2020年6月30日火曜日

花だより 「書」に“頓着がない” カンナ


  「書」の授業“頓着がない”
 「字を上手に書く」「きれいに書きたい」「下手な字を見せたくない」
「ああ~、失敗した!校長先生見ないで、下手くそだから…。」と言う子は、まだ見込みがありますが、「字は読めればいい!」と字に対して無頓着な子に書写を教えるのは、辛いものがあります。
 「校長先生は、書写研の会長ですよね。書写の授業をやってもらえませんか?」と頼まれて、3・4年生の書写を2時間続きでやっていますが、そのほとんどが準備と片付けに費やしています。とてもでないですが一人で指導するのは大変です。お手伝いをいただいている先生や支援員さんには感謝しています。学校の書写の時間だけで毛筆が上手になることはありません。(それでは書道塾が成り立たない。)
 「書道の“道”は、柔道や剣道と同じ、道徳の“道”です。礼儀や作法、生き方を学ぶものです。」という話を最初にしました。昔の文化人は、皆“書家”でした。礼儀や作法、美意識に対して少しは気にかけてほしいと思ってやっています。ちなみに字の上手、下手は知能の高さと関係ありません。公共施設の標札は、首長さんが書くことが多いです。省庁の標札は大臣が書くそうですが、新しい標札を見ると首をかしげたくなるものがあります。

2020年6月29日月曜日

花だより 孫が幸せに育つために クチナシ


 ~孫が幸せに育つために~ 祖父母だからできること  
           子育てカウンセラー・心療内科医 明橋 大二著
「自分は大切にされている」と思えない子が、どうして人を大切にできるでしょうか?
 《ルールやマナーを守れる子にするには》
 テレビを見ていたら、面白いコマーシャルが流れていました。社会のルールやマナーをきちんと守れる子どもを育てるためには、子どものうちから、悪いことはきちんと叱って、できたら、ちゃんとほめること。そして、「大切にされている。その思いで、子どもの心は育ちます」とテロップが流れたのです。
 コマーシャルの趣旨としては、子どものときからきちんと叱ることが大切、というメッセージのようですが、私はむしろ、最後の「『大切にされている』と思うことで、子どもの心が育つ」というメッセージがいちばんのキーポイントだと思いました。そして、このコマーシャルも、ただ子どもを叱るだけでなく、子どもに「大切にされている」という気持ちを育てることが一番大切だ。ときちんと描いているところが「お~、やるじゃないの!」と感銘を受けた大きな理由です。ただ、欲をいえば、「大切にされている」と子どもが感じることと、ルールやマナーをきちんと守れることとどう関係するのかを伝えるべきです。私は、ルールを守れない大人がいるのも、きちんと叱られていないからではなく、むしろ「自分が大切だ」と感じられるように、育ててもらっていないからではないかと常日頃から思っているのです。(牧野要約)


2020年6月28日日曜日

花だより 対面授業が基本「遠隔も」 ササユリ

対面授業が基本「遠隔も」
 ~新型コロナ読売提言~ 赤堀侃司 東京工業大学名誉教授
 家庭のパソコンやスマートフォンを活用できる態勢を整え、第2波に備えるべきだ。
 遠隔授業で欠かせないのは、教員と子ども、子ども同士のつながりをしっかり保つことだ。互いにつながっていれば、多くの子どもは一人で前に進むことができる。自宅でも学べるように学習目的を明確にし、子どもの意欲的を高めてほしい。
 ただ今回の休校で遠隔の限界も見えた。教室と違って画面越しではすべての子どもに目配りができない。学習意欲の低い子は置いていかれてしまうリスクがある。休校中に生活リズムが崩れ、ストレスで心身の健康を害した子どももいる。
 特に小学校低学年は、年齢的に遠隔授業だけでは学習は成立しない。体を動かし、実物を見て、触って感じるという体験が不可欠だ。動植物の画像を見ても、生き物とは何かという概念は蓄積できない。数学を学ぶ時も、おはじきを数えるという動作を伴ってこそ理解が進む。
 再び感染が拡大しても全面休校とせず、可能な限り対面授業を続けてほしい。同時に授業時数が足りなければ遠隔授業で補えるように準備しておく。指導には対面と遠隔とバランスが何より大切だ。(牧野要約 全く同感です。)
 一人10万円の給付では、子どもが2人いる4人家族では40万円になる。休日、家電量販店は久しぶりに客で賑わっていたらしい。タブレットとwi-fiのルーターを買い求めた家もあったようだ。いい使い道だと思います。 


2020年6月27日土曜日

花だより オンライン学習の前に目指そう宿題の充実 ホタルブクロ


 オンライン学習の前に目指そう宿題の充実 家庭学習をする習慣の確立
  ねらいを明確にした宿題を!
《授業との連動》
○授業→家庭学習(授業内容の定着、予習)→授業と家庭学習のスパイラルを意識する。
○音読・漢字・計算など、地道な積み上げを進めていく。
○次の授業につながるレディネスに取り組む。
《課題の克服》
○進行中の単元にかかわらず、定着不十分な箇所を意図的に反復させる。
○児童の変容を見取り、適宜助言をし、努力と成長を大いに褒める。
《自主学習》
○子どもの力を伸ばすための方策を指導・助言していこう。
○自分の課題部分や苦手箇所を進んで取り組んでいく子どもを育てる。
 *古典的なことですが 
👉●教科書を読む
👉●その日に習ったことをもう一度ふり返る。
👉●いろいろな本を読む
👉●日記を書くなど
*学年×10分がめやす。簡単なことを毎日、少しずつ続けることが大事です。
👀小学校低学年のうちに家庭学習の習慣を身に着けておくことが大切です。流行りに飛びつく前に



2020年6月26日金曜日

花だより 危機的状況(教頭不足) レンゲツツジ

危機的状況(教頭不足) 
 「教頭不在の学校ができる可能性があります。子どもたちへの教育や先生方の仕事に大きな影響を与えることになります。」と毎年、言われています。
 北見市の佐藤前教育長は、教頭不足の問題についてこう言っていました。
 すでにご承知の通り、オホーツク管内で今後2年間で教頭職として約50名が必要となります。今年度も20数名が必要だったのですが、受験者数は大きく下回ってしまいました。
 先日、根室で開催された全道都市教育長会議でも、このことは札幌市以外道内共通の現象のようで、全参加者が危機感を持って道教委と具体的な対策を進めていかなければならないとの共通認識を持ったところです。特にオホーツク管内は広く、確かに日常生活に少なからず影響があることは小職も理解しているところです。だが、しかし!なのです。普通の公務員、民間のサラリーマンは、人事異動、昇格は紙切れ一枚の人生です。理解と納得はないのです。当然。百人が百人誰もがニコニコして異動することが可能ならばそれが一番良いのでしょうが、あり得ないのは明白の理です。組織運営を考える以上、組織全体の最適な人事をするのが人事権者の責任というものです。「あれは嫌、これなら良い」「この条件がクリアされるならば教頭になってもいい…」という世界は私には理解不能です。まずは、子どもたちのために先生になった出発点をもう一度思い起こして欲しいです。是非ここは大きな視野に立って検討ください。

