2021年4月30日金曜日

花だより 改革の覚悟 牡丹

 

  改革の覚悟
 大きく変わるとき、保護者や関係機関から、かなりの反発があることが予想されます。先生方が「子どもたちのために“やる”」となれば、その矢面に立つ覚悟で、責任は全て校長が持つ覚悟でやらなければなりません。
 “同じ忙しいのなら、やりがいのある仕事をしたい。”と言った先生がいました。
この改革は、先生方を信頼しているからこそできることだと思っています。力のない学校では、思い切った改革はできません。
 潮見小学校は、新しい教育課程の編成に大きく舵を切ろうとしています。それを支えるのは教師です。正に「教師力」が今問われています。結局のところ、義務教育の在り方を支えているのは教師であり、「教師こそ原動力」なのです。しかし、現実には、「何でも学校主義」は、教師の肩に全てかかり、その職務の範囲、量、責任の重さ等に青色吐息という状況です。確かに、新しい時代の義務教育の未来を背負っていくには、その質の向上は不可欠であり、教師自身が努力しなければならないことです。また他方で、この教師の現状、暗雲(働き方改革)をどう取り払うかにもう一つの大きな課題です。その課題解決のために教育課程を根本的に見直す英断を下しました。(網走市立潮見小学校平成21年4月校長室だよりから)
ヘッダーの写真が変わりました。網走呼人の水芭蕉群生地 4月29日



2021年4月29日木曜日

花だより 初任者研修 コデマリ

 

 どんなに優秀な先生でも、他の学級で授業するのは難しいものです。確かな児童理解と学習訓練ができていなければ、授業は成立しないからです。誰かが作った指導案を使って授業をしてもうまくはいきません。授業の成功失敗は、4月からの学級経営にかかっています。 よい授業とは、わかる楽しい授業です。楽しい授業とは、冗談を言って笑わせる授業ではありません。
 先生の評価は、授業だけではありません。「退勤後の教室(整理整頓)で分かる。」と言ったのは、用務員さんです。
この時期、どの職場でも初任者研修が行われています。初任者だけでなく、ベテランも初心に戻るときかもしれません。

 ①教師としての態度・心を忘れない。(言葉遣い、服装、動作など子どもへの示範、手本であることを心する。)
 ②仕事優先、職務遂行を念頭に(私事を優先させないように心がける。)
 ③信頼と期待にこたえる。(児童と保護者の信頼があってこそ成果があがるものです。信頼と期待にこたえる努力と研究が大切です。)
 ④机上や身の回りの整理整頓に心がける。(どんどん物が増えてきます。先生の机上が乱雑と子どもに言われないように、退勤時にはきれいにして帰る習慣をつける。)
 ⑤公の物を大切にし、私物化しない。(公私の区別をしっかりつける。自宅への持ち帰りは慎重にする。)
 ⑥だれにも笑顔、すすんで挨拶(上司、同僚ばかりでなく、子どもや保護者、来校者にも明るく挨拶する。)
 ⑦人みな師、物みなわが師の心をもって(人に学ぶ心、子どもにも、物にも学ぶ心が大事です。謙虚な心、ひたむきな究学心を失わないようにする。) 
 ⑧何事も感謝の心をもって(仕事にも、誰にも、物にさえ「ありがたい」という気持ちを持ち続けたいものである。)
 以上、初任者研修から



2021年4月28日水曜日

花だより 読解力指導の課題 スイトピー

 

 読解力指導の課題  これまで国語教育においては、文学的文章や説明的文章について「読み取る指導」、いわゆる「読解指導」が非常に熱心に行われてきました。主人公の気持ちの読み取りやどういうことが述べられているか、正しく理解することに重点が置かれていました。テストの記述問題でも、子どもに自由に書かせるものは少なく、正解を求める問題が主流でした。
 書かれている事柄を正しく理解する力は確かに必要です。社会は大きく変わり、日本も国際社会を生き抜くために、議論を重ねて新しいものを生み出したり、論理的に相手を説得したりする必要が出てきました。このような背景から、学習指導要領においても「自分の意見を適切に述べる力」が求められています。
 ①文章を正しく理解した上で、②それを根拠にして、③自分独自の解釈を述べる力が、これからの社会を生きていく上で必要になります。そして、この読解力は、国語の時間だけでなく、学校の教育活動全体を通じ「考える力」を中心にして、「読む力」「書く力」を総合的に高めていくことが重要であるとされました。
 👀この指摘は15年も前のことです。そして、できたのが全国学力・学習状況調査です。ところがどうでしょう?結果は芳しくありません。自分独自の解釈を述べるには、それ以前の文章を正しく理解する力が必要です。その指導が疎かになっているのではないですか?


