2016年10月31日月曜日

花だより かぼちゃ 子供のプライド

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 学校だよりから】
《シリーズ「いきいき子育て」》  「母の品格」 多 湖  輝 著より
~子どものプライドって何?~
 中学校の授業についていけない生徒に、先生が小学校の問題を解かせてみた。学力がどのレベルまで達しているのか調べたかったのです。ところがあとでこの生徒の親が学校に抗議に来た。
「小学生の問題を解かされて、子どものプライドは傷つけられた」というのです。
 この親が考えているプライドとは何と小さいものなのでしょうか。勉強に限ったことではありませんが、わからなくなったら立ち止まって考え、わかるところまで引き返してやり直すのが基本です。
 お母さんは子どもに「わかるところまで引き返せたのだからよかったじゃない。わからないまま先に進んでしまったら、戻るのに苦労したわよ」といってあげてほしかったです。
 引き返すのをこわがる小さなプライドなら、一度壊してしまった方がいい。この子の親は、プライドというよりむしろ「子どものメンツがつぶされた」ということに腹を立てているのです。そして、そんなことをさせた先生や学校に責任を押しつけてしまっているのです。
 人間誰でもプライドは持っています。子どもには子どものプライドがあります。でも、そのプライドは、経験を積み重ねながら強くしっかりとしたものにしていかなければなりません。ときにはこなごなに打ち壊されて、強くなっていくのがプライドです。学校や先生が悪いと責任を人に押しつけているだけでは、この先もちょっとしたことで傷つけられたと思いこんでしまうようなガラスのプライドになってしまいます。そんなプライドは、強く清々しく生きていくためには何の役に立ちません。

2016年10月29日土曜日

花だより 秋の野付牛公園 学芸会の作文


【平成20年度 斜里町立朝日小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》  緊張の学芸会
  ~2年生男子の作文を紹介します~
 「まちがえないぞ!」 ぼくは、げきをやる前、きんちょうしてきんちょうしてたまりませんでした。そして、まくがあいて、げきがはじまりました。人がゾロゾロ、ガヤガヤとたくさんいたので、セリフをいうのもきんちょうしてしまいました。でも、あまりにも上手だったみたいなので、パパとお母さんとちがうおきゃくさんたちが、「あの子上手だな~。」とたくさんの人がいってくれました。だからぼくは人気もののようでした。それがあまりにもうれしかったので、ぼくはセリフをちょ~はりきっていいました。だからぼくが、3年生になっても2年生のときのように、ちょ~はりきってセリフをいって、たくさんの人からほめられたいです。
 これは、2年生の学級通信に載っていたものです。学芸会の助演男優賞をあげたいくらい上手だった子の作文です。楽しかったり、思い出に強く残ったり、うれしい体験をした子は、いい作文を書くことができます。「パパとママ」と書かないで「パパとお母さん」と書いてあるのも、その家族の有りようがわかる子供らしい素直な表現です。演技と同じくらいこの作文に感動しました。

2016年10月28日金曜日

花だより つるうめどき 食育について


【平成22年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
 網走東部地区PTA連合会研究大会小清水大会に参加して
  ~講演「稲のいのち お米の話」  講師 米夢館代表取締役 向 真理子氏~
 「食育」がどうして学校で必要なのか?
 本来は家庭ですることと思っていましたが、現状は大変なことになっています。お話を聞いていて、読売新聞に掲載された記事「食・ショック」を思い出しました。
 カップラーメンとレンジでチンするご飯の夕食。煮炊きしない家庭、好物をバラバラに食べる家庭など、家庭の変化が食生活を変えています。現代の食卓の問題として、「和食の柱、『米と汁』の存在感が薄れ、おかずばかり目立つ」
 「一汁三菜」は、ご飯とみそ汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の食は、高度成長を経て急速に崩れていく。銘々皿が大皿盛りになり、学校給食の影響でパンに焼き魚と牛乳が並ぶ。清涼飲料水のペットボトルが汁わんに取って代わった。栄養のバランスのとれた「和食」の伝統が消えつつある。
 変わる文化と習慣:ホテルの朝食バイキング~中年の太った女性は、ダイエット中なのかトーストとコーヒーだけ。その隣のスレンダーな白人女性が、ごはんとみそ汁、焼き魚。箸を上手に使い、やきのりでご飯を丸めて食べている。日本はそういう国になりました。

2016年10月27日木曜日

花だより 秋の斜里岳 バードテーブル


 【平成20年度 斜里朝日小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》
 夏の緑に包まれた中に聳えていた斜里岳、冬の白い頂きが青空に突き立っている斜里岳、どちらも雄大でいい。
 木々の葉が落ち、畑の収穫が終わり、周りの邪魔者が一切なくなり、頂上だけうっすら雪化粧した斜里岳は、尾根や谷がくっきりと現れ、その存在感をはっきりさせている。この時期の斜里岳もまたいい。
 花便りの花を探しに散歩に出かけて見つけたのは、ななかまどの実でした。青空に真っ赤な実が鮮やかでした。もう一つ駅で見つけたものがあります。役場前にあった鉄製の鳥のオブジェです。駅舎の改築に伴い、整備の一環で公園の真ん中に移設され、斜里の新しいシンボルになりそうです。
 鳥と言えば、最近、校庭のバードテーブルに小鳥がやってきません。山や森にたくさんの実がなっていてえさが豊富だからでしょうか?子供たちは、校長室に来て、双眼鏡を覗いてはがっかりして帰ります。2年生から、ひまわりのタネ(双葉保育園前で育てていたひまわり)をたくさんもらいました。雪が降って、森や山にえさが無くなる頃、また、小鳥たちはやってきます。だんだんと周りの景色が殺風景になってきますが、楽しみはこれからもあります。

2016年10月26日水曜日

花だより 公孫樹 母の品格



潮見小学校正門付近の紅葉

【平成18年 斜里朝日小学校の学校便りから】
《シリーズ「いきいき子育て」》   「母の品格」 多 湖  輝 著から
 ~周りから「敬遠」される大人にはしたくない~
 「現場か勝手にやったことです。」などという企業のトップは、現場の人たちから敬遠されてしまいます。
 敬って遠ざける、「敬遠」とはおもしろい言葉です。心から敬っているのではなくて、敬うふりをして近づかない。親しくならないということです。いくら企業のトップだと威張っていても、所詮は裸の王様です。
 責任のとれない大人は、陰で笑われる裸の王様です。でも、じつをいえば「責任の取り方」などというのは、教育やしつけではないのです。ごくごく当たり前の常識をたくさん身に付けることによって、いわばその集大成として、責任とは何かということがわかってくるのです。ですから、子供のうちからしっかりと常識を身に付けさせることです。
 常識とは、突拍子もないものではありません。人に会ったらあいさつをするとか、自分の思い通りにならなくてもがまんするとか、人には親切にするとか。それはみな当たり前の常識なのです。そういう当たり前のことを、親が当たり前のようにやっている姿を見て、子供の気持ちの中に少しずつ常識が芽生えてきます。
 「やってみせ、いって聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」(山本五十六)という教えがあります。お母さんが常識と思っていることを子供に一つずつ伝えていって欲しいと思います。手間暇のかかることですが、手間暇を惜しまないのが愛情です。