2020年6月25日木曜日

花だより 認定こども園に学ぶ ヒメサユリ


 認定こども園に学ぶ(自主的・自発的活動を育てる条件)
 高校は中学を、中学校は小学校を、小学校は幼稚園を軽く見る傾向があります。しかし、生活科が誕生するとき幼小連携が叫ばれ、幼稚園、保育所を見学したことがありました。そこで幼稚園や保育所の先生から多くのことを学びました。
 昨日、久しぶりに訓子府の認定こども園(今は、幼稚園と保育所が合体して、0歳から受け入れている)の研修会に参加しました。
 20数年前を思い出して、こんな話をしてきました。
  ~幼少連携から学んだこと~
(1)子どもに不足感・欠乏感をもたせる遊び環境を用意する。
(2)偽の満足感を打ち破るために、過剰な情報・資料を提供しないようにする。
(3)大人ががまんし、子どもが求めるまで待つ。
(4)多様な体験を与えることより、自分の知らない世界に挑戦するおもしろさを味合わせるようにする。
(5)遊びの中で達成感を味合わせ、新たな意欲を生み出すようにする。
(6)挑戦意欲を維持し、無気力感を回避するために、過大な目標を与えない。
(7)個人差・個性に応じた環境を設定する。
*遊びや仲間との関係の中で挑戦する楽しさやその結果得られる達成感を育てることが小学校段階以降における「自ら学び、考える力」につながっていく。
 

2020年6月24日水曜日

花だより 「修身」の教科書 ザクロ


 「修身」の教科書
 地域のおじいさんが、「校長先生、修身の教科書を見たことがありますか?大切なものだから、大事にとってあるんですよ。」と学校に持ってきてくれたことがありました。
 軍国主義につながる思想を植え付ける教科書だと吹き込まれていましたが、読んでみると、儒教思想が中心ではありますが、ごく当たり前のことが書かれてありました。
 “日本人の礼儀正しさ、規律を重んじる道徳心、おもてなしの心などは、この修身教育が基本になっています。戦前の教育を全て肯定するわけではありませんが、全てを否定するのはいかがなものか?” 90歳の翁はこう語っていきました。

2020年6月23日火曜日

花だより 教育課程の管理 ルピナス


 【教育課程の管理】
 授業時数の管理だけでなく、進度チェックが求められます。
 大阪の未履修問題を取り上げましたが、対岸の火事ではありません。
 教育課程の管理は校長の一番の仕事です。「小学校の課程を修了したことを証する」と書かれた卒業証書を一人一人に渡すからです。未履修があったとなると大変なことで校長の責任問題です。卒業式後にも補習授業をしなければならなくなります。
 未履修をした先生は、「みんなが分かるまで教えるために、予定時数を大幅に超えてしまい。本来教えるべきことを教える時間がなくなった。」という言い訳をしたそうです。
 各学校では、標準時数の他に、今回のようなコロナウィルスやインフルエンザ、吹雪による臨休などに備えて予備時数を確保した計画を立てています。しかし、学校5日制になり、予備時数が少なくなったこと、また、臨休が多くなったこと、そして、学力向上の観点から夏・冬休みを減らして授業に当てる学校(市町村)が出てきています。
 さらに今回のコロナショックで抜本的な見直しが迫られていますが、9月入学のようにすぐのものにはなりません。とりあえずは、指導計画や進度表を照らし合わせて、未履修のないようにすることです。ただし、落ちこぼれの子は出さないように!


2020年6月22日月曜日

花だより 教師の国語力 シモツケソウ シロツメクサ

教師の国語力
  国語科の指導力向上は、教師自身の言語生活を高めること
最近の教師は本を読まない、自分が文章を書くことしない。「すべての教師は、国語教師である。」「教師は言語環境そのものである。」などと言われています。読書や表現によって自身の言語生活を高める基盤作りを教師なら心がけたいものです。
 学級(学校)母語の育成
 「学級母語」とは聞きなれない言葉ですが、「母語」とは子どもが父母のもとで迎えられ、育つ生活言語体系のことです。日本語の場合は、日本語が母語であり、国語の前提をなしています。また、学級・学校も日常の言語生活の場です。そこには集団生活を円滑にするためのルールや習慣の形成を付加した学級母語があります。
 学級母語は、教師による集団への指示や子どもたちへの言葉がけで形作られます。学級経営の母胎は、言語環境だといえます。ですから教師は、自分の言語環境として、言葉かけのチェック・修正に心がけなければなりません。
 ◇こう言っていませんか?◇
「おまえは、いつもよそ見をしているから聞き逃すんだ。」
「ふざけないで最後まで掃除しなさい。」
「声が小さいよ。それじゃ、みんなに聞こえない。」
「また、おまえか。何度言ったらわかるんだ。」
 ◎言い換えするなら◎
「大事な話には、集中するんだよ。」
「自分の仕事が終わって、友だちを手伝えば120点だね。」
「○○さんの口の形を見ながら聞くと、聞き取れますよ。」
「同じ失敗をしないように、一度立ち止まって考えよう。」
*ついつい言ってしまうことがあります。一度立ち止まって言い方を考えてみましょう。
 「ひらがな」が正しく書けない教師
 教師の「書く」には、「文・文章を書く」「文字を書く」の双方が教師に求められます。1年生の担任になって、ひらがなを改めて書く練習をしたという教師も少なくないはずです。(しかし、正しいひらがなを書く先生が少なくなりました。)
 “かな”の指導だけでなく、板書はすべて子どもの手本になります。また、通知表の所見を読む保護者は、その文字や文章で、教師の人となりの印象を持つものです。少なくとも、伝える相手に、何を伝えたいかが分かる文章を書くことは教師の基本です。子どもの作文に入れる評文が、2年生にも6年生にも同じような言葉づかいで書かれている事例も少なくありません。
 学力テストの国語の結果が芳しくありません。国語力は、一長一短に身に付くものではありません。教師の国語力(母語)を身に付けるよう努力しましょう。