2021年4月27日火曜日

花だより 若い先生へ「良い授業を見ること」 フジ

 

 GIGAスクール構想で一人一台の端末が当たり、授業スタイルが大きく変わります。しかし、授業が成立するためには、学習の基盤である学習のルールがきちんと身についていることが条件です。最近の授業を見ていて気になることです。
  指導が一貫している10のこと
1 遊び時間と、授業時間のけじめをつけること
2 指示されたこと、決まっている学習用具を忘れないこと
3 必要な学習用具が正しい置き方で机の上に用意されていること
4 教師の話や友だちの発言を終わりまでよく聞くこと
5 指名による発言と自由発言とを区別すること
6 発言は大きな声で、みんなに聞こえるように話すこと
7 友だちのまちがった発言や失敗を笑わないこと
8 友だちを押しのけるような自分勝手な行動を押さえること
9 すべて終わりまでやり通すこと
10 いつも学習姿勢をくずさないようにすること
《若い先生へのアドバイス》
 教師の言動は、子どもに大きな影響を与えます。同僚から「あなたのクラスの子どもは、あなたの話し方や歩き方そっくりですね」と言われて愕然としたという教師は結構います。初任者が豊かな人間性と専門性を身につけ、児童の模範となり、保護者から信頼される教師に成長するためには、多くの授業を見ること、それもいい授業を見ることが大切です。そして、自ら公開して批評してもらうことです。


2021年4月26日月曜日

花だより 実るほど頭を垂れる稲穂かな ケマンソウ

 


  必要なのは「謙虚さ」 “実るほど頭を垂れる稲穂かな” 
 今年も歓迎会は行われませんでしたが、ある年の校長会の歓迎会で挨拶に立った管内教育長部会の河原部会長(遠軽町教育委員会教育長)は、新任校長に向かって、「間違っても偉くなったと思わないように…」と語りました。
 網走市教育委員会の歓迎会のときは、木目澤教育長さんは率先して、お酒をついで周り、一人ずつ声をかけているのです。
 北見市の佐藤教育長も同じです。北見の場合は、人数が多いので一回りするだけでも相当の時間がかかりますが、お酒をつぎ、一声掛けることを怠りません。
 そんな教育長さんを見て、“自分は決して慢心したことはない、校長だからと偉そうにしたことはない。”と思っていましたが、どこかにそんな思いがあるのかもしれないと反省させられました。
 “人は尊敬する人からしか、学ぼうとしない”という格言があります。心から尊敬する人、憧れる人は、お金持ちではなく、社会的に成功しているわけでもなく、有名人でもないかもしれません。それでも、人々から慕われ、尊敬される人が存在します。他の人と何が違うのでしょうか。与える達人であり、寛大で、利他(他人の幸福をまず願うこと)の心を持ち、見返りを求めない人です。教師もそうでありたいと思います。


2021年4月25日日曜日

花だより 一人の子を粗末にしたとき 教育はその光りを失う ライラック

 

 「一人の子を粗末にしたとき 教育はその光りを失う」
 園長になって何か先生方のためになることをしようと考えて、毎月、教育格言を書いて職員室に掲示することにしました。真っ先に選んだのがこれです。 
 大正から昭和にかけての教育者、安部清美氏の愛と情熱の教育格言。
 氏は後に福岡県教育界を導き、参議院議員となり、多くの教育書を残して昭和56年81歳、永眠。3歳の時、日露戦争で父を亡くし、貧苦に耐え祖父の支えで福岡師範を出て、大正9年神興小学校に赴任。
 その一歩目、担任したのは4年生。そのときの学童であった金森イソの死に直面した。運動会の練習中の心臓麻痺だった。直前まで安部先生に甘えていた子どもだった。子どものことを本当に知っていなかった、と教師の現実に苦悶し、悩み、自殺直前まで追い込まれていく。そこから「神興教育」が立ち上がっていくのでした。
●汝、子どものすべてを知るべし ●汝、子どもと無心で遊ぶべし ●汝、子どもと掃除をするべし
 その子を知り尽くす。その子を取り巻く環境を理解して導く、という教育姿勢は、その日から全員の家庭をまわり、家族と語り村長と語り、地域青年団修養会までも結成し、地域社会全体を見据えた教育へと発展していきました。到底マネなどできないと思いましたが、志だけはと思い書きました。


2021年4月24日土曜日

花だより この子は勉強ができる ワスレナグサ

 


  この子は勉強ができる。この子は?は、ノートを見ればすぐ分かる。
 😃東大生のノートは美しいそうです。全国学力検査でも、上位と下位の答案用紙を比較すると、秋田県と北海道の違いは、字の丁寧さにも表れているといいます。
「上手な字」と「丁寧な字」は違います。字を書くのが得意な子もいれば、苦手な子もいる。しかし、心を込めて丁寧に書いた文字は相手に必ず伝わるものです。
 丁寧とは、①行き届いて礼儀正しいこと。②注意深く、大切にあつかうこと。という意味があります。書くことだけでなく、丁寧に物事に取り組む姿勢が大切です。
 子どもたちは、やがて大人になり仕事に就きます。礼儀正しく、仕事を大切にして働くことのできる人間は、社会的な信頼を得ることができます。
 👀丁寧な字を書く3つのポイント
① 削った鉛筆を使うこと
② 力を入れて濃い字を書くこと
③ 間違えた時は、きれいに消してから書き直すこと
 丁寧な字を書く子の筆箱やノートはきれいです。今は、HBの鉛筆ではなく、2Bが推奨されているようですが、筆圧の弱い子には、2B以上の鉛筆を勧める。
👌「丁寧に書いているね。先生は、マルつけが楽しみです。」と声をかけることも忘れないことです。それより、まず先生が丁寧な字を書くことです。


