2020年7月31日金曜日

花だより 教師力を磨く バラ栽培 チングルマ



 「教学半」 教師力を磨く
 👍新卒の頃、板書の字がうまくなるように“ペン習字”を習ったという先生がいました。また、正しいラジオ体操を教えるのに、講習会に参加したり、ひそかにピアノ教室に通っていたという話も聞いたことがあります。初任者段階研修、5年研、10年研とありますが、研修は、やらされると思うとなかなか身に付きません。また、新卒の頃校長先生から「ひと月の本代はいくらですか?」と聞かれ、「千円以下です。」と答えて、「おまえは、教師の資格はない!」と叱られたことがありました。自分に投資するのは若いうちです。退職間際に思うのです。後悔先に立たずです。
 ~ご夫婦でバラ栽培~
 😊学校近くの住宅の庭に赤、白、ピンク、ローズ、彩り様々な大小のバラが、今が盛りに咲いています。お庭には、フラワーアーチやログハウス、ブランコがあって、本格的なヨーロッパ風ガーデンと言ったところです。少しずつ増やしていったというバラは、今では庭いっぱい200本あまりになったそうです。バラは、“地球上で最も美しい花”と言われています。品種も多く、大輪、ミニバラ、つるバラ、品種改良された新種もたくさんあります。毎年きれいに咲かせるためには、手入れも大変で、施肥や害虫の駆除など、手間暇かけなければ、大輪の美しい花は咲きません。子育てと全く一緒だそうです。花言葉~美、愛情、内気な恥ずかしさ

2020年7月30日木曜日

花だより 子どものできる「責任の取り方」を親が教える クルマユリ アサガオ



 ~子どものできる「責任の取り方」を親が教える~
 小さな子どもは本来わがままなものです。だから赤ん坊のうちは人のものを取ってもあやまろうとしません。それが少しずつ大きくなるにつれ、いたずらするとあやまるようになります。しつけがうまく進んでいくと、子どもが社会性を身に付けていきます。それはやっていいことと悪いことの区別をつけていくということです。ところがしつけがされていないと小学生になっても、わがまま放題で、あやまることを知りません。
🤦‍♂️スーパーの中で5歳くらいの男の子が走り回っていて、お菓子コーナーにぶつかり、山積みになっていたお菓子がバラバラに落ちてしまいました。男の子は呆然として見ているだけです。するとお母さんがやって来て「何してるの。こっちに来なさい。」と子どもを呼んで、どこかへ行ってしまったのです。
👀ばらまかれたお菓子を拾ったのは、近くの大人でした。子どもが自分でやったことに責任をとるということを実践で学ばせる大切な機会を逃しただけでなく、まずいことをしたらその場を逃げるという余計なことまで学んでしまったことになります。お母さんがやらなければならなかったことは、お菓子を拾ってくれた人にお礼を言って、子どもに散らばったお菓子を拾わせる。もし、壊れたり、汚れたりしたものがあれば、責任をとって買い上げるということです。親の姿を見て、子どもは学んでいくのです。子どもだってやったことに責任をとるということは大切なことです。
👍「今どきの親がこうだから、子どもがきちんと育たない。」と嘆くだけでなく、こうした話を学校だよりや学年通信に載せることです。

2020年7月29日水曜日

花だより 我慢できずにすぐ腹を立てる子 “急増!” 朝顔


 我慢できずに腹を立てて、すぐ叩く、対人関係がうまく築けない子 “急増!”
 「対人関係のトラブルを予防するソーシャルスキルを育てる」
                      法政大学 渡辺弥生教授
●運動会の練習中に整列の指示に反発して教師を殴った。(小6男子)
●悪口を言われたと思って1年生の顔を殴った。(小3男子)
●着席するように教師から指導されて腹を立て、教室の窓ガラスを割った。(小5男子)
 🤦‍♂️このような事件が全国的に増えているそうです。原因は、「忍耐力」「コミュニケーション力不足」により、自分の気持ちをうまく表現できないため暴力に走る。「規範意識の低下」「家庭教育の問題」「暴力的なメディア」などの原因ではないかという意見があります。
 暴力に発展するまでもないが、「ちょっとしたトラブルからすぐパニックになる子」「自分の気持ちを相手に伝えることができない子」「友だちとうまくやっていけない子」が増えています。
 自分の気持ちや考えが相手に伝えることができず、自分の心の奥におしこんでしまったり、逆に暴力やいじめなどの陰湿な攻撃行動をくわだてたりする。友だちがほしいという気持ちは強いのに、素直に表現できずに、相手の気持ちを勝手に解釈してしまい、葛藤を抱きやすく、すぐに傷ついてしまう。本来、健全な対人関係は、親子関係、兄弟関係、仲間関係、教師との関係、地域の人々との関係などさまざまな対人関係の中で教えられ経験を通して育まれるものですが、今の子どもたちには、対人関係が希薄で、自分たちでトラブルを解決する力が十分育まれていないのです。
 友だちにすぐ暴力をふるう子に「やさしくしなさい」、すぐ泣く子に「泣いてはダメ」と一方的に叱っても、その子は次から「やさしくしよう」とか「泣くのはよそう」とは素直に思わないのです。
👀何度言ってもできない子どもたちの中には、次のような3つのタイプがあります。
*タイプ1~どうすればよいか知識がない
 「やさしくしなさい」と叱られても、どのようにふるまえば「やさしい」行動なのか分からなければ、その行動は出てきません。(例:「だいじょうぶ?」と声をかけてあげる。)こんな子には、具体的な行動を具体的な知識として教えてあげることが必要です。
*タイプ2~知識はあるが行動ができない
 「ごめんね」と謝ればいいのにその勇気はない。自信がない、恥ずかしい、といった意欲や気持ちのところでもう一歩行動にできない。「さあ、やりなさい」と背中を押しても、押せば押すほど引っ込み思案になってしまう。このタイプの子どもは、「やれたためしがない」「自分にできるとは思えない」という心情が強いのです。普段から少しずつ「○○さん、えらいね。よく○○やったね」と声をかけ、できそうなチャンスの場を与えてほめてやることが大切です。
*タイプ3~知識もあり行動もできるが状況把握ができない
 知識もあり、行動もできるのに対人関係でトラブルが多い子がいます。例えば、友だちが何かもめている最中に「仲間に入れて」と声をかけても彼らは聞いていない。そんなとき「ちゃんと入れてって言ったのにみんなは私を無視した」と先生に訴えてくるのは、このタイプの子です。他の人の気持ちに気付かせる対応が必要です。
👀「思いやり」の発達を理解する
◎幼児期~自分と他人の区別が明確でない。自分も他人も同じことを考えていると思う。
◎小学校低学年~他人と比較して、自分と他人の違いが分かってくる。ただし、笑っているからうれしい。泣いているから悲しいといった程度で、相手の心情を推し量ることはできない。
◎中学年~他人の視点をかなり推測できるようになる。A君は、ぼくのことをきっと○○だと思っている。ぼくは、A君のことを○○だと思っているだろう。と互いの気持ちを推測できるようになる。
◎高学年~「私」と「あなた」といった二者関係だけでなく「彼」「彼女」といった第三者の気持ちを推測したり、自分自身を客観視することができるようになる。
◎中学生~学級、学校、社会、日本人として、といったようにさまざまな立場に立って考えられるようになる。
「思いやり」とは、自分の視点だけでなく、さまざまな人の視点を理解する力といえます。
😉この発達レベルが低いと何かトラブルがあったときに、他人を変えようとするもの(他者変容思考)が強いと暴力をふるい、自分を変えようとするもの(自己変容思考)が強いとその場から逃げるという行動をとります。しかし、「思いやり」が発達すれば、他者変容思考は、「暴力」から「命令」「説得」と変化します。自己変容思考は、「逃避」から「従順」「妥協」へと変化するのです。最終的には互いのコミュニケーションを通して「調節」する行動をとるようになります。「思いやり」の心が育てば問題となる行動もなくなるのです。