2020年6月21日日曜日

花だより 一流ホテルのおもてなし テッポウユリ


 一流ホテルのおもてなしから学ぶこと 
 東京のヒルトンインターナショナルに宿泊したことがあります。田舎者なので物珍しく、ホテル内をウロウロしているとVIPフロアーに来たらしく、そこに居たホテルの従業員から「よろしければご案内しましょうか?」と声をかけられました。
《なるほどこれが一流ホテルの接客か?》 「ここは一般のお客様は、立ち入り禁止となっています。」と言うところですが、気分を害さないような言い方をしてお客さんに伝える。社員(ホテルマン)教育の徹底(気配り、目配り、心配り、おもてなし)されていることに感心しました。
 ちょっとした心遣いがあるかないかで相手に与える印象が変わってきます。言い方一つ、文章の書き方一つ、普段から気を付けなければなりません。
 

2020年6月20日土曜日

花だより 「プレバト」夏井先生から学ぶ 花菖蒲


 TV番組「プレバト!!」にて「俳句」が取り上げられるようになって以来、「俳句」に興味を持つ人が急速に増えています。
  夏井先生、人気芸能人、超大物俳優も一刀両断! 
《お題》 隅田川の花火大会の写真を見て一句
 『夏の日の 思い出 にがし かき氷』  (長嶋 一茂)
~この場合、季語が2つ存在します。「夏の日」は時候の季語なので、具体的な映像を持たない。ですから「かき氷」という映像を持つ季語を残し、上五「夏の日」の五音の代わりに、この「思い出」がどんな種類のもので、どう苦かったかが(「にがし」はひらがなより、漢字で書いた方がイメージがより伝わる)想像できる言葉を入れてみます。例えば、こんな具合です。
【添削後】 『片恋の思い出苦しかき氷』 (書くときは、間を開けたり、行を変えたりしない)
「かき氷」という季語は、単に季節を示すだけでなく、氷を削るときの音や「かき氷」の旗や夏の日射しなども思い起こさせます。季語は多くの情報量をもたらす魔法の言葉です。~
 どんなに酷評されても、こんな風に解説され、添削されるとだれもが納得します。
「生け花」の假屋崎先生もそうです。厳しい批評はしますが、作者の意図を理解(尊重)し、鉄則に従い、一本も抜くことなく、花の向きを変えたり、また、一本だけ加えたり、抜いたりするだけで劇的に作品の完成度を上げます。さすが一流の技です。(伝統文化の重みを感じる)
 学校教育に通じるモノがあると毎回見て感心します。小学生の書写や絵画作品の審査員を務めたことがありますが、“先生の指導が入っているのか?”と疑いたくなる作品が結構多くあります。
 出演者が夏井先生にこう問いました。「先生に添削していただいた作品を自分の作品として発表してもよいのですか?」すると先生は「添削した作品をあなたが納得した(自分が表現したかった作品になったと思ったら)のなら、結構ですよ。」と答えました。
 読売新聞の児童生徒作文コンクールでは、入賞者の発表覧に指導者の氏名も書かれてあります。書写、作文、絵画など、教科指導の作品は、教師の適切な指導が入って当然です。子どもの作品から教師の指導力が見えます。

2020年6月19日金曜日

花だより 家庭訪問 アザミ


 ~家庭訪問~ 
 コロナの影響で、家庭訪問を中止する学校が多いようです。児童理解の機会が一つなくなった分、“一把一からげ” にせず、児童理解を確実にする必要があります。
『観察眼を鍛えなければ、教師の成長はあり得ない』 観音様は何故偉いか? 音を観ることができたから それくらい観察眼を鍛えることです。
 教師の仕事は「物・モノ」ではなく「人」を育てる仕事だからです。子どもの行動は、すべてに「意味」を持っていることを前提とすること、その意味を察知できるか否かは、教師の五感(センス)と資質と錬磨にかかわる。
「児童理解」は「教師の資質が問われる」 
  ~資質の7か条とは~
①【目の観察】~輝いている、ボーッとしている、落ち着きがない目線、見つめると見返す目、目線を逸らす目…など、目の色、輝き、動きに情報がある。
②【顔色や表情】~冴えない表情、無表情など子どもの心を読む力が問われる。
③【手の動き】~腕組み、机に肘をつく、手遊びなどにも理由がある。
④【足の動き】~教室の中で、机の下でわかりにくいが、必要以上に動かしたり、組んだり、隣にちょっかいをかけたりするのは、子どもの心の現れである。
⑤【動作・服装】~身体動作、急に派手になる服装、服装の乱れも子どもの心情が自然に現れる。
⑥教師の観察した結果が【子どもの全てに共通ということはあり得ない】
⑦教師には【目を通して観察・心を通して観察・有言無言を通して観察することが必要である】
*保護者には、「さすが学校の先生は違う!」プロの力を見せつけ信頼を得ることが大切です。

2020年6月18日木曜日

花だより ≪先生・教師・教員・教諭・教職員≫ の違い 月見草


 初任者のための用語解説 ≪先生・教師・教員・教諭・教職員≫ の違い
先 生=自分が師事する人。また、師として教える人。現代では、特に、教育にたずさわる人、すなわち教員をいう。医師など、その道の専門家、指導的立場の者などを敬っていう語。教員、医師、議員などを尊敬して呼ぶ語。かなり高い敬意を有する。
教 師=学業を教える人 資格を持って学術、技芸などを教授する人
教 員=学校の教師に関して用いられる法律用語で、学校の職員のうち、直接児童生徒の教育に従事する職員を総称していう。一般には、教頭、教諭、養護教諭が通常、校長は含まれない。
 *あなたの職業(職種)は?と聞かれたら「教員」と答える。
教 諭=小・中・高等学校、特別支援学校、及び幼稚園において幼児・児童・生徒の教育をつかさどることを主たる職務とする者(教頭・養護教諭を除かれる)
 *職名と言われたら「教諭」と答える。 提出文書は、教諭 ○○○○となる。または期限付き教諭 ○○○○となる。
養護教諭=児童・生徒の養護をつかさどる職員。教員であるが、教諭と区別される。(栄養教諭)
事務職員=事務はむろんのこと、会計、文書、統計等の事務を担当する。教務、学習と範囲は広い。
教職員=校長、教頭、教諭、養護教諭、栄養教諭、事務職員、学校医、学校歯科医、学校薬剤師、その他、事務補、業務主事、用務員など必要な職員全てをいう。
 ≪その他≫ 教育目標について
「輝け!潮見っ子 友だち大好き 運動大好き 勉強大好き」は、学校の教育目標(網走市立潮見小学校)です。教育目標となると、網走市、北海道、国、小・中・高などそれぞれ教育目標があることから区別して、「学校の」が付く。
 ≪基礎・基本について≫ 
よく使われる言葉ですが、諸説いろいろあるところです。
基 礎~人間としての基礎は、言葉を覚え、技能と感覚を養うこと(小学校3・4年生まで)
基 本~論理が分かる。論理的概念が理解できる。抽象的な思考ができる。(小学校5年から中学)
 基礎・基本は、脳の発達プロセスとマッチしたものである。7歳頃(小2)までは、反復練習(ドリル・スキル学習)を好むが、9歳頃になると、前頭葉が発達し、だんだん理屈をこねるようになる。ですから「かけ算九九」は、小2でしっかり覚えさせなければならないのです。