2021年4月23日金曜日

花だより 学校を変える!学校は変わった! オダマキ

 

 「率先垂範」 簡単なことがことができていない。
 職員室の模様替え 「今まで何か不都合だったの?」「変わり映えしない?」「移動されると戸惑う!」そんなことも1週間もすれば慣れます!! 
 学校に限らず、先生方の中には、物を捨てずにとっておく人が多くいます。それではいくら棚や書庫があっても足りません。仕事の効率も悪くなります。定期的な整理整頓は必要なことです。
 学校を変える!学校は変わった!
 内面的な変化は分かりづらいものです。まず外見を変えて印象付けることが大切です。私は異動する度に、前任者との違いを印象つけるために校長室の模様替えをするようにしています。しかし、それは前任者のやったことを否定するものではありません。
 教員の異動は何のためにあるのかと言えば、“新しい風を吹き込むためです”長く居れば、それが当たり前と思うようになり、変化や改革を求めなくなります。勤務年数に関係なく、そう感じたら異動を考えるべきです。
 あとかたづけで物を大切に 
「ヨシミツ、ちゃんとかたづけをしているのかい?小さい頃は、だらしなくてよく叱ったものだけど、あんたは先生なんだから、教室が散らかっていたら、笑われるんだからね。」とよく言われたものです。そんな母は「だらしないことするんじゃない。」と言うのが口癖でした。着る物にもうるさく、「ジーンズは、折り目がなくてだらしない。」といって高校生になっても履かせてくれませんでした。
 職員室は何をするところ? 
 職員室の入口にいつも物が置かれています。何かと便利なことはよく分かりますが、職員室は物置ではありません。いろいろな人が出入りする場所です。学校中で一番整理整頓がされている場所でなければなりません。そうでないと子どもに指導できません。
「本は元にあったところに戻しましょう。」と子どもに指導しますが、「職員室の本棚はどうでしょう?」と言ったら、片づけ上手な〇〇先生が整理してくれました。整理整頓された環境が仕事の効率を上げます。


2021年4月22日木曜日

花だより 職員室の模様替え ヤマツツジ

 


 職員室の模様替え 
◆木目澤教育長は、学校に来ると校長室に入る前に、必ず職員室によって先生方に声をかけます。職員室の様子を見ているのです。   
 何故職員室を見るのか? 
 雑然とした職員室もあれば、きちんと整理整頓されて整然とした学校もあります。教室に入るまでもなく、職員室を見ただけで、学校の様子や教師の資質(校長の指導力)を見透かしているのではないかと思います。
 職員室には、業者さん、地域、保護者、ボランティアの方、PTA役員など多く人たちが出入りします。そうした人たちの声は、教育委員会に届いています。それが学校の評価になっているのです。
 職員室の配置を変えて模様替えをしました。すると出入りの業者さんが「あれ!ずいぶん明るくなって、雰囲気が変わりましたね。」と言っていました。
 「学校を変える。学校は変わった。今、学校は何かやる。学校は期待できるぞ。」と地域や保護者から共感され、信頼される学校でありたい。「その一歩が職員室の模様替えです。」しかし、それが第一の目的ではありません。変えるのは、教育内容そのものであることを忘れてはなりません。


2021年4月21日水曜日

花だより どうして昔の校長先生は、ひげを生やしているの? サクラソウ

 

 ある講演から 青島 広志氏(作曲家) ≪校長先生方に一言≫
~校長先生方にお願いしたいのですが、校長室ばかりにおいでにならないで、たとえばお歌が歌える校長先生なら音楽室にいらしてお歌いください。そうすれば、校長先生が歌ってくださったことを、子どもたちは一生覚えていると思います。(略)~
🤷‍♂️これを聞いたある校長が、「よし、音楽の時間にいって、君が代を歌って教える。」と言ったら、担任に断られたそうだ。
🤦‍♂️校長先生にもいろいろなタイプがいる。自分の仕えたある校長は、校長室からほとんど出てこない。職員の飲み会は、2次会の最初15分くらい参加して、「この後は、校長の悪口でも言って盛り上がってくれ!」と言ってさっさと帰る。職朝や職員会議の最後に校長から一言ある。普段あまりしゃべらない校長なので、職員は何を語るのだろうと耳を澄ますのだ。
😁学校たんけんで、校長室にやって来た1年生が、歴代校長の写真を見て「どうして昔の校長先生は、ひげを生やしているの?」と質問した。「それは威厳を保つためだよ。」と説明すると「威厳って何?」とさらに質問された。校長の仕事は、傍から見ると分かりにくいものかもしれない。


2021年4月20日火曜日

花だより 教育評論家の言うこと ヤマブキ 

 


  ~教育とは、不幸せにならないための最低限の知恵を授けることをいう。よって生業の業を授ける「授業」となる。俗に言えば、人とのお付き合いのために「国語」があり、買い物のおつりを間違えないために「算数」があり、新たなる便利なものづくりのために「理科」があり、同じ過ちを犯さないために「社会」があり、笑顔のために「音楽」がある。先人の幸せになるための知恵が凝縮されているのである。その学び舎が「学校」である。~ 
             日向野一生著 「学校ものかたり」 まえがきより 第一広報社 

