先週、葬儀があった。お寺さんのおばあさんの亡くなったので、多くの人が集まった。
町の数々の役職を務めていた人格者だった。ある人は「行くと必ず、『お茶でも飲んでいって』と声をかけてくれて、住職と話すより、○○さんと話す方が楽しかった。」と言っていた。
町の数々の役職を務めていた人格者だった。ある人は「行くと必ず、『お茶でも飲んでいって』と声をかけてくれて、住職と話すより、○○さんと話す方が楽しかった。」と言っていた。
心遣いが種まき 耳は聞いて喜ぶ 目は見て喜ぶ 口は人をほめて喜ばせ
手足は 働きによって 傍々を楽にさせて 喜ばす
喜びの種は 喜びの実となって 我が身に返ってくる
自分が消極的であれば 逆境を招く
自分が明るく積極的であれば 順境は向こうからやってくる
手足は 働きによって 傍々を楽にさせて 喜ばす
喜びの種は 喜びの実となって 我が身に返ってくる
自分が消極的であれば 逆境を招く
自分が明るく積極的であれば 順境は向こうからやってくる
*どうもこんな人だったようだ。
また、本堂の壁には、ありがたい言葉が書いてあった。
「施して 報いを 願わず 受けて 恩を 忘れず」
「何かをしてあげても見返りを求めてはならない ただし、施しを受けた側は、その恩を忘れてはならない」という意味だろう。
お通やのお寺さんのお説教は、「故人を偲び、個人から受けた恩を思い出し、自らの生き方を反省しなさい」と言っていたように思う。若いときは、長い説教は、足がしびれて動かなくなるから、早く終われ!と思いながら聞いていたが、最近は、そのありがたさが分かるようになってきた。後期高齢者が近づき、人生の終わりが見えてきた証拠だろうか?


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