2020年6月17日水曜日

花だより 眼聴耳視 タイセンボク

「眼聴耳視」
 これは児童詩誌『青い窓』の主催者故佐藤浩氏の言葉です。「眼で見るよりも耳で聞くよりも確かに感じることのできる命の響きを、全身全霊で感じること」を言いあらわしています。
 補欠である教室に入った瞬間、子どもたちの真剣な眼差しが一斉にこちらを見つめる。聞こうとして揺れる耳。そんな生き生きとした眼と耳の集団に出会うと素晴らしい学級だなあ。担任教師の普段からの指導の成果だと感心します。
 こんな学級で授業をするときは、眼で聴き、耳で視ることができるような気がします。音でなく形でなく心が響き合う。何を聴くのか、視るのか、こだまをとらえる授業がしてみたい。これは教師の永遠の課題です。観音様は、なぜ偉いのか? それは音を観ることができるからです。教師は、観音様に近づく不断の努力をしなければならないのです。

2020年6月16日火曜日

花だより 学校の素顔 どこを見る ウツボグサ 紫陽花

   学校の素顔 どこを見る 
 学校訪問に行くと、「いい話」を聞かされ、校内見学でも、生徒がまじめに授業を受けている教室や立派な施設を見せられることが多い。「これが本当の姿なのかとつい勘ぐりたくなる。」
 どうすれば、学校の素顔に触れられるのかは、切実な関心事です。
 受験関連会社がアンケート調査をしたら、「トイレを見る」との回答が多かった。なるほどトイレが汚いようでは、遣っている生徒の心が乱れているでしょう。さらに扉が壊れ、落書きがひどいというのなら、「荒れている学校」と判断しても構わないでしょう。ところが最近は、このことが学校側にも知られていて、保護者から苦情が出るので率先してきれいにしている学校が多いのです。最近は、別のところをチェックするよう勧める専門家もいます。
 ≪授業参観:プロの視点≫
 文部科学省の教科調査官(視学官)や教育局の指導監や指導主事と一緒に授業参観する機会がありました。全国を回り、経験豊富な先生方は、一つの学級わずか数分の参観で、その学級の様子がわかるといいます。
① 教室を見渡す。(学習環境の確認)
② 子どもたちの姿勢(授業への集中度、学習ルールの定着度)
③ 教師の振る舞い、言葉遣い、発問の仕方、表情など
④ 板書の構成、字の丁寧さ
⑤ ノートのチェック(前時までの学習の確認)
⑥ 掲示物のチェック(子ども作品、作文や観察ノートなど、掲示の仕方、工夫など)



2020年6月15日月曜日

花だより 教師の人格形成 紫陽花 牡丹


 ~教師の人格形成~
「学校の先生って何でも知っていて、何でもできるんでしょ。」と世間から見られることが多いものです。教師=聖職とは言いませんが、教育の目的が人格の形成ならば、教師は人格を磨く努力をしなければなりません。
 「尊敬する人からしか学ぼうとしない」という言葉があります。言い換えれば「先生を信頼していないと学習は成立しない。」ということです。子どもや親は、教師の一つ一つの言動を見ています。粗探しをして、それを指摘してやろうと思っている人も残念ながらいます。そういう人を批判するのは簡単ですが、自らの所作を磨くことも大切です。
 河西(かわにし)ぼたん園 に行ってきました。~北見探訪~
 河西ぼたん園は北見市の北側の住宅地の中心にある庭園です。昭和3年に4.8ヘクタールの土地に千株のボタンからはじめ、現在では一年を通し、さまざまな植物や小動物を見ることができる施設です。以前はクラブハウスに提灯がいっぱい吊るされ、草木を鑑賞しながらジンギスカンなどを楽しむ家族や団体が多く訪れ、行楽の中心的場所でした。ここ数年、レジャーの多様化や管理者の他界により閉園していましたが河西宏悦氏が新たに園主を勤め再開しました。現在はボランティアの方々のご協力で園内の整備を進めると同時に新たな展開を模索しながら開園しています。   
 6月になると北海道でも豪華で堂々とした花姿で我々を楽しませてくれるボタン(牡丹)や花の色が微妙に変化するアジサイ(紫陽花)の花、藤の花も見ごろを迎えます。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉が有名ですが、実はこの言葉、症状に応じた生薬の用い方をたとえているのだそうです。芍薬、牡丹、百合は婦人病の生薬として使われており、「立てば芍薬」とはイライラと気のたつ症状にはシャクヤクが有効・・・といった具合です。美人を形容する言葉としてよく知られていますが、意外な意味がひそんでいます。花言葉は「王者の風格」「富貴」「恥じらい」「高貴」「壮麗」
、紫陽花の花言葉は、「移り気」「乙女の愛」藤は「恋に酔う」「懐かしい思い出」、「ゆっくり季節を感じながら歩く」心の余裕が欲しいものです。


