「日本人は罪の重大さよりも恥の重大さに重きを置く」
外国人から見た日本人は、世間の目を気にして自らの振る舞いを正す「恥の文化」であり、善悪や神への罪悪感を行動規範とする欧米型の「罪の文化」とは異質であるという。
日本人は、周りに誰かいると絶対にゴミは捨てないが、誰もいなくなると平気でゴミや空き缶を捨てる。「他人の目」が行動の基準のなっている。「恥ずかしいか」「恥ずかしくないか」という基準で行動を決定する。さらに名誉を重んじる武士道精神が加わり、恥をかくことを嫌う日本独特の「恥の文化」が形成され、そのことで社会秩序が保たれてきたのある。
欧米人は、「他人の目」ではなく「神はいつも私を見ておられる」ので、ごみは捨てない。神様との対話の中で行動を決定するという。
しかし、「恥の文化」が薄れつつある。スマホの普及により、他人の目を気にせず、いつでもだれでも自由に写真や動画を撮り、瞬時にSNSで不特定多数に配信することができるようになった。そこには、個人の道徳心や倫理観が必要だが、罪の意識も恥の意識もない日本人が多くなっているのではないか。キリスト教徒やイスラム教徒と異なり、絶対神を欠く日本は、「世間体」に代わる新たな物差しが生まれるだろうかと危惧する。
卒業式が終わり、入社、入学式シーズンが始まった。一時代を築いた団塊の世代の最後が職場の一線から退いた。別れと出会いの季節は、世代交代を促し、社会の相貌をまたひとつ変えることになる。
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