2024年1月31日水曜日

花だより エネルギーの高い子どもを育てる条件 ミスモソウ

 

 エネルギーの高い子どもを育てる条件
① 貧困と理不尽(不条理)体験があること(親は与え過ぎない)
② 緩やかな生活空間・ゆっくり流れる時間の中で過ごすこと(テレビやタブレット、スマ
 ホのつけっ放しは控え、じっくりと何かに関われせる)
③ 群れの中で多様性を身につけること(幼児期から学童期にかけて、自由度の高い環境で
 群れ(集団)体験をさせる)
 現代は、荒ぶる野生児のような元気な子どもが育つ環境ではなくなったし、それを目指す必要はない。それよりも、母親との密着状態が大人になっても続く状況であり、安定感のある子どもは育ちやすい。そして、飽和した社会には飽和した社会であるからこそ、多様なシステムが存在するので、それらを親は賢く利用すること。子どもは用意されたシステムを自分なりに選び取り、群れ体験や自由な遊びができる環境を得て、主体的に目標を目指すような子になれば、エネルギーの高い子に育つのではないか。少なくとも、与えられた枠組みの中で元気に頑張る芯の強い子は育つと考える。そういう時代なのだ。

2024年1月30日火曜日

花だより 現代の家族 エンドウ豆

 

 現代の家族(子ども)
 今やお掃除ロボットに代表されるように豊富な家電や便利グッズにより負担のある家事から解放され、母親は仕事を持ち、子育ては幼児施設に預ける時代となりました。しかも、家族は夫婦よりも親子関係が中心で、家族自体が子ども中心に回っている。子どもは常に大人に世話をされ続け、お稽古ごとでも大人に世話をされ、指示を受け、与えられたシステム内で過ごすことになる。親の世話と大人のシステム、そして、モノと情報に溢れた状況で子どもは育つ。大切に飼われている羊のような生き方(言われるままに素直に枠の中で生きている)ともいえるし、極端に言えば、自分から自発的に動かなくとも、全てを他者が与えてくれてスクスク育ち、手足ばかりがツタのように伸びていく植物のような生き方ともいえます。それが、素直で、優しく、指示待ちで、親離れせず、穏やかで無理や冒険をしない子どもを育てることになります。「さとり世代」と呼ばれる若者が育つ現代の家族状況で育てられる子どもが大多数になっているのです。

2024年1月29日月曜日

花だより 養育格差社会 ハナアナナス

 

「養育格差社会」
    ~親の養育態度で子どもの人生が決まる社会
            青山渋谷メディカルクリニック名誉院長 鍋谷 恭孝
 問題のある家族・親子関係で育てられる子どもたち
 家庭として最悪なのは機能不全的家族である。子どもを虐待にさらしたり、駐車場に置いたままパチンコをしているような親である。親自身が未熟なため適切な関わりができす過放任の状況で育てられた子どももいる。このような状況で育てられると、子どもは深い問題や傷を抱えて育つ。また、荒れた性格にはなり得ても健やかな元気な子にはならない。
 ここまで深刻な子育て状況ではないが、神経症的な子を生む親の関わりもある。家庭自体は安定しているものの、共感的能力の低い親であったり、何らかの期待や強い思い込みがあったり、逆に不安が強くおろおろしながらの子育てであったり、溺愛しすぎで何でも子どもの要求をかなえすぎたりするような親も多くなっている。このような親に育てられると、萎縮した子ども、こだわりの強い子ども、不安の強い子ども、他者に過敏に反応する子ども、自己中心的な子どもに育ちやすい。長じてひきこもりや社会不安障害(対人不安の強い子)になりやすい。(要約:牧野)

2024年1月28日日曜日

花だより 「あいさつ」はなぜ必要なのか? ストック

 

 最近、M1チャンピオンになった「錦鯉」(北海道出身長谷川)の「こんにちわ~」のお陰で、子どもたちが「こんにちわ」と挨拶するようになりました。また、女性お笑い芸人「やすこ」の口癖(?)「はい~」もそうです。
『あいさつで人を大切に』 
 ~宮城県気仙沼市のやり取り~  
女:あれー、こん早くにどごさ行ぐの~。
男:仕事すさ。商売で行ぐどこさ。
女:あ~、ほんと。あ、んで、行ってだいん(いってらっしゃい)。
男:はい、まいどど~もね~。
女:はい~。
 このやり取りの中に、朝なのに「おはよう」の一言がありません。
 「おはよう」は、日本人にとって朝の習慣であると思い込んでいますが、実はそうでもなく、東北や九州、沖縄では、お決まりのあいさつを交わさない地域があります。
 定型的な挨拶表現ができあがって、広めたのは、京都や大阪、そして、江戸・東京という文化の中心地でした。しかし、そうした挨拶習慣が日本の隅々まで行き渡っていないのです。
 東日本大震災で気仙沼を訪れた関東の介護師が、避難所で「おはよう」と声をかけても地元の人は「おはよう」と返してくれない。「今日は早いね~。今来たの」といきなり本題に入ってきて驚いたというのです。
 挨拶はきわめて社交的な言語活動です。相手と良好な関係を築いたり、維持したりするために挨拶はあります。さまざまな立場の人々が共存し、見ず知らずの人たちが入り込む不安定な社会にこそ挨拶は必要となるのです。しかし、よく知った者同士が暮らす地域社会では、そもそも挨拶を交わす必要性は低いのです。挨拶は社会の複雑さを反映する指標であると言えます。定型的な「おはよう」という挨拶表現より、「どこへ行くか」、「早いな」、「出かけるのか」と言うのが礼儀という地域があると言うことを知るべきで、この方が相手を思いやる気持ちが伝わるです。共通語の感覚で礼儀を欠くと評価してはいけないということです。北海道は、東京や京都から遠く離れていますが、よそ者の集まりなので、挨拶は欠かせない言語活動です。