2016年10月25日火曜日

花だより ビート(甜菜) 菊花展

斜里のホクレン製糖工場



美幌 すずらん印の製糖工場 

【平成19年度 斜里町立朝日小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》 ~「文化の日」には、観賞用の大菊がよく似合う~
 菊花展(夢ホールのロビー)
 “菊作りは、シーズンになると、温度、水、湿度など我が子以上に、世話がやける”のだそうです。枯れた花びらは、一本一本ピンセットで摘んで取り除きます。
 菊は古来から、観賞用として栽培されるようになり、「三段仕立て」、「ダルマづくり」「福助づくり」大きく3種類あります。花言葉は「高潔」「清浄」
*厚物 ~多数の花弁が中心に向かってこんもりと盛り上がったもの。
*厚走り~厚物の花弁の下に長い花弁が走るように垂れさがったもの。
*管物 ~花弁が管状になり、直線的に放射状にのびる。外側の花弁はしだれて先が丸まっている。
 中国で品種改良が進み、日本では江戸時代に観賞用の菊作りが盛んになったようです。日本人の繊細さがなせる花作りです。菊作りは、手間と暇と根気が必要です。教育と相通じるものがあるように思います。

2016年10月24日月曜日

花だより 北見菊祭り テレビの見過ぎはよくない

~北見菊祭り開催中~







【平成18年度 北見市立若松小学校 学校便りから】
《シリーズ「いきいき子育て」》  テレビの見過ぎはよくない!
  『日米中テレビ比較』  財団法人日本青少年研究所長 千石 保 氏
 学校の時間割で面白い現象がある。すがすがしい朝の1時間目は、さぞかし国語や算数に違いないと思うだろうが、意外に体育の時間が多い。なぜなら朝は、頭が眠っているからだ。子どもたちは、寝るのが遅い。どこの家でも「早く寝なさい」「早く起きなさい」と口を酸っぱくしていっても、なかなか寝ない。テレビを途中で切って寝るなんてとても勇気と決断がいる。子どもに限らない。親がテレビを消す決断ができないのだ。
 中国やアメリカでは、テレビを見せない親が多い。テレビに引きずられて、だらだらした生活を嫌う気風がある。そうした文化は“しつけ”と似ている。“しつけ”そのものかもしれない。特にイギリスでは、テレビは自律心を欠く恥ずかしいものと見られている。だから、テレビはロッカーの中にしまってある家庭が多い。ところが日本は、立派な大画面のテレビが床の間に置いてあって、これ見よがしに顕示している。どうみてもテレビは恥ずかしい対象になっていない。
 アメリカの中流家庭でも、イギリス的気風があるようだ。とにかくテレビを見ない。見せないようにしている。事実、アメリカの子どもは概して早寝早起きである。
 アメリカ・中国の高校生の就寝時刻は、午後10時から11時の間が最も多く、ほぼ40%くらい。日本は、夜中の12時から1時が最も多く、約35%くらいである。深夜1時~2時でも15%もある。
授業中、よく寝たり、ぼうっとしている。という日本の生徒は73.3%に達し、アメリカの48%、中国の30%に比べるといささか心配になる。
 早寝早起きの効用は、学習到達度も高くなる。今回実施された全国一斉学力テストの結果から見ても、規則正しい生活をする生徒の学習到達度は高い。勉強のよくできる子は、家庭の生活習慣と関係が深いことがわかる。
 朝の体育とは別に、朝の読書を取り入れている学校もたくさんある。授業の前に10分間を「読書」の時間として名作を読む。朝のすがすがしさと同時に香り高い文学や絵本に親しむ。声に出して読むことは、身も心も目覚めさせてくれるのである。
 秋の夜長は「読書」に限る! 読書は、心と頭の栄養ドリンク!



2016年10月23日日曜日

花だより 白菊 老人クラブの誕生会 「男はつらいよ」


【平成18年度 北見市立若松小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》   ~若松老人クラブのお誕生会に参加~
 老人クラブでは、年3回誕生会をしています。今回は、8月から11月生まれの5人のおじいちゃん・おばあちゃんの誕生会に20人が集まり、ごちそうを食べ、カラオケを唄ってお祝いをしました。今回の中には90歳をこえる方が2人もいました。藤井さんのおじいちゃんは91歳ですが、新聞を隅から隅まで読むのが毎日の日課だそうです。
 「日本人の心はどうなってしまったんだ?校長さん、子どもたちの教育しっかり頼むよ!」 
~おじいちゃんの嘆き~
 校長さん、ちょっと聞いてくれないかい。この前な・・・。死んだばあさんの葬式を息子がしないという家があってな。わしが、「それはおかしい」と言ったら、「喪主の俺がしないといっているんだ。文句あるか。」こう言うんだな。「死んだじいさんとばあさんが一生懸命働いて広げた畑を息子の代になって売ってな。そのお陰で今の生活があるんだろ!葬式というものは、関わりのある人が集まって故人を偲ぶものだ。あんた一人で決めるもんじゃないだろ。そんなことも分からんのか!」と意見したことがあってな。わしらは、戦前の教育を受けてきている。家族や両親を大切にすることは当たり前だと思っている。戦前の教育が全て悪かったわけではないだろうと思う。今の人は、好きな男ができたら、邪魔になったわが子を殺す母親もいる。“いったい日本人の心は、どうなってしまたんだろなあ~。”と嘆いていました。
 ~「男はつらいよ」~
 BSテレビ 毎週土曜9時に放映されている寅さんシリーズ「男はつらいよ」を見るのが楽しみです。その映画監督の山田洋次氏は、今の教育についてこう語っています。
 ~家族同士のコミュニケーションの欠落でしょうね。核家族化がはじまって20~30年が過ぎ、その中で育った子どもたちが親になって、本格的な家族の断絶が起きているのではないでしょうか。寅さんの映画を作っていた時代は、「そうなんだ、こんな風に人と人が愛し合い、仲良くなるための面倒な努力をしながら社会が成り立つんだな。」という思いで観客は満足してくれた。けれども、今の若者たちとその思いを共有できるのだろうか?と不安になるのです。何故か、日本人は毎日ゆとりなく過ごしていて、人と人が深く関わり合う時間がない。それは学校の先生にも言えることで、先生って、学校で子どもと仲よくしているのが仕事なはずなのに、それができない状況にあるようです。子どもは先生の生活を一人占めしていたいと願うものではないでしょうか。
 寅さん役の渥美清さんは、小中学校を通して成績は、一番ビリか、ビリから二番目だったそうです。だから彼には成績の悪い子どもの気持ちがよくわかるんですね。ロケーション中に、渥美さんの周りには不良少年が不思議と集まってくる。この人は味方だと。寅さんの役だからというのではなくて、渥美さんの人柄を一目で見取ってしまう。この人はエリートや秀才より俺らの側に立っている人なんだと。渥美さんのような、できの悪い子の味方になってくれる先生が、学校に二人くらいいたら、子どもたちはどんなに学校が楽しくなるでしょうね。~ 
  寅さんシリーズには、私たち日本人が忘れかけている「人情」がテーマになっています。毎回、笑って、泣いて、見ています。

