子どもたちの普段の生活態度を見て、教科「道徳」は、学校現場に定着したのだろうか?と疑問に感じている人は少なくないだろう。
道徳の「教科化」問題に真摯に向き合う
武蔵野大学教授 貝 塚 茂 樹
道徳教育がうまく機能していると思っている人はほとんどいない。道徳教育の充実が不要であると考えている人もほとんどいない。しかし、道徳の「教科化」に反対だという人は結構いる。こうした人々は、道徳の「教科化」が「修身教育の復活」となるからダメなのだという。では、修身教育のどこがダメなのか。不思議なことにこの質問に的確に答えられる人はごく稀である。実際には、「修身教育の復活」反対を声高に主張する人に限って、修身教科書をまともに読んだことがないということも多い。私は、こうした根拠の乏しい「感情的」な批判を「修身科=悪玉論」と称してきた。そして、「修身科=悪玉論」ところが、道徳教育論議を現在まで「思考停止」させてしまった大きな要因である。
戦後教育は修身教育の功罪を検証することなしに、「感情的」な入り口論でしか道徳教育に向き合ってこなかったのである。「賛成か反対か」入り口論に終始することで、あるべき道徳教育の理念、内容、方法といった本質的な課題にまで議論は及ばなかった。歴史を検証せず、歴史から学ぶという視点を欠いては何も生み出すことはできない。また、歴史を深く多角的に検証することなしに、新しい教育の創造はあり得ず、あるべき道徳教育の展望を開くことは不可能である。
教育再生実行会議が「第一次提言」に盛り込んだ道徳の「教科化」は、これまでにもたびたび提起されてきた歴史的課題である。今度こそ「感情的」なイデオロギー論に振り回されることなく、ましてや修身教育の歴史的な検証をタブー視することなく真摯に向き合いたい。根拠のない「感情的」な議論に時間を空費する余裕はもはやない。道徳教育の「真の創造」が急務の課題である。
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