2024年1月27日土曜日

花だより 子どもを伸ばす「お手伝い」 エリカ

 

 
 いま、子どもたちに人気の『キッザニア』は、約100もの職業を子どもたちが疑似体験、社会体験できるというところです。たしかに子どもは楽しめるかもしれません。しかし、これではただのテーマパークです。
 《働くことの本物の体験は、もっと身近な日常の中にある》
 たとえば夕食のあとに、お母さんとかたづけをする。お母さんが食器を洗って、お姉ちゃんがふいて、妹がそれを食器棚にしまう。「ああ~、きれいになったね~。片付いたね。」そうやって喜びや苦労をともにする。それが大切な家族の“協働”作業なのです。
 忙しい農家の子は、家の手伝いをするのは当たり前でした。
「お母ちゃん、今日は何を手伝うの?」
「このうねにずっと種まきをしてほしいけど、できるかな?いま、お母さんがお手本を見せるからね。」うまくできると、「お母さんのお手伝いがなんでもうまくできるようになったねえ~。」その一言がとってもうれしかった。やがて母と汗をかきながら泥だらけになってまいたホウレン草が大きくなって収穫する。そのホウレン草の美味しかったこと。
 『キッザニア』には、そんな汗をかいて働く喜びはありません。畑仕事を手伝うことは当たり前だった子どもの頃と、今の時代は違うけれども、働くとはどういうことなのか。どれだけ大変で、素晴らしいことなのか。それは今も昔も変わりません。お母さんのお手伝いをするだけで、子どもには十分伝わるのです。こう言うのは尾木ママです。
 子どもがお手伝いをするとどんなメリットがあるのか?
1 達成感を味わい、責任感が培われる。
2 親子のコミュニケーションが深まり、きずなが強くなる。
3 生活力のスキルアップにつながる。
4 手順や段取りを考え、思考や工夫する力が高まる。

2024年1月26日金曜日

花だより 校長が命を下すとは セントウソウ

 

  命を下すとは 
 校長がこうしたいと思うことを職員に命じて、その命のままに自在に職員が動くということは、事を運ぶうえにおいて、きわめて大事なことではあるけれど、命になれて、いつのまにか命がなければ職員が動かないということになっては、これは大変である。こんな硬直した学校では、進歩も発展も生まれない。ただし、そんな学校はないと思うが…・
 たとえ命令がなくても、以心伝心、校長の意を汲んで、それぞれの職員が適時適確にすすんで事を運んでゆく。こういう柔軟な姿のなかにこそ、かぎりない発展性が生まれてくる。
 そのためには、命を下す前に、まず職員の言うことに耳を傾けることである。まず聞くことである。聞いた上で問うことである。そして、そこに校長の思いと異なるところがあれば、その気づかない点を気づかせ、思いに至らない点の理非を説く。そうした納得の上に立って、断固、命を下さねばならない。命を受ける人が納得するということは、その人の知恵がそれだけ高まったということである。わけのわからないままに命に従わせていたのでは硬直する。命を下すということは、そんな容易なことではない。と肝に銘じることだ。
(経営の神様:松下幸之助訓から)

2024年1月25日木曜日

花だより 半眼(宗教を信じない???) シンビジウム

 

半眼(はんがん)とは読んで字のごとく、眼をなかば開くことです。仏教では、半分は外の世界を見、そして、半分は自己を見つめる、あるいは目には見えないものを見る(考える)ということです。
 「私は宗教を信じない」と主張する現代日本の多くなりましたが、宗教を信じない」などと明言することは、世界的に見るとかなり恥ずかしいことです。そういう人ほど、大金や宝石、それに美しいスタイルやご馳走など、目に見えるものにばかりに注意を奪われ、他のことには目をつぶった生き方をしているのではないと思います。
 目に見えるものには注意を払い大切にするのは当然ですが、一方で目に見えないもの、たとえば子どもの将来も大切にする両面性を備えた生き方が大切です。
 仏像は、ほとんど半眼になっています。これは仏像に向かって手を合わせている人々をやさしいまなざしで見つめてくださる、と共にその人々のためになる何かを思案してくださっているということです。仏像は単に見えているものだけを見ているのではなく、見えないものにも思いをはせるのだという姿勢がはっきりとあらわれています。
 坐禅も本来は半眼です。要するにもっとも大切なことは、自分の内側と外側との両方を見ようという、半眼の心がけです。いずれか一方に偏ってはいけないし、もちろん一方を遮断する、目をつぶってしまうことは許されないのです。教育に通じるものがあります。
 *葬儀のときのお説教は、ありがたく聞くことです。

2024年1月24日水曜日

花だより 伊達政宗五常訓から学ぶこと 林檎

 「伊達政宗五常訓」に見る人生の奥義
 一 仁に過ぎれば弱くなる 
 二 義に過ぎれば固くなる 
 三 例に過ぎれば諂いとなる
 四 智に過ぎれば嘘をつく 
 五 信に過ぎれば損をする
 気長く心穏やかにして、この世に客が来たと思えば何の苦もなし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日行くのを送り、子孫兄弟に良く挨拶し、娑婆(現世)の御暇申すがよし。激動の戦国の世をたくましく生き抜いた政宗の研ぎ澄まされた境地を見習いたいものです。
 何事も過ぎるのはよくない「適度」が大事だということだろう。「適度な運動は健康によい」という、ところがこの「適度な運動」は、年寄りと若者では異なる。「適度」とは、「ちょうどよい」「ほどよい、適当な程度」とある。「適当」とは、「ちょうどよいさま」「いい加減なぞんざい」という2つの意味がある。「お酒はほどほどに…」という言葉もある。その「ほどほど」がよくわからないのである。

2024年1月23日火曜日

花だより 子どもに望むこと オンシジウム 

 