2016年10月22日土曜日

花だより 菊 布草履作り


北見では“菊祭り”が始まりました。

【平成18年度 北見市立若松小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》 ~祖父母参観日 布草履作り~
 「今日は、わらじを作ります。」と言うとあるおじいちゃんから「これは、わらじではない。鼻緒が付いているから“ぞうり”です。」という指摘を受けました。さすがです。
 10人のおじいちゃん・おばあちゃんの他に、若松老人クラブから、斉藤自治会長ご夫妻と風邪気味で体調が悪かった石森じいちゃんも「みんなの顔が見たい」と参加してくれました。お母さん方にも参加してもらい子どもたちと一緒に悪戦苦闘しながら草履を編みました。
 斉藤自治会長さんは、学生のとき「わらじ」を履いてマラソン大会に出て、走りきるのに3足必要だったこと、そして、それを母親が編んでくれた。という話をしてくれました。
  最後に石森じいちゃんから、「今年の学校の畑はよくできたね。じいちゃんに会ったとき、ちゃんと挨拶してくれる子がいるね。若松の子は、みんないい子ばっかりだ。一生懸命勉強して立派な人になるんだよ。」という話があって、その後、石森じいちゃんが校歌を独唱しました。
 核家族化が進み、おじいちゃん・おばあちゃんとの触れ合いが少なくなってきています。お正月やクリスマスにお小遣いやプレゼントする優しいおじいちゃん・おばあちゃんだけでなく、普段から、いろいろな話を聞いたり、何かを一緒にしたりすることを子どもたちは楽しみにしていると思います。おじいちゃん・おばあちゃんと言っても皆さんまだまだお若いですから、これからは祖父母参観日だけでなく学校行事にも一緒に参加下さい。

2016年10月20日木曜日

花だより 椎茸 修身


【平成18年度 北見市立若松小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》 「修身」
 若松老人クラブにときどき行って昔話を聞くのを楽しみにしています。今回は、祖父母参観日の感想を聞いてきました。
 「おれおれ詐欺」について、「世の中には悪いことを考える人がいるもんだ」
 辛い開拓当時を生き抜いてきたお年寄りには、「困ったときは互いに助け合うもの」という考えがある。「感謝や思いやりの気持ちが大切」と教育されてきて人には、まず人を疑ってかかるた気持ちの優しさが根底にあるのです。そんな人の優しさにつけ込んで悪さを働くのは、許されないことです。「そんなことする人は、学校でどんなこと学んだんだろうね。」と言っていました。
 明治29年文部省検定改訂小学修身の教科書を藤井さんのおじいちゃんが祖父母参観日持ってきてくれました。藤井さんのお母さんが使っていたものを大切に土蔵に保管してあったものだそうです。大変貴重なものです。現代社会には、そぐわない部分もあるといますが、昔の人はこういうことを学校で教わっていたのです。せっかくですの一部紹介します。
~兄弟(姉妹)は、同じ父母の乳を飲み、同じ父母の腕に抱かれ、同じ父母の愛情を受けて、人とし て成長するものであるから、父母を除いては、兄弟ほど信頼し合えるものはない。また、人の命は限りがある。(いつかは死ぬ)父母が世を去ってしまうことになれば、その後は、互いに慰め助け合うことになるから、兄弟の信頼関係ほど長いものはない。(長いつきあいとなる)だから、 兄は弟を深く愛しなさい。弟は兄をあつく尊敬しなさい。いつまでも変わることなく兄弟は、互いに慈しみ、互いに助け合って、家が栄えるように努力しなさい。~