2020年6月14日日曜日

花だより オンライン飲み会とノミニケーション エゾキスゲ


 オンライン飲み会とノミニケーション(宴席でのコミュニケーション)
 最近の若者は、上司との宴席を敬遠するといいます。また、多くの学校の親睦会は、職員旅行をなくしているといいます。時代の流れなのでしょうか、職場は職場、仕事以外は、個人の時間と割り切る考えもあるのは確かです。それなのにコロナショックで、外での飲み会が自粛されるとオンライン飲み会が流行しています。気の合う者同士の飲み会は、画面越しでもOK,これが今のノミニケーションなのです。
 宴席でのコミュニケーションは、万国共通です。お酒が少々入ることで、打ち解け合い、会話が弾み、互いの理解が深まることはよくあります。職場の親睦会は、まさにそのためにあります。人間関係の難しさはどこの職場にもあります。しかし、それは大人の付き合いです。大所帯の学校になるとなかなか十分なコミュニケーションを図れません。そのため親睦会行事を楽しみにしていました。
 潮見小の家族会「なぎさ会」の集まりが、ワニの家(イタリアンの店)でありました。とっても楽しかったので、今回参加されなかった人にも声をかけよう。ということになったらしく、妻は、次の日からお誘いの電話を掛けていました。そんな潮見小の家族会は、今はもうないと聞いて、「そうよねぇ~」と言っていました。
 オンライン飲み会は、コロナが収束しても続くのではないかと言われています。私は画面越しの飲み会には、抵抗がありますが、これも受け入れなければならないと思っています。
 

2020年6月13日土曜日

花だより なぜ学校HPなのか? マイズルソウ


【なぜ学校HPなのか? コミュニティスクールには必須条件】
 コロナ休校中 HPが大活躍!
 平成 19 年6月に改正された「学校教育法」第 43 条では、学校の教育活動や学校運営の状況に関する情報を、また平成 20 年度に文部科学省から出された「学校評価ガイドライン」では、自己評価・学校関係者評価の結果と、それらを踏まえた今後の改善方策などの情報を保護者や地域社会に公開することを求められています。
こ のような情報の伝達手段の一つとして学校ホームページは有効であり、町田智雄氏、豊福晋平氏の研究「組織的・継続的な学校ホームページ運用のための体制構築」によると、その開設率は全国的にみて増加傾向にあります。しかし、運用実態は二極化しており、積極的に更新を進めている学校もあれば、ほとんど更新していない学校もあるのも現実です。ホームページは、更新されなければ意味がありません。
「J-KIDS大賞」の審査委員であった豊福晋平氏(国際大学準教授:「学校広報」の第一人者)を当管内に招き「学校HPについて」講演をしていただいたことがあります。(以下 豊福先生の講演から)
~J-KIDSのキーワードは「対話と成長」です。しごくあたりまえのことながら、実際にはこれほど難しい課題もないでしょう。私たちは、学校で立場や意見の違う人々と調整し意思決定を行うための民主的方法を学びますが、学校と社会の間には穏やかな対話どころか、嵐が吹き荒れているようにも見えます。
 そもそも学校は閉鎖的な印象を持たれやすいうえに、マスコミが作り出す学校のイメージは歪んで劣悪であることから、世間の目は相当厳しいと言わざるをえません。しかし、このような曖昧な「カオナシ」の学校に対する批判と対立の構図では、現実と議論がかみ合わず、建設的な解決は何も生まれてきません。
 対話が成立するためには、まず相手のことを良く知り、互いに尊重することを知らねばなりません。まず、手始めとして「学校は日々いろいろあるけれど、こんなに元気に頑張っている!」という声を届けるべきです。
 学校が地域社会とともにあり、ともに歩んでいるという共通認識を形成するために、特別あつらえではない普段着の学校の様子をまめに伝えるとともに、応援してくださる方々を対話の輪の中に迎えいれていただきたい。そのための中心的メディアとして学校ホームページがもっと活かせたらいいなと考えています。~
 コミュニティ・スクール(学校運営協議会)がスタートしました。学校HPは必須条件です。

2020年6月12日金曜日

花だより 「たくましさ」と「優しさ」 スイカズラ


 「たくましさ」と「優しさ」        
「タフでなければ生きて行けない。優しくなければ、生きる資格がない。」
アメリカの作家レイモンド・チャンドラーの遺作となった小説「プレイバック」の中で、主人公フィリップ・マーロウが言った台詞です。日本ではキャッチコピーとして使われ有名になりました。
 次世代を担う子どもたちに求められる資質・能力について、数々の提言がなされています。それらの土台となる不易の資質がこの台詞に凝視されていると思います。
 痛ましい事件、いじめ、経済格差、厳しい環境の中で、生きる子どもたちへ、祈りを込めて贈る言葉で「鬼手仏心」に通じる言葉です。
 今学校は、コロナショックで休校分の遅れを取り戻すことに躍起になっています。大事なことを見失わないことです。

2020年6月11日木曜日

花だより 学校HP ヤマボウシ


  学校HP
 学校にホームページが必要!(開かれた学校、情報発信)そう思って作り始めたのは、北見市立若松小学校の校長になってからでしたので、もう15年も前になります。その後、斜里町立朝日小学校に転勤になって、J・KIDS大賞(2003~2012ホームページを保有する全国の小学校を対象とした日本最大の小学校ホームページコンテスト)で最優秀校(全国ナンバー1)に選ばれた斜里町立峰浜小学校のHP担当宮内教諭の指導を受け、HPを開設しました。その後、網走市立潮見小学校に転勤になってからも早速HPを開設して、2010年と2011年に北海道優秀校を受賞、2012年には、全国ベストセレクションを受賞しました。その後、北見市立北小学校に転勤になり、開設に向けて取り組もうとしたところ、北見市では、教育委員会のHPに形式を統一して各小中学校のHPを載せることになり、学校オリジナルのHPは作れなくなりました。そして、丁度同じ年にJ・KIDS大賞が終了してしまいました。しかし、各学校がHPを持つためには、それも一つの手だろうと思います。
 HPは更新されないと意味がありません。古いページが古いそのまま残っていたり、長い期間更新されないままのHPもあります。
 スクールバンドや野球やサッカー少年団など、熱心な先生がいたときはよかったが、その先生が転勤したら、その後は、ぱっさりということがよくあります。学校HPはそれでは困ります。オホーツク管内の学校では、まだHPやブログを持たない学校が多くあります。
 インターネット環境の普及率が95%以上になり、オンライン学習の導入が急務になっています。HPすら持っていない学校でICT化が進むとは思いません。
 

2020年6月10日水曜日

花だより 鬼手仏心 ユキノシタ

  【鬼手仏心】  
~外科医は手術のとき,残酷なほど大胆にメスを入れるが,それは何としても患者を救いたいという温かい純粋な心からである。~
 組織のトップは、「鬼の手と仏の心が大切なのだ。」ということです。校長の心構えを今さらながら教えられました。鬼の心、仏の手では、子どもたちや部下職員を救うことは出来ないのです。
 
