「根曲がりだけの青春」 著者 謝花 栄昭
斜里朝日小学校の学校評議員だった謝花(じゃはな)さんは、沖縄出身で昭和8年生まれ。この本は手作りです。自らワープロで文章を打ち、写真も自分で撮られたものです。
【まえがき・あとがき】から
~戦後開拓地として入植した斜里の豊里地区は、昭和55年を最後に全戸が離農した。当時の歴史を体験した者が、正確に後世に伝えておくべきだろうと考えた。
最も多感な青春時代に「開拓」という渦の中に放り込まれた。毎日、3メートルもある根曲がりだけを1本ずつ刈るのが開拓作業だった。もがき、悩み、苦しんだものの、今となっては、貧しいながらも、素晴らしい環境、人々との付き合い、そして、父との語らいや教えの中で、「義理・人情・信用・常識」などからの言葉の他に『お金や財産より勝もの』として、「当たり前のことを当たり前と考えることが出来る人間」に成長して欲しいとの言葉を頂き、今日の自分を眺めたとき、本当に良かったと思っている。「戦後開拓とは、何であったのだろう」の問いには、衣食住に困り果て、余裕のない生活の中からでも、「根性・常識」が育まれた。決して無駄な時代ではなく、素晴らしい人間性を与えてくれたと思っている。~
この本を読んで、学校で学ぶことは、ほんのわずかであり、人間死ぬまで勉強であること、そして、謝花さんの自然、人、ものから学ぶ姿勢や向上心に感服しました。
斜里朝日小学校の学校評議員だった謝花(じゃはな)さんは、沖縄出身で昭和8年生まれ。この本は手作りです。自らワープロで文章を打ち、写真も自分で撮られたものです。
【まえがき・あとがき】から
~戦後開拓地として入植した斜里の豊里地区は、昭和55年を最後に全戸が離農した。当時の歴史を体験した者が、正確に後世に伝えておくべきだろうと考えた。
最も多感な青春時代に「開拓」という渦の中に放り込まれた。毎日、3メートルもある根曲がりだけを1本ずつ刈るのが開拓作業だった。もがき、悩み、苦しんだものの、今となっては、貧しいながらも、素晴らしい環境、人々との付き合い、そして、父との語らいや教えの中で、「義理・人情・信用・常識」などからの言葉の他に『お金や財産より勝もの』として、「当たり前のことを当たり前と考えることが出来る人間」に成長して欲しいとの言葉を頂き、今日の自分を眺めたとき、本当に良かったと思っている。「戦後開拓とは、何であったのだろう」の問いには、衣食住に困り果て、余裕のない生活の中からでも、「根性・常識」が育まれた。決して無駄な時代ではなく、素晴らしい人間性を与えてくれたと思っている。~
この本を読んで、学校で学ぶことは、ほんのわずかであり、人間死ぬまで勉強であること、そして、謝花さんの自然、人、ものから学ぶ姿勢や向上心に感服しました。
0 件のコメント:
コメントを投稿