 なんと「尾木ママの叱らない子育て論」7万部突破!?
  最近、教育問題になると必ずといってよいほど、教育評論家の尾木直樹氏のコメントが紹介されます。明石家さんまさんが、テレビ番組のコメンテーターとして取り上げ「尾木ママ」と呼んだことから世に出ました。そのおかげで本がバカ売れしています。これまで180冊の教育書を出していますが、オネェ言葉で書かれたこの本が売れているのは、やはりテレビの影響なのでしょうか?「○○だわよね?」「そうかしら」「○○するのよねぇ~」といった文体で書かれています。それが若いお母さん方から支持されているようなのです。私も買いました。尾木ママの言うことも確かに一理ありますが、それだけではないことを読者も視聴者も理解しなければなりません。


2021年4月19日月曜日

花だより 「大変」とは「大きく変わる」こと ヤグルマギク

 

『一期一会』 ~あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう。~
 今年も昨年に続き、コロナ禍で残念ながら歓迎会が中止になりました。お互いどんな人柄なのか分からないまま仕事がどんどん進んでいます。飲みにケーションなる言葉があるように、これまで大事にされてきましたが、コロナの収束が未だ見えず、まだまだ我慢しなければなりません。
 学校が変わる! ウイズコロナで今年は改革の年です。またさらに忙しく大変になります。「大変」とは「大きく変わる」と書きます。新戦力に期待するところは大です。
 「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助が、次のような言葉を残しています。「とにかく、考えてみることである。工夫してみることである。そして、やってみることである。」
 新たな事柄に向き合ったとき、先の見通しに不安を感じてしまうことがあります。そんな時こそ、周囲の人と知恵を出し合い論議を尽くし、チャレンジする勇気が必要です。「常に考える」ことを意識して実践し、よりよく変わりたいものです。


2021年4月18日日曜日

花だより 家庭訪問は必要か? ツツジ

 

 働き方改革とコロナ禍で家庭訪問をしない学校が増えています。教師や家庭にかかる負担と教育効果を考えた場合、どうなのでしょうか?
 保護者に聞いても「例え、15分、30分でも仕事は休まなければならないし、それなりに準備もあるし、でも、ない方がいいとも言えないし…。」が本音でしょう。
 ~家庭訪問の目的~
①教師が児童・生徒の生活環境、保護者の期待など、子どもの生活を規定しているさまざまな条件を具体的に理解する。
②学校の教育方針や担任教師の教育に対する考え方を父母に伝え、相互に理解し合う。
③学校での子どもの状況、学業上の問題点などを知らせ、家庭での教育を考え直してもらうことによって、より効果的な教育指導を行う目的として行われるものです。
 家庭訪問は、子どもの学校生活の様子を知らせるというより、むしろ子どもがどのような地域環境の下で育っているかを自分の眼でとらえ、理解し、それを学校生活に生かすことに意味があります。このことは大事にしなければなりません。
 しかし、年度初めの忙しい時期に、期間を決め、時数を削って、面倒な調整までして、また短時間で、家庭訪問を実施して、このねらいが達成できるかどうか?ということでしょう。ある学校では、玄関先で済ませる「家庭訪問」ではなく、「家庭への挨拶」としたそうですが、それくらいなら無くした方がいい。


2021年4月17日土曜日

花だより ソフトな印象をあたえるクッション言葉  ハナビシソウ 

 

 ソフトな印象をあたえるクッション言葉「恐れ入ります。」
 山口県での小学校長会全国大会のことです。分科会のグループ協議でのこと、自分は使ったことがない言葉「恐れ入ります」を他県の校長先生はよく使うのです。
 接遇の講習会で講師が、「○○がお上手ですね。」「恐れ入ります。」「恐れ入りますが、○○していただけますか。」難解な漢字を読む知識を持っているより、こうした言葉を自然に使える人が本当の教養のある人だと思います。と言われ、恥ずかしくなりました。
 知ってはいてもなかなか出ない言葉です。クッション言葉には、他に「恐縮ですが」「お差し支えなければ」「せっかくではございますが」「お手数をおかけしますが」「あいにくですが」などがあります。
「恐れ入ります」~①あやまちを悟ってわびる。悪かったことを認めてあやまる。②目上の人などに失礼なことをして、恐れ多いと思う。恐縮する。やや形式的なあいさつの言葉としても用いる。「恐れ入りますがもう少しつめてください。」③相手の好意などに対して、ありがたいと思う。かたじけなく思う。「早速のご挨拶恐れ入りました。」④相手の力量などにすっかり感心する。圧倒されて頭があがらなくなる。敬服する。
 こうしたクッション言葉が自然に出るようにしたいものです。
 *ヘッダーの画像を更新しました。こども園近くの空き地に顔を出した蕗の薹です。


2021年4月16日金曜日

花だより “徳”を積む モクレン

 

 人間には「徳の人」と「才の人」とがある。「徳の人」は大将の器なるべし、「才の人」は補佐役たるべし。リーダーとしての地位が高いほど、技量的能力よりも“徳”が要求される。(田辺昇一『未知への出発』)
 “徳”とは、道徳的、倫理的理想に向かって心を養い、理想を実現していく能力として身に得たもの。また、その結果として言語、行動に現れ、他に影響、感化をおよぼす力。社会的な観点から評価される人格をいう。
 よく西郷隆盛は「徳の人」で、大久保利通は「才の人」と例えられる。ロッキード事件のとき、一審、二審で有罪になった若狭得治全日空社長は、普通ならマスコミに叩かれ、社内からも退陣を求められるところである。ところが、しばらくぶりに出社したとき、全社員が拍手で迎えたという。若狭氏がどんな人物であったか想像ができる。
 最後は“徳”を積むことである。自分はどちらでもないが、現在の菅総理大臣は、どっちなのだろう?