 徒然なるままに 「教師たるもの」 佐藤元北見市教育長
 いろいろな事情で学校に行けなくなっている子どもたちも数多くいるという現状を思い起こすと、何とか、それぞれ気持ちを振り絞って玄関から一歩外に出て欲しい。
 学校や行政だけでは限界があることは重々承知していますが、やはり一人一人の子どもの状況を把握し、緻密に接点を保っていくことが、まず私たちに求められるのだと思います。
いろいろな事情で子育てのできない親御さんも居て、苦しんでいるかもしれませんが、子どもの心はそれ以上に苦しんでいると受け止めるべきだと思います。明るい出口を求めて…。
 是非とも読者諸君には、個々の子どもの心に寄り添い、子どもが安心して話しかけてもらえる先生であって欲しいと思います。教師たる必須条件は、学生時代の頭の良さより、子どもや保護者に対する広くて深い包容力と洞察力だと思っています。

2020年6月9日火曜日

花だより 失われた4・5月(2) 書写 ガーベラ


 失われた4・5月(2) 書写
「学校の先生は、みんな字が上手?」そんなことをいう人は、今はいない!
 放課後児童センター(学童保育)には、勉強の時間があって、宿題や家庭学習をするようになっている。そんな1年生の学習の様子を見て驚くことがあった。
 入学してすぐ休校になってしまったので、基本的なことがまだ身についていない?
 鉛筆の持ち方はおかしいし、ひらがなの筆順も間違っている。「あ」を信じられないところから書き始める。ところが休校中にプリントがたくさん出されていて、ひらがなや数字を書く練習を繰り返しているので、読んだり、何となくそれらしい字を書いたりすることはできている。形がとれない理由は、とんでもない筆順にあるようだ。筆順(書き順)が違うと注意したら、「字は読めればいい」と1年生が反論した。提出されたプリントでは筆順のチェックはできない。お手本らしきプリントを見つけて、「これはだれが書いたの?」と聞くと先生だという。これまた驚いた。これがお手本なら仕方ないかと変に納得した。
 左利きの子も多い。左利きの子に限って、筆順は違うし、形もとれない。筆圧もない。右利きの方がいいに決まっている。変えるのは今のうちだが、親は、これもうちの子の個性だから!くらいにしか思っていない。箸の持ち方も全くできていない!
 高学年の子の手を見て、「ペンだこある?」と聞くと「なにそれ?」と言われた。どの子も中指はつるんとしていた。ペンだこの大きさを自慢することは、過去の遺物になってしまった。鉛筆は、HBではなく2Bを使うようになった理由もわかる。
 基本的なことが、蔑ろになっていないか心配である。教育は急速に変化しているが、基礎基本はきちんと教えなければならない。
 型破りの演技は、型を知らずにはできない。基本を知らないのを形無しという。歌舞伎役者の言葉である。

2020年6月8日月曜日

花だより 子どもの生活環境の崩壊 ノイバラ


 子どもの生活環境の崩壊
                高橋 英児(山梨大学准教授)「教育展望」5月号
1 子どもの生活環境の崩壊の何を問題とすべきか
 子どもたちのさまざまな問題行動(凶悪事件、荒れや暴力行為、いじめ、不登校など)が問題になるたびに、その背景や要因とは何かがこれまで議論されてきた。その際、個々の子どもの心の問題や生活環境、特に家庭の在り方(基本的生活習慣・生活リズムの乱れ、しつけの不足など)の問題が指摘されてきた。だが、個々の子どもの心の問題や家庭の在り方だけに原因を求めるのであれば、問題の本質を見誤ることになるだろう。
 子どもを取り巻く大変な状況にあっても、教師は問題行動に対して毅然と指導すべきだとか、各家庭がしっかりと子どもの面倒を見てしつけをするべきだと要求し、そのような観点からの取組を行っても、問題の本質的な解決に結び付かないことは明らかだろう。解決のためには複合的な対策が不可欠である。
2 人間らしく生きるための生活基盤の喪失
 「叩くのは嫌いだ」「蹴るのも本当は嫌いだ。だけどやっちゃう。止められない。僕が僕を止められない。」
 これは日常的に暴力行為を繰り返す男子児童が教師に泣きながら語った言葉である。教師はここで初めて、この児童が、父親による母親への課程内暴力によって心を傷付けられてきただけでなく、離婚後も元気がない姿に悩み苦しんでいることを知ったと報告している。また、荒れる子どもたちの多くが両親の離婚や別居、家族のリストラなど家族の問題を抱えており、子どもの問題に経済的、社会的なことが絡んでいることを実感している。
 このような問題は、子どもたちの問題行動だけでなく、彼らの成長・発達に深刻な影響を及ぼしていることが明らかにされてきている。
 このような状況の中で、子どもたちは、多数多様な他者からの存在承認や十分な承認を受ける機会を奪われ、乳幼児期の恒常的不信・自尊剥奪という傷つき、学童期の他者からの阻害や孤立・能力剥奪という傷つき、青年期の社会的排除と無力感という傷つきがケアされないまま、重層的に重なった状態に置かれている。
 子どもたちは、自分が今置かれていること、自分が今生きていること、これから生きていくことを支えてくれる関係や社会的な支援の不足の中で、自分が幸せに生きることへの希望を奪われ、さまざまな傷付きを抱え込まされている。そして、それらを行動化されたヘルプとして我々に訴えているのです。
3 学校は何ができるか
 生活環境の崩壊状況が子どもの生きづらさを生み、問題行動へと駆り立てているのであれば、これらの克服のためには、崩壊した生活環境を、彼らが安心して生きられるものへと構築し直す取組が必要になってくる。
 学校においては、崩壊した生活環境を生きているという彼らの生活現実から出発し、その生活現実と格闘している子どもたちと共闘していくことが取組において何より求められるであろう。
 例として、子どもたちの願いや希望・期待を引き出し、それらを自治的な活動(学校・学級を楽しくするための取組など)を通して実現させていくことである。
 この取組では、子どもと教師とが生活現実を問い、共有する中で、それぞれの苦悩が聞き取れる関係を生み出すことが肝要である。そして、この関係を支えにしながら、それぞれが自己の生き方に関わる願いや要求を自覚し、生活現実を共同でつくりかえる努力をしなければならない。
 このような取組は時間がかかり、すぐには問題の解決には結び付かないように見える。だが、こうした足下からの地道な取組こそが、子どもたちに「生きる力」を育み、生活環境の崩壊の諸問題に対する有効な対策となるのである。
 子どもと大人がともに安心して生きられる場を学級・学校から創造していくことが今重要なのではないだろうか。(牧野要約)

