・~・「教育者らしい」とは・~・
(元網走市教育委員会 木目澤一三教育長の「教育のてまひま」より)
『らしい』とは、教育者らしい、政治家らしい、商売人らしい、小説家らしい…のように、例えば政治家を裸にして風呂に入れても政治家らしい感じが動作からしみ出ると言われますし、役者が海岸で泳いでも舞台の匂いが取れないと言われるなど、軍人、学者、実業家、宗教家もみな同様に、その職業の感じが見て取れるといわれます。
どのような職業にあっても、真の意味で自然に修養と人生の経験が積み重なると、垢がとれ、垢ぬけした人物となり、いざと言う時に、それぞれの組織の長としてその誠の仕事をする人物、真の頂点に立つ人物になるという考え方です。ですから、「えっ!あの人が先生なの?」と思われないようにすることです。
これは多くの先人の教えでもあり、愚職の自戒であり、難しいことですが努力し精進したいと考えていることです。
高く厚い壁も、課題から目や心を逸らすことなく、果敢に対峙し、見方や考え方、知恵を生かし、継続することによって、やがて壁が階段となって展望が開けるのです。
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