2019年7月31日水曜日

花だより チングルマ 3つ叱って、5つ褒め、7つ教える



 見えぬけれどもあるんだ 見えぬものでもあるんだよ 
          ~ 金子みすずの詩 「星とたんぽぽ」の一節から ~ 
 子どもの言葉や行動の裏には、見えないけれどもそれなりの理由が必ずある。一人一人の子どもの内には、見えないけれども可能性の芽が必ずある。そうした見えないけれどもあるものに、思いを馳せたい。今は見えないけれども、子どもの持っている可能性を信じ、それを引き出し、伸ばしてやりたい。
 教育の営みは、こうした見えないものに対して想像力を働かせ、心に引き寄せ、温かく見守り、大事に大事に育てていくことに他ならない。
◎子どもを「育てる」教師のチカラ (季刊2010日本標準)
 あまたある職業の中から「教師になりたい」と思い、その夢を実現したのが、教師であるあなたです。教師になったからには、子どもを「育てる」ことのできるホンモノの教師をめざすべきです。ホンモノの教師とは、教える技を持った教師です。子どもを観る眼と心を持った教師です。そして、多くの教師と出会い、つながりをつくることです。
◎カリスマ教師 学校は勉強の場です。教師は教える人という制度的権威の正当性を有しています。それがカリスマ性です。その教師がカリスマ性を失えば、学校と教師は尊敬と憧れの対象ではなくなります。カリスマの保持者は、カリスマ性を手放せば集団は混乱します。その結果、暴れ回る子ども、引きこもる子ども、更に、いちゃもん保護者という怪物が出現します。学校(教師)が活気を失えば、日本は衰退します。今、求められているのは(教育改革)、教師に自信を持たせ、その得意技を見せる場をつくることです。(教えるプロとしての指導力向上=カリスマ性の発揮) それではどうすればカリスマ性が身に付くのでしょうか? 持って生まれた素質ばかりでなく、研修(校内研修だけではなく、広い意味での研究と修養)で磨かれるものです。
◎教職の特殊性と研修 
 教員は、専門職としての免許制度によって、大学での教育など、一定の高度な養成教育を受け、教員として必要な知識・技術を身につけて、さらに難関の採用選考試検を突破してなった職業です。その意味では、もともと職務遂行能力の高い人々が従事する職業です。(少なくとも世間はそう見ています。)また、専門的技術水準の維持や高度な職業倫理の確保が社会的に見て特別に重要な教員の場合は、特に研修による専門家あるいはプロフェッショナルとしての能力の開発に努めなければなりません。
 仮に非常に優秀な人材だとしても、充実した職務遂行には、養成段階での力量のままであっては不十分であり、また、その後の経験や学習を通して学んだ能力の向上だけでは完全ではありません。現代のようにたえず進展・変化する社会に対応するためには、教育者として実践的指導力など資質・能力の向上が求められています。まさに教師も生涯学習なのです。自分自身が研修に真剣に取り組む姿勢そのものが、子どもたちの学習に対して、なにものにも優る教育的効果があるのです。
◎「3つ叱って、5つ褒め、7つ教えなければ、子どもは育たない。」と言われます。
 教育で大事なことは、「叱るより、褒めた方がいい。」と思われがちですが、そうではなく、一番大事なことは、知らないことを「教える」ということです。教えることに躊躇する必要はないのです。教師は、教えるのが仕事です。

2019年7月30日火曜日

花だより クルマユリ アサガオ② 学力危機(教えることをおろそかに)

学力危機 私の提言 教えることを積極的に(読売新聞)
 東京大学教育学部長 市川 伸一氏(文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会臨時委員)
 市川氏は、2010年度から実施された国の新学習指導要領の策定で、倫理的支柱の役割を果たした。「教える考えさせる授業」を提唱し、全国を行脚している。道教育委員会が始めた「学力向上総合実践事業」のアドバイザーになっている。「詰め込み、教え込みの反動で、教えずに考えさせる授業が広まった。大事なことは教えるのが当たり前なのに、教えることがタブーになった」「授業の主役は子どもだが、シナリオライターや監督まで子どもにしてしまった。」全国学力・学習状況調査の成績が芳しくない自治体では、そうした傾向が強いという。
《教えること》をおろそかにして「問題解決型」と呼ばれる授業に熱心に取り組み、結果的に基礎的な学力まで低下させたのではないだろうか。《考えさせる》というと、発展的内容での授業を思い浮かべる人が多いが、重要なのは理解を通じて基礎を習得させる際に考えさせることだと強調する。
 ~具体的な授業例~ 『平行四辺形の面積の公式を学習する授業』では、「公式発見で終わる授業が多いが、分かったつもりで、底辺や高さの意味を分かっていない子や、公式の使い方を理解していない子が多い。」 
 全国学テでも出題され、正答率が全国的に低く、北海道ではさらに低かった部分だ。「授業では、教科書を読めば分かることに時間を費やすのはなく、書かれていないこと、つかみにくい部分こそやるべきだ。その日の授業で何を学んだかという理解の確認も大事。どう間違いやすいかまで教えることが大切である。そのためには教わる側にも、教科書を読んでおくといった予習が必要になる。それをさらに深めるのが授業の意義だと言う。授業で変えることで学習を変え、学力向上につなげよう~ そんな発想の転換を、まず学校を訪ねて教師を指導する立場の指導主事に求めている。

2019年7月29日月曜日

花だより アサガオ ツユクサ ロンドンオリンピック

  今年の夏休みは、ロンドンオリンピック観戦
 生活のリズムがオリンピックモードになってしまい、すっかり早起きになってしまいました。元に戻すのが大変ですが、時差を考えると夏休み中でよかったと思います。4年に一度のスポーツの祭典です。オリンピックは素晴らしい教材になります。
 「志が人をつくる」 ~今こそ志を養う教育を~
 二度とない人生をよりよく生きられるかどうかは、一に“志にあり”とは多くの賢人が説き続けてきました。江戸の儒学者佐藤一斎は、その著「信志四録」の中で「著(ちゃく)眼高ければ即ち理を見て岐せず」(大所高所に目をつければ道理が見えてきて迷うことなし)として、志を高く持ち迷わず貫くことの大切さを説きました。人間の真価はこの志の高さで決まるとも言う。
 「家族みんなが健康でいれますように」これは1年生の七夕の短冊に書かれてあった願いです。「学校の先生になりたい。」というのもありました。うれしく思いました。
 自動車のセールスマンに聞くと今の若者は、「いい車に乗ろう」とは思わないそうです。そこそこの価格で使い勝手のいい車を選ぶというのです。洋服はユニクロ、食はファミレスとかファーストフードで十分。バブル以後に育った若者は、そこそこの収入でそこそこ自由な生活ができればいいと思っているのです。
 ロンドンオリンピックで、メダルを取って歓喜したり、悔し涙を流したりする選手を見ると、志を高く持ち迷わず貫いている姿に感動します。自由や個性の名のもと、自己を内省し、自分とは何か、自分は一体何をすべきか、人生の使命とは何かを模索する力を育てなければならないと思うのです。今こそ「志を養う」教育を復興させたいものです。
「オリンピックに出て金メダルを取りたい!」とロンドンオリンピックを見て憧れ、晴れの舞台を夢みる子どもたちが多くいることを期待します。「おまえみたいな奴がなれるわけないだろ!」と言ってしまったらそれでおしまいです。
 毎朝4時起き!夏休み中の開催で良かった!フェンシング団体準決勝対ドイツ戦残り2秒での同点劇や水泳のリレーなど、名場面が数多くあった中で特に感動したこと 
 “お父さんだって?!”
 オリンピックで熱狂的に応援するのは母親で、父親はやや控えめです。メダリストへのインタビューでも、母親への感謝の言葉がほとんどです。メダリストの原点もお乳を与え育てた母親にあるようです。そんな中で女子ウエイトリフティング銀メダリストの三宅宏美選手は父親が登場しました。北京オリンピックの敗北以後、“コーチを変えてみたら”と周囲から言われたそうですが、三宅選手は「父と一緒にロンドンを目指します。」ときっぱりと言ったそうです。うれしいじゃないですか…。

2019年7月28日日曜日

花だより フデリンドウ コマクサ ラブレター


  最も大事な手紙は「ラブレター」
 担任が研修会参加のため補欠授業に入りました。授業内容は、友だちに自分の気持ちを伝える手紙を書く国語の勉強でした。脱線して、自分の気持ちを伝えるもっとも大事な手紙は「ラブレターだ!」という話話になりました。“「好きです!」という気持ちは、電話やメール、FAXでは伝わらない。本当は会って話すのが一番だけど、恥ずかしくてできないときは、手書きの手紙がいい!
「ラブレターは、丁寧な字で、心を込めて、自分の気持ちを正直に書くことが大事です。
ところで皆さんには、好きな人がいますか?」と聞いたところ、全員が「は~い!」と手を挙げました。「その人に“好きです。”と言った人?」と聞くと、半分以上が手を挙げました。さすが、今どきの子どもです。はっきりしています。
 翌日、担任にこのことを報告すると、「そうなんです。その好きな相手は、私でないことは確かです。」と言っていました。どうしてかというといつもきびしく叱ってばかりいるからだそうです。