2020年7月28日火曜日

花だより めざせディズニーランド コマクサ

 ◇◇めざせディズニーランド◇◇
 「人生で大切なことをすべてディズニーランドで教わった」という本を読んだことがあります。一日数万人が訪れる場所ですが、ゴミは全く落ちていません。ポップコーン1粒でも落とそうものなら、すぐ清掃スタッフが来て取っていきます。同じく夢を売る場所の北見のばんば競馬場が閉鎖になるというので行ったことがあります。同じく清掃係りのおばさんはいますが、次から次へと捨てられるゴミの山に対応しきれないでいました。
🤷‍♂️この違いは何でしょうか?
 1階理科室前のトイレに、落書き(傷つけられている)がありました。一つの落書きが次の落書きを呼びます。トイレの落書きは、その学校が荒れているかどうかのバロメーターとも言われます。ですから、とても気になっていました。
😜もう落書きはしません 
「夏休み中に用務員の片山さんがペンキできれいに塗ってくれました。1日目はサンドペーパーがけ、2日目塗装、そして、乾かしてまた塗装をして、仕上がるまで3日もかかりました。校舎に落書きが一つもないようにしましょう」という話を2学期の始業式にしました。
  玄関ホールに新しい「あいさつ」運動の看板が付きました。1学期の始業式から“3つの「あ」”「あいさつで人を大切に」「あとしまつで物を大切に」「あんぜんで命を大切に」に気を付ける話をしてきました。新学期早々には、気を付けていたこともだんだん時間が経つと忘れてしまうものです。2学期始業式に、改めてこのことに気を付けるように話しました。
😍ディズニーランドを訪れた人のほとんどが「また来たい」と言うそうです。アトラクションが素晴らしい。サービスが最高!、そして、園内がきれい!清掃員もミッキーと同じ大事なスタッフだといいます。
 👀学校もディズニーランドのようだったら、学校に来るのが楽しくてしょうがないはずです。(アトラクション=授業内容、園内=校舎、サービス=先生) まずは、きれいな校舎で・・・
  “夢と希望の国 ディズニーランド”《夢と希望の学校 斜里朝日小学校》

2020年7月27日月曜日

花だより 志が人をつくる サクランボ

  「志(オリンピック)が人をつくる」 ~今こそ志を養う教育を~
 二度とない人生をよりよく生きられるかどうかは、一に“志にあり”とは多くの賢人が説き続けてきました。江戸の儒学者佐藤一斎は、その著「信志四録」の中で「著(ちゃく)眼高ければ即ち理を見て岐せず」(大所高所に目をつければ道理が見えてきて迷うことなし)として、志を高く持ち迷わず貫くことの大切さを説きました。人間の真価はこの志の高さで決まるとも言う。
😍「コロナにかかりませんように」これは園児が七夕の短冊に書かれてあった願いです。「学校の先生になりたい。」というのもありました。うれしく思う反面、教員程度の夢でいいかの?と思ったりもします。
🤷‍♂️自動車のセールスマンに聞くと今の若者は、「いい車に乗ろう」とは思わないそうです。そこそこの価格で使い勝手のいい車を選ぶというのです。洋服はユニクロ、食はファミレスとかファーストフードで十分。バブル以後に育った若者は、そこそこの収入でそこそこ自由な生活ができればいいと思っているのです。
👀コロナショックがなければ、オリンピックTOKYO2020が開幕していたはずでした。メダルをとって歓喜したり、悔し涙を流したりする選手を見ると、志を高く持ち迷わず貫いている姿に感動します。自由や個性の名のもと、自己を内省し、自分とは何か、自分は一体何をすべきか、人生の使命とは何かを模索する力を育てなければならないと思うのです。今こそ「志を養う」教育を復興させたいものです。
😒「オリンピックに出て金メダルを取りたい!」とこれまでのオリンピックを見て憧れ、晴れの舞台を夢みる子どもたちが多くいたことでしょう。「おまえみたいな奴がオリンピック選手になれるわけないだろ!」と言ってしまったらそれでおしまいです。
👍オリンピックで熱狂的に応援するのは母親で、父親はやや控えめです。メダリストへのインタビューでも、母親への感謝の言葉がほとんどです。メダリストの原点もお乳を与え育てた母親にあるようです。そんな中で女子ウエイトリフティング銀メダリストの三宅宏美選手は父親が登場しました。北京オリンピックの敗北以後、“コーチを変えてみたら”と周囲から言われたそうですが、三宅選手は「父と一緒に次のオリンピックを目指します。」ときっぱりと言いました。うれしいじゃないですか…。


2020年7月26日日曜日

花だより 本物の「オンリー・ワン」 ムクゲ


   本物の「オンリー・ワン」
 😒核家族が主流になって、さまざまな個性を持った家族ができてきました。暮らしぶりも千差万別。朝食はトーストとコーヒーという家庭もあれば、ご飯と味噌汁という家庭もあります。それぞれが自由に冷蔵庫から勝手なものを出して食べるビュッフェスタイルのような家庭まであります。暮らしぶりがさまざまだから、それぞれの家庭の生活スタイルに合わせて、いろいろな個性が生まれてきています。家庭の生活スタイルは文化ですから、その文化の中で“自分流”を貫く人もたくさん出てきます。言葉を換えれば、みんなバラバラになってしまって、手本となるような暮らしぶりや生き方がなくなってしまったということになるのかもしれません。
 🤷‍♂️若い人から「オンリー・ワン」という言葉が出てきます。自分の個性を生かした生き方をしたいということです。見習うべき手本がないから、自分勝手に「オンリー・ワン」を際だたせていくしかないのでしょう。ただしこの考え方は、大変危険です。
 崩壊している日本の家庭が、突拍子もない「オンリー・ワン」の考え方を生み出しているのは間違いありません。「うちの子が金髪に染めてなぜ悪い。誰に迷惑をかけているわけではない。」こういう育て方だって、「オンリー・ワン」の育て方といえばいえます。しかし、そういう危うさをもっている家庭を再生させられるのも、また家庭でしかありません。
 👀突拍子もないことを主張して、自分の生き方を際だたせようとすることは、みっともないことだと子どもに教えられるのも家庭です。親が子どもに教えられるのは、「散らかしたものは自分で片付けなさい。」というきわめて常識的なことです。そういう常識を身につけた人間にこそ本物の「オンリー・ワン」をめざす資格が備わっているのです。


2020年7月25日土曜日

花だより やむを得ず育てている? 松葉牡丹 向日葵

 やむを得ず育てているなんて思わないこと
 😢幼子を3日間放置して旅行に出ていた母親がいました。(最近のニュースから)
 子育てで溜まったストレスを発散するために小さい子を抱えたお母さん同士でカラオケルームに出かけることがあるそうです。夫のいない昼間、ストレスを発散したいという気持ちはよく分かります。ところがカラオケルームは密室です。よどんだ空気の中で大音量で歌を唄う。もしタバコを吸うお母さんがいたら部屋の中に煙が充満します。大きな声で歌を唄ってお母さんのストレスは解消されるかもしれませんが、一緒にいる小さい子は大変です。とこんなことを言うと「うるさいことを言うから、ますます子どもを産んだり、育てたりする気持ちがなくなっちゃう」と言われそうです。しかし、母と子は一心同体です。お母さんがストレスを発散したいときは、子どももストレスを溜めているときです。子どもは言えないだけです。
👀子どもと一緒になってストレスを発散する方法を見つけることです。それか、夫に子どもを託して、家で留守番をしてもらい気のあった友人とカラオケに行けばいいのです。子育てを一人で背負い込むには、よほどの覚悟が必要です。夫婦仲や姑、親と仲良くして協力してもらうことです。やむを得ず子育てをしているというマイナス思考では、母親失格です。 


