生後4か月の子どもがいる母親が「小学校でうまくやれるようにするために、今から何をすればいいですか?」あまりにも早すぎる心配に驚いたが、子どもを持つ親の多くは、「小学校」という場に対して、多かれ少なかれ、こんな心配を持っている。
小1プロブレムという言葉が使われ始めた2000年前後は、幼児教育の世界で自由保育と言う言葉が一種の流行となっていた時期でもある。幼い子どもをかけがえのない一個の人格と見なし、その内側から立ち上がる強靭なセルフ・コントロールを基盤に、同じく一個の人格たる仲間との自由な意思に基づく共生社会の自律的・共同的創造を原理とした生活教育的立場に立つ保育、それが本来の自由保育である。
ところが自由という概念ほど、そのとっつきやすい外見とは裏腹に、正確な理解や適切な行使が極めて困難な概念はない。
自由保育もご多分にもれず、その広がりの中でしばしば大きく誤解され、時にはまったく正反対のものとして実践されてしまった。同じ自由保育という名の下で、教育的には危険極まりない放任や迎合が幅を利かせるという、実に困った事態が生じた。かくして当然の帰結として、小1プロブレムのような光景が広く見られるようになった。
しかしながら、時間の経過とともに、本来の自由保育はその質・量ともに着実に根を下ろしてきている。伸びやかな心と身体でおだやかなで、かつしなやかに遊び暮らす子どもたちの姿を、多くの幼児施設で見ることができる。(つづく)
上智大学 那須正裕教授 「小1プロブレムの先に見えてきた保幼少連携の新たな課題」 牧野要約
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