2021年8月31日火曜日

花だより 学校が変わるとき ミズアオイ


 夏休み明け、産休代替教員が着任しました。
『一期一会』 ~あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、ささかやですが、今出来る最高の「おもてなし」をしましょう。~
 こうして巡り会ったのも何かの縁です。この縁を大切にしましょう。今年は改革の年です。またさらに忙しく大変になります。「大変」とは「大きく変わる」と書きます。新戦力に期待するところは大です。
 人が変わると学校が変わる!
「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助が、次のような言葉を残しています。
「とにかく、考えてみることである。工夫してみることである。そして、やってみることである。」
 新たな事柄に向き合ったとき、先の見通しに不安を感じてしまうことがあります。そんな時こそ、周囲の人と知恵を出し合い論議を尽くし、チャレンジする勇気が必要です。「常に考える」ことを意識して実践し、よりよく変わりたいものです。変わるときには、新しい風が必要です。

2021年8月30日月曜日

花だより 自然災害と教員 鳳仙花

 

 今年も大雨による災害が各地で起きました。「〇〇年ぶりの大雨」は、毎年やって来るようになりました。
 学校のほとんどは避難場所に指定されています。防災計画では、避難誘導の指揮を執るのは担当する市職員の役目ですが、これだけ大きな被害になると市職員だけでは対応できない。結果として、子どもの安全確保に専念するべき校長と教員が現場判断で全体を動かしている。教職員も泊まり込んで、昼夜を問わず避難者の救護などの世話をあたっている。被災地の教育長は、教員が通常業務を超えて献身的に尽力していることに敬意を表したい。と話していました。
 もう何年も前のこと。佐渡島行きのフェリーの中で、船酔いしながら壁の掲示板に目をやると、「非常時のお願い」と書いてありました。~非常時には次の方々にお手伝いをお願いします。医者、看護師、警察官、消防士、自衛官、教員…。“そうか教員も公務員だ。「全体の奉仕者として…。」宣誓書にサインもした。でも、船酔いをしていたら、逆に助けられる立場になってしまう!?”と情けなく思ったことがありました。
 被災地では、教員も被災者です。避難生活が長引くと、疲れもピークに達しているはずです。時間が経つと報道も少なくなり、関心が薄まってきます。被災地の学校はどうなっているのでしょうか?

2021年8月29日日曜日

花だより 夏休み町内小中学生絵画作品展 ツルボ

 

《夏休み町内小中学生絵画作品展》
 🤦‍♂️「これはいい絵だ!」と思ったのは残念ながら数点しかなかった。本来なら、選ばれてきている作品なので、どれも素晴らしいのが当然なはず?それを見た子が、「こんなふうに描けばいいのか?」と思う。作品展はそのためにあるのだが、残念ながら見に行っている子も少ない。
 最初から絵のうまい子はいない。教師の指導力が問われる。そして、どれだけ“いい絵”を見たかで決まる。
 🤷‍♂️イタリア人やフランス人がファッションセンスに優れているというのは、街角全てが芸術品だらけだからだと言われている。持って生まれた才能だけでなく、生まれ育った環境によるところも大きい。
 👀絵を飾っている家がどれだけあるでだろうか?素晴らしい絵を観て、感動するとドーパミンが出て、精神状態が安定するそうだ。素敵な絵は、心と体の栄養剤なのです。

2021年8月28日土曜日

花だより 人とのお付き合いのために「国語」がある 夕顔

 

 教育とは、不幸せにならないための最低限の知恵を授けることをいう。よって生業(なりわい)の業を授ける「授業」となる。俗に言えば、人とのお付き合いのために「国語」があり、買い物のおつりを間違えないために「算数」があり、新たなる便利なものづくりのために「理科」があり、同じ過ちを犯さないために「社会」があり、笑顔のために「音楽」や「図工」がある。健康で丈夫な体にするため「体育」がある。善悪を判断するために「道徳」がある。先人の幸せになるための知恵が凝縮されているのである。その学び舎が「学校」である。日向野一生著 「学校ものかたり」 まえがきより 
 「教育とは?」と聞かれたら難しく考えないで、子どもや親に話すときは、こう言ってあげると良いかもしれません。
 全国学力テストの結果が公表され、北海道は全国平均との差が広がった。しかし、マスコミや教育関係者、保護者の反応が薄い。“いつものこと”と思っている。
「なぜ、うちの町は学力は低いのか?どうしたら学力は上がりますかね?」と聞かれたことがある。「教育、特に学力に対しての関心が薄い。勉強なんかしなくても高校に入れるし、卒業したら、どっかこっかに就職できるもの…。」こう思っている人が多い。能力のある人は、外に出て行ってしまう。学力格差は、地域格差につながることを理解することだ。みんなが教育にもっと関心を持つことだ。




花だより 志を高く持ち、見聞を広げ、教師力をUPする ナツスイセン

 

 学力向上に研究団体が果たす役割 
 ~オホーツク管内には、あらゆる教科、分野、ジャンルの研究団体があります。これは他の管内に類を見ないことです。理由は、教職員団体が指導主事や官主催の研修会をボイコットした結果です。それぞれの教員が指導主事に対抗するくらいの理論と実践を構築しようと手弁当で研究会を立ち上げたからです。
 ですから決してオホーツクの教員は、研修意欲が乏しいわけではないのです。学力向上には、各学校の取組はもちろんですが、各研究団体の活発な活動が不可欠です。しかし、現状は、どの研究団体も管理職が多くなり、一般会員が少ない悩みを抱えています。組織に入らずともネットで検索すると何でもわかる。そんな時代になりました。
 これから教育は大きく変わります。研究団体もイノベーションが必要です。組織や在り方を変え、研究団体単独の研究ではなく、各研究団体が互いに連携・協力することです。そのためには誰かがコーディネートしなければなりません。教科や一部の分野だけでなく広い視野に立つ人物が現れることを期待したいです。
 研究団体の使命は、「志を高く持ち、見聞を広げ、教師力をUPする」ことです。



2021年8月27日金曜日

花だより 「門徒物知らず」 フデリンドウ

 

 本州から引っ越してきた方のお話です。
~夏休みに、子どもの友だちが、朝から遊びに来るのに驚きました。そして、昼になっても帰らない。暗くなって夕飯時になっても帰ろうとしません。我が家では、“遊びに行く時は、午後からで夕飯の支度が始まる前には帰宅する。親が留守の時は、友だちを家に入れてはいけない。”と決めています。それが当たり前と思っていましたし、実家ではご近所の皆さんそうでした。ところが「今日は、誰もいないから、うちで遊ぼう。」と誘われるそうです。こちらの人は“大らかですね。”~
 「門徒物知らず」 浄土真宗の信者に、「仏教の作法を知らない」と批判する言葉ですが、本来の意味は、「門徒物忌み知らず」ということで、迷信俗信にとらわれない浄土真宗の門徒の生き方を示した言葉だったのです。「浄土真宗の門徒は弥陀一仏を信ずること専らにして、いかなることありても祈祷などすることなく、病苦ありても呪術、お守りをもちいず。みなこれ親鸞氏の力なり」という教義なのです。決して門徒の人が世間知らずではないということです。
 大震災後、日本人としての生き方とか尊厳が語られるようになりました。日本人の心やしきたりや接遇は、長い歴史の中で人と人の関わりを通じて親から子へ伝わって来たものです。教員なら、最低のマナーは身につけておかなければなりませんし、子どもに指導しなければなりません。自らの行動を振り返り、この歳になって改めて無作法を恥じているところです。ちなみに我が家は禅宗(曹洞宗)です。


2021年8月26日木曜日

花だより また詰め込みが始まった ナデシコ

 