2020年7月24日金曜日

花だより 問題行動が絶えない支援が必要な子を日々指導している先生へ ナデシコ


 問題行動が絶えない支援が必要な子を日々指導している先生へ
 特別支援教育連携協議会(出席者~専門医師、保健所、支援センター、児相、幼稚園・小中学校の代表、支援学校、他関係団体などから19名+市教委担当者)に出席して
 関係団体からは、「特別支援学級在籍の保護者から学校の対応のことで相談を受けることが多いです。」とか、児相からは、「多くの事例を抱えています。学校からウィスクをかけて欲しいという依頼がありますが、学校でもできる先生はいるはずです。」、「学校では、LDやADHDのお子さんが、きちんと認識されずに、正しい教育を受けていないのではないか」と指摘する意見もありました。こうした会議では、学校が批判の矢面に立つことがしばしばあります。しかし、真摯に受け止めなければなりません。
🤷‍♂️朝から爆睡? 
 給食を食べて、午後から眠たくなる。だから、保育所ではお昼寝の時間があります。入学間もない1年生なら、それも分かりますが、1時間目から、職員室に来て寝てしまう子がいます。寝不足で機嫌の悪い子は、一人や二人ではありません。聞くと「12時近くまで、宿題をしていた。」と嘘をつきます。本当は、ゲームをしていたのです。「遅くまで、家族で居酒屋に行っていた。」と正直に答える子もいます。朝ごはんを食べてこない子も多くいます。支援の必要な子こそ、規則正しい生活習慣が必要なのに、非常識な行動に目を疑いたくなります。甘やかし、放任、過干渉など、その子が抱える障がい以前に保護者の姿勢に問題があるのではないかと思いたくなります。
🤷‍♂️母子家庭・父子家庭 問題行動のほとんどが片親?
 「準要保護家庭は観劇代を免除します。」と劇団側から言われ、「100名近くいるのですが、本当にいいのですか?」と担当者が念を押すと「ちょっと待って下さい。東北地方の同じ学校規模では10人くらいしかいなかったものですから…。すみませんが、それではいただきます。」笑えない話です。
 準要保護家庭の全国平均は19%ですが、本校では23%です。母子家庭のほとんどが対象になっています。 
 高級ホテルがなぜ料金を高くしているか。それはホテル側が客を選んでいるのです。高級マンションも価格を落とすようなことはしない。なぜなら住民の質が落ちるのを嫌うからだといいます。豪華客船の旅番組がBSで放送されています。妻と「一度乗ってみたい?」という話になりますが、ドレスコードがあったり、フォーマルパーティーがあったり、いかにもセレブという感じで、庶民には高嶺の花、逆に疲れる船旅になってしまいそうです。 
 私立の学校は、児童生徒を選ぶことができますが、公立の学校ではそれはできません。
🤷‍♂️片親だから問題なのか? 
 私は、小学校の高学年のときから母子家庭になりました。父が亡くなったとき、祖父母や親戚から、「いいかい、世間様に笑われないように子どもたちをしっかり育てるんだよ。」と母が言われていたことを覚えています。
 教頭当時、校長先生に連れられて行ったスナックのママの娘さんは、お医者さんでした。「このママは偉いんだぞ!女手一つで一人娘を医大に入れたんだからなあ!」と校長先生は上機嫌で教えてくれました。片親だから、親が水商売をしているからということが問題ではありません。
 解決策は、教育の充実 
 問題行動の絶えない支援の必要な子の母親と話をしました。着ている服、言葉遣いがいかにもヤンキー風です。刺青も見えました。挨拶もなく爆音を残して、ヤンキーな車で走り去っていきました。「なるほどなあ!家庭環境に原因があるのかな?」とため息が出ました。母親に言っても埒(らち)があかないので、祖母を呼んで話すことにしました。私より遙かに年下の茶髪で今流行の破れたジーンズを履いたおばあちゃんには見えないおばちゃんがやってきました。母親と同じく生活保護を受けているので、「孫の面倒は見えれない。」と言いました。結局、その子は児相預かりになり、施設に送られました。負の連鎖は、どこかで断ち切らなければならない。それが私たちにできること、やらなければならないことです。障がい児を抱えている保護者のほとんどは、その現実と向き合い、悩み、日々戦っています。そんな保護者に、寄り添い、力になってやらなければなりません。
👀信頼される学校づくり「いい情報を流す」 
 参観日、学級懇談会、講演会、PTA研修会は、来てもらいたい保護者は来ない。「スマホ・ケイタイについて」学校だよりで何度も問題提起をしました。関心があって読んでいる保護者は理解してくれているはずです。しかし、問題は、関心が無く、学校だよりも読まない保護者です。「学校だよりを出しても、たいした効果はない。」という人もいます。
😉気動車の馬力をUPして、客車を引っ張る 
 「あいさつをしない子がいます。きちんとしましょう!」とできないことを指摘するより「毎朝、きちんと『校長先生、おはようございます』と深々と頭を下げてあいさつする子がいます。朝から気持ちがいいです。」と言う方が効果はあると思っています。
 保護者のほとんどは良識のある立派な親だと思いたいです。学校だより(学校広報)は、テレビや新聞報道と違い、悪いことはなるべく書かないで良い情報を伝える。問題提起をすることで、良識ある保護者に共感してもらい、良識ある保護者を増やす。そのことで信頼される学校につながると考えます。
👍やるべきことをきちんとやる
 法務局の人権擁護委員が来校したことがありました。「いじめに合うので、学校に行かせられない。学校は何もしてくれない。」と保護者から法務局に電話があり、事情聴取に来たのです。担任は、これまで何度も家庭訪問を繰り返していました。不登校の原因は、いじめではなく、学校に行きたくない理由を「いじめ」にしているのです。学校の対応は、逐一教育委員会に報告していて、教育委員会の立会のもと、保護者を召喚し、不登校の解決に向けて話し合いを持ったことを委員の人に話しました。人権擁護委員の方も理解してくれて、「保護者に話をしてみます。」と言ってくれました。このように学校としてやるべきことをきちんとやることが大事です。

