いつの時代も子どもは勉強しなければならない
「学校で勉強して、帰ってきたら塾へ行き、お母さんから毎日のように『勉強したの?』と言われ、遊ぶ暇もありゃしない。これも一流大学に入るため、一流会社に就職するため?それより子どもにもっとゆとりを・・・。」とはじまったのが前の教育改革と皆さんは理解されているのではないでしょうか?
本来の「ゆとり教育」は“ゆとりある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図る。”というものでした。どうもこの「ゆとり」の解釈が間違っていたようです。確かに教科書の内容は易しくなりました。その分、基礎的基本的な内容を確実に身につけることが求められました。しかし、日本の子どもたちの学力は下がってしまい、基礎・基本も残念ながら身についていないと言われるようになってしまいました。先進国の中で、家庭学習の時間が一番短いのが日本の子どもという結果が出ました。「学力低下で日本は滅びる」と主張する人もいます。しかし、ゆとり教育は、“勉強しなくてもいい”ということではなかったのです。
「ゆとり教育」が見直されましたが、考え方は変わっていません。
いつの時代も勉強はしなければならないのです。
お父さんの仕事が○○なら、子どもの仕事は勉強です。「よく遊び、よく学べ」です。「勉強しなさい」と言ってもしないものが、言わなかったら全くしません。小学校のときに、家庭学習の習慣が身に付いていない子は、中学校に行っても勉強はしません。「勉強しなさい!」と強く言えるのは小学校までです。中学・高校になってから言うと反抗的になるだけです。小1プロブレム(問題)、中1ギャップ(溝)、高1クライシス(危機)が問題(進学してから適応できない。)になっています。「小学生になったんだから、もう中学生なんだよ。高校生なんだよ…」と言っても遅い、それまでのことが大事なのです。
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