2019年7月27日土曜日

花だより ムクゲ ヒマワリ 故平野嘉子校長先生を偲んで

「一期一会」 故平野嘉子校長先生を偲んで
 元津別町立本岐小学校長 平野嘉子先生(70歳)がご逝去されました。
 私が教頭として初めて仕えた校長先生です。管理職としての「いろは」を教わった恩師でもあります。本岐小学校に決まったとき、「平野校長の下で働くのか?気の毒だな。すんごく厳しいらしいぞ!」と周囲から言われ覚悟して赴任しました。
 初日、前任の教頭先生から、「朝は子どもたちがバスで8時くらいに来るので、7時半くらいに出勤して、校長との打ち合わせは、7時50分頃でいい。」と言われ、それでも若干早く出勤したのですが、すでに平野校長先生は職員室に居て、お茶を入れて待っていました。次の日、7時15分くらいに行くと、また、私より早く来ていました。3日目からは、7時に出勤しました。すると次の日から、校長先生は7時50分頃来るようになりました。「もっと早く来なさい。」とは言われませんでした。
 お茶を入れて待っていると、「あなたより、私の方がお茶の入れ方は上手だわ。気を遣わなくていいわよ。」と言われたのを覚えています。朝は、年配の用務員さんが7時前には来るので、用務員さんと話をする時間がたっぷりできました。学校のこと(歴代の校長、教頭の話など)、校舎の不備なところ、地域のこと、保護者のことから、山菜の採れる場所までいろいろな話を聞くことができました。“早起きは三文の得”とは、よく言ったものです。校長先生のねらいはここにあったのかと思いました。
 平野校長先生は、「教室が汚いわよ。ちゃんと掃除しているの?」「職員室の机の上は、いつもきれいに整頓しておきなさい。」「なによ。あの授業は、あれじゃ子どもたちは分からないわよ。」どの先生にも遠慮なく、特に若い先生にはいつも厳しく指導していました。
 本岐小学校は、校舎が古く、職員5名中、新卒が3名の学校で、おまけにその年に管内のへき地複式教育の研究大会が当たっていました。「研究大会は、牧野教頭さんにまかせたわよ。恥ずかしくない研究会にするのよ。」と命じられました。先生方と協力して、夏休みに校舎の壁の塗装や床磨き、教材室や資料室の整理をしました。指導案の検討、複式授業の基礎から大会紀要の作成など諸々、教頭1年目にいろいろなことを経験させてもらいました。その間も直接何かを言われたり、注意を受けたりすることはなく、赴任前の評判とはずいぶん違う印象を持ちました。
 研究大会の閉会式、校長先生のあいさつで、いつも堂々と流暢なあいさつをされる校長先生が、一瞬言葉が詰まり、涙声になりました。「こうして大会が無事終了できたのは、職員が一丸となって取り組んでくれたお陰です。」と話されたとき、いつも厳しく凛とした校長先生の優しい(女性らしい)一面を見ることができました。それ以降職員が一つにまとまったように思います。
 私に筑波の国立教育研究所の中央研修の話がありました。時期が1月末から6週間で年度末と重なり、校長先生は出してくれるはずがないと思っていましたが、「木目様の推薦だもの、いってらっしゃい。」(当時木目澤教育長は局にいらっしゃいました。)と快諾してくれました。平野校長先生のお陰で貴重な研修の機会を得ることができました。
 そんな平野校長先生が、「私が教員になったときは、女性教員がまだ少なく、“何だ!女の先公か?女のくせに”今でいうセクハラよね。私の性格だもの、なよなよなんかしていられなかった。男なんかに負けない。そんな思いでずっとやってきたのよ。」と話されたことがありました。確かに負けず嫌いできつい性格だと感じていましたが、当時の職員の中には、山口県に異動した教員がいて、つい最近まで、「元気でやってますか?」と何度も電話をいただいたと言っていました。私にも異動するたびに、「牧野さんは、牧野さんらしくやりなさい。」と平野校長先生らしい励ましの言葉を何度もかけてもらったことを思い出します。心優しい気遣いのある校長先生でした。潮見小の先生方には、全く関係のない話ですが、平野校長先生のことは、どこかに残しておきたいと思い、今回書かせてもらいました。ご冥福をお祈り申し上げます。


2019年7月26日金曜日

花だより マツバボタン 斜里ねぷた


 弘前ねぷた斜里保存会小山内会長が直々の指導                                         
 6年生のねぷた絵の指導に7月9日(月)から、来ていただいています。斜里の人なら知らない人はいないと思います。
 7月6日(金)学校に来られて、門外不出の“弘前ねぷた”がどうして斜里で行われているのか?その経緯について校長室でじっくり聞きました。(この紙面だけでは、書き切れません。)300年の歴史と伝統のある「弘前ねぷた」を適当にやられては困る。忠実に受け継ぐことを条件に全国で斜里町だけが運行を許されている。それまでには、大変な苦労があったそうです。
 小山内氏(子供たちは“師匠”と呼んでいる)は、ねぷたを描くのに弘前まで足を運ぶわけにも行かないので、分からないことがあると電話で描き方を教わった。だから一ヶ月の電話代が半端じゃなかった。あまりの熱意に弘前の絵師が、見本を描いて送ってくれたそうです。墨の入れ方、蝋(ろう)描きの仕方、色の付け方、絵の構成、目の位置など、話を聞くと奥の深さを感じます。
「最近は、歳をとって筆の勢いがなくなった。」と言いますが、なかなかどうして素晴らしい筆さばきです。一番感心したのは、建具の職人さんということもあって、段取りの良さです。朝は、私より早く学校に来て、準備をしてくれています。「一番肝心なのは紙貼り」、学校で貼ったのは「ダメだ!」と言われ、工場から職人さんを呼び寄せて、紙貼りを仕直してから作業に取りかかりました。子どもたちも私も師匠の指示には「はい、はい」と従って、黙々と作業を続けています。
  北海道は、たかだか100年ちょっとの歴史しかありません。伝統文化といえるものもありません。私たち道産子にとって、感覚的に「しきたり」とか「伝承文化」というものを理解するのは難しいものです。本州の冠婚葬祭に参列すると北海道との違いに驚きます。
 世界自然遺産に囲まれ、尚かつ、こうした伝統文化に触れる活動を経験できる朝日小の子どもはとても幸せです。まさに斜里ならではの特色ある教育活動です。
 しかし、師匠は、「学校の勉強もあるから、これだけやっているわけにもいかないしな。何かいい方法を考えなければならない。」と心配してくれています。