 小麦の黄金色、馬鈴薯の緑と白い花、美瑛だけでなくオホーツクの畑も絶景です。

2020年7月23日木曜日

花だより 原稿用紙が特殊なわけ 蓮 


《原稿用紙が特殊なわけ》
 印刷室には、いつでも使えるように2種類(低学年用:15×14,高学年用20×20)の原稿用紙が用意されています。ピース又吉の「火花」が芥川賞を受賞して話題になりましたが、作家さんも今はワープロが主流らしく、又吉氏が原稿用紙を使って原稿を書いているか分かりませんが、林真理子さんは、原稿用紙派で行間の空欄には、推敲後にさまざまな書き込みがされているそうです。過去の偉大な作家たちの原稿もそうです。原稿用紙の行間、わずか5~7mmの空欄はその為にあります。学校現場では、先生が“赤”を入れるのになくてはならないものです。
《映画や演劇、ドラマの台本も行間を広くとってある》 
 高倉健の『網走番外地』の台本を見たことがあります。波線や記号、感情、表情など演技の注意事項が細かく書き込まれてありました。それは楽譜に似たところがあります。
 アナウンサーの原稿も、大きな字で行間を広くとっているとNHKの見学で教えてもらったことがあります。
 さて(校内研修)4年生の授業を参観してですが
 校長室によく来る握力が4㎏しかないスレンダーで小さな女の子がいます。どうやら運動は苦手らしく、休み時間は外で遊ぶタイプではないらしいのです。
 彼女は、子ネコが2匹写っている写真を選んでこう書いていました。
 ~何か、ないしょ話をしているように見えます。一匹の子ネコが「今日ね。ネコ用品の安売りセールがあるらしいよ!」と耳元でささやいています。そしたらもう一匹のネコが「えっ、そうなの?」とおどろいているように見えます。~となかなかおもしろい発想で、彼女らしいなあ。どんな風にスピーチ(発表)するのか楽しみでしたが。ところが、小さい声で棒読みでした。それもまた彼女らしかったのですが…。
 🤷‍♂️ところが、みんなの評価は、好評で先生からも褒められました???
 本時のねらいは、「相手に伝わりやすい話し方を意識し、スピーチすることができる。」、「話の中心に気を付けて聞き、良いところや改善点を伝えることができる。」でした。
《本時は、作文の発表会ではなくスピーチである》
 彼女の原稿は、原稿用紙ではなく、マス目ノートに書かれてありました。それも一行あけて書いてあればよかったのですが、気づきや改善を書き込むスペースがありませんでした。会話文のところに、“ささやくように”とか、“こそこそ話をするように”、“小さい声で”などの“赤”が入っているか、波線でも入れられるようなスペースを空けるなど、直すことが前提の書き方になっていればよかったのにと思いました。ましてや、行間が詰まって書かれてある文章ほど、読みづらいモノはないのです。
 👀プレバトの俳句コーナーの夏井いつき先生は、辛口で有名ですが、出演者が「これ、なかなかいいんじゃない!」と評価したモノを酷評します。そして、言葉を置き換えたりして、手直しをするとみんなが納得する作品へと変身させるのです。
 よいスピーチ、よい文章を知らないとアドバイスや批評はできません。「なるほど!」と思わせるプロの技を見せる!そこに教師の出番があります。
 こんなことを考えながら観ていたら、本時のめあて「~話し方を交流しよう。」と黒板に書いてありました。そうか、よいスピーチをするのではなく、交流することがめあてなのか?そういう授業なんだ?
 😜助言者 最近は少なくなりましたが、研究会の助言者になることが何度かありました。若いときは生意気で好きなことを言っていました。「それはちょっと違うんじゃないですか?」と言ってしまった授業がありました。その授業者は、その後、教育局の指導監になり、現在は東京農大教育学部の教授です。今でも会うとそのことを言われます。若気の至りです。
 美幌田中小学校(美幌の自衛隊から東藻琴に行く途中にあった学校、当時は30数名のへき地複式校)に27歳から32歳まで6年間勤めました。その間、年に2回指導主事訪問のときに授業を行いました。(一番若かったので、やらされたのです。)へき複の研究会(特設授業)も2回行いました。
 生意気盛りで指導書通りにやるのがイヤで、定型の“わたり”“ずらし”も素直にやらず、いつも突飛な授業をしては、批判を浴びて落ち込んでいました。
 🤦‍♂️当時の担当指導主事から「教師は教えるプロだから、授業で勝負できる教師になりなさい。単元のねらい、児童の実態から本時の目標を設定し、その目標を達成するために、どんな教材を用意するか、発問は?板書は(計画)?そして、その結果は?授業後の研究協議できちんと自分の考えを主張する。結果に対して言い訳をしない。」最後に「助言者や偉い人が言ったから、その通りとは限らない。信念や自信がないと授業はできないですよ。」と言われたことを思い出すのも退職間近からでしょうか?

2020年7月22日水曜日

花だより ピッタリの教育 ニッコウキスゲ ヤマユリ2


「子育てが楽しくなるちょっとした習慣」(PHP研究所)
        白百合女子大学 教授 田 島 信 元
 世の中には子育て情報があふれています。「何を信用すればいいの」と迷っている方も多いと思いますが、「実は子育てはそんなに複雑ではなく、むしろシンプルです。」
 子どもには、自身が持つ「育つ力」、つまり子どもは幼いころからもともと「自己学習(発達)力」が備わっています。しかし、この「育つ力」とは、実は「子どもは一人で育つ」という意味ではありません。大人の「育てる力」があって初めて、もともと備わっている「育つ力」が発揮されるものです。
≪その子に合ったピッタリの教育(日本人には日本の教育を)≫
 日本の子育ての常識をアメリカの子どもに当てはめると、子どもはパニックを起こします。逆に、アメリカの子育ての常識を日本の子どもに当てはめると、子どもはとても神経質になってしまうのです。つまり、日本の社会、アメリカの社会といったそれぞれの文化的な土壌にピッタリ合った子育てを考えることが、子どもの発達に一番いいということなのです。(迷ったら担任に相談して下さい。“これがいい”と思い込むのも危険です。)
 日米の差だけの話ではありません。同じ日本で、他のお宅でスマートな教育をしているからといって、それをそのまま自分の子どもに当てはめてみるのも考えものです。うまくいかないばかりか、非常に危険なことです。このことは同じ家庭のきょうだい間でもいえることです。まさに目の前のお子さんに「ピッタリ」あてはまる子育ては、親がお子さんとやりとりしながら、自らあみ出していくものなのです。
≪どうすればよいのか?それは「ことば」と表情を大切にすること≫
 😍親が与えている中で最も重要な刺激は「ことば」です。その「ことば」を使って子どもはものごとを考えるようになります。正しいことば、優しいことばで話しかけることで、子どもは頭や体を動かすのです。褒めるのも叱るのも、子どもは親のことばを一番頼りにしているのです。ことばを一番交わすのは、親だからです。そして、親の表情も大事です。👀子どもは親の表情から本能的に思いを感じるものです。 (牧野要約)


2020年7月20日月曜日

花だより ナス花に無駄花無し ノウゼンカズラ ハマオモト


 「ナス花に無駄花無し」
 ✨ナスの花は、咲いたら必ず実がなることから、「親の言うこととナスの花に、千に一つも無駄はない。」という格言ができたそうです。ところが最近の子どもたちの行動を見ていると、親の存在価値がどれだけあるか?疑問に感じることがあります。
「衣食足りて礼節を知る」 
 🤷‍♂️人は生活に余裕ができて、初めて礼儀や節度をわきまえられるようになるということ。~一国の為政者たるものは、計画をたてて経済を豊かにしなければならぬ。豊かな国へは、どんなに遠くからでも人民は集まってくるし、開発の進んだ国から逃げ出す人民はひとりもいない。その日暮らしにもことかく者に礼節を説いたところでなんになろう。生活が豊かになれば、道徳意識は自然と高まるものであり、衣食が十分であれば、自分の名誉や恥とかを重くみるようになる。~(中国の故事)
 学習(授業)が成立する条件として、基本的な生活習慣がきちんと身に付いているということがあげられます。つまり、勉強ができるということは、「衣食足りて礼節をする」につながります。
 🤦‍♂️大阪寝屋川で起きた中1女子の死体遺棄事件への書き込みに、「寝屋川だから仕方ないか?」とありました。札幌でも学力や問題行動は区によって大きく異なるといいます。生活の安定(家庭環境)が子どもの成長に大きく左右するということです。
 👀学校教育だけで解決できないことはたくさんあります。教育の第一の責任者は親です。一人で抱え込んだり、解決しようとしないで、何かあったら家庭訪問をするなり、保護者を召喚したりして、学校での様子を正直に伝えて、共通理解を図る努力が必要です。