 

2021年4月15日木曜日

花だより 2週間目の新卒先生へ ヤマブキ

 

 2週間目の新卒先生へ
😃“健康で長生きすることが人生の目的ではない。しかし、第一の条件である。” 先ずは無理をして健康を害さないことです。心と体と頭のバランスが大事です。慣れない環境で、疲れる日が続いていると思いますが、“よく食べて、よく寝て、よく仕事する、生活のリズムを守る” 基本的なことをしっかり守って下さい。
😊“無理せず”とは、人はつま先立つと、不安定になります。皆さんは若いですからエネルギッシュで、体力も気力も充分あると思いますが、多くの経験や勉強を重ねながら職能が向上することになりますので、“力まず”失敗を恥ずかしがったり、恐れたりしないで前向きにチャレンジして下さい。“向き不向きより、前向きが大切です。” 
😉“はみ出さない”とは、教育を担う職業を自分自身で選択した以上、教員としての常識やモラル、社会人としてのマナーはしっかり身に付くよう心がけることです。
🤷‍♂️ある教育長さんが、「教育委員会に挨拶に来た職員団体の役員が、コートを脱ぐことなく入室してきた。こういう非常識な先生方に真の意味で子どもの教育を任せられるだろうか、保護者の信頼を得られるかと不安になった。」とおっしゃっていました。
👀教師は『背広を着た子どもであってはならない。』一教師である前に一社会人でなければ尊敬の念やこの先生に学びたいという気持ちは起きてこないものです。教員として、教育に対する情熱、子どもへの愛情、責任感、使命感も当然大事なことですが、人格、品格も大切です。                 


2021年4月14日水曜日

花だより 「教育者らしい」とは マーガレット

 

 ・~・「教育者らしい」とは・~・
  (元網走市教育委員会 木目澤一三教育長の「教育のてまひま」より)
 『らしい』とは、教育者らしい、政治家らしい、商売人らしい、小説家らしい…のように、例えば政治家を裸にして風呂に入れても政治家らしい感じが動作からしみ出ると言われますし、役者が海岸で泳いでも舞台の匂いが取れないと言われるなど、軍人、学者、実業家、宗教家もみな同様に、その職業の感じが見て取れるといわれます。
 どのような職業にあっても、真の意味で自然に修養と人生の経験が積み重なると、垢がとれ、垢ぬけした人物となり、いざと言う時に、それぞれの組織の長としてその誠の仕事をする人物、真の頂点に立つ人物になるという考え方です。ですから、「えっ!あの人が先生なの?」と思われないようにすることです。
 これは多くの先人の教えでもあり、愚職の自戒であり、難しいことですが努力し精進したいと考えていることです。
 高く厚い壁も、課題から目や心を逸らすことなく、果敢に対峙し、見方や考え方、知恵を生かし、継続することによって、やがて壁が階段となって展望が開けるのです。


2021年4月13日火曜日

花だより 新しい出会い 新しい環境 オオバナノエンレイソウ

 

 🤷‍♂️ただ学力をつけようと思ったら、家庭教師を付けて勉強させればいいのです。しかし、それだけでは、人として成長しません。なぜ学校で勉強するかといえば、人は社会の中で生きていかなければならないからです。仲間と一緒に学ぶためには、友だちとの付き合い方、先生との関係、集団のルールを身に付けなければなりません。それが学校で学ぶ大切なことです。これは、教師なら誰しもが思っていることで、不登校の子がいたら、何とか学校に向かわそうとするのです。
 😁「校長先生、○年生になっても○○先生を担任にしてください。」と校長室にやってくる子が言います。こういう子は、新しい担任、新しい環境になってもすぐ対応できる子です。
教え子の中には、未だに年賀状(当時の思い出を書いて)を送ってくる子がいます。その子は目立たなく、私の近くにはあまり寄ってこない子でした。
 👍新しい先生、新しい友だち、新しい環境に早く適応する能力も必要なことです。4月は、新しい出会いを大切にしてほしいです。


2021年4月12日月曜日

花だより 教職員の意欲と姿勢 シャガ

 