2019年7月25日木曜日

花だより ナデシコ なでしこジャパン


   ~なでしこジャパン~
 “なでしこジャパン”は、国を励まし、世界を驚かせ、サッカーというスポーツの面白さを教えてくれた。 
 元々野球ファンで、ましてや女性のサッカーなど興味がありませんでしたが、K先生の教え子が“なでしこジャパン”の一員と聞いて、早起きをしてテレビ観戦しました。ところがにわかファンになった素人にもサッカーの魅力が分かる素晴らしい試合に感動しました。◆俺が俺がのプレー、汚い反則や抗議もなく、ボール回し(パスワーク)を楽しませてくれました。
◆「最後まであきらめない」“なでしこジャパン”は、決勝戦でアメリカに2度追いつき、PK戦を制して世界一に輝きました。今の日本にすれば、あらゆる政治の言葉より意味のある世界一です。
 なでしこジャパンを率いた佐々木監督の株上昇中! 若い女の子たちの心をつかみ、一つにまとめた裏には、奥さんからの適切なアドバイスがあったからだと言われています。「女房を愛せないものは、“なでしこ”を愛せない!」、「見た目が大事、鼻毛が伸びているなどはもってのほか…。」見習いたいと思います。
 野球など他のスポーツで世界一になってもこうはならない。サッカーだから世界が絶賛! 
【ニューヨークでは】日本代表「なでしこジャパン」に惜敗した米国のメディアは、日本の初優勝を東日本大震災からの復興と関連づけて大きく報じた。日本代表チームの「力強いプレーと意表を突く走りが、大震災からの復興を図る日本の国民を大会を通じて勇気づけた。」「復興への希望の上に築かれた勝利で、大震災で打撃を受けた国を盛り上げた。」とした。「なお大震災からの回復を図る国民にとっては、特に感動的な優勝!」とした。
【北京では】中国メディアは、「なでしこジャパン」が初優勝したことを「アジアの歴史をつくった」と大きく伝えた。「日本の奇跡が世界を制した」と題する評論を配信。日本チームの強さは「技術だけではなく、強固な信念と意志にある。」と解説し、「『なでしこ』の美しいサッカーとそれがもたらした奇跡が、東日本大震災で被災した民族に比類なき自信を与えるだろうと信じる。」と絶賛した。
【リオデジャネイロでは】サッカー王国ブラジルのメディアは、日本代表「なでしこジャパン」の初優勝を「歴史的勝利」「予想外の結末」などと相次いで速報。2度のリードを許しながら勝利をつかみ取った日本の粘り強さを称賛した。「3月の東日本大震災で打ちのめされた国に喜びを与えるのに、スポーツ以上のものはない。」との書き出しで詳細に報道。決勝で米国にリードされても「2度にわたって追い付いた。」などと伝えた。
<アメリカ選手のコメント> GKのホープ・ソロ選手は、「わたしたちは偉大なチームに敗れた」とコメント。また、「何か大きな力が日本を味方していたと感じた。勝ちたかったけれど、他のチームが優勝するなら日本が良かった。」 
◆また、FWのワンバック選手は「日本はいいプレーをしたし、最後まであきらめなかった。敗戦の悔しさはしばらく残るけれど、日本におめでとうと言いたい。日本国民は彼女たちを誇りに思うだろう。」と祝福の言葉を述べた。(これくらいのコメントを日本人も言えたらいい。)
・・・悔しさから這い上がる 負けず嫌いで勝ち気な子ほど伸びる・・・
なでしこジャパンで今回MVPに輝いた澤選手も子どもの頃から負けず嫌いで、“女のくせに”と言った男子を追いかけ回したという逸話もある。澤選手に限らず“なでしこ”は相当の負けず嫌いです。顔に出ています。
 負けたアメリカの選手もそうとう悔しかったらしく、表彰式で誰一人ニコリともしていませんでした。(次が怖い!)最近の日本では、レスリングや柔道、バレーボールや陸上(マラソン)など女子選手の活躍が目立ちます。日本の歴史の中で国難の救世主は、卑弥呼であり、推古天皇であり、持統天皇と皆女性でした。英雄(男)は戦をして世の中を変えようとしましたが、短絡的な男性と違い、女性は実に粘り強い。今こそ女性の時代かもしれない。女子は男女同権の国ほど強いという。
◆5年生の総合の講師で来た網走漁協の青年部の人が、マスの雄雌の見分け方は、優しい顔をしているのがメスで人間と同じです。と言っていましたが、顔は優しく可愛く見えても芯は、しっかりして負けず嫌いな方がいい!AKB48のベスト7もたぶんそんな女の子たちだと思います。
 ところで「撫子(ナデシコ)」という花は?
「秋の七草」の一種。◆ヨーロッパや中国などに分布し、日本では万葉集や「枕草子」にも登場し、古くは貴族に愛された花のようである。◆ナデシコ科:一年草・多年草◆原産地:日本はじめ北半球の温帯一帯に分布(およそ300種)◆草丈 10~50センチ◆花期:春~秋(種類によって異なる)◆花色:赤・ピンク・白・複色・覆輪など◆小泉今日子の“ヤマトナデシコ七変化”という楽曲がある。◆花言葉は、濃い赤~「純愛」「大胆」「勇敢」、白~「野心」、八重~「器用」「才能」
撫子(なでしこ)とは、名前の由来は【子】を【撫(な)】でるようにかわいい花からきている。 
大和撫子とは辞書で調べると「(か弱いながらも、凛々しいところがあるという意味で)日本女性の美称」と書かれています。日本人女性の凛とし清らかな美しさを讃える言葉です。見た目は弱々しく可憐で、内面はしっかりしてわがままでない女性を指します。
 【大和撫子】の条件として
  1)控えめな女性(可愛いわがままならOKでしょう?)
  2)酔っ払って大声で話さない。
  3)露出度の高い服装の場合、崩した座り方はしない。
  4)相手の意見の半分は受け入れる(そして相手に流されない)
  5)料理が得意、掃除はちゃんとする。  
*この5つが揃ってれば立派な【大和撫子】です。

2019年7月24日水曜日

花だより ハス ニッコウキスゲ お盆は7月?8月?

なぜ、網走のお盆は7月なのか「おかしい?」と思って調べてみたら
伝統的には、旧暦7月15日に祝われた。日本では明治6年(1873年)1月1日のグレゴリオ暦(新暦)採用以降、以下のいずれかにお盆を行うことが多くなった。
1 旧暦7月15日(旧盆)
2 新暦7月15日(もしくは前後の土日)
3 新暦8月15日(月遅れの盆。2.を主に祝う地方では旧盆)
4 その他(8月1日など)
 しかしながら、明治6年(1873年)7月13日に旧暦盆の廃止の勧告を山梨県(他に新潟県など)が行うということもあり、1.は次第に少数派になりつつあり、全国的に3.(月遅れのお盆、旧盆)がもっぱらである。ただし何代かに渡り東京に住まう人々は、2.の新暦7月15日をお盆とし、墓参りなどの行事もこの時期に行われる。他にも、北海道では函館市や根室市、佐呂間町の若佐地区、北陸の石川県金沢市、静岡県都市部などに2.の新暦7月にお盆を行う地域がある。岐阜県中津川市付知町、中津川市加子母は8月1日である。
 現在の報道メディアでは、多数派である8月中旬を「お盆」と称するため、「お盆」というと月遅れのお盆を指すことが全国的になりつつあるが、沖縄県では現在でも1.の旧暦による盆が主流である。
 知らないことや「なぜ?」「どうして?」と思うことがたくさんあります。それをじっくり調べられるのが夏休みです。自由研究は、そのためにあります。興味・関心・好奇心が学習の原点です。また、さまざまな作品応募や見学会、体験学習会が予定されています。それに夏休み中には、楽しい夏祭りや地域の行事があります。是非参加してみてください。


2019年7月23日火曜日

花だより エゾニュウ エゾノゼンティカ 選挙

   選 挙 心がホッとステーション
 選挙投票所の立会人は、朝6時半から夜8時までの長丁場です。ただじっと座って、投票の様子を見続けるのです。有権者の多い投票所は、人の流れが途切れることはないのですが、自分の担当地区は、投票に来るのは500人余り、最近は期日前投票の割合が増えたのと高齢化の影響、そして、今回は「ぼんち祭り」の最終日と重なったせいか、1時間毎に投票者を記録するのですが、10人足らず時間帯もありました。投票率は前回を若干下回った模様です。
 じっと見続けるということは人間ウォッチングです。
 地域柄でしょうか、投票所に来るのは圧倒的にお年寄りが多い。品のいいおばあちゃんが入ってきました。会場に入るなり一礼して、係の人から声をかけられると「お世話になります。」と返しました。候補者や政党名が書かれた字は、お年寄りには読みづらく、老眼鏡や拡大鏡も用意されていることを伝えても、「結構です。」と断わりました。立会人には「お疲れ様でございます。」と声をかけてもらいました。そして、最後振り返り一礼して退室されました。この間、わずか3分余りの出来事です。
 こうしたお年寄り(高齢者)が数人いました。しかし、残念ながら若い人にこうした礼儀正しい人はいませんでした。
 投票前日、池上彰氏の番組で島根県の投票率が高い。その原因は、3世代同居の家庭が多く、投票に行くのは当たり前(生活の一部として日常化した祭事)代々受け継がれているという。お年寄りの姿勢が影響力を及ぼしているのかもしれません。
 夜8時になり、投票所を閉めると、投票箱に鍵をかり、開票所までタクシーで走る。それが立会人の最後の仕事です。カーラジオで選挙速報が始まっていました。投票所に着く前に、“当選確実”の速報?
「朝6時半から夜8時過ぎまで長かったなあ~。」と改めて感じた瞬間でした。
 この後、開票作業をした市役所職員の皆さん、本当にお疲れさまでございました。


2019年7月21日日曜日

花だより ヤマユリ ノゲシ スーパークールビス


  ≪服装チェック≫ 
 防犯教室を見学に来た地域の方が、「子どもたちはいつも元気だね。1・2年生は、まだかわいくて素直であいさつもしっかりするけれど、3年生くらいになると生意気になってきて、言うこときかなくなるもね。そんな子でも中学・高校生になるとまたきちんとあいさつするようになる。長い間、子どもたちを見ているといろいろな子がいるもんだ。」と話していました。
◆「ところで校長先生、今どきの学校の先生の服装というには、ずいぶん自由なんですね。」と言われました。前回号でスーパークールビズのことを書きましたが、自分は“よし”と思っていても、相手に不快感を与えているとしたら考えるべきです。「中学校では、生徒に服装の乱れを注意するので、教師の服装もきちんとしなければならない。」と二中の校長先生が言っていました。小学校だからいいというわけにはいきません。
◆10年研の公開講座に出席した教頭先生から、道研の寺田部長の講義をTシャツ姿で聞いていた先生が居たと聞きました。クールビズでネクタイ不要と言われていても、あまりにも非常識です。 
*学校はスーパークールビス? 「襟を正す」という言葉の意味
 クールビス以上のラフなスタイルをスーパークールビズと言うそうですが、学校では一年中スーパークールビズの先生がいます。過日「修学旅行の服装はどうしたらよいでしょうか?」と尋ねられました。「襟付きならいいのではないでしょうか?」と答えました。ユニクロでもサラリーマンのクールビズ用として襟付きシャツが売れているそうです。襟を正したくても襟がないと正せません。