2020年7月19日日曜日

花だより リフォームの匠 ノゲシ  


 コロナがなければ、「東京2020」で盛り上がるはずでしたが、
     新国立競技場建設でもめたのが遠い昔のように思えます。
~露店で古い鉄砲を売っている。通りかかった客が道具屋に値段を聞いた。「この鉄砲は何ぼだ?」「一本です。」「いや代はいくらだ?」「台は樫です。」「いや金(かね)は?」「鉄です。」「値をきいているのだ?」「音(ね)はズドン」
 無駄遣いをしたくない客が値段を知りたいのに、会話はいっこうに噛み合わない。落語『道具屋』である。なにやら新国立競技場の工費に無頓着な関係者と、それに苛立つ国民感情の食い違いに似て無くもない。支持率が下がり気味の首相には、現行計画の“値”に不満を募らす世間の声が「音はズドン」、政権の心臓部に命中しかねない一発と聞こえたのだろう。見直しは当然ながら、遅きに失した感もぬぐえない。~
 後世に遺産(レガシー)として残せるものとして、斬新なデザインと機能性を兼ね備えたTOKYOオリンピックの象徴のはずだったのですが、見通しの甘さから国民から非難を浴びてしまいました。
🤷‍♂️《似たようなことは学校の校舎にも》
 K町の元H小学校は、地域住民の要望を取り入れ天文台のある校舎として、一時脚光を浴びましたが、ほとんど使われることなく、今はお菓子工場になっています。また、K市のW小学校は、小鳥が羽を広げた形をした斬新なデザインの校舎です。車で走っていると畑の中に忽然と現れるので、「ここは何ですか?」と旅行者が立ち寄ることがありました。目を引くことはよいのですが、デザイナーは本州の人で、厳しい北国の冬のことを考えていなかったらしく、校舎北側には大きなつららができ、毎年、氷瀑まつり状態になります。床暖房も経費削減で使われなくなり、FFストーブの排気口が雪に埋もれないように用務員さんは、雪が降る度に校舎の周りを除雪しなければならない状態でした。
🤦‍♂️北小の校舎は、「ここはどうやって掃除をするのか?」と頭をひねるところが何カ所かあります。廊下の掲示板も画用紙の大きさを考えていません。校舎のデザイン重視はよくないように思います。
👀《デザイナーと建築家は違う》 
 テレビ番組「ビフォー・アフター」で感心するのは、リフォームの匠は、経験と熟練から、住む人のことを最優先にしているところです。
😁論語に“孔子先生が言うには、言葉巧みにおべんちゃらを言ったり、外見の体裁やファッションだけにこだわるような人は、本当の仁とはほど遠い者だ。” とあります。教訓にしたいものです。
北国にも暑い夏がやってきました。

2020年7月18日土曜日

花だより 学校だけで決めない エゾスカシユリ

  学校だけで決めない 
  今こそコミュニティ・スクールを活用する。 
 学校評議員会がスタートしたとき、ある評議員から、「学校のやることに私たちが意見していいのですか?」と言われたことを思い出しました。さらに、「協力してほしいと言われても、小学校から高校まで12年間学校に通ったが、学校の裏側はさっぱり分からない。学校が情報を公開してくれないと何をどうしたよいか、わからない。」と言われました。
 👀情報を公開することで地域・保護者の信頼を得ることができる。「開かれた学校」が叫ばれて何年も経ちました。どこまで浸透してきたでしょうか?
 学校HPの開設もそこがメインだったはずですが、例えば、今回のコロナ対応についてやいじめ防止マニュアルなど、学校経営計画には書かれてあってもHPで公開している学校がどれだけあるでしょうか?
 🤷‍♂️今年はコロナショックで運動会や学芸会など学校行事の開催の是非について、保護者の観覧をどうするかなど、学校は頭を抱えています。学校だけで学校の都合で何でも決める時代ではありません。これこそコミュニティスクールで地域の助言を得るべき内容だと思います。そのためにも普段からの情報公開が必要なのです。自分の経験から、どこのPTAも評議員さんも地域の商店や企業、団体も学校には協力的です。無理なお願いも聞いてくれます。


2020年7月17日金曜日

花だより 休校をめぐる「意外」と「やはり」 コバイケソウ



   休校をめぐる「意外」と「やはり」 「内外教育」7月14日号より 
            早稲田大学大学院 政治学研究科教授 片山 善博
 全国で多くの学校は休校になった。2月27日の安倍首相による全国一斉休校要請を受けてのことである。そのことで、とても気になっていたことがある。
 それは各教育委員会がどんな議論をした上で休校を決めたのか、休校に伴って生じるさまざまな課題についてどんな検討を加えていたのか、ということである。
 あれから4か月、休校を決めた時の会議録を多くの教育委員会のホームページを通じて見ることができるようになった。👀それらをいくつか読んでの感想は「意外」と「やはり」だった。
 例外に近いと言っていいかもしれないが、休校を決めるに当たって、教育委員会議できちんと審議していたところがあったのは意外だった。そこでは、教育委員の一人が、学校を休みにすることが目的ではないので、子どもたちが学校に行かずに児童センターに集まってみんなで遊ぶなどという本末転倒にならないように、と釘を刺している。会議には、教育委員会だけでなく関係する部署も参加するなど、多面的な意見交換や議論がなされていることがうかがえて好感が持てた。
 一方、やはりというか案の定というか、…。以下省略 
(🤦‍♂️現在教育委員会にいるので、こう書かれると、非常にコメントしづらい。)

2020年7月16日木曜日

花だより コロナに負けるな幼稚園の運動会とお遊戯会 トキソウ


 コロナに負けるな幼稚園の運動会とお遊戯会
 今年の運動会は、開催が微妙です。先生方は何とかやらせてあげたいと思い、種目などをいろいろ工夫して計画していますが、問題は観客をどうするか?ソーシャルディスタンスの問題をどうクリアするか頭を悩ませています。
 幼稚園の運動会に参加したことがありました。この日は好天に恵まれ絶好の運動会日和でした。幼児のがんばりにつられて祖父母種目に参加して箱ティッシュを賞品にもらってきました。見ていて飽きないのが幼稚園や保育所の運動会です。
 お遊戯もリレーも自分が何をやっているのか、問題意識など持っていない子は、他のことが気になるのか、せっかく練習した遊戯も踊ることなく、ボケーッと立ったまま、リレーもせっかく接戦だったのに、バトンをもらっても立ちすくんで動かない子もいたりします。そこは幼稚園の運動会、ご愛嬌で済まされますが、指導した先生は気が気ではありません。そして、さぞその親は肩身の狭い思いをして見ているのだろうと思いきやそうではないのです。そんなわが子を見て、拍手喝采で盛り上がっているのです。
 何故、幼稚園に入れるのか? 集団生活に適応するためではないでしょうか。
幼稚園教育要領には~自我が芽生え,他者の存在を意識し,自己を抑制しようとする気持ちが生まれる幼児期の発達の特性を踏まえ…。~とあります。ある先生が、「子どもが変わってきたのではなく、親が変わってきている。」と話していました。
 👀幼稚園児は、体験を通して多くのことを学んでいきます。コロナ禍の中でも何とか運動会もお遊戯会もやらせてあげたいものです。

2020年7月15日水曜日

花だより 子どもの反発を招く!NGワード 合歓木 エゾスカシユリ


 子どもの反発を招く!親や先生のNGワード
 子どもが言うことを聞かないとき、もしかしたら何気なく使った言葉に引っかかっているのかもしれません。悪気なく使っているNGワードはけっこうあります。
 真剣に話しているのに、不満げな態度を取ったり、反抗的な目つきでこちらを見てくる。何気なく言った言葉が、子どものモヤモヤを引き起こしていることがあります。子どもは、自分が何にモヤモヤしているのかわからないため、はっきりとは言語化できないのです。
1:不必要な強調NGワード
 いつも、ばっかり、ちっとも、一度も、絶対、当然
2:一般化NGワード
 普通は、みんな、常識
 「こんなの常識」「普通こうするもの」「みんなできている」等々。
 子どもは人生経験が短いので、大人からこんなふうに言われると何も言えません。でも「ホントかな?」という疑問はわきます。また、無理やり教えた価値観は、子どもが大きくなってからも子どもを縛ることが少なくありません。
「先生は、〇〇さんにはこうしてほしい」
など、「私」を主語にした「I(アイ)メッセージ」で伝えることです。
 3:人との比較NGワード
 「○○ちゃんは、あんなにしっかりしているのに、あなたときたら……」
 他人と比べて否定されると、子どもは反発します。これは大人でもそうです。
4:自分で選べなかったものを根拠にするNGワード
 「お姉ちゃん(お兄ちゃん)なんだから」「女の子(男の子)のくせに」
 どれも子どもの反発を招いているのは「余分な言葉」だということです。伝えるときは、シンプルにすることが鉄則です。