 学校における最も急務の課題は、学校行事の精選・削減
 新学習指導要領が実施されました。「社会に開かれた教育課程」と銘打ち、カリキュラムをマネジメントして、そこにプログラミング教育、小学校では英語、そして、現代的諸課題への対応、スピードを増しているネット社会の変化に応えるべく多様な内容など、新機軸が目白押しです。
 しかし、一体これをいつ、どこでやるのか。今でも子どもたちは、ガチガチに組まれた分刻みの日課表のもと、休み時間も各学校独自の「○○タイム」で実質つぶされることが多いため、一日を終えると高学年は(教師も)クタクタです。新学習指導要領は「学習内容の削減は行わない」と明言し、内容もより高度になっています。現在の状況にさらに新しい活動が盛り込まれれば、ますます息が詰まってしまいます。これが「ゆとり教育」からの脱却なのでしょうか?
 さらにネット上では、アメリカの学習プログラムを見よ、フィンランドメソッドを見習い子ども主体の授業を、などと優れた授業サンプルが提示されています。しかし、それぞれのお国の事業と学校への期待が違うのです。
 一例を挙げれば、学校行事にこれほど準備時間を費やすのは日本くらいです。他の国でも運動会や遠足、修学旅行などはありますが、原則として自由参加です。また、いわゆる集団行動という発想そのものが無いのです。教師たちが声をからして訓練する整列や全体行進、さらに組体操を外国の人たちが見たらきっと驚くでしょう。
 子どもたちには、ホッとした時間を与える心身の均衡をとることも必要です。ネット社会はどこまでも速い・簡単・便利を追求しますが、その代償として常に忙しく慌ただしく暮らさなければなりません。したがって、教師は、子どもの学習意欲を鼓舞する一方でストレスマネジメントに心を砕かなければならなくなります。
 また、学校における最も急務の課題は、学校行事の精選・削減であり、小学校のクラブのような教科・領域に属さないものは、いままでの習慣にとらわれず思い切って止めるべきです。かつて学校の「スリム化」、最近は「断捨離」などと言われますが、まだまだ足踏み状態と言ってよいでしょう。
 新教育課程の中で、こうした取り組みがまさに「子どもたちを守る」という危機管理の基本として考えるべきです。



2021年8月25日水曜日

花だより 困っても相談しない? シシウド

 

 夏休み明け、子どもの自殺者が増える。教師は、「何か困りごとがあったら、すぐに相談してください。」と言うが、いじめや不登校など、教師に相談するケースは、ほとんどない。
≪タイプ別相談しない心理状態≫
【タイプ1】~困っていると認識していないために相談しない状態。適切な知識がないために自分の置かれている状況に問題があるという認識を持てない。周囲は大変な状況に思えても本人は慣れてしまって問題を感じていない。
【タイプ2】~自分なりに問題があると認識し対処しているが、その対処法が周囲からは不十分・不適切に見える状況。自身の対処法の結果の良い側面しか認識していない。
【タイプ3】~困っていることに自分なりに対処しているけれどうまくいかないと感じながらも、誰かに相談しようとは思わない。「助けてほしいと思わない」
【タイプ4・5】~相談したいとある程度強く思う一方で、実際に相談する行動に結びつかない。相談することに対する期待感よりも抵抗感の方が強い。4と5の違いは、相談相手の違い。 北海道教育大学函館校准教授 山田 真大
 👀こうした子どもの心理状態を把握して対応することが必要です。

2021年8月24日火曜日

花だより すべての子どもとよい関係をつくろうと思わない カラスウリ

 

    ≪援助要請の心理状態のアセスメントモデル≫
 「すべての子どもとよい関係をつくろう」という幻想
         臨床心理士 寺島 達也
 🤷‍♂️すべての学校、教師にとって、子どもの成長と発達が基本的な教育目標のはずです。けれども教師によって、その対応に差が生じてしまいます。
 子どもへの関心と心配を重視する教師もいます。また、子どもの不安を誘発し、敵意を抱かせてしまう教師もいれば、そうでない教師もいます。ある教師には常に反抗的で、感情を逆なでるような態度をとる子どもが、他の教師には協力的であったり従順であったりすることもしばしばあります。
1 無理なものは無理と自覚
 🤦‍♂️そもそも「教師は、すべての子どもとよい関係を持たなくてはならない」といった発想自体が幻想ではないでしょうか。
 もちろん、教師が特定の子どもに対して一方的に反感や嫌悪感を持つことは好ましいとは言えません。けれども教師も人間である以上、どうしても馬が合わない、うまくつきあっていけない子どもがいても当然です。問題は、それを教師が自覚しているかどうかです。
 学校にはさまざまなタイプの教師と子どもがいます。「たとえ自分がうまくつきあえない子どもがいたとしても、ほかの教師がその分をフォローしてくれればそれでよい。」くらいの気持ちでいれば、感情的な衝突のかなりの部分は防げます。ところがなんとか二者間で解決を図ろうとして無理をすると事態はややこしくなります。
2 「適切な話し方」と「正確な聞き方」
 次に考えなければならないのは、苦手な子どもであっても、それなりによい関係性を作るにはどうすればよいかということです。
 「あなたは教師のような話し方をしますね。」と言われたら、多くの場合、それは褒め言葉ではありません。まずは、自分がどんな話し方をしているか、自覚したいものです。
 子どもと話をするとき、教師がその場に合った「適切な話し方」をしているか否かによって、子どもとの関係は大きく違ってきます。そして、話し方以上に大切になるのが、子どもの本音を確認できる「正確な聞き方」です。また正確に聞くだけでなく、聞いて理解していることを子どもに伝わる方法を工夫しなくてはなりません。
 👀教師が一方的に話し続けると、子どもは黙ってしまい、悩みを打ち明けられないということです。「沈黙」は言葉を使わない強力なメッセージだととらえたいものです。
 また、教師の言葉によらないメッセージに対して、子どもは(保護者)とても敏感です。教師のちょっとしたしぐさや口の動き、表情や動作などを実によく読んでいます。言葉と体が伝えるボディメッセージとが矛盾すると、子どもは混乱するというよりも、よりよい関係性の構築ためには知っておきたいことです。
3 うまくいかないやり方に固執しない
 教師は規律を維持しようとするあまり、罰に頼ってしまうことがあります。子どもを辱めたり、非難したり、抑圧しようとすることさえあります。そうすると、子どもは抵抗し、勝負を挑んできます。
 今は脅迫と懲罰の効力を信じる教師はほとんどいません。それなのに、なぜか毎日のようにこの手段を用いてしまうことはあります。頭に血が上り、子どもに罪を着せようとしたり、なじってしまったりするのです。
 多くの子どもは、「自分はあまりいい子ではない。」という不安を持っています。そこへ否定的なメッセージを送れば、子どもはますます萎縮したり、時には抵抗したりするのです。また、教師はなぜか表現がストレートでなくても、子どもは理解してくれると期待します。しかし、大抵は成功しません。理解されたとしても「先生は不親切で卑怯だ。」と考えてしまいます。
 😜そもそも人間同士には対立がつきものです。教師と子どもは立場も年齢も異なるため、学校は特に対立が起きやすい場所と言ってもよいかもしれません。「よい教師とよい子どもは対立しない」と考えがちですが、そんなことはありません。どんなに「よい教師」でも「よい子ども」でも対立するときは対立するのです。
 👍私が普段心がけている基本原則は、①自分の考えを一度だけ伝え、あとは子どもにうるさく言わない。②現状についての話をし、子どもの人格、性格には触れない。の二つです。

2021年8月23日月曜日

花だより ネット社会での危機管理 ノゲシ

 