2019年7月20日土曜日

花だより ヤマユリ ノウゼンカズラ 教育者として大切なことは、みんな子どもたちから教わった

 安藤 駿英(元全国連合小学校長会長) 
  「指導と評価」8月号 特集「学び続ける教師たち」巻頭言
 明石小学校特殊学級(当時)で教職が始まった。春の遠足に1年生のケンちゃんの広げたお弁当には、おむすび、ノリ巻き、いなり寿司、サンドイッチがぎっしり。学校に帰ると、出迎えに来た母親に、お弁当のことをやや非難気味に伝えた。ケンちゃんのお母さんは、「うちのケン坊は、友だちのお弁当を見て、自分の中身と違うものがあると手を出してしまうのです。だから、そんなことをさせないようにいろいろ用意したのです。」と答えてくれた。このとき、ケンちゃんのお母さんの心の内を思い量らなかったことを恥じた。
 安藤先生の巻頭言を読んで思ったこと
 元ヤンキー少年の「社会人として大切なことは、みんなディズニーランドで教わった」がベストセラーになったが、私も「教育者として大切なことは、みんな子どもたちから教わった」と思っています。
「教学半」(オホーツク管内の多くの学校の校長室に掲げられている言葉です。)人を教えるということは、相手だけでなく自分にとっても学ぶことである。



2019年7月19日金曜日

花だより コバイケソウ オオマチヨイグサ 社会を明るくする運動


 “社会を明るくする運動”に、みんなの参加を!
 犯罪や非行をする人がいない。あやまちからの立ち直りを支えていける地域をつくる。そのためには、一部の人たちだけでなく、地域すべての人がそれぞれの立場で関わっていく必要があります。“社会を明るくする運動”は、全国的な運動です。犯罪や非行のない地域をつくるために、一人一人が考え、参加するきっかけをつくることを目指しています。  
 その実行委員会から、「網走市豊かな心を育てる活動推進会議の会長へ大会宣言文の依頼がありました。 網走市豊かな心を育てる活動推進会議会長 牧野 喜充
 ≪大 会 宣 言≫ 7月29日 (エコーセンター13:30~15:00)
 社会を明るくするようなニュースが今、足りません。今までにない厳しい現実が伝わってくる日々。けれどもあの3月11日の大震災以来、日本には確実に、人のぬくもりが増えました。苦しさの中でも他人を思いやる被災地の人々の姿。懸命に救出活動をした人々の志。痛みを共にする日本人ひとりひとりの思い。世界中からの温かな支援。心安らげる日はまだ遠いけれど、このような人々の姿が伝わるたび、どれだけ勇気づけられることでしょう。前を向くために。明日をつくるために。この大震災を受け、今こそ、私たちは、社会を明るくする運動を大切にしなければなりません。
 青少年の豊かな心を育むため、「地域の子どもは地域で育てる」を合言葉に、学校、家庭、地域や職場において、いつでも、どこでも、だれでもが、あたたかい心で強力に、次の運動を推進します。
 一つ、人と人との絆をつなぐ「あいさつ運動」を推進します。
 一つ、人と人との心をつなぐ「親切運動」を推進します。
 一つ、人と人や命あるものと情をつなぐ「命を守る運動」と「環境擁護運動」を推進します。
 一つ、人と人との命をつなぐ「健康・福祉運動」を推進します。
 一つ、人と人とを高め合う「フロンティアと再チャレンジ精神を育み、支える運動」を推進します。
 私たち網走市民は、率先して社会を明るくし、活力ある網走にしていくことを誓い、「交通安全・社会を明るくする運動網走市民大会」において右宣言いたします。


2019年7月18日木曜日

花だより エゾスカシユリ 3歳までに脳の発達が決まる?


  “尾木ママの『叱らない』子育て論”
 3歳までに脳の発達が決まるは「真っ赤なウソ」 
 今のママたちは、情報を鵜呑みにしがちです。たとえば雑誌に≪脳の発達は3歳までに決まる!≫なんて書かれてあったらもう大変!「うちの子も3歳までにトレーニングさせないともう終わりだわ!」そんなママは極端に考え過ぎです。◆もし本当に3歳までに脳の発達が決まるのであれば、これから小学校に入学する子どもはどうしたらいいのでしょうか?◆『ホンマでっかTV』でご一緒していて、ぼくが尊敬する脳科学者の澤口俊之先生は、「子どもが生まれすぐ20分くらい母親に抱かれるというのは、脳科学的には非常に効果がある。」とおっしゃっています。これは人は信じていいものだという“基本的信頼感”を形成する上で不可欠だと思うもので正しいことです。しかし、実際そんなふうに抱かれていない子だって多いはずです。そこでどうするか、これが大切です。ここからが教育学の出番です。◆最近は、ママのお腹の中にいるときから、胎教だとか言って、ママが英語の音楽を聞いたり、英語のドラマを見たりしているけれど、そんな作られて早期教育観というのは間違っています。真っ赤なウソです。◆確かに、“三つ子の魂百まで”とあるくらいで、幼児期の体験や子育てが多かれ少なかれ影響を及ぼすのは確かです。でも、それが一生を決めてしまうようなことは決してありません。◆子育てに手遅れはありません。「いくつになっても、学び直しも、育て直しも、成長もできるのです。◆そうでなければ、生きていく希望がなくなってしまいます。ひと昔前だったら、「あんたなんか、ほったらかしで育ったけれど、立派に育っているじゃないの」と迷っているママを、近所のおばさんやおばあちゃんがアドバイスをくれたりもしましたが、核家族の今は、ママ一人で全責任を感じて、うまくいかないのは自分のせいだと思いがちです。だから、情報に頼ったり、不安に思う気持ちも分かります。情報に不信感を持てというのではなく、正しく認識することが大切です。
 他人は他人。あなたなりの感覚、良識で考えていいのです。理屈や理論じゃなくて、もっとシンプルにうんと子どもを愛してあげたらいいのです。3歳の子どもが欲しいのは、ママの愛なのです。


2019年7月17日水曜日

花だより ハマオモト スカシユリ 学力危機 「検証 北海道の教育」


  学力危機 「検証 北海道の教育」
 全国学力テストで、北海道は3年連続で不振だったにもかかわらず、道内は危機意識が乏しいように感じられる。そこに一石を投じ、道内の子どもたちの学力向上につなげていきたい。というのが読売新聞北海道版で「検証・北海道の教育」の連絡企画を開始した理由であった。
 「うちの学校には、かけ算九九もできない生徒が入学してくるんですよ。」教育長経験者の一人は、在職中に道内の高校を回った際、先生方からそう言われたそうだ。小学校低学年の学力すら欠いた高校生にとって、それまでの学校生活とは一体何だったんだろう。北海道の教育界が背負うべき罪は大きい。と言ったらいい過ぎだろうか。(読売新聞北海道支社編集委員 笹森春樹)
「北海道」が書けぬ中1 「自分の住んでいる都道府県を漢字で書きなさい。」社会科の基礎として出題された問題だが、書けない子が多かったという。比較的難しい「潟」を使う「新潟県」では、1割程度書けなかったというが、「北」「海」「道」はいずれも2年生で習う漢字だ。
 さらに解答用紙が汚い。シャープペンシルの軸で破れていたり、間違って書いた解答をきちんと消していなかったりする。成績上位の県では、鉛筆で濃く、しっかりと書かれているという。中学校の教師は、「小学校で漢字を書く訓練がなされているのか。学ぶ姿勢を教えているのだろうか」と話す。
 それでは本道の中学校の成績(全国順位)は、小6(2009年)国A(46位)、国B((47位)、算A(47位)、算B(45位)に対して、中3国A(39位)、国B(43位)、算A(40位)、算B(41位)で小学校よりはよくなっている。
 学習塾の先生は、中3で塾に来る子の1割は、『1-5』ができない。マイナスの概念が理解されていない。そんな生徒に対しては、小学校低学年で学ぶ内容まで戻って学び直させる。北海道の児童生徒が最下層で低迷している大きな原因は、基礎的な計算や読み書きがおぼつかない子どもたちが多いことである。
 採用試験に小学校レベルの問題 基礎学力の低下は、確実に地域の活力をむしばんでいる。
「2500円のシャツを2割引きで売るといくらか?」道東のホテルが採用試験に出した問題だ。採用担当者は「白紙が多いので小学校レベルの問題を出した。それでもできない子もいた。」という。
 フロント係が客の住所の都道府県名さえ書けないとしたら、ホテルのイメージは大きく落ちる。
 最低限の学力がなければ仕事もできない。観光業は地盤沈下を招いてしまう。今後は国際化が進み、海外の人材と競争しなければならなくなる。基礎学力がなければ働く機会も得られない。学力不足は、地域の経済だけでなく、子どもたちの未来をも閉ざしかねない。


