見えぬけれどもあるんだ 見えぬものでもあるんだよ
~ 金子みすずの詩 「星とたんぽぽ」の一節から ~
子どもの言葉や行動の裏には、見えないけれどもそれなりの理由が必ずある。一人一人の子どもの内には、見えないけれども可能性の芽が必ずある。そうした見えないけれどもあるものに、思いを馳せたい。今は見えないけれども、子どもの持っている可能性を信じ、それを引き出し、伸ばしてやりたい。
教育の営みは、こうした見えないものに対して想像力を働かせ、心に引き寄せ、温かく見守り、大事に大事に育てていくことに他ならない。
◎子どもを「育てる」教師のチカラ (季刊2010日本標準)
あまたある職業の中から「教師になりたい」と思い、その夢を実現したのが、教師であるあなたです。教師になったからには、子どもを「育てる」ことのできるホンモノの教師をめざすべきです。ホンモノの教師とは、教える技を持った教師です。子どもを観る眼と心を持った教師です。そして、多くの教師と出会い、つながりをつくることです。
◎カリスマ教師 学校は勉強の場です。教師は教える人という制度的権威の正当性を有しています。それがカリスマ性です。その教師がカリスマ性を失えば、学校と教師は尊敬と憧れの対象ではなくなります。カリスマの保持者は、カリスマ性を手放せば集団は混乱します。その結果、暴れ回る子ども、引きこもる子ども、更に、いちゃもん保護者という怪物が出現します。学校(教師)が活気を失えば、日本は衰退します。今、求められているのは(教育改革)、教師に自信を持たせ、その得意技を見せる場をつくることです。(教えるプロとしての指導力向上=カリスマ性の発揮) それではどうすればカリスマ性が身に付くのでしょうか? 持って生まれた素質ばかりでなく、研修(校内研修だけではなく、広い意味での研究と修養)で磨かれるものです。
◎教職の特殊性と研修
教員は、専門職としての免許制度によって、大学での教育など、一定の高度な養成教育を受け、教員として必要な知識・技術を身につけて、さらに難関の採用選考試検を突破してなった職業です。その意味では、もともと職務遂行能力の高い人々が従事する職業です。(少なくとも世間はそう見ています。)また、専門的技術水準の維持や高度な職業倫理の確保が社会的に見て特別に重要な教員の場合は、特に研修による専門家あるいはプロフェッショナルとしての能力の開発に努めなければなりません。
仮に非常に優秀な人材だとしても、充実した職務遂行には、養成段階での力量のままであっては不十分であり、また、その後の経験や学習を通して学んだ能力の向上だけでは完全ではありません。現代のようにたえず進展・変化する社会に対応するためには、教育者として実践的指導力など資質・能力の向上が求められています。まさに教師も生涯学習なのです。自分自身が研修に真剣に取り組む姿勢そのものが、子どもたちの学習に対して、なにものにも優る教育的効果があるのです。
◎「3つ叱って、5つ褒め、7つ教えなければ、子どもは育たない。」と言われます。
教育で大事なことは、「叱るより、褒めた方がいい。」と思われがちですが、そうではなく、一番大事なことは、知らないことを「教える」ということです。教えることに躊躇する必要はないのです。教師は、教えるのが仕事です。
~ 金子みすずの詩 「星とたんぽぽ」の一節から ~
子どもの言葉や行動の裏には、見えないけれどもそれなりの理由が必ずある。一人一人の子どもの内には、見えないけれども可能性の芽が必ずある。そうした見えないけれどもあるものに、思いを馳せたい。今は見えないけれども、子どもの持っている可能性を信じ、それを引き出し、伸ばしてやりたい。
教育の営みは、こうした見えないものに対して想像力を働かせ、心に引き寄せ、温かく見守り、大事に大事に育てていくことに他ならない。
◎子どもを「育てる」教師のチカラ (季刊2010日本標準)
あまたある職業の中から「教師になりたい」と思い、その夢を実現したのが、教師であるあなたです。教師になったからには、子どもを「育てる」ことのできるホンモノの教師をめざすべきです。ホンモノの教師とは、教える技を持った教師です。子どもを観る眼と心を持った教師です。そして、多くの教師と出会い、つながりをつくることです。
◎カリスマ教師 学校は勉強の場です。教師は教える人という制度的権威の正当性を有しています。それがカリスマ性です。その教師がカリスマ性を失えば、学校と教師は尊敬と憧れの対象ではなくなります。カリスマの保持者は、カリスマ性を手放せば集団は混乱します。その結果、暴れ回る子ども、引きこもる子ども、更に、いちゃもん保護者という怪物が出現します。学校(教師)が活気を失えば、日本は衰退します。今、求められているのは(教育改革)、教師に自信を持たせ、その得意技を見せる場をつくることです。(教えるプロとしての指導力向上=カリスマ性の発揮) それではどうすればカリスマ性が身に付くのでしょうか? 持って生まれた素質ばかりでなく、研修(校内研修だけではなく、広い意味での研究と修養)で磨かれるものです。
◎教職の特殊性と研修
教員は、専門職としての免許制度によって、大学での教育など、一定の高度な養成教育を受け、教員として必要な知識・技術を身につけて、さらに難関の採用選考試検を突破してなった職業です。その意味では、もともと職務遂行能力の高い人々が従事する職業です。(少なくとも世間はそう見ています。)また、専門的技術水準の維持や高度な職業倫理の確保が社会的に見て特別に重要な教員の場合は、特に研修による専門家あるいはプロフェッショナルとしての能力の開発に努めなければなりません。
仮に非常に優秀な人材だとしても、充実した職務遂行には、養成段階での力量のままであっては不十分であり、また、その後の経験や学習を通して学んだ能力の向上だけでは完全ではありません。現代のようにたえず進展・変化する社会に対応するためには、教育者として実践的指導力など資質・能力の向上が求められています。まさに教師も生涯学習なのです。自分自身が研修に真剣に取り組む姿勢そのものが、子どもたちの学習に対して、なにものにも優る教育的効果があるのです。
◎「3つ叱って、5つ褒め、7つ教えなければ、子どもは育たない。」と言われます。
教育で大事なことは、「叱るより、褒めた方がいい。」と思われがちですが、そうではなく、一番大事なことは、知らないことを「教える」ということです。教えることに躊躇する必要はないのです。教師は、教えるのが仕事です。
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