 「危機管理意識をどう変えるか」
      アドラー心理学実践家 椎 名  薫
 いま私たちは、たくさんのデジタル機器に囲まれ、スマートフォンを体の一部のように生活しています。このようなネット社会を踏まえた危機管理を考えることが、今日的課題と言えるでしょう。
≪ネット社会での危機管理≫
 ネット社会は情報の画一化をもたらします。誰かの極端な意見、あるいはちょっと口を滑らした失言に敏感に反応し、不謹慎、非常識、無神経だと声が上がり、あっという間に非難・炎上です。その一方で、多くの人たちは自分でものを考えることをせずに、ただちにスマホ画面をタッチして、そこに集まる大多数の意見に影響されます。これは一見、個性的な考えに見えて、みんな同じようなことを言っています。そして、本当に因果関係があるのか、道理にかなっているかなど怪しく思われることがあります。
 一例を挙げれば、いじめの問題がそうです。昨今はいじめ問題イコール学校と教育委員会が「おかしい」という論調が主流です。識者もマスコミも、そこに原因を収斂し非難と糾弾を繰り返します。学校には、「隠ぺい」的体質がある、教室は「密室」だから何が起こっているかわからない…。何か事が起こると「(学校は)○○ってことですか?」と、いまの社会通念を押し付けて事件の解決を求めます。さらに状況がこじれはじめると、「(学校は)逃げる」、そして担任は「辞めろ」とたやすく進退問題にエスカレートします。
 ネット社会の特性として、それぞれが自分の考えをもって行動するのではなく、ある限られたキーワードによって組み立てられたパターンに従っているところがあります。そして、個人の直接的な利害に結びつかなければ無関心なのに「~であるべき」との評論で賑わうのもその特徴です。学校で発生する危機は、オーバーに宣伝され、その火消しに終始しなければならないケースがしばしばあるのではないでしょうか?
 これからの危機管理意識で重要なことは対応の迅速さです。どの学校も「ホウ・レン・ソウ」で対応に当たるでしょうが、そればネット時代のスピードに即応しているでしょうか?いじめ問題で考えるならば、初動対応で後れを取らないことです。また、情報の真偽をよく見極め、的を射た対処を心がけたいものです。
≪だれの責任なのか 誰がリスクを引き受けるか≫
 ネット社会が私たちの日常を次々と変容させているのに、学校は相変わらずアナログ的な教師の「手仕事」による管理及び処理を行っています。キャッシュレス、ペーパーレスの時代なのに、なぜ学校(だけ)は旧態依然なのか?保護者の人たちの大半はそう思っているでしょう。集金は集金袋、家庭との連絡は「おたより帳」、学習内容や持ち物など、毎日数枚のプリントを渡します。プリントの中には、子どもの情報を記入させて回収するものなど、個人情報がそのまま載っています。学校現場ではありふれた光景ですが、これはかなりのリスクを伴っています。現金が教室にあったり、個人情報が身近に置かれていること自体が問題で、何か事が起こったら、そこに遡って危機管理が問われることでしょう。
 情報化社会の中で、一人置いてけぼりにされた感のある学校現場にネットシステムを導入しようと思えば決してできないことではありません。集金は、銀行口座やネット銀行、学校からの連絡はメール配信、個人情報はクラウドシステムへ、そうすれば教師たちの紙ベースの膨大な事務処理は大幅に軽減され、必然的に教育の質がアップするはずです。
 しかしながら、これば言わば机上の空論に近く、学校の特殊性を踏まえて考えれば様々な壁にぶち当たります。一口に集金と言っても、教材費、赤い羽根、緑の羽根などの募金、PTA会費など、勧進元が多方面にわたります。いろいろな経緯があってアバウトに学校・教師に「おまかせ」の状態なのです。まずはその交通整理をしなければネットシステムはかえって災いをもたらします。
 学校は担任を窓口とする仕事が多すぎること、そして職員室という一つの部屋で指導案や成績処理、文書作成、備品営繕、その他の物品管理などなど多種多様な仕事をこなしているということも指摘しておかなければなりません。「学校は遅れている、だからネット導入だ」ではなく、学校、家庭、各関係機関の責任をより明確にし、線引きした上でのネット利用が望まれます。




2021年8月22日日曜日

花だより 日本の携帯電話が負けた原因 千日草

 

 日本の携帯電話はガラパゴス 日本が負けた原因と教育への影響
 ネット接続、カメラ、GPS,ワンセグ、おサイフケータイなどは、いずれも日本が先駆けたサービスだ。こうした高機能端末を安価に販売できた理由に、日本独特のビジネスモデルがあった。
 日本では大手通信会社の要請に応じた仕様でメーカーは製品を納める。通信事業者から販売代理店に販売奨励金が支払われ、安価で売りさばかれる。右肩上がりで伸びている時代は、通信会社と端末メーカーが「共存共栄」できる仕組みだった。
 海外とは異なる市場が発展し、日本に留まっていても、経営が成り立つ市場規模があった。しかし、日本市場は中途半端に大きく、世界進出が遅れてしまった。
 2000年代半ば、東南アジアでは、携帯電話にラジオ機能がついているのは当たり前だった。ところが再三、日本のメーカーに要求しても搭載されなかった。「この頃、日本は世界の家電の王者。日本のやっていることが一番正しいんだと。世界が違うということが分からなかった。」
 ちぐはぐな戦略が続き、革命的な技術革新も起きない。だが08年、「ガラケー」時代の共存共栄は崩れ去る。アメリカアップルのアイフォーンが日本に上陸。高機能だけでなく、シンプルなデザインと洗練された操作性で、圧倒的な魅力を放った。スマホ時代の扉は開きガラケーを一挙に過去のものにした。
 なぜNECでiPhoneを作れなかったのか?
 NECには、理系の技術者しかいない。芸大や美大の発想が必要だった?と答えざるを得ないほど革命的な製品だった。
 新学習指導要領のキーワード、グローバル化の進行、先行き不透明な社会、少子高齢化、持続可能な発展を持続できる社会への転換は、こうした日本産業の危機が背景にあるのです。


2021年8月21日土曜日

花だより いま「ゲーム依存」が深刻 百日草

 