2020年7月14日火曜日

花だより 少年院で育てる テッポウユリ


 成績優秀な子が事件を起こすと大きなニュースになるが、非行少年のほとんどは、学力の低い子 教育ルネサンス(読売新聞)少年院で育てる 「学力つけ世界観是正」
 主に中学生が入院する少年院が、入院者にテストをした結果、小学3年生以下が約3割、4年生以下までで6割近くになった。かけ算九九もわからず、漢字の読み書きも満足にできない。「1mが何㎝か知らない」「窓を3分の1開けることができない」『ソ』と『ン』、『シ』と『ツ』の区別が分からない。世界地図で日本の位置が分からない。地球が丸いということが理解できていない子もいる。
 不安定な家庭環境の子どもは、家庭で学習する環境にないこともある。勉強がわからないので小学校でも居場所がなく、中学生になって非行化していく場合が多い。
 教師に暴力を振るって少年院に来た子は、「中学校に登校しても教室ではなく、仲間のたまり場ばかりに行っていた。授業はわからないから、つまらない。友だちとしゃべっていた方がおもしろかった。でも、今は勉強しないとまずと思っている。今は本も読めるようになった。」という。「学力は善悪の判断や行動の結果を推測する力の基礎になる。小中学校9年分を1年程度ですべて覚えさせるのは難しい。基礎学力の習得は、少年たちの狭く偏った世界観を是正することに役立っている。だから勉強は大切なのです。

2020年7月13日月曜日

花だより 志村動物園 カライトソウ ジャガイモの花


 志村動物園 志村けんさんが新型コロナウイルスで亡くなってから、「志村動物園」(日テレ)を見るようになりました。志村園長の遺志を引き継いで番組は続いています。前回は、秋田犬の「わさお」の特集とタレントが犬の保護施設を訪れ、人間に心を開かなかった犬を散歩に連れ出すという出演者や番組スタッフの動物愛を感じる内容に感動しました。
 問題行動に対する100回の説教よりも、心から涙するテレビ番組や映画、小説、物語などの一場面の方がずっと効果がある 
 感動する心は文化芸術に止まらず、学術や科学技術の分野でも大きな影響力を持っています。新しい発見や工夫が、感動や美意識といった心の動きと関係しているとも言われています。学力向上には、育むべき豊かな心を含むものでなければなりません。
 国際舞台で活躍する著名人がよくいうのは、自国の文化についての知識や経験がいかに大切であるかに気づかされる。文化芸術は国際人の教養であり、国際社会での学力に他ならない。豊かさや品格の伴わない学力は国内でも通用しない。何より文化芸術は人間としての豊かさ、本物の心の豊かさを保障してくれるものです。人間の弱さにつけ込んだバラエティ番組や中身のないゲームソフトなどに子どもの心を委ねてよいはずはありません。まして、いくら成績が良くて科学の知識があっても人を傷つけるような子どもを育ててはならないのです。
 初夏 ジャガイモ(馬鈴薯)の花が一面に広がる北海道らしい景色が見られる季節を迎えました。

2020年7月12日日曜日

花だより 子どもが風邪をひいたとき 矢車草


 子どもが風邪をひいたとき、学校に行かせる親とそれを非難する親
 風邪をひいたときにするマスクには3つの効果があるそうです。
 一つは、人から風邪をうつされないため 二つ目は、人に風邪をうつさないため 三つ目は、マスクをすることによって「わたしは風邪をひいています。」と回りの人に知らせるためです。(今なら、「私はコロナ対策しています。」と周囲に知らせるため)
「風邪をひいている子どもを学校に来させるな」と行ってくる親がいます。自分の子に風邪をうつされたくないからです。一方で「子どもは熱があるのですが、私は仕事に行かなければならないので、学校に行かせますからよろしく」と電話を掛けてくる保護者もいます。“学校で何とか看病して下さい”ということなのでしょうか。でも、電話してくる保護者は、まだいい方です。熱でふらふらしているのに学校に来る子もいます。
 電話をして迎えに来てもらおうとしても家族が留守。ということもよくあります。
 自分の立場だけを主張して、責任を人に押しつけてしまっているようです。言えば学校が何とかしてくれるだろうということなでしょうが、それを考えるのは学校ではありません。それぞれの家庭で考えることです。
 子どもたちは、先生も含めて集団生活をしているのですから、風邪をうつしたりうつされたりすることは「おたがいさま」でやむを得ないことです。そうやって免疫力を高め風邪のひきにくい体(抗体)がつくられていくそうです。
 👀しかし、今回の新型コロナウイルスは、これまでのインフルエンザと違い、うつしたり、うつされたりすることは「おたがいさま」と言っている場合ではありません。風邪の症状はあるときは、学校を休んで、ゆっくり静養することです。マスク着用も忘れずに…。

2020年7月11日土曜日

花だより 遠近両用指導 ハイビスカス


 遠近両用指導
            東京学芸大学名誉教授 小島 邦弘
 古来、学校が子どもに育てる能力として、知性(head)、心(heart)、健康(health)、さら技術(hands)を加えた4Hが強調されてきた。
 新型コロナウイルス禍は、このうち、子どもの「健康・命」を守ろうと、「知性、心、技術」を後回しにして学校を休校にしたわけである。
 休校が長引き、一段落すると、学力の遅れや格差を取り戻し、解消しようと「知性」をどうするかが喫緊の課題となってきた。
 だが、コロナ禍は健康・命や知性の育成に打撃を与えたばかりではなく「心、社会性」の育成にも深刻な影響をもたらしていることには、意外と世の中の関心は薄いようである。
 コロナ禍を克服する最善策は「人と接しないこと、2メートルの社会的距離をとること、大声を出さない、しゃべらない、マスクを着けること」にあると、人と人を遠ざけることに傾注された。
 だが、学校は人と人との社会的関心を心の教育の中核に据え、学び合い、支え合い、高め合う協働の力を育む学びの共同体として描かれた。教師と子どもの関係も、スキンシップを出発点にしていた。
 なかんずく、わが国の学校教育の伝統的な長所、特色は、学級(集団)づくりを重視し、学び合う子ども相互の集団に支えられ、土台にして授業の展開が図られてきた。
 結果として、学級の規模が欧米に比較して大きくても、学力が高いのは、この集団づくりに巧みな日本の教師の指導力が支えているからだとも指摘されてきた。
 学校の本来の役割は、教師と子ども、子どもと同士の距離を近づけ、心を一つにして学び合うところにある。コロナ禍は、この学校の役割を一撃したわけである。
 身体的には2メートル離れ、心理的には一体となって心を通わせるには、どう指導したらよいか。難題である。(内外教育 7月7日号より)
 私の遠近両用メガネは2本目です。結構高価なレンズとフレームにしましたが、パソコンを打つときは、メガネを外します。その方が見やすいし、わずらわしくないから…。

2020年7月10日金曜日

花だより 教育行政 すぐにはやれない? シモツケソウ




 教育行政 すぐにはやれない?
 今回のコロナショックで教育現場のICT化の遅れが顕著になり、早急な取組が求められています。なかなか教育改革が進みませんでしたが、これで一気に加速しそうです。
ところが、学校現場から教育行政の末端に座るようになって、一番感じることは、行政は、巨大なタンカーのようなもので、動き出すのにややしばらくかかるし、舵をきるのも、止まるのも時間がかかり簡単ではないということです。起案、協議、顛末、回覧、承認、決済など、何人ものハンコが必要なのです。途中で誰かが?👀?となれば、また一からやり直しです。
 😆コロナ対応でやる気満々の教師が、オンライン授業をやろうと校長の許可を得たが、教育委員会からストップがかかった。というネットニュースを見ました。教育委員会が悪者扱いされていましたが、その町に何校かの学校があって、ある学校のある学級だけに教育委員会がオンライン授業を容認するか?教育の機会均等の立場からすると難しい。「やるなら全部の学校でできないか?」と言うでしょう。
 夏休みを返上して授業をする。その暑さ対策でエアコンを各教室に設置しては?保護者だけでなく教育関係者もそろって要望します。しかし、各教室に設置しようとすると家庭用のエアコンではなく業務用になります。購入費用の問題の他に、電気の配線工事から、電気契約の変更など、まず必要数のエアコンが手に入るかなど、解決しなければならないことが山ほどあります。これはギガスクール構想も同じで、一人1台のタブレットを購入するにも予算のほか、機種やソフト、業者の選定から、先生方の研修など、越えなければならないハードルはいくつもあるのです。遅いのは行政の怠慢だけではありません。そして、コロナ対策で国はお金を出しますが、決して無条件ではないのです。
 😕学校の先生が一番弱いのは、こうしたお金の問題と行政システムを理解していないことです。言えばできる。欲しいと言えばお金が出る。そんな簡単なものではないのですが、コロナショックで世の中大きく変わるのではないかと言われています。期待したいです。