 「子どもに望むこと」
 能登半島地震で輪島市の教育委員会は、中学生の集団避難を決断しました。学力テスト全国1位の石川県ならではのことだと思います。
 どんな親も子どもには、・健康と長寿・性格のよさ・豊かな人間関係・物質的な充足・充実した仕事に就くことを望んでいます。親は、子どもの衣食住について恵まれることを願っています。例えば、十分な食べ物、きれいな飲み水、清潔な衣類、安全な寝場所、暑さと寒さを凌ぐ冷暖房などです。加えて、子どもが人間関係について恵まれることも願っています。いろいろな話ができる友だち、いっしょに働いて目標を達成できる同僚、人生について教えてくれる師。また、子どもが立派に仕事をして充実感が得られることも願っています。そして、子どもが立派な人格を形成することを何よりも願っています。正直さ、貞節、忍耐力、親切心、心の平和、喜び、愛情、郷土愛、ボランティア精神などです。
 ところが、面と向かってこんな話を子どもにする親は少ないでしょう。しかし、こんな人物になって欲しいという思いを具体的に伝えるべきです。緊急事態でも冷静さを保つこと、他の人の不幸に同情すること、不正に対して怒りを感じること、困っている人を助けること、などなどです。
 折に触れて子どもと希望を分かち合うことです。子どもは親が自分の将来のことを思ってくれていることに感謝し、自分の将来について真剣に考えるようになります。しかし、過度な期待はしないことです。

2024年1月22日月曜日

花だより ウェルビーイングと「生きる力」 ワカサギ タラバガニ


 金田一さんが、「カタカナ語が多く含まれる外来語は、新しくカッコいい。時代は移り変わりますから、新しいものを受容するためにカタカナ語が増えるのは仕方ありません。流行を作るために新しい言葉が必要なのです。」と言っていますが、教育界にまた新しいカタカナ語が加わりました。「ウェルビーイング」です。
 教育は何のためにするのかというと、「子どもたち一人ひとりと社会全体が、現在から将来にわたって幸せで満ち足りた状態となるため」ということです。 逆に言うと、個人も社会もウェルビーイングな状態を実現することが、教育の目的そのものなのです。
 “教育”にウェルビーイングが求められる背景としては、子どもたちの抱える困難が多様化・複雑化していることや、持続可能な社会の創り手育成に向け自己肯定感を高める必要があることなどが挙げられています。
 これまでいわれてきた「生きる力」と何が違うのでしょうか?
 学習指導要領改訂で「生きる力」の理念が再度掲げられました。この「生きる力」については、「将来の職業や生活を見通して、社会において自立的に生きるために必要とされる力」であると述べています。そこでは「これからの学校は、進学や就職について子どもたちの希望を成就させるだけではその責任を果たしたことにはならない。」とまで言っています。また、「我が国の子供たちにとって課題となっている思考力・判断力・表現力等をはぐくむためには、(中略)観察・実験やレポートの作成、論述といった知識・技能を活用する学習活動を行う必要がある」と述べ、さらに、「自分に自信が持てず、自らの将来や人間関係に不安を抱えているといった子供たちの現状を踏まえると、コミュニケーションや感性・情緒・知的活動の基盤である国語をはじめとした言語能力を重視した体験活動の充実を図ることにより、子どもたちに他者、社会、自然、環境とのかかわりの中で、これと共に生きる自分への自信を持たせる必要がある。」と指摘しています。再度掲げた「生きる力」を、今度こそ、真に子どもたちが身に付けられるようにしなければならない。その役を一番に担う生活科・総合が根付かない国家は滅びる!と言い切りました。
 「ウェルビーイング」は、新しいトレンドとして、かっこよく見せるために「生きる力」をカタカナ語にしたのでしょうか?
         

 

2024年1月21日日曜日

花だより この言葉は、カタカナ語より日本語の方がいい クンシラン

 



 この言葉は、日本語の方がいい  金田一秀穂(言語学者)
 カタカナ語は日本語を豊かにします、でも、‘’ごまかし‘’が隠れていることもあるのでご注意が必要です。
 日本語には和語、外来語があって、それぞれ特徴があります。和語は分かりやすいが曖昧さがある。漢語は分析的で偉そう。そしてカタカナ語が多く含まれる外来語は、新しくカッコいい。時代は移り変わりますから、新しいものを受容するためにカタカナ語が増えるのは仕方ありません。流行を作るために新しい言葉が必要なのです。
 例えば「リンス」と「コンデショナー」も、実際には違いがよくわからない。だけど「コンデショナー」の方が新しく、ステキなものに聞こえます。買わないといけないような気にさせる。カタカナ語はそうした商業的な側面もあるのです。
 一方で、どうしてもカタカナ語に置き換えられない言葉もあります。「歯磨き粉」や「下駄箱」は、「トゥースペースト」「シューズボックス」では何か馴染まない。下駄をはいている人などいないのにまだ「下駄箱」と言っています。「ボディーソープ」もそうです。昔ながらの「石鹸」で十分です。
 カタカナ語は、言葉の意味を分かりにくくする一面があるので注意が必要です。「マイナンバーカード」は「個人番号」と言う方が分かりやすいのに、あえて分かりにくくしている感じがします。単純に‘’新しいぞ‘’という雰囲気を出したかったのでしょうか…。
 「セクハラ」も、内容が正確に伝わっていないのではないでしょうか。「セクハラ」は「性加害」と言った方が、犯罪性をより明瞭になります。人の尊厳に関わることはきちんと伝わる言葉で、漢語で表現すべきだと思います。
 私が不満なのは「Jアラート」。ちゃんと「ミサイル警報」と言えばいいのに、国民がパニックになると思っているのでしょうか。言葉から本気さを感じられません。それに比べると「熱中症警報」は危機感が伝わってきます。

     「通販生活」2024新春1・2月号 カタカナ語辞典2024年版の巻末コラムより

2024年1月20日土曜日

花だより 随筆「らんまん」 フキノトウ

 

