2026年1月25日日曜日

花だより 本当の道徳の授業 ミカン フキノトウ 

 

 

 現行の学習指導要領では、「考え、議論する」道徳への転換が打ち出されましたが、この言葉だけが一人歩きし、本質が十分に共有されていないのではないかと懸念しています。方法論ばかり強調され「何のために考え、議論するのか」という本質的な点が置き去りになっているのではないかと感じています。
 自分の心の奥なる「良心への気づき」があってこそ「考え、議論する」道徳が成立すると考えます。こうした本質に触れることなく、単に思いついたことを友だちと意見交換するだけでは、道徳本来の学びではありません。ましてや道徳の時間は、週に1時間しかありません。SNS上での誹謗中傷、不適切な内容などに学校が対応するのは道徳です。道徳の重症性が増しています。
 かつて「お月さまが見ている」という教材がありました。
 戦後間もない頃の貧しい親子の話で、内職の品も売れず母親は帰り道、月明かりに畑のスイカを見つけます。「ぼうや、誰も見ていないよね」という母親に「うん、だれも見ていないよ。でもお月さまが見ているよ」と坊やが答え、母親が自分の弱さに気づくという内容です。ここでは、「他人の物を盗むのはよくない」という規範を教えたり、正直に生きるという道徳的価値を理解するのではなく、お母さんの心の中にあった良心に目を向けさせることに意味があります。思ったことを言い合うだけで、心の中の良心にまで行きつくことができるでしょうか?教師の力量が問われます。
  「日本の将来を語る」日本教育 新春特集より
    麗澤大学大学院学校教育研究科 松原 好広准教授 (牧野要約)


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