 三寒四温を繰り返しながら、桜の季節を迎えようとしています。オホーツクに桜前線が到着するのは、まだまだ先の話ですが、ご近所の庭先には福寿草が咲き、日当たりのよい土手には、フキノトウが顔を出しました。
 「別れと出会いの季節」と言われますように、多くの方々との別れと出会いの中で新学期を迎えました。このご縁を大切にして新しいスタートを切っていただきたいと願っています。一番早く咲く寒桜の花言葉は、“春はもうすぐ「あなたに囁く」”です。福寿草の花言葉は「幸福を招く」、蕗の薹は「待望」「仲間」です。なるほどうまくできています。
 この時期、校長は学校経営の方針を示します。新しく赴任した校長は、自分の目指す学校像を職員に熱く語ります。
「教職員が協働する学校づくり」“教育は人なり” 学校教育の正否は、教職員の意欲と姿勢によるところが大きい。教職員の意識や心構えが子どもの成長を促すという考え方に立ち、教職員一人一人が持ち味や専門性、自主性や創造性を発揮し、磨き高め合って、子どもの心に響く教育活動を推進する。働き方改革やGIGAスクール構想など、新しいことが次から次へと求められています。しかし、基本は「教職員の意欲と姿勢」にかかっています。




2021年4月11日日曜日

花だより 豊かさと引き換えに失ったもの ミヤコワスレ

 

 映画「男はつらいよ」の映画監督山田洋次氏は、今の家族と教育について、家族同士のコミュニケーションが欠落している。核家族化がはじまって30~40年が過ぎ、その中で育った子どもたちが親になって、本格的な家族の断絶が起きているのではないか。寅さんの映画を作っていた時代は、「そうなんだ、こんな風に人と人が愛し合い、仲良くなるための面倒な努力をしながら社会が成り立つんだな。」という思いで観客は満足してくれた。けれども、今の若者たちとその思いを共有できるのだろうか?と不安になる。何故か、日本人は毎日ゆとりなく過ごしていて、人と人が深く関わり合う時間がない。
 これは、「北の国から」の倉本 聰氏の「家族愛」と共通しています。両方とも私たち日本人が忘れかけている「人情」とか「家族愛」がテーマになっています。
 もうこんな映画はつくられないだろうと思っていたら、『ALWAYS~3丁目の夕日』に出合いました。昭和33年の古き良き日本の下町を舞台に家族の触れ合いを描いた心温まる人情ドラマで日本アカデミー賞を独占した作品で、東京タワー(333m)の建設風景など当時の日本が忠実に再現されています。
  その中では、サンタクロースからクリスマスプレゼントに「万年筆」をもらってすごくうれしがるシーンがあったり、青森から集団就職で東京にやってきた女の子に町工場の社長さんが、正月に帰省する汽車の切符をプレゼントする場面があったり、昭和30年生まれの私には、共感する場面が沢山あります。
  私たちの世代は、日本の高度成長期時代と重なります。子どもの頃読んだ手塚治虫氏の漫画「鉄腕アトム」では、2010年が舞台でした。漫画の中では、ロボットが活躍し、高層ビルが聳え建ち、透明のドームの中をエアーカーが走っていました。そんな社会を夢見て育った大人はたくさんいます。そして、東京スカイツリー(634m)の完成、自動運転の車、産業ロボットの活躍など、それが今ほぼ実現になりつつあります。しかし、その豊かさと引き換えに失ったものもあります。
 子ども手当の支給や高校の無償化など、子どもは社会で育てることを基本とし、扶養控除は廃止され、主婦も働きに出るようになりました。それはそれでいいことですが、日本の家族のありようが大きく転換しました。


2021年4月10日土曜日

花だより 追悼 黒板五郎様 ヤマザクラ 

 

  追悼 黒板五郎様
 志村けんさんが亡くなって一年がたちました。追悼番組が放送され、また大いに笑いました。その後すぐに黒板五郎(田中邦衛さん)の悲報を聞きました。何度も何度も再放送された「北の国から~初恋~」が急遽番組を変更して放送されると聞き、永久保存版にしようと録画しました。何度も泣いた場面で、また大泣きした。特に北海道民の同世代は、純や蛍の父親の黒板五郎さんが亡くなったと思ったに違いありません。
 渥美清さんが亡くなった後、「男はつらいよ」が何度も再放送され、日本人から愛されているように、「北の国から」もそうなるだろう。と思っていましたら、今度は、「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」の脚本橋田寿賀子さんの訃報を聞きました。
 日本人に愛される映画やテレビ番組の共通点は、「家族愛」だといいます。道徳の時間で「家族愛」を学ぶより、こうした番組を見る方がずっと心に沁みるはずです。
 故人を知る人は、口を揃えてお人柄の素晴らしさ、優しさを語ります。この後、渥美清さんや田中邦衛さん、志村けんさんのような俳優さんと橋田先生のような脚本家が出てくることを期待しています。



2021年4月9日金曜日

花だより 新卒教員に贈る言葉 オキナグサ

 

 ~新卒教員に贈る言葉~ 
  見えぬけれどもあるんだ 見えぬものでもあるんだよ
            ~金子みすずの詩「星とたんぽぽ」の一節から~ 
 😃子どもの言葉や行動の裏には、見えないけれどもそれなりの理由が必ずあるものです。一人一人の子どもの内には、見えないけれども可能性の芽が必ずあります。
 😊そうした見えないけれどもあるものに、思いを馳せたい。今は見えないけれども、子どもの持っている可能性を信じ、それを引き出し、伸ばしてやりたいと思うのが教師です。
 👀教育の営みは、こうした見えないものに対して想像力を働かせ、心に引き寄せ、温かく見守り、大事に大事に育てていくことに他ならないのです。教師になった今だからこそ、このことを大切にしてほしい。