 「らんまん」
 9月のある朝、園の玄関前にあるプランターの花の世話をしていると、保護者が「園長先生、お花が好きなんですね。『らんまん』の牧野万太郎(牧野富太郎植物博士)と何か関係があるのですか?」と尋ねられました。「いや、残念ながら、ありません」と答えると、隣にいた三歳の女の子が、「園長先生は、なぜ、お花を取っているの?」と聞いてきました。「咲き終わったお花を取ってやると新しい花が、次々と咲いてくるんだよ」と教えてあげると、「どうして、いろいろなお花あるの?」、「どうして、色がみんなちがうの?」、「どうして?」が矢継ぎ早に飛んできました。これは大変だと思い、「先生やお友だちが待っているから、早く入りなさい」と言って、その場を逃げました。
 NHK連続テレビ小説「らんまん」は2023年9月で終了しました。主人公の牧野万太郎のモデルになった植物学者牧野富太郎のことは、小学生のとき、担任の先生から、「牧野君と同姓の偉人がいます。是非伝記を読みなさい」と言われて読んだ記憶があります。その内容はすっかり忘れていました。こうしてテレビで脚光を浴びることになって、誇らしく思う反面、烏滸がましくも思います。そこで改めて、牧野博士のことをネットで調べてみました。
「雑草という草はない」
 当時20代だった山本周五郎がインタビューで「雑草」という言葉を口にしたところ、牧野博士はなじるような口調で次のようにたしなめた。
「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林という言葉がキライだ。松、杉、楢、橡、柏、みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くの人が〝雑草〟だの〝雑木林〟だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、〝雑兵〟と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶ場合には、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね」
 SDGsの先駆け的な思想を当時から持ち合わせていたといえます。牧野博士の人となりがよく表れている逸話です。
 私の務める訓子府町認定こども園わくわく園は、北見市の隣町にあります。七年前に開園した園舎は、2022年に「公共建築賞特別賞」を受賞した町自慢のこども園です。ですから視察者も多くいます。玄関先には、16個の大小様々なプランターに、ペチュニア、マリーゴールド、サルビアなどの花を植え、子どもたちや保護者、訪れる人を迎えています。その花の世話をするのが、毎朝の園長の仕事なのです。
 わくわく園の園歌の3番の歌詞には、〝花ってすてきだね 色とりどりに咲きほこり 心の中にも 花が咲く ぼくたち わたしたち 訓子府に生きる 風の子 雪の子 大地の子〟とあります。子どもたちには、「花は美しい それがわかる心が美しい」という話をしています。花の季節は終わってしまいましたが、心に咲いた花は枯れることはありません。
 「雑草という草はない」きれいに咲く花もいいけれど、道端に生える草にも気を留めなければならないと思います。  (2023年「教育時報」12月号掲載)

2024年1月19日金曜日

花だより 学習規律の重要性を見直す クリンコザクラ

 


 自立へ内面を育てる  教育学者 梶田叡一氏 
 要領よく世の中の成功を目指すだけが目標になるような薄っぺらな教育観ではいけない。子どもが本当に充実した人生を送るために、人間として自立し、自分なりの原理・原則を持って生きていく内面の世界を育てることが大事だ。そのためには、幼い頃からの人間関係で自然に身につける道徳や倫理観、読書体験などが重要である。 
◇日本の教育を見直す
 子どもに「好きなときに好きなことをさせるのがよい」という風潮が広がったが、これは誤解である。昔も今も、教師や親の適切な指導なしに子どもから意欲が自然に出てくることはありえない。指導する側が見通しを持ち、子どもの興味関心を引く教材や固定観念を崩す問いかけなど、あらゆる手立てを講じることが必要である。昔から日本の教育が取り組んできたことを見直す必要がある。
◇学習規律の重要性を見直す
 勉強でも運動でも、秩序感覚が内面に育たないと集中して取り組めない。あいさつや姿勢などの規律は、自分の持つ力や可能性を最大限に発揮するための基本だ。きちんと取り組んではじめて力がつき、自信につながる。
◇動機付けの方法 何を重視すべきか?
 「面白いから」「大事だから」「やりがいがあるから」もいいが、成長するに従って少しずつ「しなくてはならないことは逃げずにやる。」という気概も必要である。戦後、こうした姿勢が軽視されがちだったが、与えられた運命や困難に立ち向かうたくましさを育てたい。

2024年1月18日木曜日

花だより 誰でも読みやすく カニサボテン

 

   読売新聞 「展望2024」~誰でも読みやすく~ 【校閲部】
  「校」は見比べて正すこと。「閲」は調べること。
 新聞記者が書いた原稿を読む。誤字脱字がないか、内容に矛盾はないか、事実関係は正しいか確認する。これが校閲記者の仕事だ。新型コロナウイルスの流行下では「コロナ禍」が「コロナ過」「コロナ渦」になっていないか凝視する毎日が続いた。誤りがあれば。取材した部署に伝える。その前に、単純な変換ミスに見えても、何か意図があってそう表記している可能性はないか考える。誤りだと理由を示すため、課の記事や文献、インターネットの公式サイトなど、複数のデータを確認する。しかし、新聞校閲は締め切りまでの時間が短い。記憶と経験だけが頼りの時もある。
 校閲記者は「分かりやすい紙面作り」を担う。ふだんは紙面に向かって黙々と赤鉛筆を走らせるが、読みやすい記事にするためにはどう直したらよいのか、的確に説明する力も要る。昭和12年、当時の校閲部は「漢字制限について、むずかしい漢字を使わぬこと」「一般的記事を構成する文字及び文章、とりわけその使用漢字は、努めて誰人にも判り易いものでなくてはならぬ」とした。
  時代を経た今もその思いは変わらない。子どもから大人まで誰にとっても読みやすいように、紙面では固有名詞などを除き、常用漢字を使うことを基本としている。
 一字一句に目を凝らし、正確で分かりやすい新聞を皆さんにお届けする責任を今年も果たしていきたい。  
*ライターのプロ集団の新聞社でも、校閲部の果たす役割が大きい。「文をかくとは、汗をかく、恥をかくこと」だと言われた。読売の校閲部には、52人の校閲記者がいる。学校にも1人いると恥をかかなくてすむのだが…。