2019年7月16日火曜日

花だより トキソウ 一中のオープンスクール


~網走一中のオープンスクールに6年生が参加 
   数学と英語の授業、部活動を体験~
 【潮見小から34名が参加】 
 参加した子が校長室に来て感想を話しました。
≪小学生らしい視点から≫
・授業が始まる時 「起立・礼・着席」と言う。
・机は一人一人バラバラでくっついていない。
・板書がはやい。もたもたしていたらすぐ消される。
・中学校の先生は、何でも(字を書くのも話すのも)はやい。
・字は小学校の先生の方が上手だと思う。
・中学校の先生は、ネクタイをしていてきちんとしていた。
・算数と数学の違いは、数学の方が専門的?という感じ。
・英語は、小学校みたいな遊びじゃない。ゲームもしない。本当の英語という感じ。
・部活は、先輩には敬語を使う。先輩に言われたら「ハイ」とすぐ言う。結構厳しい感じ。・部活は、小学校のクラブと違って真剣!
 「中学校に行っても大丈夫ですか?」「う~ん、何とかなりそう?」
 体験とは肌で感じることです。「もう中学生になったみたいでよかった。」と感想を話していました。
~一中の学校開放週間は、地域の人たちに教育の現場を知ってもらおうと、数年前から取り組んでいるものです。今年は中学校に進学することで学習や生活の変化になじめずに不登校となったり、いじめが急増するという“中一ギャップ”が全国的に問題となっていることから「ギャップの解消に役立てば」と、初めて小6年生対象の体験授業も取り入れた。~(網走タイムズから) 


2019年7月15日月曜日

花だより ネムノキ ジャガイモの花 通知表が変わります


 観点別3段階評価と所見(記述)を組み合わせた若松小オリジナルの通知表
通知表の変遷 私の祖父母の時代の「甲乙丙丁」から父母の時代「優良可」、そして、私の時代には「5・4・3・2・1」の相対評価した。相対評価では、「5」は学級の上位7%(45人学級では3~4人)と決まっていて98点とっても、上に100点が3人いたら「5」は付きません。また、80点でも上にいなければ「5がつくことになります。 
 私の娘の時代になると相対評価から絶対評価に変わりました。3段階評(例:「よい」「ふつう」「努力を要する」)では、目標に達していれば(例:85点以上)であれ人数に関係なく「よい」という評価になります。
 通知表は、一般的にこの絶対評価に個人内評が加味されています。個人内評価とは、絶対評価では、「ふつう」であってもその子の中では、「〇〇の部分は特にがんばっていると認める」という場合は、「よい」という評価を付けます。また、「よい」ばかりをつけるのではなく、「この子の能力からするとこの部分は、もっとがんばれる」と思れる場合は、あえて「ふつう」と付けて次に期待するということもあります。評価は決してその子に点数を付ける評定が目的ではありません。
 通知表は、学校での学習状況や生活の様子を家庭にお知らせするものす。次の指導にどう役立てていくかというのが最も大切なことです。また、学習の状況を客観的に把握して、どこをどう頑張ればよいかということがわかるものでなければなりません。その方法について(通知表の形式)は、各学校でそれぞれ工夫しているところです。若松小ではこれまで全て記述式でしたが、2学期制になって通知表が年2回になることから、より分かりやすい通知表に見直すことにしました。
 評価の仕方だけでなく、学習内容・指導法が変わってきました。指導と評価は一体のものです。
 ◎観点別評価:「算数」の例で説明します。
    4観点:「関心・意欲・態度」「数学的な考え方」「表現・処理」「知識・理解」
 これまでは、「かけ算九九ができる」とか「2ケタのたし算ができる」「図形の面積を求めるこができる」など「知識・理解」や「技能」を中心に評価してきました。ところが「たし算九九がきる」ためには、まず、「勉強しよう」とか「かけ算九九は、おもしろそうだ。やってみよう!」「毎日唱えて覚える」といった「関心・意欲・態度」が大切です。次にいくら暗記してもそれを間違えずに使えないと意味がありません。それが「数学的な考え方」です。もちろん速く正確に計算ができることも大切です。それを「表現・処理能力」といいます。また、かけ算九九のしくみを理解していなければ覚えることもできません。それが「知識・理解」です。
 どの学習でもこの4つの観点で評価しています。(テストが左右半分ずつに問題が分かれていて【表現・処理】【考え方】などと書かれているのをご存知ですか?あれがそうです。)
 この4つの観点は、ただ単に、たし算やかけ算ができるかどうかではなく、長さを測ったり、面積を求めたりすることも含めた算数の力として指導しています。ただし、これを3段階で評価するだけでは、何がどうなっているのか保護者の皆さんに伝わらない部分もありますので、その部分をこれまでの所見(記述)で補うことにします。
  例)「表現・処理」で「よい=◎」と評価された子の場合の所見では、「かけ算九九をすべて確実に唱えることができました。どの段でも、また逆からもすらすら唱えることができます。・・・」とよい点が記されます。
 また「努力を要する=△」と評価された場合の所見では、「かけ算九九の表を苦労して作るこができました。その表で九九を唱える練習をして、順番に唱えることができるようになってきました。さらに逆からも言えるように、繰り返し練習することを助言しました。」と、どこにつまずきがあるか、それに先生はどんな指導をしているのか具体的に分かるような記述方法を考えています。
 観点別3段階評価と記述式の合体により、よりお子さんの学習の様子が具体的で分かりやすい通知表になるようこれから先生方で検討を加えていきます。

2019年7月14日日曜日

花だより カライトソウ テッポウユリ 社会を明るくする運動


心のふれあい「社会を明るくする市民の集い」
      第56回『社会を明るくする運動』 市民会館
   この集いで「小さな親切運動実行賞」の授与がありました。いい話ですので紹介します。
  「小さな親切」
      オホーツク社会福祉専門学校 介護福祉科2年生 向 英司さん
 【受賞理由】
  4月10日から行方不明で、飼い主が探していた目は見えない、耳もあまり聞こえない老犬が、オホーツク社会福祉専門学校の学生さん、向さんの通報により警察や市役所、動物病院の 連携プレイで無事飼い主の元へ帰ることができました。
  向さんは、10日22時30分頃、北見老人ホーム付近の道路を通行中、道路にうずくまっている犬を発見、このまま放っておくと車にひかれるからかわいそうに思い警察に連絡して引き渡してくれました。また担当の警察官も犬が弱っているのと足が悪くなっているので0時30分頃、動物病院に運んでくれました。深夜にもかかわらず獣医さんも治療してくださり、その後市役所からの連絡で無事戻ることができました。
  飼い主の方は、この様な老犬が無事に帰ったこられたのは、警察に連絡してくれたこと、警察の判断で病院に入れてくれたことがよかったと思います。あまりよい話の聞かないこのご時世に私は犬をとおして親切で優しい青年に出会えたことがうれしくてたまりませんと、大変感謝され ておりました。
  心優しい青年に大きな拍手を送り、実行賞を差し上げます。


2019年7月11日木曜日

花だより ハイビスカス 「ゆとり教育」の誤解


「ゆとり教育」の誤解 
「学校で勉強して、帰ってきたら塾へ行き、お母さんからは毎日のように『勉強したの?』と言われ、遊ぶ暇もありゃしない。これも一流大学に入るため、一流会社に就職するため?それより子どもにもっとゆとりを・・・。」とはじまったのが前の教育改革と皆さんは理解されているのではないでしょうか?
 本来は“ゆとりある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実させる。”というものでした。どうもこの「ゆとり」の解釈が間違っていたようです。確かに教科書の内容は易しくなりました。その分、基礎的基本的な内容を確実に身につけることが求めてきました。しかし、日本の子どもたちの学力は下がってしまいました。基礎・基本も残念ながら身についていないのです。先進国の中で、家庭学習の時間が一番短いのが日本の子どもという結果が出ました。「学力低下で日本は滅びる」と主張する人もいます。しかし、ゆとり教育は、“勉強しなくてもいい”ということではなかったのです。
 「ゆとり教育」が見直されましたが、考え方は変わっていません。
   いつの時代も勉強はしなければならないのです。

