2025年7月16日水曜日

花だより 霞が関だより(2)武藤久慶 氏「儀式的行事のような会議や研修に思うこと」 ヒルガオ イワタバコ

 

霞が関だより(2)
   武藤久慶氏 「儀式的行事のような会議や研修に思うこと」

 さまざまな組織・団体の会議から講演を頼まれることが多いのですが、割と共通する課題を感じます。
 第一に、「意味の含有率」が低い、「手続き的なこと」で会議時間が浪費されることが多い。お決まりの挨拶、開催地のエライ人からの歓迎の言葉、一人一人の来賓や祝辞の紹介、全員の時間を拘束する必要もなさそうな議案の承認、抽象的な宣言の採択を見たことがあります。
 第二に、そもそも大会のテーマや協議題が総花的・抽象的、あまりにも范洋としていて、議論が深まりません。研究協議も原稿読み上げというパターンが多いように思います。パワポもメモ欄をフル活用されています。「読み上げ」で時間を使うので実際の協議はほとんど時間切れ、喧々諤々とはならないことが多いです。
 第三に、講演が入っている場合、司会、略歴紹介、講演の謝辞、閉会挨拶を述べる人が別々で、いちいち礼をして壇上に登ります、ここでもかなりの時間が浪費されます。紙を見ればわかる略歴読み上げ、事前に用意された謝辞、この時間があれば質疑応答を数問増やせるのにと思います。私が講演を頼まれるときは、できる限り減らしてくださいと頼みます。
 第四に、大きな大会とか総会になると、教育実践や教育政策と無関係な著名人がスピーカーとして招かれるのもよく見られる光景です。かなりの講演料がかかっているようです。「明日の改善に直結する」そういう話ができる人は、わが国の教育界には沢山いるはずです。
 以上敢えて「デフォルメ」してよくあるパターンを紹介しました。全体として「過去のルーティン」に流されているものや「儀式的行事」のように見えるものが多い。明日からの学校経営や実践の改善には「繋がらなさそうな」時間の「割合」が多いように思うのです。
 その一方で虚飾を排し、意味の含有量を上げ、研修効果を最大限追及している例も沢山出てきていて、勇気づけられます。
 結びに、公教育の第一線で活躍する「プロフェッショナルの流儀」が感じられる熱い提言や討議の連続が見たい。及ばずながら、そこに全力で貢献したい。自戒を込めて心からそう思います。

 私ごときがそう思って「変えましょう」と言っても、儀式的な会議は、そう簡単に変わるものではないが、「文科の課長さんが、こう言っているんだから…」となれば変わるかもしれない。

                                                      訓子府の小麦畑


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