2020年7月9日木曜日

花だより ゆかた姿はいいものだけど・・・ サクランボ ヒルガオ

 ゆかた姿はいいものだけど・・・
 亡くなった母の着物を整理した。昔の人だから、和ダンスの中はいっぱいだった。だれか着る人がいたらと思ったが…。  
 女の子が、髪を結い、ちょっと薄化粧をして、浴衣を着ると七夕祭りや盆踊り、夏お祭りにはよく似合う。テレビでよく外国人に浴衣を着せているシーンをよく見る。(着物=日本)しかし、きちんと着れる、着せることのできる日本人は、何人いるのだろう?
 夏休み札幌に行ったとき、ちょうど花火大会で浴衣姿の男女を多く見かけた。大変結構なことだが、残念ながら着方がだらしない。今は帯もワンタッチ式で着やすいのだろうが、自分で着たのではないだろう?親に着せてもらったとしたら寂しい限りだ。特に男の子の浴衣姿は最低である。寝間着よりまだ悪い!
 母は、着付けの先生ではなかったが、「ちょっと来なさい。みっともない着方をしないのよ。男の帯は腰で締めるのよ」と言われたことを覚えている。そんな母は、私が成人したとき着物と浴衣を作ってくれた。必要性は全く感じなかったが、それでも小さい頃からの習慣なのか今でもお盆やお祭りになると着ることがある。だから帯も自分で締めることができる。
 浴衣を着て、ブランドバックを持って、茶髪、ピアス、ネックレスは、まだ許せても、浴衣を着るならきちんと粋に着て欲しい。「そんなこと言うのは、パパが歳をとった証拠だよ。」と娘は言われた。今年は、コロナで浴衣姿で出かけることもないだろう?  


2020年7月8日水曜日

花だより 自然のなかで グラジオラス


 心を寄せ合い あたたかい社会を 
 「自然のなかで」(校長室の本棚で見つけた本から)
 風の音、木々のざわめき、小鳥のさえずり、生き生けるもののあふれんばかりの生命力である。勢いよく生い茂った深緑に包まれていると、身体まで緑に染まって、新たな力が体内に満ちてくるようだ。
 いつか何かに追い立てられ、急かされてあわただしく時を過ごしているうちに、人はともするとゆとりを失い、気持ちをいらつかす。自分のことは棚に上げ、他の人に当たり散らすこともある。あるいは自分の殻に閉じこもって悶々と過ごすこともあるかもしれない。
 ときには自然の声に耳を傾け、身をゆだねてみたい。時間が静かに流れ始め、自分を振り返る余裕や物事に感動を持って受け止めるみずみずしい心がよみがえってくるはずである。それまでのとらわれにふと気づき、対処する道が見えてくることもある。人間は自然の中の一部なのである。
 👍何代か前の校長も学校経営に行き詰ったときに読んだのだろう。付箋を貼って元の場所に戻しておくことにした。


2020年7月7日火曜日

花だより 子供のしつけに「自由」は役立たない ハマヒルガオ


 子供のしつけに「自由」は役立たない
 「自由」は確かに素晴らしいのですが、欠点があります。例えば「よいと思うことは一生懸命やりましょう。」とか「悪いことをしてはいけません。」ということを子供にしつけようとするときに、自由はほとんど役に立ちません。場合によってはそれが妨害することさえあります。
 「よいと思うことは個人によって違うのだから、一律に決めつけることはできません。それぞれがよいと思うことを自由にやればいいじゃないですか?」これでは子供のしつけになりません。何かシラケた気持ちになってしまいます。「人に迷惑さえかけなければ個人の自由なんじゃないですか?」こう言われたら、人に迷惑をかけるということはどういうことかということから説明しなければなりません。こんな考え方が広まってきて「勧善懲悪」(かんぜんちょうあく)という言葉が死語になりかけています。善いことを勧めて悪を懲らしめるという意味です。昔ならかけ値なしにそれはいいことだという土壌がありました。だから昔の映画やマンガは、全て勧善懲悪のストーリーでした。
 家庭で子供に教える基本は、「よりよく生きなさい」ということです。しつけるとは「仕向ける」ことです。自分の好きなように自由に生きていきなさい。」などといって、方向を示してあげないのは無責任です。
 👉本当のゆとりとは?
「学校で勉強して、帰ってきたら塾へ行き、お母さんからは毎日のように『勉強したの?』と言われ、遊ぶ暇もありゃしない。これも一流大学に入るため、一流会社に就職するため。それより子どもにもっとゆとりを・・・。」とはじまった教育改革と皆さんは理解されているのではないでしょうか?
 教育改革の重点の一つに、~ゆとりある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実させる。~とあります。どうもこの「ゆとり」の解釈が間違っているように思います。確かに教科書の内容は易しくなりました。その分、基礎的基本的な内容を確実に身につけることが求められています。端的に言えば、これまでテストで80点くらいとっていればよかったものが、今は100点でなければならないということです。100点をとるのは簡単なことではありません。
 先進国の中で、家庭学習の時間が一番短いのが日本の子どもという結果が出ました。「学力低下で日本は滅びる」と主張する人もいます。だからと言って「1日4~5時間も勉強しなさい。」というのではありません。
 担任の先生から夏休みの課題が出ます。自分では、どの教科のどの部分が不十分なのか先生とよく相談して足りないところは、休み中に是非補って欲しいと思います。
 1日の生活表の中で、午前中は勉強時間に当てましょう。お父さんの仕事が○○なら、子どもの仕事は勉強です。「よく遊び、よく学べ」です。
 「勉強しなさい」と言ってもしないものが、言わなかったら全くしません。
 小学校のときに、家庭学習の習慣が身に付いていない子は、中学校に行っても勉強はしません。
 👀「勉強しなさい!」と強く言えるのは小学校までです。中学・高校になってから言うと大変なことになります。

2020年7月6日月曜日

花だより 自然から学ぶこと イワタバコ 浜昼顔


 自然から学ぶこと(PHPより)
 このところの雨で花壇のペチュニアも息を吹き返しました。教材園やビニールハウスの作物が大きく生長しています。毎日手間隙かけて育てたものでも、ひとたび大粒の雹や大雨が降れば、それまでの苦労が一瞬にして水の泡となってしまいます。このときほど自然の前では人間がいかに小さい無力な存在であるかを思い知らされます。
 人生でも一生懸命努めても、自分の力ではどうしようもないことがあります。そんなときは、我が身の不運を嘆き、世を恨む。それは人情の然らしめるところかもしれません。最近の事件の根底には、このことがあるように思います。けれども、すんでしまったこと、どうにもならないことを思い煩っていても事は進展しないのです。
 何度もつまずき、窮地に立たされても、希望を失わず、その都度次の一歩を踏み出す。そうすることで新たな道が開け、自分を一回りも二回りも大きく成長させることができる。と子どもには語りかけていきたいものです。
 人生の途上で出遭う苦難や挫折、それを乗り越えさせるのは、やはり前途に対する「希望」を持つことです。


