2019年11月3日日曜日

花だより 夕日に向かって走れません 菊


 夕日に向かって走れません
 横一列に並んだ生徒は、教師が熱をもって飛ばした激励を体全体で受け止め、ある者は涙を流し、夕日に向かって全力疾走する姿。これぞ青春という一昔前の学園ドラマを象徴するようなワンシーンを見て育った私は、当時から自分の中に違和感がありました。
 そして、自分が生徒として、まさに熱血先生と言われる担任と出会ったとき、反抗はできなかったけれど、静かに抵抗していた自分がいました。傍らから見たら、斜に構えた曲者に映っていたことでしょう。教師という仕事をしたいと思ったときに、きっと私のような子もいるはずではないか、ならば、そのような子の理解者でありたいと思ったことがありました。
 「がんばります」使用禁止
 「明るく元気で楽しい学校」に異論を唱える人はいないと思います。しかし時に、学校がそれを押し付けてしまう構造にあると感じます。ポジティブでなければならないという雰囲気が蔓延している学校になっていないでしょうか。
「がんばりなさい」や「もっとがんばれるでしょう」と伝え、子どもたちからも「がんばります」という言葉を聞かない日はないほどです。また、さほどがんばらないのに「がんばります」と言えば、意思表示や決意表明がすんでしまう便利な言葉として使われているときがあります。
 そこで、作文やスピーチでは、子どもたちに「がんばります」を使わないこと、がんばることを伝えたいなら、別の表現をするように話をしています。すると「明日は、もう少し大きな声で言ってみます」と、具体的な行動を言語化ができるようになる子や「ここまではできるようになりました」と、振り返って自ら成長に気づくことができる子、そして、「よく取り組んだから、余韻に浸りたい」と労わる子もいます。
 ネガティブなときもポジティブなときも、またどちらでもないときも、人間の行動と感情の奥には、「他者に共感されたい」という欲求があると思います。ネガティブもポジティブも、まずは自分の感情に気づき、受け止めること、そして、共感的理解を示すことです。そのような子どもたちとのエピソードを紹介します。
 「話したくありません」→「今は言いたくないけれど、後で聞いて欲しい」
 「どうしたの?」と聞くと、「話したくありません」と答えることがいます。「なぜ?」や「話してごらん」と、無理に聞こうとせず、その場では、「話したくなったら伝えてね」と一言で離れるようにしています。
 見守りながら、話せそうになったら、再度聞いてみることもありますし、「実はあのとき、話そうとしていることが自分でもよくわからなかったんです」と整理がつかない気持ちを、自分から話してくれたことがあります。
 教師側の言葉でも、例えば「やる気がないなら、出て行け」と威勢よく言ったものの、本当に出て行ったら困ります。伝えたいのは、「やる気を行動で見せてほしい」ということです。ならば、子どもがやる気を発揮できるような言葉で紡いでいきたいものです。
 子どもの発するネガティブな言葉を単なるわがままなのか、つぶさな思いなのかを見極め、どのような言葉で伝えていくのかが、教師に問われていると思います。
        東京都府中市立第六小学校教諭 八長 康晴(月刊「学校教育相談」11月号)

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