2020年6月7日日曜日

花だより 運動会中止 イワカガミ

運動会中止?
 運動会の1週間前、美幌にいる84歳になる母が「ヨシミツ、あんたの最後の運動会だから、見に行きたいね。」と言い出しました。初任のとき(生田原小学校)の運動会にやってきて、本部席で「うちの息子がお世話になっています。よろしくお願いします。」と言っていたことを思い出しました。そして、小学生の時は、「ヨシミツが、リレーの選手にでもなれば、お弁当作りも力が入るんだけどね…。」と言われ、「習字や絵で賞をもらうよりも運動で目立った方がいいんだ!」と思い、いろいろやりましたが、残念ながらスポーツで賞をもらうことはありませんでした。
 母には前日「明日は、暑くなりそうだし、風も強くなる予報だから、無理しない方がいい。」と説得しました。
 恩師との再会 
「牧野くん、あなたの最後の運動会を見に来たわよ。」と母と同じ年の中川洋子先生が会いに来てくれました。教え子の子どもが北小に通っていて、私が校長だということを知ったそうです。「あなたが退職なのだから、私も年をとるはずよね。牧野くんは、運動会や学芸会になると張り切ってやっていたわよね…。」当時の話を直立不動で聞きました。
 運動会は特別
 学校行事の中でも親にとって運動会は特別です。学芸会は、自分の子の出番の時だけしか来ませんが、運動会は、ほとんどが開会式から閉会式まで見ます。関係のない他の子の競技にも声援を送ります。普段子どもの教育に関しては母親任せのお父さんも、この時ばかりは早起きして、場所取りにやってきます。おじいちゃん、おばあちゃんも「運動会はいつなの?見に行くからね。」と楽しみにしているので、お母さんは、お昼のお弁当作りに精を出します。せっかく朝早く場所取りをしたんだから、競技にも参加したいと思うはずです。3年生の「来て、来て、お願い」(借り物競争)では、いつ呼ばれてもいいように腰を上げて待ち構えています。
 運動会の種目は、勝敗がはっきり分かる単純な方が良い 
 徒競走、玉入れ、リレー、綱引き、大玉転がしなど、昔からある種目がほとんどです。単純で勝敗がハッキリ分かり、見ていて安心感があります。これはオリンピックの陸上競技に通じるものがあります。そして、勝敗に関係のない遊戯が途中に入ることは、プログラムの構成上とても大切なことです。心が和みます。
 みんなが見るからこそ、教師の腕の見せどころ 
 参観日、オープンスクール、学校開放と学校の取組を地域、保護者に伝えるものは他のもありますが、運動会は別物です。5月末から6月にかけて開催される運動会は、4月から2ヶ月間での子どもの成長の様子や担任の指導の様子も分かります。ですから、学級づくりの当面の目標は運動会になります。
 集団行動(整列、行進など)の指導が体育の授業からなくなりましたが、運動会の練習で、集団規律とか集団行動を身に付けなければなりません。それが学校生活の基盤だからです。
 若いときは、常に運動会の担当でした。美幌小学校では約800名の児童数でした。そこで入場行進と開会式の指導を喉を枯らしてやりました。そのとき先輩から言われた言葉が「開会式を見れば、その学校の教育力が分かる。」です。加えて「学級担任の指導力も分かるんだぞ!」と教えられました。体がふらふらして話を聞いていない子が、きちんと授業を受けているとは思えません。腹筋と背筋が強くないと正しい姿勢を保つことはできません。運動のできる子は、体つきを見れば分かります。運動のできる子は集中力も違います。運動会の練習でいろいろなことが分かるのです。
 じいちゃんになって 孫の運動会は、これまでと全く違う感覚 
 毎年、運動会を経験し、他校の運動会を見てきましたが、孫の運動会は、教師目線とはまったく違います。母親にべったりひっついて甘えん坊だった孫が、小学校に入ってみんなと一緒にやっていけるのか?(普段は、孫一人しか見ていないので)とても心配なのです。児童席のテントの中の様子、開会式の整列の仕方、遊戯の踊り方、リボンのもらい方、スタートの姿勢を双眼鏡で覗いています。1等だろうが2等だろうが、それほど関係ありません。遊戯の曲が何であったか覚えていません。一生懸命にやっている姿、それだけに感動するのです。
「校長先生、一番思い出の残っている運動会は?」と問われて、どの学校のどの運動会がということではなく、運動会は、学校行事(学校の教育活動)の中で特別なものなのです。だから年取った母や恩師も観にきたいと思うのも分かります。
 その運動会が、今年はコロナショックで中止(延期?)になってしまいました。関係者全員が残念に思っています。

2020年6月6日土曜日

花だより 倉橋惣三 の言葉 アカツメクサ


 倉橋惣三 の言葉から
 育ての心
この心情が最も深く動くのは親である
次いで幼い子らの教育者である
そこには抱くわが子の成長がある
日々に相触る子の生活がある
自ら育とうとする者を前にして
育てずにはいられない心
それが親と教育者の最も貴い
育ての心である

 まめやかさ
生きる力 伸びる力 それに驚く心がなくては
子どもをことは本当には分からないが
驚きだけでは 詩とか研究が生まれても 教育にはならない
教育者は 詠嘆者たるだけでは ないからである
子どもの力に絶えず驚きながら、詠嘆の暇も隙間もないほどに
細やかな心遣いに忙しいのが教育であり 教育者である

 問題にぶち当たったり、悩んだり、迷ったりしたときは
原点に立ち戻る。

2020年6月5日金曜日

花だより ICTが学校に定着しない理由 浜茄子


ICTが学校に定着しない理由
 ICTの必要性は認識されているにも関わらず「そもそもわざわざICTを使わなくても授業は成り立っているから敢えて使うことはない」などの声が多く、各学校ではスムーズに活用・定着がされていないのではないか。
 こうした活用・定着が進まない学校においては、「ICT機器導入後の教師の負担感」が醸成されているケースが多い。
 「学校にICT機器が整備されたけれども、活用方法(状況)まで教育委員会と確認できているわけでなく、学校現場に裁量がゆだねられている。行政自体、IT化が進んでいるわけではない。機器を整備するのにいくつものハンコ決裁を受けなければならないのが実態である。
 準備が面倒で、黒板と教科書とノートのいつも通りの授業に戻る
 活用する意識はあったとしても、機材と機材をつなぐケーブル、共用テレビの移動など準備することが多すぎてICTを使った授業は断念する教師もいる。もしくは、頑張って準備をし、映像を使った授業を決意しても、教師が準備段階でバタバタし、授業が始まると、子どもたちは珍しい機材に興味を示してしまい、肝心の授業に集中させることが難しいケースもある。そうなれば、教師はよほどの必要感と学習効率が上がらない限り、落ち着いて授業を開始できる黒板と教科書とノートのいつも通りの授業を選んでしまう。むしろベテラン教師より、まだ指導技術の未熟な若手教師の方が積極的にICTを使おうとする。
コロナショックで学校が劇的に変わることを期待したい。
 