 『ゲーム依存を考えてみた』
       兵庫県立大学准教授 竹 内 和 雄 
 WHO(世界保健機関)が「ゲーム障害」を正式に病気と認定しました。近い将来、オンラインゲームに夢中で生活に支障が出ている人の受診が可能になります。画期的なことですが、「どうしてゲームだけ?」「SNS依存は認定されなかったの?」等の質問もよく受けます。私は医学が専門ではないので断定的なことは書けませんが、あくまで私の私見として書いてしんこく
≪いまの「ゲーム依存」は深刻≫
① 家からオンラインで
 忙しい子どもたちの生活スタイルにマッチしています。塾や習い事で忙しいので、子どもたちの多くは、自分の家から隙間時間にゲームにオンラインで参加します。
② 協力して取り組む
 4~5人で協力して課題に取り組みます。強い敵を倒したり、殺し合いの中で敵を倒して生き残ろうとします。しかも、ボイスチャットで話しながら、ワイワイ楽しく難しい課題をみんなで達成していきます。
③ 時間とお金をかけると強くなる
 ユーチューバーの「ゲーム実況」等で、最新情報を仕入れることができます。日々、新しい情報が共有されるので、時間をかけて研究すればするほど有利です。また、ゲームに何度も参加すると経験値が上がり、強くなります。さらに、課金すれば有利なアイテムが獲得でき、強くなれます。少し前までの課金はクレジットカード等が必要でしたが、いまはコンビニなどでプリペイトカードを簡単に購入できます。子どもたちは小遣いやバイト代をそこにつぎ込みます。つまり、時間とお金をかければ誰でも強くなれます。ここが非常に重要で、学校を休んででも強くなりたい子どもが独出します。うかうかしていると敵も情報や新たな武器を得て強くなるので,油断できません。
④ 強い人は尊敬される
 ゲームが強いことは、子どもたちの中ではステータスです。部活や勉強で賞賛を浴びるのは難しいですが、ゲームの場合、時間とお金である程度達成でき、「レベル」等で強さは一目瞭然です。さらに最近は、eスポーツと称した大会等も増え、その世界大会となると高額な賞金が出ます。わかりやすいステータスが用意されています。
≪保護者も応援≫
 私はゲームに夢中で不登校状態の複数の子どもに、長くかかわっています。保護者は「この子の将来はどうなるでしょうか」と深刻に悩んでいますが、ある保護者は、息子さんがゲーム大会で上位入賞(数十万円獲得)したことをきっかけに、「息子を応援することにしました」と言うようになりました。息子さんのゲーム仲間には、自分のプレーをユーチューブ等で配信(ゲーム実況)することで再生回数に応じて報酬を得て、経済的に自立している人もいるそうです。「ゲームで生計を立てられるなら、子どもの夢を応援してみようかと思います」とプロになる後押しをする側に回られました。「アジア大会で正式採用、将来的にはオリンピック種目?」「高校にeスポーツ部ができた」等の報道もされており、社会的に認められつつあると感じている保護者が多いのです。
≪私たちはどう考えれば?≫
 こういう事態に私たち教育関係者はどうとらえたら良いのでしょうか。現状では『ゲームを職業に』と手放しで推奨するのは時期尚早です。しかしだからと言って、こういう動きを全て否定するのも難しくなってきました。ゲームをスポーツとして認めて、プロを目指す「夢」を認めたとしても、昼夜逆転した不登校状態は認めるわけにはいきません。分けて考える必要があります。
 子どもたちには、まず、規則正しい生活、勉強した上で夢を見ることを推奨します。実際、私がかかわっているプロゲーマー志望の中学生は、3年以上不登校状態が続いていますが、最近ジム通いをはじめました。「成功しているゲーマーは、規則正しい生活をして、身体も鍛えている」と目を輝かせながら話し、学校復帰も視野に入れています。
 勤勉で研究熱心な日本人に、令和のゲームは適しているのかもしれません。だからこそ、立ち止まって考える必要がありそうです。


2021年8月20日金曜日

花だより 過干渉な時代 ノコギリソウ



 過干渉な時代の声かけ
   兵庫県尼崎市立大成中学校 桐 山  勉
▼保護者の介入が当たり前の時代です
 近ごろ、子ども同士の揉め事に、保護者がわが子を擁護するために介入してくるケースが増えたと皆さんは感じませんか。片方の親が学校に乗り込み、教員に対して相手の子どもを一方的に非難し、時には「向こうの親に会わせろ!」と迫ります。教員からみれば、双方に原因があると思えるのですが、こうした親は自分の子どもに問題があるとは考えずに行動します。我が子を守るために相手を攻撃することが、正義の行いであると信じ切っているのです。
▼不満の残る謝罪は大人への第一歩
 例えば、子ども同士がけんかしたときに学校でよくやるのは、事情を聞きとった上で互いに謝罪させて、「仲直りしなさい」と指導する対応です。このとき、子どもは「先に悪口を言ってきたのはあっち」「殴ったのはあいつが先」などと不満を抱えつつも、その気持ちを抑えて謝っています。相手を許せない気持ちと折り合いをつけながら謝罪する経験は、とても大切です。社会に出れば、多少の不満があっても謝らざるを得ないことは多々ありますから、子ども同士のケンカの収め方は、このような出世術を身に付ける良い機会だと言えます。従来の指導なら、この後で保護者に連絡をしておしまいという決着のつけ方でした。
▼子どもの揉め事に親が出てくる
 ケンカに限ったことではありません。ときおり子どもは自分の悪いところを都合よく脳内変換(?)しながら、学校で起こった出来事を家庭で話します。客観的に物事を判断できる大人や子育て経験が豊富な親であれば、子どもの話に「ちょっと嘘が交じっている」「大げさだな」と冷静に聴くことができると思います。ところが最近は親が子どもの不満や言い訳を真に受けて、「相手の子をもっと指導すべきだ」とクレームをつけてきます。昔は、子どもの揉め事に親が出るのは恥ずかしいという風潮がありましたが、いまは我が子の不満を代弁することが親の努めのようです。
▼過干渉で育った子どもたち
 実際の話です。午前11頃に、保護者から一本の電話がありました。「私が寝過ごしてしまい子どもを起こせなかったので、遅刻してしまいました。いまから行かせますが、子どもが担任に『どうして遅刻したの?』と聞かれるのが恥ずかしいと言うので、教室で聞かないでやってほしい。」と話されました。ちなみに、この子は中学2年生です。起こしてもらえなくても自力で起きられる年齢ですし、親が先回りして連絡するほどの内容ではありません。これほど小さな不安まで親が取り除くことは、子どもの成長に悪影響を及ぼすと考えないのが不思議です。
 このような育てられ方をした子どもは、話術や交渉力などが年相応に育っていません。それが、ますます他者と揉める要因になり、さらなる親の介入を引き起こします。
 また、意に沿わないことは親が解決してくれるので、このタイプの子は自分の意見が通らない相手と関係を築くことが苦手です。そのため、自分に服従してくれる年下の子と遊ぶ傾向にあります。
 ▼相手の気持ちを考えさせる
 過干渉の親が増えたいま、自分の気持ちは相手が汲み取ってくれるものと考え、トラブルを起こす子どもが大勢います。ただ、彼らの他者の気持ちを考える習慣が与えられなかっただけで、それを具体的に指示してやれば、これから成長する可能性も十分あります。例えば、トラブルが起こったとき、本人の気持ちを聞くよりも、「相手はどう感じたと思う?」という問いかけを重視してください。過干渉の親に育てられた子には、相手の気持ちを意識する問いかけが大切です。


2021年8月19日木曜日

花だより 夏休み明けの子どもの「こころ」の変化に注意! 柚子

 

 夏休み明けの子どもの「こころ」の変化に注意!
 内閣府の調査によると、18歳以下の子どもの自殺者数は、夏休み明けが最も多く、文部科学省は自殺予防の取り組みに力を入れ、親にも注意喚起を求めています。
 学校でいじめに遭っている子どもや勉強するのが苦手な子どもにとって、夏休みはそんな苦痛からの避難期間であったりします。その分、夏休み明けは、大きなプレッシャーがかかります。また、夏休みのイベントやネットで知り合った新たな仲間との交流が深まった子どもや非行を経験した子どもなど、長い夏休みの期間中に交友関係が複雑化している実情があります。教師の知らないところで、子どもたちの関係はどんどん変化しているのです。
 思春期に入った子どもは、親や教師に自分の悩みを相談せず、特にいじめに関することは友だちに相談する傾向にあるということを理解していくことが大切です。
 夏休み明けの学校は、子どもにとって楽しみでもあり、忍耐の場でもあります。ある子は、見えない鎧に身を包み一大決心をして登校します。ある子は、友だちへの声かけの順番を気にしながら登校します。親や教師の顔色をうかがいながら登校する子もいます。夏休み明けから、不登校になるケースもあります。自分なりに頑張って登校している子どもの気持ちと、発しているサインを、教師はできる限り受け止めておく必要があります。心も体も変化(成長)し続ける思春期。夏休みを経て変化(成長)しないほうが、むしろ稀です。
 変化に気づくというのは、相手への関心の表れです。信頼関係を深めることにつながります。相手が触れてほしいところに、踏み込み過ぎず適度な距離感で「気づき」を伝えることは、揺れ動き続ける思春期の子どもたちにとって、大切な生徒指導だと考えます。

