半眼(はんがん)とは読んで字のごとく、眼をなかば開くことです。仏教では、半分は外の世界を見、そして、半分は自己を見つめる、あるいは目には見えないものを見る(考える)ということです。
「私は宗教を信じない」と主張する現代日本の多くなりましたが、宗教を信じない」などと明言することは、世界的に見るとかなり恥ずかしいことです。そういう人ほど、大金や宝石、それに美しいスタイルやご馳走など、目に見えるものにばかりに注意を奪われ、他のことには目をつぶった生き方をしているのではないと思います。
目に見えるものには注意を払い大切にするのは当然ですが、一方で目に見えないもの、たとえば子どもの将来も大切にする両面性を備えた生き方が大切です。
仏像は、ほとんど半眼になっています。これは仏像に向かって手を合わせている人々をやさしいまなざしで見つめてくださる、と共にその人々のためになる何かを思案してくださっているということです。仏像は単に見えているものだけを見ているのではなく、見えないものにも思いをはせるのだという姿勢がはっきりとあらわれています。
坐禅も本来は半眼です。要するにもっとも大切なことは、自分の内側と外側との両方を見ようという、半眼の心がけです。いずれか一方に偏ってはいけないし、もちろん一方を遮断する、目をつぶってしまうことは許されないのです。教育に通じるものがあります。
*葬儀のときのお説教は、ありがたく聞くことです。
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