花だより 網走の秋景色 おじいちゃん、おばあちゃんから学ぶこと

天都山から見た知床連山

網走の街並みと網走港

網走湖と能取湖


 網走刑務所周辺

網走湖

【平成18年度 北見市立若松小学校 学校便りから】 
《心がホッとステーション》
 ~祖父母参観日 お年寄りから学ぶことは多い~
 若松老人クラブに行くと 深瀬さんのおばあちゃんが、正坐で迎えてくれます。他のおばあちゃんは、「校長先生、すみませんね。膝が悪くて椅子に座ったままで失礼します。」と言います。クブには、学校で使っていた子供用の古い椅子があります。テーブルでお茶を飲んだり、何かつまんだりするには、パイプ椅子ではちょっと高く、子供用の椅子が丁度良いようです。“正坐は、に悪い”と思っていました。確かにお年寄りにはそうかもしれませんが、一概にそうは言えないようです。
 「正坐のすすめ」  昭和大学名誉教授 森  義 明 (整形外科教授:専門は膝・リュウマチとリハビリテーション)
 最近、正坐ができなくなっている人が多い。また、正坐をする機会も少なったことも確かです。
 お寺でお坊さんが説法をしていた。その場で背筋を伸ばし、正坐をして聞いている金髪の若い女性を見た。その傍らでGパン姿の日本の若い女性が両膝を伸ばして聞いていた。
 正坐は日本特有の座り方である。特に正坐は、茶道などの習い事、柔道などの武道、日本舞踊などの芸道や礼儀作法も含めて、日本の伝統文化と言われるものはどれも正坐抜きには考えらない。
 敗戦後、アメリカ文化が怒濤のように押し寄せ、衣・食・住や生活習慣にいたるまで欧米化された。日本人でありながら、日本の文化や習慣を知ろうとせずに欧米の生活習慣が良いという潮があった。日本本来の良さを認めず、欧米のものを批判することなく受け入れる習性が顕著にみられる。そのために消えようとしている大事な生活習慣の一つに正坐がある。 
 正坐は、膝に悪い、がに股になる、下肢が短くなるなどと最先端の知識のように振りまく無責任な多数の指導者がいた。それには根拠のないことが多く、逆に膝だけでなく、姿勢、呼吸、れに身体的にも、精神的にも有益な面が多くあり、また作法にも大切であることが忘れられている。
 しかし、欧米人に、このような正坐の作法は理解されない。彼らには人前でしゃがむ、坐ることは、屈辱の姿勢であるからで、もともと価値観が異なっている。
 これから先、生活習慣が欧米化し、正坐をすることが少なくなれば、長い間培われた日本の誇れる伝統文化というものが消滅してしまうのではないかと懸念する。
 私たちは、幼児の頃から正坐を礼儀として教えられ、親に叱られる時には、正坐をさせられ、心がしまる思いをした。生活習慣の中で「正坐」の大切さを見直し、日本の坐の文化との関わを、次の世代へと伝えていきたい。と膝の専門家は、こう言っています。
 剣道では「正坐、黙想、礼」と稽古の始まりと終わりに号令がかかります。寒稽古での板間の正坐は厳しいものがあります。足のしびれが進むと無感覚になります。私も剣道をやっていましたが、いやでいやでたりませんでした。それでも“行儀を良くするために剣道を習わせたい。”という親が結構います。 

2016年10月18日火曜日

花だより 松茸 秘密基地 親の責任


【平成17年度 北見市立若松小学校 学校便りから】
 《心がホッとステーション》  2年生の秘密基地~ 
 生活科の学習で裏山で見つけた枯れ枝などを集めて校門横のくぼみに秘密基地を作っていました。朝学校に来ると教室に入らないで、すぐに駆け出して行きます。何をしているのかな?と思ったら、大きな枝を3人かかりで引きずってきたり、枯れ草を集めて一生懸命作っていました。「秘密基地だから、写真撮ったらダメでしょ?」と聞いたら、「いや!いいよ。どんどん撮って、」と言われました。自信作のようです。
【平成22年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
 《シリーズ「いきいき子育て」》 ~子どものやったことは親の責任~
 ラジオを聞いていると「人生相談」をやっていました。不登校の中学生を持つ親が相談者で、「原因がよく分からず1年近く学校に行っていない。」という悩みでした。先生は、「中学生なんだから、子どもと進路についてきちんと話し合いなさい。お母さんは、どうしたいのか?自分の考えをはっきりさせなさい。問題を解決する“魔法の杖”などないのです。」とアドバイスすると、「そうは言っても、それがなかなかできないし、子どもにそんなこと言っても聞いてくれない。」と答えました。先生は、呆れて、「あなたはアドバイスを受けたくて電話をかけてきたのではないのですか?お母さんがそういうことだと、お子さんの不登校は解決しません。」と声を荒げました。
 温泉の親子連れ…連休の温泉は、家族連れで賑わっていました。小学生の男の子がいきなり湯船に飛び込んで来ました。それを見た父親が、いきなりゲンコツをして「他の人に迷惑をかけるだろ!」と叱りました。
 私は「これでいいのだ!」と思いました。

2016年10月17日月曜日

花だより シシャモ 児童会選挙

秋の味覚 鵡川の“シシャモ”

【平成19年度 斜里町立朝日小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》 ~児童会選挙~ 
「休み時間に低学年と高学年が当たり前のように遊んでいる学校にしたい。」
「全校みんなが笑顔で元気に学校に来られるような学校をつくる。」
「学年関係なく、みんなが仲よくできる学校にしたい。」
  後期児童会選挙と立会演説会が行われました。
 “明るく元気な朝日小学校をつくるために、私はこれまでの「あいさつ運動」をさらに発展させて「サンキュー運動」をします。みんなが感謝の気持ちを持つことで、明るく元気な学校生活を過ごすことができると考えたからです。”と自分の考えを主張する子がいたり、中には、“これまでの玄関での「あいさつ運動」では生ぬるい!ぼくは、朝、各学級を「おはようございます」と言って回ります。そうすることでみんながあいさつできるようになって、明るい学校になります。朝日小が明るくなれば、日本ばかりでなく世界が明るく、平和になります。”とスケールの大きい話をする子もいたり、「私は、公約したことは絶対やります。」と力強く言う子がいたりと、候補者それぞれがとても立派な演説をしました。
 前期の児童会長の公約は、全校児童が楽しめる「朝日オリンピック」と「A1グランプリ」の開催でしたが、これは既に実現しています。副会長の公約だった「校舎ピカピカ運動」ですが、「9月末までには実施したい。」と言っていました。 
 学校の活動のほとんどは、先生が決めますが、学校で唯一子供たちが自主的に活動するのが児童会です。前期と後期に分かれていて辞任することはありません。民主的な選挙で決めますが、「公約をよく聞いて、この人に任せたら、朝日小学校はよくなる。と思った人に入れましょう。」と言っても各学級から出馬するため、学級の人数の多い方が有利になります。
 自民党総裁選挙は事前に票を読むことができますが、児童会長選挙は、立候補者の出ない4年生の票をどう取り込むかにかかっています。児童会選挙といえども国政選挙並みの激しい選挙運動が展開されます。
 「体は小さいけれど、でっかいことやってみたい!」と言って支持を訴えた子がいました。「誰に投票するか決めた?」とある子に聞くと「うん、もう決まっている。でも、お父さんがね、『誰に投票したって、世の中そんなに変わるもんじゃない?』って言っていたけど、公約を実行するのは、自分たちなんだよね。」

