2019年7月11日木曜日

花だより ハイビスカス 「ゆとり教育」の誤解


「ゆとり教育」の誤解 
「学校で勉強して、帰ってきたら塾へ行き、お母さんからは毎日のように『勉強したの?』と言われ、遊ぶ暇もありゃしない。これも一流大学に入るため、一流会社に就職するため?それより子どもにもっとゆとりを・・・。」とはじまったのが前の教育改革と皆さんは理解されているのではないでしょうか?
 本来は“ゆとりある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実させる。”というものでした。どうもこの「ゆとり」の解釈が間違っていたようです。確かに教科書の内容は易しくなりました。その分、基礎的基本的な内容を確実に身につけることが求めてきました。しかし、日本の子どもたちの学力は下がってしまいました。基礎・基本も残念ながら身についていないのです。先進国の中で、家庭学習の時間が一番短いのが日本の子どもという結果が出ました。「学力低下で日本は滅びる」と主張する人もいます。しかし、ゆとり教育は、“勉強しなくてもいい”ということではなかったのです。
 「ゆとり教育」が見直されましたが、考え方は変わっていません。
   いつの時代も勉強はしなければならないのです。

 お父さんの仕事が○○なら、子どもの仕事は勉強です。「よく遊び、よく学べ」です。「勉強しなさい」と言ってもしないものが、言わなかったら全くしません。小学校のときに、家庭学習の習慣が身に付いていない子は、中学校に行っても勉強はしません。「勉強しなさい!」と強く言えるのは小学校までです。中学・高校になってから言うと大変なことになります。小1プロブレム(問題)、中1ギャップ(溝)、高1クライシス(危機)が問題(進学してから適応できない。)になっています。「小学生になったんだから、もう中学生なんだよ。高校生にもなって…」と言っても、それまでのことが大事なのです。
 ・・・「学問のすすめ」(福沢諭吉)より・・・
 人間には生れながらにして貴賎貧富の差別はない。天は生まれながらの人に富貴を与えるのでなく、その人の働きに与えるのである。誰でも自らの働きにより富貴が得られる機会において、平等なのである。では、現実社会における賢愚、貧富、身分(地位)の差は何からきているのか。その理由は明白である。「学ぶと学ばざる」とによる差である。学問に励み物事をよく知る者は貴人、富人となり、無学な者は貧人、下人となる。
  ◎▲□ 勉強ができるようになるための前提条件がある◎▲□
 人の話をきちんと聞ける。そのためには、姿勢が正しくなければなりません。姿勢を正しく保つには、腹筋や背筋(体力)が必要です。体力をつけるには正しい食生活と運動が必要です。「勉強しなさい。」と言う前に、早寝・早起き・朝ごはんの基本的な生活習慣を身に付けることです。それが家庭の役割です。


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