2021年4月8日木曜日

花だより 日本人的曖昧な意思表示はしない「思います」 レンゲソウ

 

  日本人的曖昧な意思表示はしない「思います」
 ~地方紙の社説から~
 私事で恐縮だが、高校時代にとある理由で停学になった経験がある。停学中は毎日反省文を書いて担任教諭に提出するのだが、ある時「反省の弁を書いているのは良いが、すべて『思います。』で終わっている。心の中で思っているだけではだめだ。」と言われた。読み返すと、確かにどの文も最後は『思います』で終わっている。反省しているのなら「○○しています。」と言い切り、かつ、それを「行動に移せ」と言う。
 言われてみればもっともなことだ。以来、「思います」と言う言葉には注意しているが、世間では以外と使われていることに気づく。ニュース番組でも「ここでCMにいきたいと思います。」と聞くと「なぜCMが決まっているのに、わざわざ『思います』を使うのか」と思ってしまう。政治の世界でも「思います」は実行できなかったときの予防線のように頻繁に使われる。総理も“腹案”と言わず、しっかりと行動に移すことを国民は期待している。
 🤷‍♀️学校の先生も「これから、〇〇をしたいと思います。」をよく使い、言い切ることをしない。曖昧な意思表示の言葉を大人が使っているのだから、子どもの自ずとそうなるのだろう。


2021年4月7日水曜日

花だより “まめやかな人” それが教師 オドリコソウ

 

 こども園で1週間が過ぎました。こども園で幼子と接する先生方を見ていて思い出した言葉がありました。 
 “まめやかな人” それが教師     倉橋惣三著 「育ての心」より
  「生きる力、伸びる力」それに「驚く心」がなくては、自然の移り変わりも子どもの成長の様子も本当には分からない。だが、驚きだけでは、詩とか研究は生まれても、教育にはならない。教育者は詠嘆者たるだけではないからである。子どもの力に絶えず驚きながら、その詠嘆のひまも隙間もないほどにこまかい心づかいに忙しいのが教育であり、教育者である。
  教育のめざすところは大きい、教育者の希望は遠い。しかし、その日々の仕事はこまごまと極めで手近なことである。丁度、園芸の目的は花にあり、果実にあることに似ている。よき園芸家とは、まめな人である。実際に行き届く人である。休む間もない気配りに、目と手と足が絶えず働いている人である。やがて咲かせたい花のことも、熟させたい果実のことも、手をあけて思う間のないほどに、目の前の世話に忠実な人である。驚く心がそのまますぐに実際のまめやかさになる人、そういう人が実際の教育者である。


2021年4月6日火曜日

花だより 新卒を育てる イカリソウ

 

 新卒を育てる
  若い先生の実力UPが学校の教育力UPにつながる。
   バランスのとれた理想的な職員構成(ベテランと若者)の中で新卒は育つ!
 ~新卒の皆さんへ~
 若さと希望にあふれ、赴任された新卒の皆さんは、先輩の先生方の助言と指導を受けながら、毎日の教育活動に情熱を注ぎ、子どもたちや保護者の期待に応えるべく力一杯の努力をしていると思います。そして、そのような毎日の生活の中で、教育の難しさをしみじみ味わっていくことでしょう。
 古くから「教育は人なり」と言われているように、他のいかなる教育条件にもまして、教師としての皆さんの人間性が子どもたちに強い影響を与え、教育の効果に大きくかかわることは、誰もが等しく認めるところです。
 しかし、新卒の先生の人間性をより豊かにしていくために必要な専門職としての資質や指導力は、一朝一夕に身に付くものではありません。多くの経験と不断の研修の積み重ねによって徐々に磨かれていくものです。したがって、教師にとって研修は欠くことのできないものであり、特に若い先生には、公教育に携わる者として教職の重要性を十分認識され、自ら進んで研修に励む姿勢を常に持ち続けるよう期待します。
 次に、皆さんに期待することは、愛情を持って子どもに接してほしいということです。教育は、教師と子どもの信頼関係を抜きにしては考えられず、その信頼関係は日々の教育活動の積み重ねの中で生まれるものです。それが教育の楽しみでもあり、また教師の生き甲斐でもあります。
 先輩教師の貴重な経験に学び、手を携え、発展と充実を目指す創造性豊かな教育活動を展開されるよう心から期待するものです。(校長室「花だより」平成22年4月)




2021年4月5日月曜日

花だより 歓送迎会 コロナ禍で2年続けての自粛 ふきのとう

 