2020年7月5日日曜日

花だより 法事 紅花 エゾキスゲ

 たんぽぽに似た「こうりんたんぽぽ」が体育館裏の原っぱにびっしり咲いています。植物というのはよくできていて、同じところでちゃんとたんぽぽと時期をずらして咲きます。
 父の37回忌の法事
 母が「これで最後ですね。」とお寺さんに言うと「いいえ、無くなった方を覚えている人がいる限り続きます。先日、50回忌をしてきました。亡くなった人を偲ぶ心、ご先祖様を大切にする心を皆さん持っていれば、悲惨な事件など、起きないのですがねえ~。」というお説教を聞きました。
 そう言っていた母の3回忌が近づいてきました。

小清水原生花園が一年で一番いい時期を迎えます。不要不急の外出は、避けるように言われていますが、人気のない自然の中でマスクを外すのもいいかもしれません。

2020年7月4日土曜日

花だより 板 書Ⅱ 基本中の基本 エゾカンゾウ 浜茄子


 板 書Ⅱ 基本中の基本 
 新卒のとき、先輩から言われたことを思い出しました。
「いいか、大工さんが鋸や金槌をうまく使いこなすように、学校の先生はな。黒板とチョークを上手く使いこなすようになったら一人前だ!だから、板書を見たら、その先生の力量が分かるんだよ。」
 黒板は、子どもたちの視野の全面に広がっているものです。板書から多くの視覚情報を得て、子どもたちは学習を進める黒板を効果的に利用することは、大切な指導技術なのです。
1 白と黄色のチョークをメインに使う
教室には、色弱、色覚異常の子がいます。赤緑異常の子、あるいは色弱の子がいることを考えたら、赤色は使えない。青色も同様です。メインは白と黄色です。
2 一目でわかる工夫をする
内容を焦点化、視覚化すること。芦田恵之介氏は、板書案を帳面に書き留められていた。有田和正氏も板書案を書いて授業をされている。一目でわかる板書は、軽度発達障害の児童には効果的な視覚情報となるのです。
3 黒板を子どもに開放する
黒板は、教師が使うばかりではいけない。子どもに開放する。例えば次のような方法があります。
(1)黒板を区切って書かせる。
 算数なら黒板を8つに区切り、計算等を書かせる。向山型算数では、有名な方法である。
(2)箇条書きに書かせる。
黒板の上にチョークで、点を打っておく。「空いているところにどんどん書きなさい。」と板書させる。
(3)指で書くところを示す。
1番目の子は右端、2番目は左端、3番目は、真ん中と指さして書かせる。(混雑が解消される)
(4)原則として、書き直しはさせない。緊張感が生まれ、書き直しの時間ロスもなくなる。
(5)板書したら、名前を書かせる。自分の板書に責任を持たせる。
4 教師の板書のスピードが標準スピード 教師が子どもの筆速の模範となる。
 次が筆速の目安
○低学年・・・分速20字程度 
○中学年・・・分速25字程度 
○高学年・・・分速30字程度
*これはもう古い本に書かれているものですが、ICT化が進んでも、これが基本です。


2020年7月3日金曜日

花だより 目指そう板書の充実 アガパンサス


 目指そう板書の充実
 間もなく黒板とチョークが電子黒板に変わる時代がやってくることでしょう。
 授業の上手な先生は、板書も上手です。
 時代は変わってもこれまで培った技術は生かされるはずです。
 子どもの思考の足跡がわかる板書に!
《板書の意義とは》
【音声言語の補助手段】
◇正確で魅了に伝達できる。
◇留意点を活動中も意識させ続けられる。
【集団思考のノート~形成機能】
◇ねらいの共有化、課題の明確化
◇比較や概念の関連づけ等、思考のヒント
◇子どもの思考に沿った加除訂正
【理解・定着機能】
◇概念や知識の整理や構造化
◇学びの流れ、概念や知識の習得過程を振り返る手立て
《よい板書をめざして》
○板書の基本を確認する。
・楷書で ・正確丁寧 ・適度な大きさ
・誰にも見やすく ・大事な部分にアクセント ・消す順番や残す箇所の工夫
○子どもの思考の活用
・子どもの考えを授業に生かす。
・カードやボードに記入後、掲示するなどの工夫
○子どもと共に創り上げる板書にする。
・子どもを黒板の前で活躍させる。
・できるだけ子どもの言葉を活用する。
・板書内容、書くタイミングを計画する。

2020年7月2日木曜日

花だより 目指そうノート指導の充実 タチアオイ


 目指そうノート指導の充実 
 わずか5分の授業参観で、授業の良い悪いが分かります。
 「ちょっとノートを見せて」これまでの学習の内容が分かります。
 教師の板書が分かります。その子の性格もわかります。
【子ども】
□学習理解、定着に役立つ
□考えが広まったり、広げたりする。
□自分の考えが整理され、説明にも役立つ。
□復習時の資料として活用できる。
【教 師】
□子どもの学習状況を把握できる。
□効果的に学習を進めることができる。
□予習と復習を関連させることができる。
□子どもの学習習慣の改善ができる。
【留意点】
○発達段階に適したノートを準備させる。(マス目の大小、罫線のみ等、ワークシートの活用も配慮)
○必ず記入する事項を明確にして指導する。(学習日時、学習課題、自他の考え、まとめ等)
○ノートガイダンスを実施する。(書く内容や書き方のルールを確認する)
○赤ペン等を利用させる。(めあてなど、大事な部分を目立つようにする)
○問題に対する間違いの直しは消さずに、近くに訂正を記入させ、自分の課題を自覚させる)
○書くのが遅い子への支援、速い子の対応を用意する。(作業量の調整、別の解決方法の指示等)

2020年7月1日水曜日

花だより ドレスコード オオマチヨイグサ


 ドレスコード ~相手への敬意をいつも考えて~
 「あの人は先生ですか?」と市の職員と問われました。短パン・Tシャツ姿の年輩者が、あわてて会議室に入っていきました。「着替える暇もなかったのでしょう。」と答えておきました。
 「クールビズをカジュアルのことと誤解している?」 
 ~環境省がクールビズを提唱してから、すっかり浸透してきたが、装いは様々で露出が多すぎたり、カジュアルになりすぎる場合もある。職場にふさわしい装いを示す「ドレスコード」を設ける企業も出てきた。ある大手の会社では、「過度な露出は避け、節度を守り清潔感が感じられる服装とする。」という服装に関する社会通達を出した。ジーンズやデニム地のスカート、パーカ、サンダル、Tシャツなどは、「オフィスカジュアルから逸脱しているため不可」とした。一昨年末に女性社員15人を集めて「ドレスコードプロジェクト」をスタートさせ、社内アンケートやマナー本などを参考に規定を作った。プロジェクトリーダー(24歳)は「自分のためのおしゃれとビジネスでの装いは異なる。顧客や一緒に働く人を不快に感じさせない清潔感のある服装は何かと考えた。」また、国際イメージコンサルタントの三好凛佳さんは、「クールビズをカジュアルのことと誤解している人が多い。省エネのための装いで、清潔感があり、自分にも人にも快適で仕事がしやすい装いであることがクールビズの前提です。ジャケットなどを着れば、きちんと見えるため、日頃から職場に常備し、必要な際に羽織るとよいでしょう。ビジネスの場では、相手の敬意を払った装いであるかを常に考えて」とアドバイスする。~(読売新聞から)
 “着ているものは、あなたの心を表す。”という言葉があります。ミニスカートの女子高生の姿を最近見なくなりました。高校の校則が厳格になり、指導が行き届いた結果だと市内の高校の校長先生が言っていました。
 TPOやその日の天候に合わせて、装うことができるのが大人だと思います。校則からドレスコード、いつになったら自立するのでしょうか? それとも若者との感覚のズレを気にする年齢になったということでしょうか?
 ただし、教員は学校で子どもと向き合っているときは、全て体育の時間のようなものです。動きやすさが一番ですが、会議とか対外的な場面では、学校の先生だからといって許されるというものではありません。