2024年1月17日水曜日

花だより 子どもの第一忘れずに 市田柿 デコポン

 


 読売新聞1月16日「展望2024」~子どもの第一忘れずに~ 【教育部】
 お笑い芸人の友近さんは、小学5,6年の時の担任を今も忘れない。先生はクラスのみんなと日記を交換し、友近さんに対しても、1ページが埋まるくらいびっしりときれいな字で感想を書き込んでくれた。その先生との思い出を今も‘’宝物‘’にしている。
 文部科学省が小中学校の教職員向けに示した生成AI(人工知能)の活用例に、「式辞等の原稿のたたき台を作る」があった。入学式や卒業式のあいさつが校長等にとって負担になっている話をよく聞く。
 ただ違和感があったのは、先生の言葉が子どものその後の人生に大きな影響を与えた事例に多く触れてきたからだ。たたき台とはいえ、その作成をAIに任せていいのか。業務軽減を優先するあまり、肝心の子どもたちとのことが置き去りにされているように感じられてならない。
 勤務時間内ではこなしきれない業務量や慢性的な教員不足。先生や学校がこれまで当たり前に担ってきた業務を見直すことは必要だろう。一方で「働き方改革」を錦の御旗にした学校現場の急激な変化に戸惑う声は少なくない。
 中央教育審議会が公表した働き方に関する緊急提言では「学校行事の精選」を推奨する。コロナ禍もあって運動会を半日に変えた学校は多く、教師だけでなく弁当を作らずに済む親も楽になるとの声もある。だが、これにも「子どものとっては、集団の中で成長し合う貴重な機会が奪われることにならないか」と懸念する。
 日本の教育は今、大きな変革期にある。小中学校では1人1台の学習用端末が行き渡った。AIなどで情報が容易に入手できるようになる中、子どもたちがこれからの時代を生き抜くために必要な力は何なのか、国や学校、先生はどう対応すべきかをこれからも教育部は取材していく。ただどんな時代でも子どもの力を育むために欠かせないことがあると思う。それは子どもを第一に考え、寄り添う教師の姿勢にほかならない。
 *働き方改革は、教師がただ楽になるためのモノではなく、雑務を減らし、本来やらなければならない本務に専念するためのもので、本務とは何か、今一度考える必要があると思います

2024年1月16日火曜日

花だより AIの闇 追い続ける ツバキ 

 読売新聞「展望2024」」R5年1月12日 AIの闇 追い続ける
 ~投稿欄に、学習塾の経営者から「デジタル化やキャッシュレス化の弊害もあるのではないか」との投稿があった。アナログ時計の文字盤を見て正確な時刻を言えなかったり、お金を使った計算ができなかったりする子が増えているという。
 子どもにスマートフォンを持たせれば、保護者はその所在を把握できる。一方、自分の住所や親の電話番号を暗記していない子どもは少なくない。スマホをなくしたら迷子になる。デジタル化は時代の流れだが、大切なことも失われてしまうのではないか?
 政府はスマホで収集したデータを蓄積し、AI(人工知能)を活用して分析することで様々な価値を創出や課題解決が可能になるとうたう。「第4次産業革命に乗り遅れるな」は官民の合言葉だ。
 確かにデジタル化で生活は便利になった。家に居ながら買い物や仕事ができ、いつでもどこでもゲームや動画を楽しむことができる。
 しかし、いいことばかりではない。ドイツの作家ゲーテは「光強ければ影もまた深し」と書いた。新しい価値をもたらすとされるAIにも強い副作用はある。~
 自分もカーナビに頼るようになり、道を覚えなくなった。センサーやカメラなどフル装備の車に乗って慣れると、それに頼ってしまい安全確認を怠ることもある。確かに弊害はある。デジタル時計が出たとき、「時計の見方が分からなくなる」という指摘があったが、今はアナログ時計と共存して、うまく使い分けをしている。AI普及の流れは止まらないが、影の部分を新聞が照らすことは必要だろう。
 

2024年1月15日月曜日

花だより 避難訓練は大事なんだ! カンザクラ

 

 お正月を家族団らんで過ごしていた時に大地震と津波が能登の人を襲いました。テレビのニュース番組を見るたびに心が痛みます。亡くなられた方へのお悔みと被災され避難所で不安な毎日を過ごされている皆さんに心からお見舞い申し上げます。
 翌日、羽田空港の飛行機衝突事故では、奇跡的に乗客乗員の命が救われました。乗員の皆さんの的確な判断とそれに従った乗客の行動が海外でも高く評価されました。
 大きな災害が起きると、海外ではスーパーでの強奪や救援物資を我先に奪い合う様子を目にしますが、日本ではそのようなことはありません。緊迫する機体の中で、お年寄りを先に誘導した若者がいたそうです。日本の教育の賜かもしれません。
 日本は地震や台風など災害の多い国です。古事記の時代から、幾度となく自然災害に見舞われ、その都度、人々は力を合わせて立ち上がってきた歴史があります。日本人の気質(真面目、謙虚、我慢強い、勤勉、協調性)は、こうした歴史や風土から生まれたものです。
 お正月、孫たちが来ていました。テレビは地震報道ばかりで、「じいちゃん、ビデオを見よう!」と言い出しましたが、「これを見なければダメだ!」と嗜めました。
 こども園の4歳児が「避難訓練は大事なんだよね!」と言いました。ちゃんとテレビを見て、家族で話し合ったのだろうと思いました。

2024年1月14日日曜日

花だより 「友達」か「友だち」か どっち? 胡蝶蘭

 

