マスクで遮られるもの
新型コロナウイルス感染症の拡大が止まらない。それでも学校は何とか授業を続けている。感染の恐れを減らすために、全員マスクをしている。
コロナ禍において専ら憂慮されてきたのは、学力保障が十分に達成できないことである。このために各学校は行事を精選し、授業時数の確保に努めた。確かに、こうした努力で子どもたちの学力は、一定程度保障されるだろう。しかし、今一度考えなければならないのは、マスクで遮られているものは何かということである。マスクを着用して、ソーシャルディスタンスをとることが常に求められる今の生活は、どのような問題をはらんでいるだろうか。
マスクは口元を隠してしまう。乳幼児など年少者にとっては、人の顔の表情から感情を理解するようになることは、発達段階上の大きな課題である。しかし、マスクを着けた保育士や教師の顔からは、目から下の表情は分からない。子どもたちは、先生が笑っているのか、怒っているのか、なかなか読み取りにくいだろう。
こうしたことが日常となれば、子どもたちは相手の感情を理解することが難しくなり、その後の対人関係に深刻な問題をもたらすことが十分に予想される。
マスクをした中で非言語的なコミュニケーションをいかに豊かにしていくかを、もっと検討する必要がある。相手としっかりアイコンタクトをとること、いつも以上に身ぶり手ぶりなどを交えて話すことなど、体全体でのコミュニケーションが求められるようになっている。
その一方で、現状の分析も必要だろう。学力やいじめや不登校の問題だけではなく、こうした否認知的能力の発達の状態を年齢的に、また個体による差異もしっかり精査して、必要な対策を講じることが急務となっている。(上智大学教授 酒井 朗 「内外教育」12月号より)
教師用としてフェイスシールドを試験的に使ったこども園では、確かに表情は分かるが着け心地が悪い、抱っこやおんぶ、作業をするときに危ない。などの理由でマスクに戻したそうです。着け心地が悪いことを理由にしてはいけないだろう。
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