2021年8月18日水曜日

花だより 戦没者追悼式の辞(山東参院議長) ナス

 

 終戦記念日の翌日の朝のラジオ番組で、山東昭子参院議長の追悼の辞を称賛していたので調べてみました。
【山東参院議長の追悼の辞(概略)】(y!ニュースより)
 戦争によって過酷な運命を余儀なくされた方々の無念、悲しみは何度この日を迎えても、とても言葉で言い尽くせるものでありません。人の記憶は時の流れの中で少しずつ淡くなっていきますが、戦争の記憶を遠い歴史の一部にしてはなりまません。戦争で何が起きたのかを後世に伝え、一人ひとりの平和への強い思いを着実に引き継いでいくのは、今を生きる私たちの使命です。民主主義の理念の下に揺るぎない平和を築けるよう、力の限り尽くしていくことを固くお誓い申し上げます。
 まず、他の三権の長より、平易な言葉で書かれてあること、文章もさることながら元女優で声優だったことから、聞いている者の心に響く。総理の棒読みとは全く違う。
 日本人の8割以上といわれるスピーチ・コンプレックスを解消しなければならない。特に政治家には、スピーチ力は必須のスキルです。と番組のコメンテーターが言っていました。


2021年8月17日火曜日

花だより アドバイスはできるだけ避ける ヤナギラン

 



 カウンセリングの小さな工夫  最終回
  ~アドバイスはできるだけ避ける~
 学習した内容を具体的に聞く
 子どもが問題を解いたり、宿題の漢字ドリルをやったときに、「えらいねぇ~」などとほめるかもしれません。一般的には、「えらい」などと漠然とほめることよりは、「漢字ドリルをやっているんだねぇ」などの方が、行動を肯定的な雰囲気で指摘するだけで、十分にほめていることになります。
「ドリルの進み方が速いねぇ」「たくさん書いたね」などと速さや量に注目してほめることがあります。こういったほめ方をしていると、勉強にゆっくり取り組んでいるときや少ない量しか書いていないときには、ほめることができません。適切な勉強法は、子どもそれぞれで異なるはずです。
 どんなふうにほめるのがよいのか
 具体的な学習内容に注目して、そのことについて話すのがよいのではないかと考えます。
「“検査”っていう字を習っているんだ。ケンっていう字はたくさんあるから、どのケンか分からなくなったりするよね。」などと言葉をかけます。その声のかけ方が温かく肯定的であれば、学習するという体験そのものがプラスの体験として感じられるのではないかと考えます。体験が肯定的に感じられることによって、次の活動が促されます。
 不登校の子どもも同じです。家で勉強したなどと報告があることも多いと思います。そんなときは、具体的に何を勉強したのか、聞いてみることをすすめます。例えば、「漢字」と答えたとします。そうしたら、「一文字でいいから、昨日やった漢字で何か覚えているのはある?」と聞いてみます。一瞬思い出したり、そこから発展して空書きしてみるなどのやりとりが、子どもの漢字練習の体験を共有することにつながると感じます。
 子どものそばに行く
 子どもの心理的なサポートのためには、大人は子どものそばにいることが重要です。子どもは、身近な大人との関わりの中で身体からの安心感・安全感を体験し、それを基盤として助長していきます。安心感・安全感というものは、基本的に身体的なものなのです。乳幼児は文字通り大人に体ごと抱かれ、心もサポートされます。少しずつ成長するにつれて、身体的な接触は必ずしも必要ではなくなりますが、大人の存在やかかわりを身近に感じることによって、安心・安全を感じるのです。つまり、子どもをサポートするには、「子どものそばに行く」ことが非常に大切です。
 大人の都合に基づいて、子どもを動かそうとする働きかけは、子どもの心のそばまで行ったことにはなりません。子どもの心の動きを感じ取り、つかず離れずの距離を保つことが求められます。そして、大人主導ではなく、子どもの動きに合わせて働きかけたり、子どもの動きを引き出すように働きかけたりすることで初めて、子どものそばに行ったことになります。
≪まとめ≫
 子どもを変えようとすると、アドバイスをしたくなります。ときには、アドバイスをしないことも大切です。子どもが自由に反応し、行動し、振る舞えることが重要です。その点から考えても、アドバイスは逆効果の面があります。本書では、可能な限りアドバイスを避けるような工夫を紹介しました。アドバイスを避けつつ、子どもの相互作用を保っていくことをおすすめします。
 子どもを変えようとする必要はありません。子どもは支援する側との相互作用のある関係の中で自然に育っています。子どものそばにいて、子どもの自由をサポートするようなかかわりを続けることが重要です。

       

2021年8月16日月曜日

花だより カウンセリングの小さな工夫(3) ヒオウギ


 
 子どもの問題を家庭のせいにしない。 
 つながりをつくる
 学校現場で子どもを支援していると、子どもが学校生活の中で困難に直面しているのではなく、家庭生活の中で困難に直面している場合があります。そういった場合、こちらのサポートが子どもの日常生活の中まで届かないと感じることがよくあります。教師やスクールカウンセラーであっても、すべての子どものすべての場面で必要なサポートを行うことはもちろん不可能なことです。しかし、一方で、子どもがサポートされていない場面でこそ、子どもに届くサポートができないだろうか、と感じることがあります。保護者を変えようとするのではなく、子どもをサポートしていくことを工夫しなくてはなりません。
 「知らない」ということを強調する
 子どもと関係を築いたり内面を理解するために、子どもの好きなアニメや小説やアイドルなどについておしゃべりすることは非常に役立ちます。しかし、ここ数年、さまざまなアニメやアイドルが誕生してきています。子どもの話は、名前すら聞いたことのない作品やアイドルが登場することもよくあります。子どもが興味を持ったり好きになったりする作品はきわめて幅広く、われわれがあらかじめ知識を得ておくには限界があります。
 実は、作品やアイドルを知らないということは、子どもを支援する上ではプラスの面があります。相手が知らないからこそ、子どもは、自分の感じ方を話すことに不安が少なくなります。
 また、アニメやアイドルだけでなく、学校のことについても「知らない」ということを活用することができます。多くの場合、すべての子どもの顔と名前や特徴を把握するのは不可能です。他の先生の授業や部活での出来事や雰囲気なども分からないことが多いと思います。知らないことを強調しつつ、目の前の子どもの感じていることに焦点を当てて話を聞いていくことが大切です。

          


2021年8月15日日曜日

花だより 禅の教え ハマナス

 

  禅の教えで美しい人をつくる 
      「所作」の基本  枡野 俊明 著
 禅というものは、余計なものを極限まで削ったシンプルさのなかに本質を突く鋭さと深さ広がりを持ったものだと思う。心を整えるために、まず自らの所作を整えることから入るのが禅の修行です。
○よい所作がよい縁をもたらす
○多くのものは簡素になればなるほど美しい
○イライラしている人に所作の美しい人はいない
○便利さや効率ばかり追うと美しさから離れる
○日常の全ての動作をおろそかにすると心は乱れる
○手の所作は心のあらわれ
○人物判断の際に足下は100%チェックされる
○ゆっくり季節を感じながら歩く
○箸や器を大切に使えば所作は自然と身につく
○着ているものはあなたの心をあらわす
○日本人の持っている色の感性を見直す
○華道の心を知り 花を飾る
○過去のことを悔やまない 将来のことを不安に思わない
○あいさつの力を知る
○美しい文字を書く
○感謝は感じたときにすぐ伝える 
○もてなしとは、もてなす側も もてなされる側も力量が問われる
○どんな立場の人にも敬意を持って話す
 所作を磨くと心も体も人生も輝くのです。