 お父さんの仕事が○○なら、子どもの仕事は勉強です。「よく遊び、よく学べ」です。「勉強しなさい」と言ってもしないものが、言わなかったら全くしません。小学校のときに、家庭学習の習慣が身に付いていない子は、中学校に行っても勉強はしません。「勉強しなさい!」と強く言えるのは小学校までです。中学・高校になってから言うと大変なことになります。小1プロブレム(問題)、中1ギャップ(溝)、高1クライシス(危機)が問題(進学してから適応できない。)になっています。「小学生になったんだから、もう中学生なんだよ。高校生にもなって…」と言っても、それまでのことが大事なのです。
 ・・・「学問のすすめ」(福沢諭吉)より・・・
 人間には生れながらにして貴賎貧富の差別はない。天は生まれながらの人に富貴を与えるのでなく、その人の働きに与えるのである。誰でも自らの働きにより富貴が得られる機会において、平等なのである。では、現実社会における賢愚、貧富、身分(地位)の差は何からきているのか。その理由は明白である。「学ぶと学ばざる」とによる差である。学問に励み物事をよく知る者は貴人、富人となり、無学な者は貧人、下人となる。
  ◎▲□ 勉強ができるようになるための前提条件がある◎▲□
 人の話をきちんと聞ける。そのためには、姿勢が正しくなければなりません。姿勢を正しく保つには、腹筋や背筋(体力)が必要です。体力をつけるには正しい食生活と運動が必要です。「勉強しなさい。」と言う前に、早寝・早起き・朝ごはんの基本的な生活習慣を身に付けることです。それが家庭の役割です。


2019年7月10日水曜日

花だより サクランボ シモツケソウ 初任者指導


  …失敗しない新任教師の常識力
 保護者から食事に誘われたら応じてもいいか?
 教師は、すべての子どもを対象にして教育をつかさどるのです。公平・中立・平等を旨として接することが肝要です。保護者が食事に誘う意図は何かを推察すると分かります。当然、食事をしたことの事実は、周りの保護者の知るところになります。そのとき、周りの保護者はどう思うか、そして、噂がどのように発展し、その後の校務にどの影響するかを判断し、適切に行動することが大切です。教育公務員としての倫理観であり、危機管理意識が問われます。
 また、気楽に新しい先生と話をしてみたい。食事に誘い、一日でも早く学校に適応し、実力を発揮してほしいと好意的な態度で純粋な気持ちから話しかけてくる保護者もいます。嬉しいことではありますが、断るのが賢明です。初任者、若手教員の落とし穴は、「先生、先生」と保護者や子ども、ときには同僚からも呼ばれ、ついついその気になってしまいがちです。自制することも大切なことです。
  N女師は凛とした女の先生!(初任者指導教員)
“最初から子どもを名前で呼んでいる。”“教材準備ができている。”何より驚いたのは、“一番前のチョロすけ男子が、おとなしく先生の話を聞いている!?” N先生の持っている凛とした雰囲気が、うるさい子どもたちを圧倒しているのです。
 初任者研修から帰ってきたO先生に「N先生から見習うことは多いから、5時間目は、私が教室に入るから話を聞きなさい。(指導を受けなさい)」と言って教室に向かいました。子どもたちは、「あっ!校長先生だ。校長先生だ~。」と大はしゃぎ。見習わなければならないのは、私の方でした。


2019年7月9日火曜日

花だより キボウシ 給食試食会


  給食試食会 
 学校教育目標が変わりました。これは知・徳・体の3つをバランスよく育てたいということからです。最近「食育」という言葉を耳にすることが増えてきました。平成17年6月に『食育基本法』という法律が制定されました。この法律の中では、「子どもたちが豊かな人間性を育み、生きる力を身に付けていくためには、何よりも『食』が重要である。食育は、生きる上での基本であり、知育、徳育、体育の基礎となるものである。」として、これからの子どもの教育には、食育を重視していかなければならないということが謳われました。潮見小学校の教育目標「勉強大好き」「友だち大好き」「運動大好き」も「知・徳・体」をバランスよく育てるということで作られました。
 しかし、この目標は、学校だけで達成できるものではありません。家庭との連携・協力があってはじめて達成できるものです。特に『食』については、家庭の力を直接発揮してもらわなければなりません。
 学校でも『食』の一部を担っています。それが学校給食です。1年間で約200食、単純計算では、1年間の5分の1は給食でまかなわれています。試食会を通して、給食への理解を深めていただければ幸いです。
 ◇◇◇アンケートから、いくつか紹介します。◇◇◇
◎朝から夕方まで、動きっぱなしで作業している姿を見て、とても感動しました。残さず食べるように言おうと思います。
◎DVDを見て感動してしまいました。嫌いなものが多いせいか、給食が不安でした。でも、「今日は、おかわりできた。」「苦手だったけど、減らして食べたよ。」など本人なりに楽しんでいるように思います。毎日、皆さんが心を込めて作ってくれているおかげです。これからもよろしくお願いします。
◎いつも給食が美味しくて、おかわりしているようです。給食のメニューを家でも取り入れてみたいと思います。
 これを読んだ栄養教諭と調理員の皆さん方、大変喜んでいました。ご協力に感謝申し上げます。ありがとうございました。

2019年7月8日月曜日

花だより グラジオラス 少年院では


  なぜ?学校の教育目標「勉強大好き」が重要なのか?
 成績優秀だった子が事件を起こすと大きな記事になりますが、非行少年のほとんどは、学力の低い子なのです。
  少年院では、学力をつけ世界観を是正 
 主に中学生が入院する少年院が、入院者にテストをした結果、小学3年生以下が約3割、4年生以下までで6割近くになった。九九もわからず、漢字の読み書きも満足にできない。「1mが何㎝か知らない」「窓を3分の1開けることができない」『ソ』と『ン』、『シ』と『ツ』の区別が分からない。世界地図で日本の位置が分からない。地球が丸いということが理解できていない子もいます。
 不安定な家庭環境の子どもは、家庭で学習する環境にないのです。勉強がわからないので小学校でも居場所がなく、中学生になって非行化していく場合が多いのです。教師に暴力を振るって少年院に来た子は、「中学校に登校しても教室にではなく、仲間のたまり場ばかりに行っていた。授業はわからないから、つまらない。友だちとしゃべっていた方がおもしろかった。でも、今は勉強しないとまずいと思っている。今は本も読めるようになった。」と言う。  
 学力は善悪の判断や行動の結果を推測する力の基礎になります。小中学校9年分を1年程度ですべて覚えさせることはできません。基礎学力の習得は、少年たちの狭く偏った世界観を是正することに役立っている。(読売新聞の記事より)  

2019年7月7日日曜日

花だより ヒルガオ 潮見小おやじの会


 「潮見小おやじの会」発足  代表、副代表、事務局長を選出
「夫婦」をひらがなで書くと「ふうふ」、「ふ」と「ふ」で分けようがないのです。そして、お互い対等の関係にあります。(我が家は、「5:5」じゃないよ。「3:7」か、時には「1:9」の力関係だという家庭もあるでしょうか?)
 教育もお互いであるので、「教学半」:「教えるは、学ぶの半ばなり」と言われています。学校と保護者・地域もこのようなバランスのよい関係でありたいと思っています。おやじの会の活動で、夫婦や学校と家庭、地域の関係も「5:5」になることを期待しています。
 さて、設立総会は「桂ホルモン」(いかにも「おやじの会」らしい場所?)で行われました。「お父さんは、“実はすごいんだぞ!”というところを見せつけたい。オヤジの権威を示す!!」とやる気いっぱいのお父さん方が20人集まりました。決して、焼き肉を食べてビールを飲む集まりではありません。