2016年10月16日日曜日

花だより 菊 池上 彰氏の講演会


【平成22年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
 網走市PTA連合会主催 教育講演会 
 「世界地図は一つではない」
 超売れっ子ジャーナリスト池上 彰氏が何故網走に来たのか?
今回市P連担当の中央小学校の吉岡校長が、大学時代に九州旅行をしたとき、ユースホステルでたまたま池上氏(当時慶応大学生)と知り合い、意気投合して一緒に九州を旅して回った。その後も年賀状などのやり取りを続けていた。そんな縁で、「吉岡校長先生に頼まれたら、来ないわけにはいかないでしょう。」と言っていました。
≪世界中を旅して集めた世界地図を紹介≫
 世界地図を見て、皆さんは、日本が世界の中心だと思っていませんか?世界地図は一つではなく、それぞれの国の世界地図では、その国が中心になっているのです。
 ヨーロッパやアメリカの世界地図で見ると、日本は一番東の端にあるちっぽけな島国にすぎないのです。日本では、中国との尖閣諸島の領有権が問題になっていますが、世界では、領土をめぐっての争いがたくさんあることやなぜそうなったかなど、分かりやすく話してくれました。
 会場の子どもが「普天間基地移設問題」について質問すると「誰かに聞くより、自分で調べて、自分なりの意見を持つことが大切です。」と答えていました。これがジャーリスト魂なのです。
 NHK「週刊こどもニュース」のお父さん役を務めていたことで有名な池上彰さんです。子どもにニュースを伝えることを通して知ったことは、多くの大人もニュースを理解できていない。わかりやすく説明することや世の中の出来事に関心を持ってもらうことは、ジャーナリストとしての使命であり、これからも努力していきたい。
 有名人の来網で会場は超満員でした。
 

2016年10月15日土曜日

花だより かぼちゃ さわやかに さりげなく さいごまで


【平成23年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》
“さわやかに さりげなく さいごまで”~東日本大震災から半年~
 野田首相 所信表明演説(本文記事より) “「正心誠意」意を誠にして、心を正す” 
野党議員からは、“役員が書いた原稿を読んだだけ”という評価もあります。首相の所信表明演説が、どうあればよいのか私には分かりませんが、国のトップが国会で取り上げたものです。この話は是非、子どもたちに伝えたいと思います。
~国民の皆様の声に耳を傾けながら、自らの心を正し、政治家としての良心に忠実に、大震災がもたらした国難に立ち向かう重責を全力で果たしていく決意です。(途中略)
 宮城県南三陸町の防災職員として、住民に高台への避難を呼びかけ続けた遠藤未希さん。防災無線機から流れる彼女の声に、勇気づけられ、救われた命が数多くありました。恐怖に声を震わせながらも、最後まで呼び掛けをやめなかった彼女は、津波にのまれ、帰らぬ人となりました。生きておられれば、今月、結婚式を迎えるはずでした。非幸の至るところで、自らの命さえ顧みず、使命感を貫き、他者をいたわる人間同士の深い絆がありました。彼女たちが身をもって示した、危機の中で「公」に尽くす覚悟。そして、互いに助け合いながら、寡黙に困難を耐えた数多くの被災者の方々。日本人として生きていく「誇り」と明日への「希望」が、ここに見いだせるのではないでしょうか。(途中略)
 被災地とりわけ福島の方々の抱く郷里への思いです。見えない放射能の不安と格闘している原発周辺地域の方々の思いを、高校生たちが教えてくれています。「福島に生まれて、福島で育って、福島で働く、福島で結婚して、福島で子どもを産んで、福島で育てる。福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最後を過ごす。それが私の夢です。」
これは、先月、福島で開催された全国高校総合文化祭で、福島の高校生たちが演じた創作劇の中の言葉です。悲しみや怒り、不安やいらだち、諦めや無力感といった感情を乗り越えて、明日に向かって一歩を踏み出す力強さがあふれています。こうした若い情熱の中に、被災地と福島の復興を確信できるのではないでしょうか。~
 息の長い支援を 私たちは、「福島」を「北海道」、「網走」に置き換えて考えることが必要です。郷土に愛着を持って、「北海道で」、「網走で最後を過ごす」と言い切る子どもを育てたいものです。
大震災から半年が過ぎました。先週行われた全道小学校長会教育研究大会の挨拶に立った全国小学校長会長が、被災地の状況について話されました。
 被災地では、今もなお不便な生活を強いられています。学校を無くした校長先生方(30数名いるそうです。)は、毎日、分散した子どもたちの学校を回って励ましているそうです。また、今は支援物資が十分足りているのですが、それを保存したり、運搬したりする人員がいなくて困っている。今は物資より人、お金がありがたいそうです。震災直後は、義援金の募金活動が盛んに行われましたが、時間が経つにつれて国民の意識が薄れてきているように思います。復興復旧には、まだまだ時間がかかります。
 最後にこんな話をしていました。“全国の校長先生方全員が、一回の飲み会を我慢してその分を寄付してくれたら、1億円以上になります。是非、息の長い支援をお願いします。”と、私もそうしたいと思っています。
 ボランティアの心得に“3つの「さ」”というのがあります。
  「さりげなく」「さわやかに」「さいごまで」 息の長い支援活動が必要です。

2016年10月13日木曜日

花だより 野菜の収穫 責任のとり方

                                      知床連山の頂がうっすら白くなりました。
          昼間の最高気温が12度と寒い日が続いています。もう秋深しです。
                                

【平成22年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《シリーズ「いきいき子育て」》 「母の品格」  多 湖  輝 著より
 ~子どものできる「責任のとり方」を親がきちんと教える~ 
 小さな子どもは本来わがままなものです。だから赤ん坊のうちは人のものを取ってもあやまろうとしません。それが少しずつ大きくなるにつれ、いたずらするとあやまるようになります。しつけがうまく進んでいくと、子どもが社会性を身に付けていきます。それはやっていいことと悪いことの区別をつけていくということです。
 スーパーの中で5歳くらいの男の子が走り回っていて、お菓子コーナーにぶつかり、山積みになっていたお菓子がバラバラに落ちてしまいました。男の子は呆然として見ているだけです。するとお母さんがやって来て「何してるの。こっちに来なさい。」と子どもを呼んで、どこかへ行ってしまったのです。
 ばらまかれたお菓子を拾ったのは、近くの大人でした。子どもが自分でやったことに責任をとるということを実践で学ばせる大切な機会を逃しただけでなく、まずいことをしたらその場を逃げるという余計なことを学んでしまったことになります。お母さんがやらなければならなかったことは、お菓子を拾ってくれた人にお礼を言って、子どもに散らばったお菓子を拾わせる。もし、壊れたり、汚れたりしたものがあれば、責任をとって買い上げるということです。子どもだってやったことに責任をとるということは大切なことです。

