~園内研究(3)~
最近は、映像だけでなく、エピソード記録や写真、週日案やドキュメンテーション、保育ウェブ等を活用しての園内研究会が増えてきました。また、先生方の働き方が多様化する中で時間の設定やどのようなメンバーで行うかの工夫の必要性も出てきました。しかし、どんなに工夫されていても、活発な意見交換がなされずに、表面的な感想を述べるに留まったり、子どもの姿を表したいから記録するのではなく、記録を付けることが目的になったりする場合があります。
園内研究や記録が形骸化すると、一部の保育者、外部講師や指導主事が望ましい保育像や研究像を強く持ちすぎて、一方的な「評価」を意識しながらの園内研究になってしまうことになります。その場合、知らず知らずのうちに「正解」(どうすべきか・どうすることがよいとされているか)を求め、個々の保育者の「語り」が失われていきます。「語り」とは、日々の保育の中で出会うさまざまな出来事から生まれてくる「知りたい」「やってみたい」といった好奇心で、「いったい何が起きたんだろう」という探究心によって生み出されるものです。個々の保育者の好奇心や探究心は、子どもの見ている世界を共に見る上で必要不可欠なものです。どう保育すべきかといった方法や研究目的の達成ばかりに関心が向き「こども主体」というのは名ばかりで、内実はつまらなくて苦しい園内研究や保育になってはならないのです。園内研究は、日々の語り合いの延長線上にあると考えます。
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