2020年11月7日土曜日

花だより ネット社会の恐ろしさ 学校はどう対応すればよいのか? シラタマホシクサ 

  ≪ネット社会の恐ろしさ 学校はどう対応すればよいのか?≫
 新聞のテレビも見ない若者が増えていて、情報は全てネットから、見るのはYouTubeだけなので、案外の世の中の大事な出来事を知らない。さらにネット社会では、誰かの極端な意見やちょっと口を滑らした失言に敏感に反応し、不謹慎、非常識、無神経だと声が上がり、あっという間に非難・炎上します。その一方で、多くの人たちは自分で考えることをせずに、すぐスマホで検索して、そこに集まる大多数の意見に影響されます。これは一見、個性的な考えに見えて、みんな同じようなことを言っているだけです。そして、本当に真実なのか、因果関係があるのか、道理にかなっているかなど怪しく思われることがあります。
 ネット社会の特性として、それぞれが自分の考えをもって行動するのではなく、組み立てられたパターンに従っているところがあります。そして、個人の直接的な利害に結びつかなければ無関心なのに「~であるべき」と評論するのが特徴です。もし学校がその標的になったなら、そこで発生する危機は、オーバーに宣伝され、その火消しに終始しなければならないのです。
 これからの学校の危機管理意識で重要なことは対応の迅速さです。どの学校も「ホウ・レン・ソウ」で対応に当たるでしょうが、それだけではネット時代のスピードに即応していない可能性があります。初動対応で後れを取らないことです。また、情報の真偽をよく見極め、的を射た迅速な対処が必要になります。
≪だれの責任なのか 誰がリスクを引き受けるか≫
 ネット社会は、世の中を急変させました。ところがキャッシュレス、ペーパーレスの時代なのに、学校は相変わらずアナログ的な教師の「手仕事」による管理及び処理を行っています。
 集金は集金袋、家庭との連絡は「おたより帳」、学習内容や持ち物などを知らせるため、毎日数枚のプリントを渡します。プリントの中には、子どもの情報を記入させ、ハンコを押して回収するものなど、個人情報がそのまま載っています。学校現場ではありふれた光景ですが、これはかなりのリスクを伴っています。現金が教室にあったり、個人情報が身近に置かれていること自体が問題で、何か事が起こったら、そこに遡って危機管理が問われます。
 情報化社会の中で、取り残された感のある学校現場にやっとネットシステムを導入しようとしています。集金は、銀行口座やネット銀行、学校からの連絡はメール配信、個人情報はクラウドシステムへ、そうすれば教師たちの紙ベースの膨大な事務処理は大幅に軽減され、働き方改革は進み、必然的に教育の質がアップするはずです。
 ネットシステムは万能ではない!
 しかしながら、それは机上の空論に近く、学校の特殊性を踏まえて考えれば様々な壁にぶち当たります。一口に集金と言っても、教材費、赤い羽根、緑の羽根などの募金、PTA会費など、勧進元が多方面にわたります。いろいろな経緯があってアバウトに学校・教師に「おまかせ」の状態なのです。まずはそこを整理しなければネットシステムはかえって煩雑になってしまいます。
 学校は担任を窓口とする仕事が多すぎること、そして職員室という一つの部屋で指導案や成績処理、文書作成、備品営繕、その他の物品管理などなど多種多様な仕事をこなしているという学校独自の特殊性があります。「学校は遅れている、だからネット導入だ」ではなく、学校、家庭、各関係機関の責任をより明確にし、線引きした上でのネット利用が必要です。



0 件のコメント:

コメントを投稿