今、こども園では一日中、運動会の練習をしています。体力と学力と関連がある。朝の授業前に運動すると成績向上につながった例があります。また、週5日放課後に適度な運動をしたグループとしなかったグループで知的機能を問うテストをしたところ、その結果、運動をしたグループは知能機能が向上、脳波を測定すると、運動した子どもの脳はテスト中、より活発に活動していたという。
運動会の練習を通して、子どもたちの体力だけでなく、学力も向上したと信じたいです。
札幌市立山の手小学校(ボランティア活動の先進校)
安全で命を大切に【命を守る教育】
《防火教室・避難訓練》
学校やこども園が火事になることはほとんどない?
長い教員生活で、昔の木造校舎の時代は別にして、学校が火事になったという話は聞いたことがありません。(中学校のトイレでボヤ騒ぎはあったが) それなのに毎月避難訓練をします。子どもたちに「避難訓練なんか、しなくてもいいんじゃないの?」と言うと、4歳の女の子が大きな声で「ダメ~!」と叫びました。その後、何人か続いて「ダメだよ!」と言い出したのです。「どうして?」と訪ねると「だって、死んじゃうもん」と答えました。素早く反応したのは数人だけでしたが、それを聞いてたぶん4歳児さん以上は、そう思ったに違いありません。それは前段に防火教室があって、消防士さんの話を聞いていたからです。大事なことは、ちゃんと理解しているのだと感心しました。
5月19日(金)は「交通安全教室」がありました。子どもたちは、散歩に行くとき、横断歩道に差しかかると「右見て、左見て、また右見て、だいじょうぶ!」と言って手を挙げて必ず渡ります。
「ちゃんとできているから交通安全教室なんかやらなくてもいいじゃないの!」と言うとまた、大きな声で「ダメ~!」と言ました。死んじゃうかもしれないからです。
アフターコロナ・ウイズコロナ
こども園は、大切なお子さんをお預かりしています。ケガや病気にさせてはいけないのです。しかし、コロナ以外の感染症にも多くかかります。ケガもします。アレルギーもあります。そうしたことから、子どもたちを守るのが私たちの務めです。ですから手洗いの励行・手指の消毒、保育室の消毒も続けています。
農園で作物を育てるのも命の大切さを学ぶ活動です。食べることも命を守ることです。ですから給食(食育)も命を守る教育です。子ども園の活動はすべて「命の教育」と言ってもいいでしょう。
「安全で命を大切に」~命が一番大切~という意識を小さいころから強く持たせることが大切です。言葉だけで理解するのではなく、体験を通して学ぶことが大切です。自分の命を大切にする子は、人を傷つけるようなことはしないでしょう。
「死んだらどうなる?」と聞いたら、「パパとママが泣く」と答えました。反対に、「どうして命を大切にしなければならないの?」と質問されました。「園長先生と違って、みんなにはわくわくする未来があるからだよ」と答えました。
「教師の命は授業である」「教師の命は研修である」「授業は教師の芸術である」「教師の前に人間であれ」「教師は人なり」言い古された言葉ですが、教師には古くて新しい課題として肝に銘じて研鑚することが肝要です。
アメリカの聖職者(牧師)であるウィリアム・アーサーの「凡庸な教師はただしゃべるだけ よい教師は説明する 優れた教師は範を示す 偉大な教師は子どもの心に火をつける」と訳された言葉があります。また、水上 勉氏は、「人は木の花や葉、枝ぶりの美しさに心を奪われる。これはこれでいいが、木には見えない根があることを忘れてはいけない」と言っています。
教育の有様が難しい時代だからこそ、教師としての人間性、社会性はもとより指導力、研修欲など、教師としての心の玉をたゆまず磨き続けなければなりません。
校長先生には、「凡庸な校長はただしゃべるだけ よい校長は説明する 優れた校長は範を示す 偉大な校長は教師の心に火をつける」という言葉を贈ります。
コロナもやっと収束に向かい、こども園は本来の活動ができるようになりました。3年間のマスク生活が解除された4月、「あの方は誰ですか?」と副園長に聞くと「いやだ!園長先生、うちの職員ですよ」と叱られたことがありました。マスクが外され、お互いの顔を見て話すことができる喜びとコミュニケーションの大事さを改めて感じています。
保育現場では、保育者の日々の「言葉がけ」が子どもの将来を左右するほど重要です。その理由は、大きく2つあります。ひとつ目は、人間関係やコミュニケーションを向上させるうえで、言葉がけは欠かせないことです。保育者と子ども、保育者と保護者、保育者同士の3種類があります。この全てが良好に機能して初めて、良い保育環境が整います。