2019年7月6日土曜日

花だより イワタバコ ヒルガオ 生活環境の崩壊


 
   子どもの生活環境の崩壊がもたらす諸問題
                       山梨大学准教授 高 橋 英 児
                        「教育展望」5月号(教育調査研究所)
                                 (牧野要約)
1 子どもの生活環境の崩壊の何を問題とすべきか
 子どもたちのさまざまな問題行動(凶悪事件、荒れや暴力行為、いじめ、不登校など)が問題になるたびに、その背景や要因とは何かがこれまで議論されてきた。その際、個々の子どもの心の問題や生活環境、特に家庭の在り方(基本的生活習慣・生活リズムの乱れ、しつけの不足など)の問題が指摘されてきた。しかし、個々の子どもの心の問題や家庭の在り方だけに原因を求めるのであれば、問題の本質を見誤ることになるだろう。
子どもを取り巻く大変な状況にあっても、教師は問題行動に対して毅然と指導すべきだとか、各家庭がしっかりと子どもの面倒を見てしつけをするべきだと要求し、そのような観点からの取組を行っても、問題の本質的な解決に結び付かないことは明らかだろう。解決のためには複合的な対策が不可欠である。
2 人間らしく生きるための生活基盤の喪失
 「叩くのは嫌いだ」「蹴るのも本当は嫌いだ。だけどやっちゃう。止められない。僕が僕を止められない。」
 これは日常的に暴力行為を繰り返す男子児童が教師に泣きながら語った言葉である。教師はここで初めて、この児童が、父親による母親への家庭内暴力によって心を傷付けられてきただけでなく、離婚後も元気がない姿に悩み苦しんでいることを知ったと報告している。また、荒れる子どもたちの多くが両親の離婚や別居、家族のリストラなど家族の問題を抱えており、子どもの問題に経済的、社会的なことが絡んでいることを実感している。
 このような問題は、子どもたちの問題行動だけでなく、彼らの成長・発達に深刻な影響を及ぼしていることが明らかにされてきている。
 このような状況の中で、子どもたちは、多種多様な他者からの十分な存在承認を受ける機会を奪われ、乳幼児期の恒常的不信・自尊剥奪という傷つき、学童期の他者からの阻害や孤立・能力剥奪という傷つき、青年期の社会的排除と無力感という傷つきがケアされないまま、重層的に重なった状態に置かれている。
 子どもたちは、自分が今置かれていること、自分が今生きていること、これから生きていくことを支えてくれる関係や社会的な支援の不足の中で、自分が幸せに生きることへの希望を奪われ、さまざまな傷付きを抱え込まされている。そして、それらを行動化されたヘルプとして我々に訴えているのです。
3 学校は何ができるか
 生活環境の崩壊状況が子どもの生きづらさを生み、問題行動へと駆り立てているのであれば、これらの克服のためには、崩壊した生活環境を、彼らが安心して生きられるものへと構築し直す取組が必要になってくる。
 学校においては、崩壊した生活環境を生きているという彼らの生活現実から出発し、その生活現実と格闘している子どもたちと共闘していくことが取組において何より求められるであろう。
 例として、子どもたちの願いや希望・期待を引き出し、それらを自治的な活動(学校・学級を楽しくするための取組など)を通して実現させていくことである。
 この取組では、子どもと教師とが生活現実を問い、共有する中で、それぞれの苦悩が聞き取れる関係を生み出すことが肝要である。そして、この関係を支えにしながら、それぞれが自己の生き方に関わる願いや要求を自覚し、生活現実を共同でつくりかえる努力をしなければならない。
 このような取組は時間がかかり、すぐには問題の解決には結び付かないように見える。だが、こうした足下からの地道な取組こそが、子どもたちに「生きる力」を育み、生活環境の崩壊の諸問題に対する有効な対策となるのである。
 子どもと大人がともに安心して生きられる場を学級・学校から創造していくことが今重要なのではないだろうか。 


2019年7月5日金曜日

花だより ベニバナ エゾキスゲ 生徒指導を見直す

 《生徒指導を見直す》
 「すべての子どもとよい関係をつくろう」という幻想
           公立高等学校教諭(臨床心理士) 寺 島 達 也
                月刊「学校教育相談」6月号より(牧野要約)
 すべての学校、教師にとって、子どもの成長と発達が基本的な教育目標のはずです。けれども教師によって、その対応に差が生じてしまいます。
 子どもへの関心と心配を重視する教師もいます。また、子どもの不安を誘発し、敵意を抱かせてしまう教師もいれば、そうでない教師もいます。ある教師には常に反抗的で、感情を逆なでるような態度をとる子どもが、他の教師には協力的であったり従順であったりすることもしばしばあります。
 このように、教師と子どもとの関係は固定化されたものではなく、状況に応じてしばしば変化します。
1 無理なものは無理と自覚
 そもそも「教師は、すべての子どもとよい関係を持たなくてはならない」といった発想自体が、幻想ではないでしょうか。
 もちろん、教師が特定の子どもに対して一方的に反感や嫌悪感を持つことは好ましいとは言えません。けれども教師も人間である以上、どうしても馬が合わない、うまくつきあっていけない子どもがいても当然です。問題は、それを教師が自覚しているかどうかです。
 学校にはさまざまなタイプの教師と子どもがいます。「たとえ自分がうまくつきあえない子どもがいたとしても、ほかの教師がその分をフォローしてくれればそれでよい。」くらいの気持ちでいれば、感情的な衝突のかなりの部分は防げます。ところがなんとか二者間で解決を図ろうとして無理をすると事態はややこしくなります。
2 「適切な話し方」と「正確な聞き方」
 次に考えなければならないのは、苦手な子どもであっても、それなりによい関係性を作るにはどうすればよいかということです。
 「あなたは教師のような話し方をしますね。」と言われたら、多くの場合、それは褒め言葉ではありません。まずは、自分がどんな話し方をしているか、自覚したいものです。
 子どもと話をするとき、教師がその場に合った「適切な話し方」をしているか否かによって、子どもとの関係は大きく違ってきます。そして、話し方以上に大切になるのが、子どもの本音を確認できる「正確な聞き方」です。また正確に聞くだけでなく、聞いて理解していることを、子どもに伝わる方法を工夫しなくてはなりません。
 教師が一方的に話し続けると、子どもは黙ってしまい、悩みを打ち明けられないということです。「沈黙」は言葉を使わない強力なメッセージだととらえたいものです。
 また、教師の言葉によらないメッセージに対して、子どもは(保護者)とても敏感です。教師のちょっとしたしぐさや口の動き、表情や動作などを実によく読んでいます。言葉と体が伝えるボディメッセージとが矛盾すると、子どもは混乱するというよりも、よりよい関係性の構築ためには知っておきたいことです。
3 うまくいかないやり方に固執しない
 教師は規律を維持しようとするあまり、罰に頼ってしまうことがあります。子どもを辱めたり、非難したり、抑圧しようとすることさえあります。そうすると、子どもは抵抗し、勝負を挑んできます。
 今は脅迫と懲罰の効力を信じる教師はほとんどいません。それなのに、なぜか毎日のようにこの手段を用いてしまうことはあります。頭に血が上り、子どもに罪を着せようとしたり、なじってしまったりするのです。
 多くの子どもは、「自分はあまりいい子ではない。」という不安を持っています。そこへ否定的なメッセージを送れば、子どもはますます萎縮したり、時には抵抗したりするのです。また、教師はなぜか表現がストレートでなくても、子どもは理解してくれると期待します。しかし、大抵は成功しません。理解されたとしても「先生は不親切で卑怯だ。」と考えてしまいます。
 そもそも人間同士には対立がつきものです。教師と子どもは立場も年齢も異なるため、学校は特に対立が起きやすい場所と言ってもよいかもしれません。「よい教師とよい子どもは対立しない」と考えがちですが、そんなことはありません。どんなに「よい教師」でも「よい子ども」でも対立するときは対立するのです。
 私が普段心がけている基本原則は以下の二つです。①自分の考えを一度だけ伝え、あとは子どもにうるさく言わない。②現状についての話をし、子どもの人格、性格には触れない。

2019年7月4日木曜日

花だより エゾカンゾウ 対人関係がうまく築けない子 “急増!”

