「一人の子を粗末にしたとき 教育はその光りを失う」
園長になって何か先生方のためになることをしようと考えて、毎月、教育格言を書いて職員室に掲示することにしました。真っ先に選んだのがこれです。
大正から昭和にかけての教育者、安部清美氏の愛と情熱の教育格言。
氏は後に福岡県教育界を導き、参議院議員となり、多くの教育書を残して昭和56年81歳、永眠。3歳の時、日露戦争で父を亡くし、貧苦に耐え祖父の支えで福岡師範を出て、大正9年神興小学校に赴任。
園長になって何か先生方のためになることをしようと考えて、毎月、教育格言を書いて職員室に掲示することにしました。真っ先に選んだのがこれです。
大正から昭和にかけての教育者、安部清美氏の愛と情熱の教育格言。
氏は後に福岡県教育界を導き、参議院議員となり、多くの教育書を残して昭和56年81歳、永眠。3歳の時、日露戦争で父を亡くし、貧苦に耐え祖父の支えで福岡師範を出て、大正9年神興小学校に赴任。
その一歩目、担任したのは4年生。そのときの学童であった金森イソの死に直面した。運動会の練習中の心臓麻痺だった。直前まで安部先生に甘えていた子どもだった。子どものことを本当に知っていなかった、と教師の現実に苦悶し、悩み、自殺直前まで追い込まれていく。そこから「神興教育」が立ち上がっていくのでした。
●汝、子どものすべてを知るべし ●汝、子どもと無心で遊ぶべし ●汝、子どもと掃除をするべし
その子を知り尽くす。その子を取り巻く環境を理解して導く、という教育姿勢は、その日から全員の家庭をまわり、家族と語り村長と語り、地域青年団修養会までも結成し、地域社会全体を見据えた教育へと発展していきました。到底マネなどできないと思いましたが、志だけはと思い書きました。
●汝、子どものすべてを知るべし ●汝、子どもと無心で遊ぶべし ●汝、子どもと掃除をするべし
その子を知り尽くす。その子を取り巻く環境を理解して導く、という教育姿勢は、その日から全員の家庭をまわり、家族と語り村長と語り、地域青年団修養会までも結成し、地域社会全体を見据えた教育へと発展していきました。到底マネなどできないと思いましたが、志だけはと思い書きました。
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