花だより カウンセリングの小さな工夫(2) オオハンゴウソウ

 

「一瞬で良い変化を起こす」~“カウンセリングの小さな工夫”ベスト50~
        すべての教師とスクールカウンセラーのために(2)  
 👀教師の言葉かけ一つで子どもの反応が変わります。ベスト50の中から、いくつか紹介しますので、参考にしてみてください。 
 不思議がってみる
 子どもを支援するときには、子どもの行動や考えの理由を知りたいと思うことがよくあります。理由を聞こうとして、×「どうして○○なの?」と質問することがあると思います。一般に、「どうして○○なの?」という質問では、質問された側が非難されたとか否定されたと受け取られ、子どもからの自然な反応が得られにくいと考えられます。
 こんなときは、◎「どうして○○なんだろうねぇ~…」と不思議がってみることをすすめます。一緒に考える姿勢をつくることが大切です。
 “そのあと”どうしたかを聞く
 子どもからの相談を聞いていると、出来事のいきさつについて、最後のほうのことは語られないことが非常に多いと感じます。語られていないその先の時間に目を向け、子どもがその時間をどう過ごしたかを聞くことも重要です。
 子どもの話を聞いていくと、表面的には混乱した激しい感情が生じていることがあっても、その背後には、孤独や自己嫌悪、悲哀などの感情が隠れていることが多いものです。子どもが語るエピソードの“そのあと”どんなふうに過ごしたかを聞くことによって、隠れている子どもの姿に触れることができます。その時間の子どもこそ、サポートを必要としていると感じます。
 細かな内容は( )でくくって受け取る
 子どもによっては、細かなエピソードを途切れずに話してきて、こちらの理解が落ち着かないことがあります。例えば、友人関係のトラブルなどの相談の場合、きわめて込み入った話になることがあり、こちらの理解が追いつかないことがあります。
 こういった場合は、語られている内容を丁寧に理解する必要はありません。話をきちんと聞いて理解することが重要と考える方が多いかもしれません。しかし、事実関係や出来事よりも、話している子ども自身の心の動きが一番大切なのです。出来事や人間関係そのものは、思いどおりにコントロールすることができないからです。中身に深入りせず、子ども自身がどう思うのか、どう感じるのかということを焦点にして話し合っていくことが重要です。
 否定的な内容は、できるだけ細かく具体的に聞く
 子どもの相談を受けていると、同級生や担任の先生、学校に対して否定的なことを言うことがよくあります。一般的には、人を非難することはよくないので、否定的なことを言うことをやめるように諭します。しかし、指導して否定的なことを言わなくなったとしても、子どもの中にある否定的な気持ちが変わったわけではありません。対処ができることには適切に対処し、できないことについては心の整理を進めていく必要があります。そのためには、言わせないようにさせるのではなく、より具体的に詳しく語るように促すことが重要です。
 本人がつぶやくような言い方で質問する
 学校を欠席がちになっている子どもの話を聞いていると、「学校のどんなところがイヤなの?」と質問したくなります。そういった場合、こちらの頭の中に生じた疑問をそのまま質問するのではなく子ども自身でつぶやくような言い方で質問することをすすめます
 例えば「こんなところが学校に中で特にイヤだなぁ…、とかってあるかな?」などと、質問ともつかないような雰囲気で投げかけてみます。もし、その言葉を受けて、「エエ~、イヤなところは…」と語り始めたら非常に良い展開です。
 そもそもカウンセリングは、尋問や取り調べではありません。こちらが子どもを理解することよりも、子どもが自分自身で自分を理解していくことが重要です。そのため、情報を集めるために質問するのではなく、子どもが自分を見つめるように促す質問をすることが重要です。
 どんなときに聞く?
 子どもをめぐって何らかのトラブルが生じたときには、その背景や理由を知りたいと思うものです。しかし、子どもに背景や理由を質問しても、今までに話されたことやすでにわかっていることの繰り返しになってしまい、先に進めなくなってしまうときがあります。
 こういった場合は、例えば「今日は、どんなときに、イヤなことを言ってきたの?」と限定して聞いてみることをすすめます。そうすれば「○○の時間に…」と返ってくるかもしれません。そうすれば「○○の時間の何をしているときにイヤなことを言ってきたの?」とさらに詳しく聞いてみることができます。そこから背景や理由の理解につなげることができます。


2021年8月14日土曜日

花だより カウンセリングの小さな工夫 夏景色

 

「一瞬で良い変化を起こす」~“カウンセリングの小さな工夫”ベスト50~
   すべての教師とスクールカウンセラーのために 
 
    学校心理士スーパーバイザー 臨床心理士 公認心理士 半 田 一 郎 
 本書は、いわば「わが家の手間なし簡単おかずレシピ!ベスト50」というような本です。つまり「煮物は本来、こんなふうに作るものですよ」というレシピではなく、「こうやってつくると、(それなりに)おいしい煮物が簡単にできますよ」という提案です。
 毎日の家で食べる食事が成長と健康を支えています。子どもへの支援も同じです。専門機関のカウンセリングも子どもに役立つのですが、子どもの生活の場である学校の中で行われる支援やカウンセリングこそ、子どもの成長と健康を支えているのです。
 ≪面接中盤(理解編)≫
 面接では、子ども自身や子どもの置かれた状況を理解することが必要になってきます。
 理解を深めるためには、子どもから話をよく聞くことが基本になります。しかし、子どもの話は、子どもが自分なりにとらえた状況について終始することがほとんどです。こちらが子どもを理解するために必要な情報が、子どもの話から得られるとは限りません。子ども理解のために必要な情報を得ていくための工夫が求められます。
 本当にイヤなものを理解する
 子どもが直面している問題は、大人の目からは単純に見えるかもしれませんが、大人のとらえた問題と子どもの実感とはかみ合っていないこともあります。本人もよく分かっていないことがあります。子ども本人の感じていることに基づいて、直面している問題を理解していくことが大切です。
 例えば、「算数がイヤだ」という子がいます。ところが正確にとらえると、算数がイヤなのではなく、イライラしてしまうような活動が嫌いだとしたら、対処法は大きく異なります。(続く)


2021年8月13日金曜日

花だより 教員免許更新制を廃止へ教員の負担重く文科省が検討 ゴーヤー

 

 昨日12日、北見工大で行われた教員免許更新講習の講師の務めを終えました。講義名は選択必修「国の教育の動向」、受講者はこれまで多くても10名くらい(定員20名)でしたが、コロナ禍もあって3名でした。受講者からは、「面白い話や知らなかったことがたくさんありました。講座名を変えたらどうですか。堅いイメージなので、別な講座名にしたら、もっと受講生が集まると思いますよ。」と言われました。
 受講生が心配していたのは、この制度が廃止されるかもしれないということです。
 教員免許更新制を廃止へ 教員の負担重く文科省が検討
 小中高校などの教員免許を10年ごとに更新し講習の受講を義務付ける制度について、文科省が廃止を検討している。講習時間の確保や費用が教員の負担となっているうえ、教員の能力向上への効果が低いと判断。中央教育審議会での議論を踏まえ、来年の通常国会での法改正を目指す。
 萩生田文科相は3月、教員免許更新制の「抜本的な見直し」を中教審に諮問。制度のあり方について議論が進められてきたが、同省は今夏にも廃止案を示す見通しだ。
 ただ中教審には制度を改善した上で存続させるべきだとの意見も根強く、同省は議論を見極めたうえで最終的な結論を出す。早ければ来年の通常国会に、教育職員免許法の改正法を提出する。(読売新聞7月11日)
 北見工大での講習を管轄している北海道教育大旭川キャンパスの担当者は、「確かに大学の負担は大きいですが、受講者のアンケートでは、不満よりも勉強になったという好意的な評価がほとんどです。」と言っていました。11年前に安倍首相の肝入りで始まった制度です。当初から反対が多かったのですが、お辞めになったので、言いやすくなったのでしょうか。どんな結論になるか楽しみです。
 