  子どもの心に迫る  対人関係がうまく築けない子 “急増!”
                 法政大学 教授 渡辺 弥生
 「対人関係のトラブルを予防するソーシャルスキルを育てる」より
●運動会の練習中に整列の指示に反発して教師を殴った。(小6男子)
●悪口を言われたと思って1年生の顔を殴った。(小3男子)
●着席するように教師から指導されて腹を立て、教室の窓ガラスを割った。(小5男子)
 このような事件が全国的に増えているそうです。原因は、「忍耐力」「コミュニケーション力不足」により、自分の気持ちをうまく表現できないため暴力に走る。「規範意識の低下」「家庭教育の問題」「暴力的なメディア」などの原因ではないかという意見があります。
 暴力に発展するまでもないが、「ちょっとしたトラブルからすぐパニックになる子」「自分の気持ちを相手に伝えることができない子」「友だちとうまくやっていけない子」が増えています。
 自分の気持ちや考えが相手に伝えることができず、自分の心の奥におしこんでしまったり、逆に暴力やいじめなどの陰湿な攻撃行動をくわだてたりする。友だちがほしいという気持ちは強いのに、素直に表現できずに、相手の気持ちを勝手に解釈してしまい、葛藤を抱きやすく、すぐに傷ついてしまう。本来、健全な対人関係は、親子関係、兄弟関係、仲間関係、教師との関係、地域の人々との関係などさまざまな対人関係の中で教えられ経験を通して育まれるものですが、今の子どもたちには、対人関係が希薄で、自分たちでトラブルを解決する力が十分育まれていないのです。
 友だちにすぐ暴力をふるう子に「やさしくしなさい」、すぐ泣く子に「泣いてはダメ」と一方的に叱っても、その子は次から「やさしくしよう」とか「泣くのはよそう」とは素直に思わないのです。
 何度言ってもできない子どもたちの中には、次のような3つのタイプがあります。
*タイプ1~どうすればよいか知識がない
 「やさしくしなさい」と叱られても、どのようにふるまえば「やさしい」行動なのか分からなければ、その行動は出てきません。(例:「だいじょうぶ?」と声をかけてあげる。)こんな子には、具体的な行動を具体的な知識として教えてあげることが必要です。
*タイプ2~知識はあるが行動ができない
 「ごめんね」と謝ればいいのにその勇気はない。自信がない、恥ずかしい、といった意欲や気持ちのところでもう一歩行動にできない。「さあ、やりなさい」と背中を押しても、押せば押すほど引っ込み思案になってしまう。このタイプの子どもは、「やれたためしがない」「自分にできるとは思えない」という心情が強いのです。普段から少しずつ「○○さん、えらいね。よく○○やったね」と声をかけ、できそうなチャンスの場を与えてほめてやることが大切です。
*タイプ3~知識もあり行動もできるが状況把握ができない
 知識もあり、行動もできるのに対人関係でトラブルが多い子がいます。例えば、友だちが何かもめている最中に「仲間に入れて」と声をかけても彼らは聞いていない。そんなとき「ちゃんと入れてって言ったのにみんなは私を無視した」と先生に訴えてくるのは、このタイプの子です。他の人の気持ちに気付かせる対応が必要です。
□□□「思いやり」の発達を理解する□□□
◎幼児期自分と他人の区別が明確でない。自分も他人も同じことを考えていると思う。
◎小学校低学年~他人と比較して、自分と他人の違いが分かってくる。ただし、笑っているからうれしい。泣いているから悲しいといった程度で、相手の心情を推し量ることはできない。
◎中学年~他人の視点をかなり推測できるようになる。A君は、ぼくのことをきっと○○だと思っている。ぼくは、A君のことを○○だと思っているだろう。と互いの気持ちを推測できるようになる。
◎高学年~「私」と「あなた」といった二者関係だけでなく「彼」「彼女」といった第三者の気持ちを推測したり、自分自身を客観視することができるようになる。
◎中学生~学級、学校、社会、日本人として、といったようにさまざまな立場に立って考えられるようになる。「思いやり」とは、自分の視点だけでなく、さまざまな人の視点を理解する力といえます。
 この発達レベルが低いと何かトラブルがあったときに、他人を変えようとするもの(他者変容思考)が強いと暴力をふるい、自分を変えようとするもの(自己変容思考)が強いとその場から逃げるという行動をとります。しかし、「思いやり」が発達すれば、他者変容思考は、「暴力」から「命令」「説得」と変化します。自己変容思考は、「逃避」から「従順」「妥協」へと変化するのです。最終的には互いのコミュニケーションを通して「調節」する行動をとるようになります。「思いやり」の心が育てば問題となる行動もなくなるのです。

2019年7月3日水曜日

花だより アガパンサス ハマナス 自然のなかで


 たんぽぽに似た「こうりんたんぽぽ」が体育館裏にびっしり咲いています。植物というのはよくできていて、同じところでもちゃんと時期をずらして咲きます。
 先週の日曜日、父の37回忌の法事がありました。
 母が「これで最後ですね。」とお寺さんに言うと「いいえ、無くなった方を覚えている人がいる限り続きます。先日、50回忌をしてきました。亡くなった人を偲ぶ心、ご先祖様を大切にする心を皆さん持っていれば、悲惨な事件など、起きないのですがねえ~・・・」というお説教を聞きました。
 心を寄せ合い あたたかい社会を 「自然のなかで」(今週出合った本から)
 風の音、木々のざわめき、小鳥のさえずり、生き生けるもののあふれんばかりの生命力である。勢いよく生い茂った深緑に包まれていると、身体まで緑に染まって、新たな力が体内に満ちてくるようだ。
 いつか何かに追い立てられ、急かされてあわただしく時を過ごしているうちに、人はともするとゆとりを失い、気持ちをいらつかす。自分のことは棚に上げ、他の人に当たり散らすこともある。あるいは自分の殻に閉じこもって悶々と過ごすこともあるかもしれない。
 ときには自然の声に耳を傾け、身をゆだねてみたい。時間が静かに流れ始め、自分を振り返る余裕や物事に感動を持って受け止めるみずみずしい心がよみがえってくるはずである。それまでのとらわれにふと気づき、対処する道が見えてくることもある。人間は自然の中の一部なのである。
 こんな時代だから、知床が世界自然遺産になり、世界各国の首脳が集まり、地球環境を真剣に議論したのです。(平成20年7月)


2019年7月2日火曜日

花だより タチアオイ 「支援」と「指導」について

≪初任者研修資料≫  「支援」と「指導」について
 画一的な一斉指導から「支援」という言葉が出てきて20年以上になります。はたして授業はどう変わったのでしょうか?
 「指導」から「支援」へ、教師の意識の変換は容易ではありませんでした。ところが20年経って、「子ども主体」「子どもが主役」の授業づくりの中で、指導することを怖がり、指導すべきことをしていないのではないか?という指摘もあります。
 支援>援助>指導>指示 ~自分の授業を振り返る~
1 教え込み型~一方的な講義型で援助も支援も見られない。
2 放任型~やらせっぱなし、活動は拡散し、ねらいからかけ離れていく。
3 自己満足型~教師は子ども側に立って授業を構想し、実践に努めているが、授業は「もどき」である。
4 臨機応変柔軟型~ガキ大将的支援法と黒子的支援法を兼ね備え、子どもの実態と状況に合わせて使い分けるタイプ。
 よい授業をするためには優れたセンサーが必要
 優れたセンサーとは、深い児童理解と実践の積み重ねによって高められる。高く広くアンテナを張り、全体の動きを素早くキャッチする。
「支援」とは、戸惑ったり、つまずいたり、困っている子、そんな子どもに、そのよさを見つけて、認めてやったり、励ましてやることで、やる気と自信を持たせることです。
 ところが、教え込まないで見守る。待つ、励ますことが支援だと思っている教師が多い。支援の中には、指導も指示もあるのです。
≪支援の種類≫
「感動する」「認め励ます」「見つめる」「刺激する」「助言する」「共に活動する」「全体化する」「待つ」「見守る」
▼やり方がわからない子に「励ます」だけの支援をしても無駄です。▼理解力のある子に「助言」は必要ありません。▼一人で学習が進められない子に「見守る」という支援もないでしょう。
適切な支援をするためには、優れたセンサーを持つことです。優れたセンサーはただ経験を積めば持てるものではありません。不断の研修の積み上げです。

2019年7月1日月曜日

花だより ヤブカンゾウ “手まめ”“筆まめ”“顔まめ”


“手まめ”“筆まめ”“顔まめ”という豊かな日本語があります。
「まめ」(忠実)とは、“まごころがある。”“労苦をいとわない。”という意味だそうですが、「まめ」な人ほど人から信頼されるものです。
 運動会が終わって、学校に一通の礼状が届きました。
  運動会の際は、色々、ご配慮を頂きありがとうございました。
 特に車から降りてすぐの席でしたので、助かりました。
 お陰様で車イスの母も周囲に気がねせず、応援することが出来、
 小学校最後の運動会の良い思い出となりました。
  今後ともよろしくお願い致します。
                     まずは、御礼迄

 これを読んで“心がホッとステーション”になりました。私もそうですが、お礼の電話をすぐ入れる。礼状を出さなければならない。と分かっていてなかなか書けないものです。“筆まめ”でありたいものです。
○×△○×△ 礼儀正しく ○×△○×△
「みっともないでしょう。はずかしいと思いませんか。行儀良く食べなさい。」「笑われますよ。あなたの食べ方は、礼儀知らずと思われますよ。」これは、日本人のお母さんやお父さんが、あるレストランで子どもに話している言葉です。
「やめなさい。隣の人が、いやな思いをしますから、礼儀正しく待っていなさい。」「他の人に迷惑をかけるようなことは、してはいけません。食事中のマナーを守りなさい。」これはイギリス人の親が子供に話す言葉です。日本人とイギリス人では、注意する言葉が違っています。日本人は、笑われてはいけない。イギリス人は、他の人の心をいやな思いにしてはいけない。ということになります。注意の仕方は違っても、自分の周りの人に不愉快な思いをさせない。ということでは同じです。
 礼儀正しくすることは、教養が高くなり、しつけが行き届いたときにできるものです。約束事ですから、約束した事柄を知らなければなりません。子どもの頃から、一つ一つ約束を覚えて、大人になるまでに全部覚え、それを日常の生活の中で正しく実行するようにしたいものです。
「あいさつで人を大切に」 朝、子供たちから『おはようございます』と声をかけてくれます。あいさつも、“あっ、先生だ。あいさつしよう”と頭で思ってから言うのではなく。かけ算九九の「2×2=4」が暗唱してぱっと出るのと同じように、人と出会ったら自然に「おはようございます」と言えるくらいに体の中に染み込ませることが大切です。そして、とびっきりの笑顔で・・・。