「日記をかく」は「書」ですが、「絵日記をかく」は、絵もかくので「描」を使ってもいいように思いますが、この場合は「かく」とひらがなで書くのが無難です。
 「友達」か「友だち」か どっちの表記が正しいのか?
  日本語はとても難しい。公官庁の表記は、常用漢字音訓表に基づいていますが、新聞や雑誌などは、それぞれで表記を統一しています。
 小学校でよく使う「ともだち」、現在は「友達」と表記しますが、昭和48年以前は、公用文や教科書では「友だち」でした。「「私たち」「君たち」「あなたたち」「男たち」などと表記することから、「友だち」と表記しても間違いではありません。
 教育界の表記は、どちらかというと「いろいろ」「うれしい」「おもしろい」など「ひらがな」表記が多いです。理由は、ひらがなの方がやさしく感じるからでしょう。また、いくつかの意味も含まれます。俳句の夏木先生は、「その句のイメージから、ひらがなにするか漢字にするかで、その人の感性がわかる」と言っています。
 全国大会の記念講演の講師から講演題が届きました。
「子ども一人ひとりを受けとめ尊重する保育の充実をめざして」とありました。これをワープロで変換すると「子ども一人一人受け止め尊重する保育の充実を目指して」となります。受け取った事務局長が「一人一人」にしてよろしいですか?」と返信したところ、「私は、『一人ひとり』の表記にこだわりがあります。子どもは一人ひとり違うからです。」と言われたそうです。幼児教育の専門家としてのこだわりと、この演題には、全国国公立幼稚園・こども園教育研究大会全国大会という意味が込められているのです。

2024年1月13日土曜日

花だより 「遊び」が「学び」 カンアオイ

 

 ‘’「遊び」とは、強制されない自由な活動である。あらかじめ結果が決められていない、また、生産的ではなく、現実の社会生活のルールとは違った、遊び特有の「ルール」を持った活動である。‘’という定義があります。
 幼児教育では「遊び」が「学び」です。「遊び」は、子どもの心身を育てるためには欠かせないものです。 子どもは遊びから社会性や柔軟性、コミュニケーション能力などさまざまなことを学び、人間として成長していきます。 何気ない遊びでも子どもは大人の想像以上に多くのことを感じ、学んでいます。
 幼児期の遊びは、体力や運動能力の向上のほかに、自発力や認知能力、創造力を高めたり、社会性を育んだりなど、心身の健やかな成長に欠かせない要素です。 ときにはケガをしたり、自分で考えたり悩んだりすることで、さまざまなことを学んでいきます。
 子どもたちが、楽しく遊ぶためには「時間」「空間」「仲間」という「3つ の間」の条件が重要です。 遊ぶためにたっぷり時間をとれること、遊ぶ場所を自由に選べること、 そしてその遊びを一緒に楽しめるさまざまな仲間が存在することです。
 子どもだけではありません。人生には遊びが大切です。気分として心にあっても、言葉にすると空々しいものです。働く大人はそれどころではありません。それでも、ひとが「遊び」の大切さを思うのは大人になって子どもが遊ぶ姿に接し、自分にないその真剣さに触れたときでしょう。
 ヨハン・ホイシンガ氏(オランダの歴史家)は、人間とは「ホモ・ルーデンス=遊ぶ人」のことである。遊びは文化に先行しており、人類が育んできたあらゆる文化は、すべて遊びの中から生まれた。つまり、遊びこそが人間活動の本質なのです。遊びが持つ大きな要素は、既存の秩序からはみ出ること。仕事は秩序の中で決められたことをやっていくのが重要だが、既存の秩序の中からはイノベーションが生まれることはほとんどない。「何となくついやってしまった」というのがイノベーションで、遊び的なものが重要だと言っています。
 でも、「遊びが大事だ!」と言ってしまうと、「遊んでばかりいないで、勉強しなさい!」と言えなくなります。

2024年1月12日金曜日

花だより 教員を救うために ハコベ

 

 一生懸命な頑張り屋さんほど、SOSが出せずに孤立する
 教材研究が非常に熱心。そんな先生ほど、ある日疲労から休み始めたかと思うと、そのまま欠勤や遅刻を繰り返すようになることが少なくありません。2~3日休んでいた分、出勤すればまた一人で夜遅くまで頑張り、その疲れでまたダウンしてしまいます。欠勤中には多かれ少なかれ、同僚の先生に迷惑をかけているのですが、素直に感謝の言葉を伝えたり、SOSを出すのが苦手です。本人も徐々に仕事への自信がなくなり、周囲からも信用を失い、どんどん孤立してしまいます。こうなると逃げ出したいという気持ちと頑張らなくてはならないという気持ちの葛藤から、結局体調を崩して動けなくなってしまいます。
 できる限りみんなの前で愚痴ること
 教員は真面目な人が多い。子どもたちに範を示さなければならないと思っている。しかし、困ったことがあったり、嫌なことがあったら、問題と情報をなるべくみんなに知ってもらうためにすぐにみんなの前で愚痴ることがあってもいい。そうすると陰でそっとカバーしてくれる人もいる。何気なく知恵を与えてくれたり、助けてくれる人がいる。お互いに信頼し合い、職員室全体のメンタルヘルスを考えること、お互いにSOSを出しやすい環境づくりに取り組むことが大切です。

2024年1月11日木曜日

花だより 子育ては「がまん」 ホウズキ ミカン

 