2021年8月12日木曜日

花だより 向き合うとは? オニユリ

 


  「向き合う」とは
         兵庫県尼崎市教育委員会管理部職員課(管理主事) 石 川  一
 「子どもと向き合う時間がとれない」「子どもの悩みに向き合うことが大切」などと、生徒指導の場面での児童生徒とのかかわりを考えたときに頻繁に使われる言葉です。しかし、「向き合う」とは、具体的にどうすることなのでしょうか。
 今日の社会においては効率よく結果を出すことが求められ、問題解決のために手早く正解を得ようとする傾向が見られます。そのせいで、解決が難しいと思われる問題に出合うと、思考停止に陥り、通説や多数意見に飛びついてしまうことが少なくありません。正解と見えるものであっても、こまやかに内容を吟味し、さまざまな場面に当てはめて妥当性を検証することが必要です。解決できない(できそうもない)問題から目を背けず、答えの出ない宙ぶらりんの状態の中で粘り強く問い続ける姿勢こそが「向き合う」ということなのでないでしょうか。
 子どもたちが信頼する先生は、一緒に遊んでくれる楽しい先生、何でも分かってくれる先生ばかりではありません。悩んだり、時には弱みを見せたりする先生も、信頼される先生です。自分がどれほどのことができるのか、と自らのありようを愚直に問うことができる教師こそが、子どもと誠実に向き合うことができる教師であると考えます。
 大事なことは、教師自身が児童生徒の行動を見るときの自分の立ち位置に気づくこと(自己覚知)です。問題の原因を本人や家庭に求めるのではなく、子どもと教師は相互に影響し合うという認識に立ち、問題を理解しようとする姿勢が求められます。子どものためにと思って行った行動が期待通りに受け止められなかったときこそ、自分を見つめ直して子どもとの関係に気づき、信頼関係を築こうとする気持ちを持ち続けることが、子どもと「向き合う」ということにほかならないと考えます。

2021年8月11日水曜日

花だより 理で説き 法で押え 情で動かす ヒマワリ

 

 理で説き 法で押え 情で動かす
 理論や理屈で理解させようとしても 法律や規則で押えようとしても なかなか人は思うように動かない。人は情で動くものだから…。
 校長の心構えとして、理で説き、法で押えることも必要だが、人間最後は情で動く。校長の人間性が大事。人間関係を築くことが大事だという教えである。
 🤷‍♂️2020東京オリンピックのマラソンが札幌で開催された。東京と変わらない暑さに批判があった。また無観客開催、沿道での観戦自粛を呼びかけたが、多くの人が集まった。
 人々は、コロナが拡大しているのも自粛要請があるのも知っていたが、自国開催のオリンピックを一目見よう、日本の選手を応援しようと集まった。
 🤦‍♂️お盆の帰省も今年は控えるようにお願いしているが、人の流れは止まりそうもなく、感染拡大は必至だ。
 こども園の園児は、理屈や法律、規則など分からない。感情の赴くままに行動するが、先生の言うことはしっかり聞く。どうしてだろう?

2021年8月10日火曜日

花だより 観音様 サルスベリ

 

 お盆特集2
 観音(自在)菩薩は、簡単にいうならば、広く世音を心で観、心で聞いて、苦しんでいる人、悩んでいる人を救うという誓いを立てた菩薩のことをいいます。
 ~観音様はなぜ偉い~ 
「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、仏、無尽意菩薩(お釈迦さん)に告げて曰く、「善男子(善、良な男)よ、もし、多くの衆生が諸々の苦悩を受けたとき、一心に観音さんの名を称えるなら、観音さんは直ちにその音を聞いて、その苦しみより救うであろう…」とあります。
 光は誰でも見られるが、観音様は、音を目(心の目)で観ることができるのです。半眼と同じくものの真実を見通すことができるということです。
 評価事務の時期になるといつも思っていました。子ども一人一人きちんと観ていただろうか?と・・・人が人を評価することは難しい。しかし、教育活動である以上その結果をきちんと評価し、知らせることは教師の務めです。観音様のようには成れないにしても、そうした目や心で子どもたちを観ていかなければならないと思うのです。


2021年8月9日月曜日

花だより 半眼(見えないものに思いを馳せる) トロロアオイ

 

 お盆特集
 半眼(はんがん)とは読んで字のごとく、眼を半ば開くことです。仏教的にいえば、半分は外の世界を見、そして、半分は自己を見つめる、あるいは目には見えないものを見る(考える)ということです。 
「私は宗教を信じない」と明言する人は、大金や宝石、それに美しいスタイルやご馳走など、目に見えるものにばかりに注意を奪われ、他のことには目をつぶった生き方をしているのではないと思います。
 目に見えるものには注意を払い大切にするのは当然ですが、一方で目に見えないもの、例えば、子どもの将来を大切にするという両面性を備えた生き方が大切です。 
 仏像は、ほとんど半眼になっています。これは仏像に向かって手を合わせている人々を優しい眼差しで見つめてくださる、と共にその人々のためになる何かを思案してくださっているということです。仏像は単に見えているものだけを見ているのではなく、見えないものにも思いを馳せるという姿勢がはっきりと表れています。 
 坐禅も本来は半眼です。要するにもっとも大切なことは、自分の内側と外側との両方を見ようという半眼の心がけです。いずれか一方に偏ってはいけないし、もちろん一方を遮断する(目をつぶってしまう)ことは許されないのです。子どもの見方と同じです。
  😃いろいろあった2021東京オリンピックが閉幕しました。目に見える選手皆さんの活躍に私たちはテレビを通して感動しましたが、閉会式では、表に出ない大会を支えてくれた多くのボランティアの人々に感謝の言葉がありました。お偉いさんの不祥事を彼らが救ってくれました。


2021年8月8日日曜日

花だより 怯まず 驕らず(奢らず) 偏らず カノコユリ

 

  ひるまず    おごらず      かたよらず
  怯まず 驕らず(奢らず) 偏らず

 怯めば元の木阿弥、奢れば子どもが見えず 偏れば信頼を失う
何事も怯まず立ち向かい、常に子供のことを考え、どの人(子・親・地域)にも公平に接し、信頼を得る努力をする。

 

2021年8月7日土曜日

花だより お盆の供養 クサキョウチクトウ

 

 本当の供養 お盆のお勤め お寺さんの話
 一人暮らしのおばあちゃんのお宅を訪問したときのことです。どこの家庭でもお盆になると、仏壇には亡くなられた方の好物や果物などたくさんのお供え物があがります。ところがそのお宅には、薄く切られたリンゴが2切れしか乗っていないのです。おばあちゃんに聞くと、りんごは亡くなったおじいちゃんの好物でした。しかし、歳をとって歯が弱くなってからは、堅いりんごは食べづらく、いつも食べやすいように薄く切っていたのだと言うのです。生前と同じくりんごを食べやすいように薄く切って、「さあ、召し上がれ」と言わんばかりに爪楊枝をさしてお供えしてあるのです。
 豪華なお供えがたくさん並べられていてもラップにくるんだままのお宅が多い中、質素ではあるが亡くなったおじいちゃんを偲ぶおばあちゃんの優しい気遣いを見て取りました。これが本当の供養なのです。
 お盆が近づいてきました。コロナ禍で故郷に帰れずお墓参りもできない状況ですが、お盆や供養の意味を考え直す機会になればいいと思います。お寺さんのお説教には、なるほどと思うことが多く、教育に通じるところがたくさんあります。


