三回忌と遺品整理
🤷♂️母の三回忌が過ぎ、箪笥のものを整理した。着物や洋服が山のように出てきた。捨てるのも勿体ないと思い、大手リサイクルショップに持って行った。見るなり、「全部で○○円ですね。」と言われたので、「それならいいです。」と持ち帰った。知人から個人経営の店を紹介されあまり期待をせずに大きな風呂敷3つ分を背負い行ってみた、年配のご婦人が着物一点一点、物差をあてて丁寧に見てくれた。「お母さまは、小柄な方だったんですね。今は、着物としては売れなくて、ほとんど生地にほどいて売るので、良いものでも高く買い取ることができない。」と言われました。それでも大手リサイクルショップの何倍もの価格で引き取ってくれました。
コロナの影響でお葬式がすっかり様変わりしました。受付で香典を渡し、お焼香するだけになりました。3回忌の法要でお寺さんが、コロナでお葬式のスタイルが一変するのではないかと言っていました。
お寺さんのお説教を長くて眠たくなるという人がほとんでしょうが、実はとても良いことをお話しされているのです。
心遣いが種まき 耳は聞いて喜ぶ 目は見て喜ぶ 口は人をほめて喜ばせ
手足は、働きによって 傍々を楽にさせて 喜ばす
喜びの種は 喜びの実となって 我が身に返ってくる
慎(つつし)みはゆとりの心から
👀肥大した欲望が、個人を、人類を押しつぶしかねない今日の世相です。感情をコントロールできない短絡的な行動(最近の悲惨な事件)に唖然とするばかりです。
今は「慎み」という言葉は、死語になってしまったのではないでしょうか。慎みは我慢ではありません。弱気でもありません。心のゆとりから生まれてくるものです。
目の前のことだけでなく、先を考える余裕、自分のことだけでなく、周りの人のことを考えるゆとりから出てくるものです。
慎みある生き方が、結局のところ一番確かな、長続きする道だということを忘れてはなりません。豊かな時代だからこそ、子どもには、我慢することを覚えさせる必要があります。それが自分をコントロールする第一歩です。そのためにも、先ず大人が慎む姿勢をしめさなければなりません。
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