  子育ては「がまん」 
 慎重な子、ものを大切にする子、自分の個性がはっきりしている子は、買い物のときでもあれにしようか、品物の前で考えてしまいパッと買うことができないものです。親はこんなとき、「早くしなさい」と急かしたりします。イライラして「何で決められないの、グズなんだから」ときついことを言うこともあります。急かされた子は、混乱してしまいます。自分ではアレがほしいのだけれども、自分が思っていたのと違う、どうしようと考えているわけですから、ますます決めることができず、「じゃ、いらない」と答えてしまいます。
 算数の問題がなかなか解けない子に、横で見ている親がイライラして、「こんなのがわからないの!」とか「さっさとやりなさい!」とか言います。子どもは混乱して考えることを停止してしまいます。問題そのものが上の空になってしまい、結局、なんのために机に座っているのか分からなくなってしまいます。
 早く結論を出したがるのは、子どもにとって気ばかり急がされて苦痛に感じるものです。こんなときは親自身ががまん力をつけなければなりません。親もゆったり構えて子どもとつき合うことです。そのためには短気はいけません。怒りたい気持ちをがまんすることが肝心です。子育てには「がまん」がつきものです。
 自分も子どものころ、そうだったということを忘れてしまうようです。

2024年1月10日水曜日

花だより ソーシャルスキルとマネジメントスキル ミカン オモト

 

 学校現場で起きている、いじめ、不登校などさまざまな問題は、ソーシャルスキルが十分身に付いていないことが原因の一つです。そのため、相手の気持ちを思いやることなく、自分の主張だけを押し通す。規律を守れず、不適切な行動をとってしまう。友だちとの関係がうまくつくれず、いじめ・いじめられる関係に陥ってしまうのです。
 ソーシャルスキルとは、「社会の中で他人と交わり、共に生活していくために必要な能力」のことをいいます。他人との関わりにおいて、相手に適切かつ効果的に反応するために用いられる言葉や行動、相手のことを認めたり、自分の感情をコントロールしたりすることも含みます。
 これまでは、日々の暮らしの中で自然に身についたものですが、現在は、地域の教育力の低下、家庭教育の過保護、過干渉、放任など、人間関係が以前に比べて希薄になっていることに加え、SNSやテレビゲーム、スマホの普及による友だち同士の関係や遊びの変化により、相手と上手にコミュニケーションをとる能力が劣ってきています。
 幼稚園やこども園には、驚くことに「いじめ」の概念がありません。幼児施設の毎日の生活そのもの(遊び)が、人との関わり、コミュニケーション能力を養っているからです。
 いらいらドキドキしたときは、どうする? 
  セルフコントロール、マネジメントスキルを習得する。
「いらいら、どきどきの解消法は?」 “深呼吸‘’
 病院で血圧を測るとき、1回目に高く出ると「はい、深呼吸してください。もう一度測ります。」と言われます。「『鬼滅の刃』の炭次郎は、鬼と戦うとき、全集中するために‘’水の呼吸‘’や‘’火の呼吸‘’をします。何か困難に立ち向かうときは、深呼吸が大事です。」と子どもたちに話しました。

2024年1月9日火曜日

花だより 成功のカギは自律と自己評価 トキワコザクラ

 

 自律と自己評価(「自立」とは「自律」)
 自分を律することのできる人は成功する。偉人とは、自分を律する自己評価のできる人のようだ。自律とは漫画「ド根性カエル」のぴょん吉とひろしの関係だ!と言う。つまり、ひろしが何かをやろうとすると「ちょっと待てよ」とぴょん吉がひろしを諫めるのです。自己評価とは、客観的に自分を見つめる心を育てることだと、説明すると「そのマンガ知らない」と言われた。
 子どもたちに計画を立てさせ、その計画に沿って自分が何をやっているか、どこをどうすればよいのか。何に困っているのか自己評価させること。自己評価しながらやりたい活動を完成させていく。基本は自己評価をどうさせるのか。それさえきちんとできていれば、総合的な学習の時間は、恐れるに足らない。何をやってもよい。子どもたちのエネルギーはものすごい。やりたいことが始まったら、徹底的にやる。それを実践したのが、大谷翔平選手でしょう。
 頂点まで登りつめ、名声と莫大なお金を手に入れた人でもスキャンダルを起こす人がいます。その道の「探求心」は優れていても、自律心が欠けてしまうことがあります。自律心を失うとそれまでの信頼を失ってしまいます。
 探求心は、自律心から生まれる。自立心=自己評価 謙虚に自分を見つめ直すことが必要です。

2024年1月8日月曜日

花だより 読売新聞行動指針をパクる 寒椿

 


  2024年 こども園行動指針
 保護者の信頼にこたえ、子どもたちの健やかな成長のために全力を尽くす。 
 1 挑戦を楽しむ 好奇心は推進力になる
 2 謙虚な心を持つ 保護者への敬意は視野を広げる
 3 今の自分を超える その成長は子どもためになる
 4 働き方の多様性を認める 公私の調和は活力を生む
 5 誠実に向き合う 不断の積み重ねが信頼を築く
 6 力を結集する つながりは不可能を可能にする
  道をひらくのは日々の一歩から
 これは1月6日付の読売新聞の掲載されていた「読売新聞行動指針」を参考に作りました。

2024年1月7日日曜日

花だより 「自助」「共助」「公助」の精神が大事 テンドロビウム

 

 元日は テレビに釘付け 震度7
 お正月 燃える機体に 無事祈る  

 日に日に犠牲者の数が増え、被災地の状況が分かるようになってくると心が痛みます。
 外国では、救援物資を奪い合う様子を見ることがありますが、日本では、どんなときも整然と並んで順番を待ちます。CAさんのお陰で乗客の命が救われました。乗客もまた、指示に従って行動した結果、奇跡的に短時間で全員無事に避難することができました。
 これは日本の教育の賜物であると言う人もいます。しかし、日本の学校教育の歴史は、わずか150年くらいしかありません。日本は島国です。古事記の時代から、地震や台風、大雨、干ばつ、火災など、幾度となく大災害に見舞われてきました。その都度、人々は互いに助け合って乗り越えてきた長い歴史があります。
 ~「自助」「共助」「公助」の精神が大事~菅元総理が言った言葉です。
 災害が起きたときに、私たち自身にできるのは、「自助」と「共助」です。一人一人が、「自分の身は自分で守る」、「自分たちの地域は自分たちで守る」という考えを持ち、日ごろから災害に備えておくことが重要です。
 1月5日、町の消防団の出初式に参列して思ったことです。
 
