2020年6月9日火曜日

花だより 失われた4・5月(2) 書写 ガーベラ


 失われた4・5月(2) 書写
「学校の先生は、みんな字が上手?」そんなことをいう人は、今はいない!
 放課後児童センター(学童保育)には、勉強の時間があって、宿題や家庭学習をするようになっている。そんな1年生の学習の様子を見て驚くことがあった。
 入学してすぐ休校になってしまったので、基本的なことがまだ身についていない?
 鉛筆の持ち方はおかしいし、ひらがなの筆順も間違っている。「あ」を信じられないところから書き始める。ところが休校中にプリントがたくさん出されていて、ひらがなや数字を書く練習を繰り返しているので、読んだり、何となくそれらしい字を書いたりすることはできている。形がとれない理由は、とんでもない筆順にあるようだ。筆順(書き順)が違うと注意したら、「字は読めればいい」と1年生が反論した。提出されたプリントでは筆順のチェックはできない。お手本らしきプリントを見つけて、「これはだれが書いたの?」と聞くと先生だという。これまた驚いた。これがお手本なら仕方ないかと変に納得した。
 左利きの子も多い。左利きの子に限って、筆順は違うし、形もとれない。筆圧もない。右利きの方がいいに決まっている。変えるのは今のうちだが、親は、これもうちの子の個性だから!くらいにしか思っていない。箸の持ち方も全くできていない!
 高学年の子の手を見て、「ペンだこある?」と聞くと「なにそれ?」と言われた。どの子も中指はつるんとしていた。ペンだこの大きさを自慢することは、過去の遺物になってしまった。鉛筆は、HBではなく2Bを使うようになった理由もわかる。
 基本的なことが、蔑ろになっていないか心配である。教育は急速に変化しているが、基礎基本はきちんと教えなければならない。
 型破りの演技は、型を知らずにはできない。基本を知らないのを形無しという。歌舞伎役者の言葉である。

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