《原稿用紙が特殊なわけ》
印刷室には、いつでも使えるように2種類(低学年用:15×14,高学年用20×20)の原稿用紙が用意されています。ピース又吉の「火花」が芥川賞を受賞して話題になりましたが、作家さんも今はワープロが主流らしく、又吉氏が原稿用紙を使って原稿を書いているか分かりませんが、林真理子さんは、原稿用紙派で行間の空欄には、推敲後にさまざまな書き込みがされているそうです。過去の偉大な作家たちの原稿もそうです。原稿用紙の行間、わずか5~7mmの空欄はその為にあります。学校現場では、先生が“赤”を入れるのになくてはならないものです。
《映画や演劇、ドラマの台本も行間を広くとってある》
高倉健の『網走番外地』の台本を見たことがあります。波線や記号、感情、表情など演技の注意事項が細かく書き込まれてありました。それは楽譜に似たところがあります。
アナウンサーの原稿も、大きな字で行間を広くとっているとNHKの見学で教えてもらったことがあります。
さて(校内研修)4年生の授業を参観してですが
校長室によく来る握力が4㎏しかないスレンダーで小さな女の子がいます。どうやら運動は苦手らしく、休み時間は外で遊ぶタイプではないらしいのです。
彼女は、子ネコが2匹写っている写真を選んでこう書いていました。
~何か、ないしょ話をしているように見えます。一匹の子ネコが「今日ね。ネコ用品の安売りセールがあるらしいよ!」と耳元でささやいています。そしたらもう一匹のネコが「えっ、そうなの?」とおどろいているように見えます。~となかなかおもしろい発想で、彼女らしいなあ。どんな風にスピーチ(発表)するのか楽しみでしたが。ところが、小さい声で棒読みでした。それもまた彼女らしかったのですが…。
🤷♂️ところが、みんなの評価は、好評で先生からも褒められました???
本時のねらいは、「相手に伝わりやすい話し方を意識し、スピーチすることができる。」、「話の中心に気を付けて聞き、良いところや改善点を伝えることができる。」でした。
《本時は、作文の発表会ではなくスピーチである》
彼女の原稿は、原稿用紙ではなく、マス目ノートに書かれてありました。それも一行あけて書いてあればよかったのですが、気づきや改善を書き込むスペースがありませんでした。会話文のところに、“ささやくように”とか、“こそこそ話をするように”、“小さい声で”などの“赤”が入っているか、波線でも入れられるようなスペースを空けるなど、直すことが前提の書き方になっていればよかったのにと思いました。ましてや、行間が詰まって書かれてある文章ほど、読みづらいモノはないのです。
👀プレバトの俳句コーナーの夏井いつき先生は、辛口で有名ですが、出演者が「これ、なかなかいいんじゃない!」と評価したモノを酷評します。そして、言葉を置き換えたりして、手直しをするとみんなが納得する作品へと変身させるのです。
よいスピーチ、よい文章を知らないとアドバイスや批評はできません。「なるほど!」と思わせるプロの技を見せる!そこに教師の出番があります。
こんなことを考えながら観ていたら、本時のめあて「~話し方を交流しよう。」と黒板に書いてありました。そうか、よいスピーチをするのではなく、交流することがめあてなのか?そういう授業なんだ?
😜助言者 最近は少なくなりましたが、研究会の助言者になることが何度かありました。若いときは生意気で好きなことを言っていました。「それはちょっと違うんじゃないですか?」と言ってしまった授業がありました。その授業者は、その後、教育局の指導監になり、現在は東京農大教育学部の教授です。今でも会うとそのことを言われます。若気の至りです。
美幌田中小学校(美幌の自衛隊から東藻琴に行く途中にあった学校、当時は30数名のへき地複式校)に27歳から32歳まで6年間勤めました。その間、年に2回指導主事訪問のときに授業を行いました。(一番若かったので、やらされたのです。)へき複の研究会(特設授業)も2回行いました。
生意気盛りで指導書通りにやるのがイヤで、定型の“わたり”“ずらし”も素直にやらず、いつも突飛な授業をしては、批判を浴びて落ち込んでいました。
🤦♂️当時の担当指導主事から「教師は教えるプロだから、授業で勝負できる教師になりなさい。単元のねらい、児童の実態から本時の目標を設定し、その目標を達成するために、どんな教材を用意するか、発問は?板書は(計画)?そして、その結果は?授業後の研究協議できちんと自分の考えを主張する。結果に対して言い訳をしない。」最後に「助言者や偉い人が言ったから、その通りとは限らない。信念や自信がないと授業はできないですよ。」と言われたことを思い出すのも退職間近からでしょうか?
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