2020年12月23日水曜日

花だより 「教育改革」仏作って魂も入れる ポインセチア

 

 仏作って魂も入れる 「教育展望」2020 12月号 巻頭言
                  京都大学特任教授 小松郁夫
 教育におけるいろいろな改革の議論を見ていると、改めてヒトが中心の施策が成果を生み出すことの難しさを実感する。丁寧に時間をかけて一生懸命に考えて新しい学校づくりをしても、その意図通りに機能しないとか、かえって混乱させてしまうような危険性をはらんだ教育改革の心配が拭い去れないのである。そんな時にいつも心に浮かぶのが、「仏作って魂入れず」という有名なことわざである。
 私の予想を超えて急速に増えつつある「コミュニティ・スクール」も小中一貫教育や義務教育学校の発足も、新しいシステムの開発と教育行政からの支援は華々しいものがあるが、いざ動き出してみると、ありがたみも成果も「イマイチ」の様相が気になる。
 「地域と共にある学校」づくりも、義務教育9年間の一貫したカリキュラム開発も何のために改革するのか、どのような成果を目指して新しい仕組みを導入するのかを明確にしなければ、意味をなさないであろう。関係者の理解と納得、共通理解が進まなければ、未知の実践に不安なままで関わらざるをえず、「やらされ感」が強くなって、当事者の間に不本意なまま責任だけがのしかかってしまう危険性がある。
 国や教育委員会主導の教育改革の骨格づくりは非常に重要である。法制度の整備や財政面での支援も欠かせない。しかし、新しい革袋で新しい酒を造るのは、学校現場であり、学校教育を日々実践する教職員とそのリーダーである管理職である。核心となる理念は、学校の自律性であり、説明責任の確保と人々から支持される社会的正義であると思う。
 肝心なことは、「仏作って⇒魂入れる」ではなく、子どもの「豊かな未来」や「すべての子どもが大切」という崇高な「魂があって⇒仏を作る」という順序を大切にすることであろう。


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