2021年8月5日木曜日

花だより いい情報を流す 日日草

 

 「いい情報を流す」 
 参観日、学級懇談会、講演会、PTA研修会は、来てもらいたい保護者は来ない。
 スマホについて、学校だよりで何度も問題提起をしました。関心があって読んでいる保護者は理解してくれるはずです。しかし、問題は、関心が無く、学校だよりも読まない人です。「学校だよりを出しても、たいした効果はない。」という人もいますが。
◎気動車の馬力をUPして、客車を引っ張る 
 「あいさつをしない子がいます。きちんとしましょう!」とできないことを指摘するより「毎朝、きちんと『校長先生、おはようございます』と深々と頭を下げてあいさつする子がいます。朝から気持ちがいいです。」という方が効果はあります。
 保護者のほとんどは良識のある立派な親だと思いたいです。学校だより(学校広報)は、テレビや新聞報道と違い、悪いことはなるべく書かないで良い情報を伝える。問題提起をすることで、良識ある保護者に共感してもらい、良識ある保護者を増やす。そのことで信頼される学校につながると考えます。
 ◎やるべきことをきちんとやることが学校の信頼につながる
 法務局の人権擁護委員が来校しました。「いじめに合うので、学校に行かせられない。学校は何もしてくれない。」と保護者から法務局に電話があり、事情聴取に来たのです。担任は、これまで何度も家庭訪問を繰り返しています。また、教育委員会の立会のもと、この保護者と不登校の解決に向けて話し合いを持ちました。学校の対応は、逐一教育委員会に報告しています。こう説明すると人権擁護委員の方も学校に落ち度はないことを理解してくれて、「保護者に話をしてみます。」と言ってくれました。このように学校としてやるべきことをきちんとやって、誠意ある対応をとることが大事です。


2021年8月4日水曜日

花だより 観劇代免除? チングルマ

 

◇母子家庭・父子家庭 問題行動のほとんどが片親?
「準要保護家庭は観劇代を免除します。」と劇団側から言われ、「100名近くいますが、本当にいいですか?」と担当者が念を押すと「ちょっと待って下さい。東北地方の同じ学校規模では10人くらいしかいなかったものですから…。すみませんが、それではいただきます。」笑えない話です。
 本校の生活保護家庭と準要保護家庭を合わせると全体の23%をめています。全国平均を遥かに超えています。その内母子家庭のほとんどが対象になっています。 
 問題行動の絶えない子の親を召還して話をしました。着ている服、言葉遣いがいかにもヤンキー風です。刺青もちらっと見えました。大柄のお母さんでしたので、「学生時代、何かスポーツをされていたのですか?」と聞くと、「学校には、ほとんど行っていないから…。」学校や先生に良い思い出は無いようでした。母子家庭で生活保護を受けていましたが、持っていたバッグはブランド品でした。帰りは、挨拶もなく爆音を残しヤンキーな車で走り去っていきました。「なるほどなあ!家庭環境に原因があるのかな?」とため息が出ました。担任には、毎日優しく声掛けをする。休んだ日には必ず家庭訪問をするように言いました。

2021年8月3日火曜日

花だより 片親だから問題なのか? 侍Japan甲斐選手 サギソウ

 

  
◇片親だから問題なのか? 
 問題行動の繰り返す女の子がいました。母親に言っても埒(らち)があかないので、祖母を呼ぶことにしました。やってきたのは、私より遙かに年下の茶髪で今流行の破れたジーンズを履いたおばあちゃんには見えないおばちゃんでした。同じく生活保護を受けているので「孫の面倒を見ることはできない。」とそのおばあちゃんは言いました。結局、その子は児相預かりになり、施設に送られました。負の連鎖は、どこかで断ち切らなければならない。きちんとした教育を受けさせなければならないと思いました。それが私たちにできること、やらなければならないことです。
 教頭時代、校長先生に連れられて行ったスナックで「このママは偉いんだぞ!女手一つで一人娘を医大に入れたんだからなあ!」と校長先生は上機嫌で教えてくれました。片親だから、親が水商売をしているからということが問題ではありません。
 保護者の様々な問題を抱え、その現実と向き合っています。悩み、日々戦っています。そんな保護者に、寄り添い、力になってあげたいと思います。
 東京2020「侍Japan」昨夜の準々決勝アメリカ戦、同点で向かえた延長10回で決勝打を打った甲斐選手は、幼いころ両親が離婚、母親は、子どもに何かあったも、すぐに駆け付けられるようにタクシーの運転手になったそうです。そして、好きな野球をやらせてもらった。母への恩返しのためにプロを目指しましたが、ドラフトにはかからず一軍の試合には出られない育成選手としてソフトバンクホークスに入団。しかし、そこから這い上がって、日本一4連覇の立役者「甲斐キャノン」と呼ばれる強肩キャッチャーとなりました。オリンピックでの活躍で一番喜んでいるのは、お母さんだそうです。片親でも立派な人はたくさんいます。 


2021年8月2日月曜日

花だより 朝から爆睡? アサガオ

 

 朝から爆睡? 
 最近の子どもを見ていると頭を傾げたくなることが多くある。
 遊び疲れて、給食を食べると午後から眠たくなる。だから、保育所ではお昼寝の時間がある。入学間もない1年なら、それも分かるが、1時間目から、職員室に来て寝てしまう子がいる。寝不足で機嫌の悪い子は、1人2人ではない。聞くと「12時近くまで、宿題をしていた。」と嘘をつく。本当は、ゲームをしていたのだ。「遅くまで、家族で居酒屋に行っていた。」と正直に答える子もいる。朝ごはんを食べてこない子も多い。
 その多くは、障がいを抱えている子だ。障がいを抱えた子を持つ親の大変さは分かるが、障がいのある子こそ、規則正しい生活習慣が必要なのに、甘やかし、放任、過干渉など親の非常識な行動には目を疑いたくなる。特別支援の先生には、子どもへの教育以上に保護者対応が求められる。特別支援教育の難しいところである。

2021年8月1日日曜日

花だより 支えてくれた、応援してくれた皆さんのおかげ サクランボ

 日本人選手の快進撃が続いているオリンピック
 メダリストのインタビューで必ず口にするのは「これまで支えてくれた、応援してくれた皆さんのおかげ、そして、このような中で開催してくれたことに感謝したい。」
 卓球女子シングルスで初めてメダルを獲得した伊藤美誠選手の専属コーチの松崎さんは、静岡県豊田町の卓球スポーツ少年団で伊藤選手を指導していた。中学入学時に大阪に拠点を移す際、専属コーチを依頼された。地元で会社員をしていて迷ったが「トップ選手を指導する機会は、そうそうない。」とついていくことを決断した。
 情報分析は徹底し、練習、試合、相手と分類し記したノートは100冊を超える。準備で睡眠時間が約1時間になることもざらだった。こうしたコーチの支えが快挙に結実した。
(7月29日読売新聞から)
 メダルを取るには、個人の力だけでは無理。コーチだけではない、選手専用の用具、ウエアーなど、スポーツメーカーの存在も大きい。科学的分析をする大学などの研究機関との連携も必要だ。そして何よりお金がかかる。有力選手にはスポンサーは付くが、全ての選手に付いているわけではないし、メダル候補であってもマイナーな競技では難しい。
 中国選手は、全て国が面倒見てくれる。それと対等に戦ったのだから、銅メダルでも価値はある。しかし、彼女に笑顔はなかった。「この涙は、悔し涙です。」ときっぱり言った。まだ彼女は20歳、次もその次もある。