友好都市の締結をしたのが縁で文化交流が始まりました。唯一弘前以外で「ねぷた」の巡行が認められているのが斜里知床ねぷたです。新たな鎮魂の意味も含めた巡行になります。
0 件のコメント:
コメントを投稿