ふたつ目は、保護者の言葉がけが子どもの発達に大きく影響することです。それには2種類あります。①保育者から多くの言葉を吸収して言葉が使えるようになるので、保育者の言葉がけには、子どもの言語表現力を育む責任がともないます。②保育者の言葉がけによって、子どもは自己肯定感を高めます。自己肯定感が備わった子どもは、自分の存在価値を認めて、自信を持って前向きに生きていくことができます。こう考えると、「自分の言葉がけは大丈夫だろうか」と心配になります。
「いやあ~、誰だか分からなかったよ」と謝ると「園長先生、これからは私のこと気にして、言葉をかけてくださいね。」と注意されました。良いパターン、悪いパターンを振り分けて。自分独自の言葉がけの引き出しをつくることが大事です。ポイントは、①相手を知る ②敬意をもって話す ③喜怒哀楽を分かち合う ④聞き上手になる ⑤話しやすい雰囲気を作る ⑥「待つ」ことを大切にする *⑦相手の表情を見ながら話す この7つです。
≪特に物語教材は読みが大事≫
1年生に対して従前からの不当な「子ども扱い」を無頓着に続けたならば、子どもは物足りなさや不満を募らせついに逃避や攻撃に転じるかもしれない。それは、かつての小1プロブレムとは全く異なる出来事であると小学校教員は誤認してしまう可能性がある。
小学校入門期から低学年までの授業の在り方を、今や劇的に変えるべきではないか。今後における保幼少連携の課題は、幼児期までに培われた学びや育ちを正当に評価し、その豊かな土壌こそ土台にして、さらに小学校ならではの高みを目指す点にある。「手はお膝」「口にチャック」と言ったそもそも人権侵害的で時代錯誤的規律訓練は、無駄である。
今回紹介した奈須教授もそうだが幼児教育に関して、生活・総合関連の先生が多い。生活科は、小学校教育、特に低学年の学習を大きく変えるという発想から生まれたものだから、当然だろう。生活科の誕生と自由保育は、ほぼ同時期に始まった。20年以上も経過しているが、まだまだ課題は多い。自由という概念は、哲学的な議論な歴史的事実が示す通り、とっつきやすい外見とは裏腹に、正確な理解や適切な行使が極めて困難な概念はない。つまり、それを理解する教師の力量が問われている気がする。
生後4か月の子どもがいる母親が「小学校でうまくやれるようにするために、今から何をすればいいですか?」あまりにも早すぎる心配に驚いたが、子どもを持つ親の多くは、「小学校」という場に対して、多かれ少なかれ、こんな心配を持っている。
小1プロブレムという言葉が使われ始めた2000年前後は、幼児教育の世界で自由保育と言う言葉が一種の流行となっていた時期でもある。幼い子どもをかけがえのない一個の人格と見なし、その内側から立ち上がる強靭なセルフ・コントロールを基盤に、同じく一個の人格たる仲間との自由な意思に基づく共生社会の自律的・共同的創造を原理とした生活教育的立場に立つ保育、それが本来の自由保育である。
ところが自由という概念ほど、そのとっつきやすい外見とは裏腹に、正確な理解や適切な行使が極めて困難な概念はない。
自由保育もご多分にもれず、その広がりの中でしばしば大きく誤解され、時にはまったく正反対のものとして実践されてしまった。同じ自由保育という名の下で、教育的には危険極まりない放任や迎合が幅を利かせるという、実に困った事態が生じた。かくして当然の帰結として、小1プロブレムのような光景が広く見られるようになった。
しかしながら、時間の経過とともに、本来の自由保育はその質・量ともに着実に根を下ろしてきている。伸びやかな心と身体でおだやかなで、かつしなやかに遊び暮らす子どもたちの姿を、多くの幼児施設で見ることができる。(つづく)
上智大学 那須正裕教授 「小1プロブレムの先に見えてきた保幼少連携の新たな課題」 牧野要約
つくし(土筆) スギナにくっついて出てくることから「付く子」、胞子の先が筆に似ていることで、筆が土から突き出すように生えてくる姿から土筆と書くようになった。「つくしんぼ」、「つくしんぼう」ともいいます。俳句では春の季語です。あちらこちらでにょきっと顔を出し始めました。つくし(土筆)は、生長が早く、土の中から出てくることから「向上心」という花言葉がついています。もうすぐ連休がスタートします。有意義に過ごして下さい。