 

 

2024年1月6日土曜日

花だより 人工知能VS人間 梅

 

 これからの世界は、環境問題をはじめとしたさまざまな問題が山積みとなっています。これから大切なことは、論理的な思考や感性を働かせながら問題解決の方策を探り、自分の考えを自分の言葉で表現する能力だと言われていました。ところが対話型AI(チャットGPT)がそれをやってくれるようになりました。ちょっと前まで、まだ人間の方が優れていると思っていましたが、AIの進化は凄まじく、生成AIが作成した文章や映像が本物かどうか人間が見分けがつかなくなってきました。これからさらに進化していくとどうなるか、恐ろしさを感じます。
 学校教育での読解力や表現力は、どうなっていくのでしょうか?
 PISAでは、読解力を「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」と定義しています。自己実現や社会参加のための重要な道具として、言語を活用できる能力を獲得することが不可欠です。ですから、学校教育では「言語活動の充実」は、最も重要なことです。
 「言語活動の充実」を全教科・領域等で展開するとしています。「言語活動」というと「国語科での行うべきもの」と考えがちです。「言葉の力」を育てる上で軸になるのは国語科です。しかし、「言葉の力」は単に言葉を学べば身に付くものではありません。国語科の学びが、「言葉を通して言葉の力を育成」であるのに対して、他教科・領域の学びは「体験を通した言葉の力の育成」であり、「言葉の力の育成」においては、その両方が重要です。「言語活動の充実」において全教科・領域等で取り組むことには、そうした意味があるのです。「近い将来、人工知能は、人間の知能を超える」という予想がありますが、人工知能と人間の知能は、全く別物です。人間は人間らしく、勉強して、自らの言語能力を高めていかなければならないと思います。
 離着陸は、管制官とパイロットが言葉で確認するかぎり、ヒューマンエラーは必ず起きる。今のところ、これはAIではできないらしい。将来地震の予知は、スーパーコンピューターで可能になるかもしれないが、地震を止めることは人間にはできない。

2024年1月5日金曜日

花だより 男らしさと女らしさ 乙女桜

 

 少子高齢化社会による人出不足解消には、女性の社会進出が不可欠となりました。そのためには、女性が安心して結婚し、子どもを育てられる環境づくりが必要となり、幼児施設の果たす役割が重要となってきます。
 今まで男性がやってきた仕事を女性が代わってやるようになると、「男らしさ」はどう受け止めなければならないのか?
 読売新聞の1月1日号に興味深い記事がありました。
~「男らしさ」とは歴史や社会によって作り出されたものだ。時代や身分などで異なり、男性が徴兵されるようになると「弱みを見せない」「感情を表に出さない」などの価値が社会で共有されるようになった。◇高度経済成長期以降は、長時間労働もいとわない働き方が男性のあるべき姿と定着。家庭を顧みず、頑張り続ける男性が評価された。◇男性学の第一人者京都産業大学の伊藤公男氏によると、男らしさの3要素は、出世競争に勝つ「優越」、財産や家などより多くのモノを得る「所有」、自分の考えを押し付ける「権力」だという。また、「男は人前で泣くべきではない」と考える人は、少なくなっているようだ。~
 いまや女性の社会進出、活躍が当たり前となりました。学校や職場でも、優秀で元気なのは女性ばかり。女性の価値観、果たすべき役割が大きく変化しています。では、古い型の「女らしさ」はもはや求められないのか?
 女性上位の時代だからこそ、従来の男性とは異なる価値観、よき女性らしさを、職場や家庭に持ち込んでほしいものです。何げない日常の立居振舞いに、女性の生き方と品位はおのずと表われるものです。最近の教育現場は、女性の方が圧倒的に多くなりました。ところが管理職となるとまだ男性が多い。女性活躍が広がり、社会が変化する中で男性の優位性が奪われたと感じないようにしなければなりません。

2024年1月4日木曜日

花だより 2024年 お正月ウォッチング 松葉ガニ

 


 元旦に大変なことが起きた。テレビは一斉に地震速報を出し、お正月特番から中継に切り替えた。東日本大震災を思い出した。アナウンサーは、「すぐ高いところに避難するように…。」と絶叫した。初詣にも行かずに、ずっとテレビに釘付けだった。孫は「ビデオを見たい」と言ったが、お笑い番組など、見るのは不謹慎なことだと思い「この光景をちゃんと見ていなさい」と窘めた。
 翌日は、羽田空港でまた大変なことが起きた。能登地震の被災地へ物資を運ぶ海保の飛行機と日航機が衝突した。今の時代、その瞬間を撮影している。救いは、乗客全員が無事避難したことだ。その後、飛行機が燃えて崩れていく様子は、これもまた衝撃的だった。
 辰年は政変が多いという、「一年の計は元旦にあり」と言うが、2024(令和6)年の幕開けは、大変なことからスタートした。
 3日目、お節にも飽きて、外に出ることにした。どこも人でいっぱいだった。ショッピングセンターもレストランも三が日は休まず営業していた。働いている人の多くは女性だ。それも子どもがいるような年齢のお母さん世代である。
 年末年始の休みに入る前、「家族団らん、楽しいお正月をお迎えください」と配信したが、お母さんはいない、テレビは事故報道ばかり、子どもたちは、きっとテレビゲーム付だったのかと思ってしまった。

2024年1月1日月曜日

花だより 謹賀新年 2024年(年賀) 辰年

 



 
 古希がすぐそこまで来ていますが、今年は辰年です。龍のごとく猛々しく、新しいことに挑戦する年にしたいと思います。今年もよろしくお願いします。
オホーツク海(網走鱒浦)の初日の出