元横綱大鵬の納谷幸喜さん(北海道弟子屈出身、川湯温泉に大鵬記念館があります。)
大鵬さんは、「巨人、大鵬、卵焼き」と聞くと、表情を曇らせたそうです。巨人は、優秀な選手を高いお金を出して集めたチームで強いのは当然。私は、16歳のとき裸一貫で相撲界に入り、ここまでになった。巨人とは違う。「相撲の天才」と呼ばれたのも気にくわなかったらしいのです。
《気は優しくて力持ち》脳梗塞で左半身麻痺になったときは、「苦しむ人々の励みになれば」とリハビリに取り組む姿を公開した。偏狭なプライドがあったらできることではありません。力士時代から続けた献血輸送車・大鵬号の寄贈は70台に達するそうです。人の為にあろうとした72歳の生涯でした。無敵の強さだけではない。その優しさはどこから来るのだろう。貧しかった少年時代は、納豆売りや新聞配達をして母を支えたそうです。そんな原風景を持つ人がまたひとり逝ってしまいました。今の若者は、将来に夢を持てないでいるといいます。豊かな時代に、語るべきことはまだあっただろうと思います。
「校長先生、なんで勉強しなければならないの?」校長室に来た女の子が言いました。
「校長先生も子どもの頃、ずっと同じことを思っていたよ。今になってね。(大人になって)知らないこといっぱいある。もっと勉強しておけばよかった。もっと早くこの事に気づいていればなあと思うんだよね。」
「それじゃ、校長先生、次の時間、私の代わりに教室で算数の勉強してきてくれる。私はここで校長先生の代わりに座っているから…。」(?)
大鵬さんは、「人生訓を丸い土俵から教わった。」と言っています。子どもたちは、【教室の中で人生訓】を教わります。私は、【子どもたちから人生訓】を教わります。
0 件のコメント:
コメントを投稿