2016年10月12日水曜日

花だより かぼちゃ2 秘すれば花なり

【平成23年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《シリーズ「いきいき子育て」》  「母の品格」 多 湖  輝 著より
~人前で化粧する子に育てますか?~ 
 電車の中で化粧をする若い女性をよく見かけるようになりました。女性の美しい顔を見るのはいいものです。でも、だからといってそのプロセスまで見たいとは思いません。目の前で化粧を始めると目のやり場に困ります。うっかり目が合うと「見ないでよ」とキッとにらまれてしまうこともあります。これはあまりにも一方的です。彼女たちにすれば「だれにも迷惑をかけていないのだから、何をしても私の自由。じろじろ見る方が悪い」と思い込んでいるのです。あまりにも身勝手な理屈です。こういうのを昔の人は「傍若無人」なふるまいといいました。まるで周りに人がいないかのように勝手なふるまいをしたら、そのふるまいそのものが迷惑な行為になります。そのことに気づいていないのです。
 こんな人もいます。「他の人がやるのは自由だけど、私はしない。」
 それは“本人の自由だ”という考えが横行しています。つくづく自由とは不自由なものです。多くの人が「自由」というだけでそれはいいことと思ってしまいますが、自由には欠点があります。欠点を知った上で、自由とうまくつき合っていかないと世の中はうまくいきません。「人に迷惑をかけなければ何をやっても自由」というのは、品格がありません。
 「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」秘めているからこそ美しいということもあります。

2016年10月11日火曜日

花だより 紅葉 潮見の子はとっても良い子

オホーツクは平地でも紅葉が始まりました。

【平成22年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》 ~前期終業式の講話~
 学校には、いろいろな苦情が寄せられます。夏休み中“玄関のガラスが割られた。うちの子が公園で遊んでいたら、小学生にいじめられた。”などなど、そのたびに謝罪に出かけます。
 ところが昨日、“潮見小の子は、とってもいい子”という手紙が届きました。ビニール公園で携帯電話を落とした人からです。“近くにいた5・6年生が一緒に探してくれました。すごくうれしかったです。とっても優しい気持ちになりました。でも、名前も聞かずに、お礼もできなかったので、感謝の気持ちをお伝えしたいと思いまして…。”という内容でした。
 「誰ですか?」と聞くと (数人の子の手が挙がりました。)「とってもえらい人たちです。みなさんで拍手しましょう。」(パチパチパチ…。)
 今日通知表を持って帰って見せたとき、もし悪いことばっかり言うようだったら、“いいところはないの?”「校長先生が『子どもは、褒めて伸びるんだよ。』と言っていたよ。」と言ってあげてください。
 苦情の電話ではなく、“潮見の子がこんないいことしましたよ。”という電話がかかってくることを楽しみにしています。
   ~初めて通知表をもらった1年生~ 
「○がいっぱいあったよ。休みにばあちゃんのところに持って行って見せるんだ。よかったら、何か買ってくれるって言ってたから…。」
~ さあ!いいことあったのでしょうか? ~

2016年10月10日月曜日

花だより 胡桃 論語


【平成23年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》 『論語』  
 妻と二人で健康のために近くをウォーキングをしています。その日によってコースを変えるのですが、どのコースを歩いても必ずあるのがコンビニです。妻は「何のために歩いているの?」呆れていますが、そこで毎回、糖質0の発泡酒を買って帰ります。そんなコンビニの雑誌コーナーで見つけたのが、“「論語」~自分を磨く200の言葉~ 岬龍一郎著”です。こんな場所にミスマッチな本だな?と思いつつ買いました。
 「生と死」について、孔子は「生きることがわからないのに、どうして死ぬことがわかろう。まずは生き方を知ることだ。」と言っています。また、「道徳をもって国民を指導する。」という件(くだり)がありました。“政治を行う場合、法律や刑罰で取り締まろうとすれば、国民は法の裏をかくことばかり考えて、恥ずかしいとは思わなくなる。逆に道徳をもって国民を指導すれば、秩序の元である礼を重んじ、不法な行為を恥ずかしいと思って、正しい道を歩むようになる。”とありました。丁度、民主党の代表選挙の最中だったので気になりました。道徳教育の重要性を再認識しています。

2016年10月9日日曜日

花だより 楓 ごめんなさい?


【平成23年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》  「こら!!」
  ~温泉でつい言ってしまった!~
 先週、近くの温泉に行くと、入口に「○○小学校修学旅行御一行様」と書かれてありました。「こりゃ、悪い日に当たってしまった。これは早々に帰らねば…。」と思って湯船につかっていたら、案の定、脱衣場が賑やかになり、20人近くがドヤドヤと入ってきました。すると修学旅行の定番、水の掛け合いがはじまりました。「まあ、仕方がないかな?」と思って我慢していましたが、その水が顔にかかったので、つい「こら!他の人に迷惑をかけるようなことはやめなさい!」と教員の顔になって叱りました。叱られた方は、よその学校の校長だなんて思うはずもなく、後で入ってきた担任の先生に「あの、おじさんに叱られた。」と報告しました。「うちの子どもたちが、ご迷惑をかけたようで申し訳ありません。」と謝ってきたので、「修学旅行の引率は、大変ですね。」と労いの言葉をかけました。
 “ごめんなさい”
 “登校時に、庭石を崩していく子がいる。”という連絡が入り、その現場に行ってきました。学校の近くで農家をやられている80歳になるおじいさんの家でした。
 「たぶん、2年生くらいの子だと思うけれど、石を動かして虫を探しているふうだったな。何回も続いているのでね。連絡したんですよ。」とそれほどお怒りようでもなかったので、ひとまず安心。
 担当の先生に話すと、すぐ対応してくれて該当の子どもが分かり、その子は帰りにおじいさんの家に謝りに行きました。
 担任からは、「生活科で生き物を勉強しているので、虫に興味をもって、学校に来るときもきっと虫さがしをしていたんだと思います。」と報告を受けました。
 の子に「どうだった。おじいさんに怒られたかい?」と聞くと、「いや、『これから気をつけなさい。』と言われた。やさしかったよ。」「ところで、虫はたくさんいたかい?大きな石だから、重たかっただろ?」と聞くと「うん、いっぱいいたよ。石は重たかったけど、2人で協力してやったから…。」と自慢げに話しました。
 いかにも子どもらしい発想で、生活科の発展学習を登校時にやっていたのです。そして、先生に注意されると、正直に過ちを認めて、きちんと謝りに行きました。こうして子どもは成長していくものです。

