教務主任時代の一番の仕事は、授業時数の計算で、如何に授業時数を確保することだった。それは「ゆとり」の確保であり、学力を向上するための必須だった。ところが、今は働き方改革で標準授業時数を超えてはならないという。さらに長期休業も50日から56日になり、夏休みも延長される。それで本当に「ゆとり」が生まれるのか?と思ってしまう。
教員こそクリエーティブな仕事はないと思っていたが、それは遠い昔の話である。まだ自分が新卒のころは、「学級王国」と言われ、個性的な教員が多くいて、独特の学級経営をしていた。それにより教員同士の切磋琢磨があった。当時は、それに対して管理職からとやかく言われなかったように思う。ところが、今は授業妍をすれば、「学習指導要領のどこにそんなこと書いてある?」、板書の仕方、ノートの取り方、学習のルールまで、こと細かく決められていて、それをしないと指導が入る。だから教師は、決められたことを決められた通りにやるようになる。マニュアル教師と呼ばれる所以だ。
さらに日常的な時間外勤務と理不尽なことを言ってくる保護者対応が加わっている。精神疾患を患う教師が増えるはずだ。そんな先生が「キャリア教育」をするのは、チャンチャラおかしい!ルールを守らず、規則で押さえられる子どもたちは、反発して暴れるのも当然だ。
教員の働き方改革では、仕事内容の精選を訴えているが、根本的な問題として、これまで文句も言わずにやってきたのは、教師としてのやりがいの上にサービス残業があったからだ。働き方改革の真の狙いは、モチベーションを上げることでなければならないはずだ。
学習指導要領を読んでも、細かく具体的にこう指導しなさいとは書いていない。ところが学校に降りてくるとなぜか変わってくる。教育は、教師の自主性と創造性に負うところが大きい。だから4%の教育特別が付いたはずだ。
教員から自主性と創造性を奪ってしまうから、教員を志す者がいなくなった。労働時間の時短も大事だが、根本的なところを大事にしてほしい。
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