 歓送迎会 コロナ禍で2年続けての自粛
 親睦会の一大イベントは「送別会」です。送別会とは、会社や学校、地域などを去る人に感謝を伝えて送り出す会。退職や転職、転勤など、別れには様々な理由がありますが、いずれにしても送別会には寂しさが漂うもの。しかし、それと同時に送別会は、その人の新たな活躍を祈る希望に満ちた会でもあります。そんな送別会は、これまでの感謝の気持ちとこれからを応援する気持ちとを伝える場です。歓迎会もまた同じ意味があります。その機会がないというのは、とても残念です。
 ある先生が、「送別会はスーツだと思っていました。前の学校では、運動会などの打ち上げは、居酒屋でしたが、歓迎会と送別会だけは、会場はホテルでした。」と言っていました。普通の会社などでは、送別会・歓迎会はフォーマル的に扱われます。学校はどうもそういうところがルーズです。分かっていてあえてラフにするのと、意味が分からずにそうするのでは違います。
 先生方は、普段スーツを着ないので…。各市町村では、4月2日に転入した教職員の辞令交付式があります。当然スーツですが、足元が運動靴だったり、ボタンのかけ方など、社会人としての常識が身についていない人が多い。教育委員さんなど来賓は、そんなところを見ています。こっそり居酒屋で送別会をやっても誰かが見ていて、「学校の先生なのに?」と思われないことです。




2021年4月4日日曜日

花だより 罪の文化 恥の文化 ニリンソウ

 

 「日本人は罪の重大さよりも恥の重大さに重きを置く」
 外国人から見た日本人は、世間の目を気にして自らの振る舞いを正す「恥の文化」であり、善悪や神への罪悪感を行動規範とする欧米型の「罪の文化」とは異質であるという。
 日本人は、周りに誰かいると絶対にゴミは捨てないが、誰もいなくなると平気でゴミや空き缶を捨てる。「他人の目」が行動の基準のなっている。「恥ずかしいか」「恥ずかしくないか」という基準で行動を決定する。さらに名誉を重んじる武士道精神が加わり、恥をかくことを嫌う日本独特の「恥の文化」が形成され、そのことで社会秩序が保たれてきたのある。
 欧米人は、「他人の目」ではなく「神はいつも私を見ておられる」ので、ごみは捨てない。神様との対話の中で行動を決定するという。
 しかし、「恥の文化」が薄れつつある。スマホの普及により、他人の目を気にせず、いつでもだれでも自由に写真や動画を撮り、瞬時にSNSで不特定多数に配信することができるようになった。そこには、個人の道徳心や倫理観が必要だが、罪の意識も恥の意識もない日本人が多くなっているのではないか。キリスト教徒やイスラム教徒と異なり、絶対神を欠く日本は、「世間体」に代わる新たな物差しが生まれるだろうかと危惧する。
 卒業式が終わり、入社、入学式シーズンが始まった。一時代を築いた団塊の世代の最後が職場の一線から退いた。別れと出会いの季節は、世代交代を促し、社会の相貌をまたひとつ変えることになる。
                        


2021年4月3日土曜日

花だより 「弁当づくり」から学ぶこと エイザンスミレ ヒトリシズカ

 


 😉こども園の園長になって、妻は大変喜びました。なぜなら、給食があるので、お弁当作りから解放されるからです。お弁当を作りながら、給食のありがたさを感じたといいます。 
 「弁当づくり」から学ぶこと
 食事を作ることの大切さが分かり、家族をありがたく思った人は優しい人です。
 手順良くできる人は、仕事の段取りのいい人です。
 食材がそろわなかったり、調理を失敗したりしたときに献立の変更ができた人は、工夫のできる人です。
 調理の様子を見て、技を一つでも盗めた人は、自ら学ぶ人です。
 味の違いに調味料や隠し味を見抜いた人は、自分の感性を磨ける人です。
 旬の野菜や魚の色彩、香り、触感、味わいを楽しめた人は、心豊かな人です。
 一粒の米,一本の大根の中にも「命」を感じた人は、思いやりのある人です。
 スーパーの棚に並んだ食材の値段や賞味期限、産地を確認できた人は、賢い人です。
 食材が弁当箱に納まるまで、たくさんの働く人を思い描いた人は、想像力ある人です。
 自分の弁当を「美味しい」と感じ「うれしい」と思った人は、幸せな人です。
 「あるもので作る」「できたものを食べる」ことができた人は、たくましい人です。
 自分で作った料理を喜んでくれる家族を見るのが好きな人は、人に好かれる人です。
 「いただきます」「ごちそうさま」が言えた人は、感謝の気持ちを忘れない人です。
 「生きる」とは食べること、「食べる」とは食材の命を奪い自分の命に代えることです。😃弁当作りには、こんなに深い意味があったとは?
💖私も妻に感謝しなければなりません。こども園には、月の一度「お弁当の日」があります。保護者に「お弁当作り」から、さまざまなことを学んで欲しいという思いから設けられたのでしょう。



2021年4月1日木曜日

花だより 4月新たなスタート かぶ フクジュソウ

 


 生まれたところ 必ずしも故郷にあらず
   心通じたところこそ 本当の 故郷である 

 卒業した学校 必ずしも母校にあらず
   心交わした学校こそ 本当の母校である

 小清水小学校の校長室に掲げてあった言葉です。雅号は「紅林」とありました。調べてみると道の教育長らしいことがわかりました。すでにセピア色をしていましたので、相当前のものです。以来これを真似て、送別会の挨拶で使ってきました。
 この4月から、縁もゆかりもない町の認定こども園の園長になりました。ワクチン接種を優先的に受けられる年齢になって、まさか園長になるとは思っていませんでした。最後の力を振り絞り、もう少しだけ、子どもたちのために頑張ろうと思っています。そして今、この言葉を改めて噛みしめています。