2016年10月8日土曜日

花だより 紅葉 買い物はマナーの実践教室


【平成22年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《シリーズ 「いきいき子育て」》  「母 の 品 格」  多 湖  輝 著より
~買い物は、子どものマナーの実践教室~ 
 お母さんがどんな商品をどんなふうに買っているのかを子どもに見せるのは、マナー教育だけでなく、社会勉強になります。毎日の食材を買いそろえるスーパーマーケットなどでの買い物が子どもにマナーを教える実践教室になります。一緒に買い物に行くのではなく、一緒に買い物をするのです。これは自分が今、何の目的でスーパーマーケットに来ているのか、子どもにもよく分からせるためです。そうすれば、お母さんの目の届かないところで勝手に商品をいじったり、走り回ったりすることはできなくなります。これが大切なことなのです。
 親は親、子どもは子どもとバラバラになって買い物をして、それぞれが買った物をカートに入れていく親子がいるそうです。これでは子どもは自分の好きなお菓子などを自由にかごに入れてしまいます。レジのところで「このお菓子は買わないから返してきなさい。」と子どもと言い争いをしているお母さんもいます。これではマナーを教えることにはなりません。
 子どもはお母さんの目の届くところにいさせて、初めてマナーが教えられます。もし商品を雑に扱ったら、厳しく注意しなければなりません。商品はレジでお金を払ってはじめて自分の物になります。それまでは丁寧に大切に扱うという姿を子どもに見せなければなりません。これが生きたマナー教育です。 
 連休は、子どもだけで買い物をしたり、ゲームセンターやお店をぶらぶらしたり、お金の貸し借りなど心配です。休み中の子どもの行動は、家庭の責任となります。よその家庭の財布の中身を心配するつもりはありませんが、小学生にお金を自由に使わせるのは問題です。特におじいちゃん、おばあちゃは、孫にせがまれて高額なお小遣いを与えてしまわないようにしてください。

2016年10月7日金曜日

花だより 収穫の秋 かめさんの供養

玉葱のコンテナ群(北見市端野)

ジャガイモの収穫(ポテトハーベスター)網走市嘉多山

秋の畑おこし(北見市端野)

【平成22年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
 《心がホッとステーション》  カメさんの供養~
 校庭の隅で、花を供え、手を合わせている集団がいました。聞くと“飼っていたカメが死んだのでお墓を作ったの…。”といいます。死んだ原因を聞いたら、「陽のあたるところにおいたら、喜ぶと思っておいたら、暑くて水がお湯になっちゃって、それで死んでしまったの~。」と悲しそうに語りました。
 カメは万年長生きするといいますが、カメも熱中症にかかってしまったようです。子どもたちが作った祭壇には、入れ替わり立ち替わり子どもたちがお訪れ、冥福を祈っていました。命の尊さを学んだことと思います。
 「学級には18人います。一日3人ずつ殺すと何日で全員死ぬことになりますか?」という問題を出した教師が処分されました。教師としてあるまじき行為です。学校の信頼が問われているとき、また、信頼を損ねる事件が起きてしまいました。とても残念なことです。
 かめのお墓に図工で作った船をお供えした2年生は、「泳ぎの得意なかめだから、自分たちで作った船で遊んでほしかったの!」と言っていました。これも立派な供養ですが、ゴミと間違えられてしまったのが残念でした。


2016年10月5日水曜日

花だより ホオズキ 潮見花園 悪いのはどっち?


【平成23年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》 潮見花園のコスモス思い満開 
~ボランティアでまちの花壇作りに励み、昨年9月に亡くなった井上龍助さん(享年85)が手がけた潮見花園のコスモスが満開です。意思を継いだ親族が管理を続けているそうです。~
 20日は『敬老の日』です。生きていることにして年金を不正受給する子どもがいる世の中になりました。80歳以上の方は、戦中、戦後の激動期を生き抜き、今の日本の繁栄を築いた人たちです。“親孝行とは、衣食住の不自由をさせないことではありません。養うだけなら家畜と同じだからです。敬うという心がなければならないのです。”これは論語にある言葉です。私も敬老の日には、79歳になる母を敬いに実家へ行こうと思っています。
 50代、60代のおじいちゃん、おばあちゃんは、“まだ「敬老の日」は関係ない。年寄り扱いするんじゃない。”と言いましょう。同世代として思うことです。

《シリーズ「いきいき子育て」》  「母の品格」  多湖 輝 著より
 ~「悪いのは相手」という考え方をしない~
小さい子は、「ぼく(わたし)は悪くないもん」とよく言います。身をかばいたいという気持ちは小さい子どもでもあります。こんなとき子どもに同調して「はい、あなたは悪くないわよ。」と迎合するようなことは言っていけません。そんなときは、こんなふうに言ってみてはどうでしょうか。「本当に自分が悪くないかどうか、相手の気持ちになってもう一度よく考えたあとでもう一回話しを聞きます。」ここで大切なことは、子どもがどんな話をするかではなく、小さい頃から、立ち止まって考える時間を身に付けさせることです。
 品格のあるお母さんは、そう簡単に子どもに迎合したりしないものです。簡単に迎合すると子どもは自分のやることは何でも正しいと思い、単純に悪いのは相手だと思ってしまうのです。
これは交渉のテクニックのように、相手にすべて責任を押しつけて、悪いのは相手と決めつけて交渉をはじめるやり方です。最後まで自分の落ち度を認めようとしない。こんなことを交渉テクニックだと思って続けていると、自己中心的な人間になってしまいます。そんな人がだんだん増えてきて世の中がぎすぎすしているような感じもします。子どものケンカやトラブルは、よほどのことがない限り100%相手が悪いということはありえません。立ち止まって考える時間をもてばわかるはずです。当たり前のことですが、親が悪いのは相手と決めつけるような考え方や話し方をしないことです。子どもには立ち止まって考える時間が持てるようにしつけていきましょう。「しつけ」とは仕向けることです。焦らずにゆっくりでいいのです。