2020年6月4日木曜日

花だより 失われた4・5月 牡丹 スイレン


 失われた4・5月
 コロナショックの休校で、4月当初に行わる学習が全てできなくなりました。
 小学校1年生の最初の学習は、鉛筆の持ち方、椅子の座り方などの他に集団生活でのルールを学んだり、整列の仕方などの集団行動や集団規律も身につけることが大事な学習です。こうしたことがきちんと身についていないと学習が成立しないからです。休校中の乱れた生活習慣で体力が落ちています。腹筋や背筋が弱ると姿勢を保つことができず、机にもたれかかり、集中力がなくなり、先生の話も上の空です。2年生以上も学級や担任がかわると同じ指導が必要です。授業の上手な先生は、こうした指導(学級づくり)が上手な先生なのです。
 運動会が5月末から6月にかけて行われます。開会式を見ればその学校の教育力がわかると先輩校長から言われたことがあります。4月からの集団規律の取り組みの成果が集約されているからです。ところが、コロナショックでこの大切な時間が奪われ、6月からの学校再開では、学習の遅れを取り戻すために主要教科を優先するようです。
 非常事態で教育課程を見直して何を優先するか、校長のリーダーシップが問われるところなのでしょうが、学校教育の目的は、知徳体のバランスのとれた「生きる力」を育てることにあります。子どもたちのために何が大切かよく考えてほしい。50時間の欠時数を取り戻すには、それ以上の時間が必要だと思います。


2020年6月3日水曜日

花だより 夫婦喧嘩が子供に与える影響 ツリガネソウ

夫婦喧嘩が子供に与える影響
・両親が暴力的な喧嘩をするのを見て育った子は、感情を読む能力に欠ける傾向にある。
・両親が激しい口論をする姿を見て育った子は、感情を読みすぎる傾向にある。
・長期間、両親の喧嘩を見てきた子は、自分の感情(寂しい、怖いなど)をコントロールする能力に欠ける傾向にある。
 これらは後に、不安症やうつなどのリスクを高める可能性があるという。やはり夫婦喧嘩は子どもの前ですべきではないことが分かります。
 コロナショックで、人々の心が荒んでいます。親のイライラが子どもに影響しています。虐待が増えているのも心配です。
 日曜日、マスクをつけた親子連れが、堤防を散歩していました。足を止めて、たんぽぽを摘み、タンポポ積みで輪を作り、子どもの頭に載せました。
 喧嘩を全くしない夫婦はないと思います。子どものためにも早く上手に仲直りしてほしいものです。

2020年6月2日火曜日

花だより 日本のICT化の遅れの原因 ウツギ


 日本のICT化の遅れは、日本の教員が優秀だから?
TTが導入されたとき、アメリカでは、1+1=1 2人の教師でやっと一人前のことができる。日本でTTをやれば1+1=3になって、さらに効率が上がると言われた。日本の教師は、先輩から指導技術を学ぶ、職人堅気のところがあるが、これからはICTを使いこなす若い先生から年配の先生が学ばなければならない時代になった。
 また、行政からすると高価な教育機器を整備しても学校は使ってくれない。そんなお金があるなら、エアコンの整備が先と考えるのも当然かもしれない。
 スタディサプリ教育AI研究所長 小宮山利恵子(東京学芸大学大学院准教授)
 教育へのICT(情報通信技術)の導入が急速に普及しています。休校を機に教師がオンラインやホームルームや授業をする動きが広がりつつあります。
 ICT教育は、地理的・経済的な学習環境の格差を乗り越えます。不登校や長期入院の子どもたちの学習も可能で、教育の平等をもたらします。それには、パソコンなどの学習用端末や通信機器を等しく行き渡らせることが前提となるので、自治体や国は速やかに取り組むべきです。
 日本のICT教育の遅れは、教室で行われる学校教育に「成功」している。日本の教師は優秀だから、新たなツールの必要に迫られなかったことが要因でしょう。コロナ禍は第2波、第3波と長丁場になるかもしれません。今後はICTを使う教育が当たり前の社会になるはずです。
 オンライン教育では、子どもの意見を踏まえ、「どこで飽きられたか」を分析し、学習動画を絶えず改善する姿勢が大切です。研究では、講師が背を向けたり、画面から姿を消したりすると視聴をやめてしまう子どもが増えます。
 家での学習時間が増えれば、家庭でもするべきことがあります。親自身が学ぶ姿勢を子どもに見せること。親の行動変容も必要です。

2020年6月1日月曜日

花だより 学校再開焦らず アヤメ


 6月1日から学校が再開されます。失った時間を取り戻そうとして、焦らないことです。今一度教育の原点を見直すことが必要です。
 教育は「引き出す」こと 
 教育と訳されている英語の「エデュケーション」は、本来「引き出す」という意味をもっています。
 教育とは、何かを教え込む、知識を詰め込むことではなく、教えることによって、子どもたちのもっているいろいろな個性や要素、資質、能力を、人格的なふれあいを通して引き出し、成長させることです。
 そのために必要な教師の能力は、コミュニケーション能力が高いことです。学習指導でも生徒指導でも、子どもたちときちんとコミュニケーションが取れることが大前提になります。
 特に授業では、「教師が子どもたちに考えや思いをわかりやすくきちんと伝える」「教師が子どもたちの考えや思いを肯定的に受け止める」ということが大切です。
 伝える力のある教師は、説明や指示が子どもたちにとって分かりやすいだけでなく、自分の発する言葉が子どもたちの立場で聞くとどのように受け取られるかを常に意識しています。
 受け止める力のある教師は、子どもたちの発言に対して「聞いているよ」という受動的な態度を上手に使っています。笑顔をつくったり、うなずいたり、「なるほど」と肯定したり、たとえ間違っていても「なぜ」と子どもたちに説明させたり、いまの説明で「納得できた」と確認したり、きちんと聞いています。子どもたちに認めてくれていると感じさせることで考えや思いを共感・共有できるようにしています。
 「正解を示す」よりも「あなたなら~どうしますか」と「問い続ける」、課題解決に向けて子どもたちと協働し「自分で考えたり、表現する力」を引き出す、このような協働する教師を目指してください。  (教育展望より)