2016年10月4日火曜日

花だより じゃがいも 「がんばる!」 目標を立てること


【平成21年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》
 「がんばる!」学校で一番使う言葉ですが、これほど曖昧な言葉はありません。
 “目標をしっかり持つことが大切” 後期始業式の話から
「目標」と「反省・評価」はセット 自己評価ができる具体的な目標を立てる。 
「後期の目標は立てましたか?」と登校する子に聞くと「あのね、“マラソンがんばる!”だよ。」と言いました。
「1等になるのかい?」
「それはちょっと無理、20位くらいかな?」
「練習では何位なの?」「50位くらい。」
「20位になれるかな?」
「だいじょうぶ、がんばるから…。」
「がんばりなさいよ」「がんばるよ」よく使う言葉ですが、何をどうがんばったらいいのでしょうか?
 例えば:目標を立てるなら、“マラソンで20位になるために、毎日、グラウンドを3周走る。”とか“練習より、30秒速く走る!”具体的な目標を立てることです。そうでないと達成できたかどうか反省(評価)することができません。
 小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクト・マネージャー川口淳一郎教授は、奇跡の生還をもたらした秘訣は何ですか?と聞かれ、“3億キロの彼方のイトカワから星のかけらを持ってくるという目的・ゴールの明確さ”だと答えました。そして、あらゆることを想定して対処方法を考えておいたそうです。エンジントラブルも想定内のことだったといいます。
 子どもに「目標を立てましょう。」と言うと「国語をがんばる。」とか「算数をがんばる。」とよく言いますが、何をどうがんばるか?「教科書を必ず10回は読む。」「毎日、30分は机に向かう。」など具体的な目標を立てさせることです。
 「校長先生もがんばってね!」と言われました。“何を頑張ればいいのかな?”と思いました。たぶん、マラソン練習を見ていて、「がんばれ!」と声援しているだけじゃなく、「校長先生も走ったらどう?」と言いたかったのでしょうか?
 2日(土) 夕方、友だちと2人で学校の周辺を走っている姿やお父さんと走っている子を見かけました。目標達成ために練習しているだのと思いました。お父さんは、駅伝に出るのでしょうか?

2016年10月3日月曜日

花だより 栗 お彼岸(供養とは?)



【平成17年度 北見市立若松小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》  お彼岸 本当の「供養」とは?
~お坊さんのお説教から~
 お彼岸のお勤めで一人暮らしのおばあちゃんのお宅を訪問したときのことです。どこの家庭でも仏壇には亡くなられた方の好物や果物などたくさんのお供え物があがります。ところがそのお宅には、薄く切られたリンゴが2切れしかのっていないのです。
 おばあちゃんに聞くと、りんごは亡くなったおじいちゃんの好物でした。ところが、歳をとって歯が弱くなってからは、堅いりんごは食べづらくなり、いつもおばあちゃんが食べやすいように薄く切っていたのだと言うのです。
 生前と同じくりんごを食べやすいように薄く切って、「さあ、召し上がれ」と言わんばかりに爪楊枝をさしてお供えしてある。豪華なお供えがたくさん並べられていてもラップにくるんだままのお宅が多い中、質素ではあるが亡くなったおじいちゃんを偲ぶおばあちゃんの優しい気遣いを見て取りました。これが本当の供養なのです。

2016年10月2日日曜日

花だより 萩 体操のお兄さん


【平成22年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《シリーズ「いきいき子育て」》  ~ 孫が幸せに育つために ~ 
 何でも孫の言うとおりにする甘甘のおじいちゃん、おばあちゃんでは困ります。子育てのアドバイスがしっかりできるようにしましょう!
 “お母さんといっしょ”体操のお兄さん 佐藤弘道さんの著書『子どもはぜんぜん、悪くない。』から
 12年間でのべ15万人の子どもたちを見てきて感じたことのなかに、スタジオに子どもが来ても、お母さんから離れず、体操のお兄さんと一緒に遊べない子どもがだんだん増えてきた。以前もそういう子どもは時々あったのですが、いつもではなかった。それが、毎回どころか、3人も、時には5人も見学になってしまうことが出てきたというのです。もちろん、佐藤さんはプロですから、子どもの関心を引いて、お母さんから離れるような技をたくさん持っています。しかしそれをもってしても、どうしても離れられない子どもが増えてきたというのです。
 「子どもが親から離れて遊べるのは、いつも親が見ていてくれるという信頼感があるからです。少しでも離れたら、親がどこかに行ってしまうのではないかと思ったら、子どもが親から離れないのは当然です。ぼくは、親子の信頼関係が薄れてきているような気がします。」
 ~子どもの「生きる力」を育むのは、安心感~
 『子どもを自立させるには、どうしたらいいか?』
 自立の元になるのは、意欲です。意欲の元になるのは、安心感です。安心感は、じゅうぶんに甘えて、甘えを受け止めてもらうことで得られます。
 じゅうぶん甘えて、安心感をもらった子どもが、「自分でやりたい」という意欲を持ち、自立に向かってゆくのです。甘えない人が自立するのではなく、甘えた人が自立するのです。甘えていい子ども時代に、じゅうぶ甘えた人が自立するのです。
 「10歳まではしっかり甘えさせる。そうしたら、子どもは心の安定したいい子に育つ」という言葉があります。ただし、甘えさせるということは、子どもの言うなり、子どもの言うことをそのまま全て鵜呑みするということではありません。

2016年10月1日土曜日

花だより 鮭 前期終了「節目を大切に」


【平成23年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
 《前期終了 節目を大切に (9月27日)~終業式でこんな話を~》
 学校には、始業式、終業式、入学式、卒業式、夏休み、冬休みがあります。これは学校の「節目」といいます。
~竹のように伸びる~
 節目というのは、竹の節のことです。筍が土から顔を出して2~3ケ月の間に1日1m以上も伸びます。生長が早く一気に10m~15mまで伸びて、それからは生長が止まります。何か人間と似ています。皆さんは丁度、竹が一日に1m伸びる時期と同じです。
 人間と竹は違うので、皆さんの身長が一日で1m以上も伸びることはありませんが、みなさんの頭(脳)や心がそれくらい伸びる時期なのです。校長先生の年齢になると、頭の中は伸びません。いくら本を読んでも、次から次へと忘れてしまいます。でも、みなさんは、勉強すればすれるほど頭の中にいろんな知識がどんどん入っていきます。ただし、何もしないで、ただお菓子を食べてねっころがっていたり、ゲームばかりしていては伸びません。
~通知表をよ~く見て前期の反省をすること~
“これまでこんなところはダメだった。これはよくできたと反省して、目標を決める。これからこんなことをがんばるぞ。”と節目節目で心に決めないと竹のように伸びることはできません。
 ところがまだ小学生です。なかなか自分だけで反省したり、目標を決めたりすることができません。それでこの前、お家の人に学校へ来てもらって、担任の先生とお話をしました。“こんなところは、よくできていますが、ここはちょっと気をつけてやるといいですね。”と話してあります。これまでは、そのことを通知表に書いてありました。ところが通知表には、先生からの言葉が2~3行くらいしか書いてありませんでしたが、今回は、それより何倍ものことをお家の人に話してあります。
~「先生は何て言っていたの?」と聞きましたか?~
 おうちの人から「こんなところは、がんばっているけれど、こんなところは、もっとちゃんとやらないとダメだよ。」と言われた人がいるはずです?
 秋休みの間に、家族の人と学校のことについてよ~く話し合ってみてください。