白く長い眉毛がトレードマークで国民から親しまれた村山富市元首相が亡くなられました。94年、自民、社会、さぎがけの連立政権が誕生し、まさか社会党委員長が首相になるとは思いませんでした。労働運動からの叩き上げの社会党員だった村山氏の首相誕生は、一番ふさわしくない人がなったと言われましたが、同時に自民党の懐の広さだとも言われました。首相就任後は「自衛隊は合憲」「日米安全保障条約堅持」の見解を打ち出すなど、社会党の基本政策を大胆に転換し、「55年体制」を乗り越え、長年の懸案事項に取り組み転換期に足跡を残した功績は大きいものがあります。
学校現場にも大きな影響を与えました。当時、卒業式の国旗掲揚、国歌斉唱は、日教組の反対運動により、校長は苦慮していましたが、社会党の方針転換により、「日の君」問題が解決するきっかけとなりました。
1994年6月29日、首相に指名された後、自民党の控室で「(自民党の)政情を憂う切々たる心情に心を打たれた。お互いに真心は通じるものだ」と語ったといいます。今の政界も同じような状況にあります。他党との立場の違いに苦慮しつつも妥協点を見出した村山氏の政治姿勢は、現在の教訓です。
大分の漁師の家の11人きょうだいの6男に生まれ、貧しい家を助けるため幼いころから漁に出たそうです。座右の銘は「大衆から学ぶ」額に汗して働く国民の目線で政治を考えることを原点としました。人柄で信頼され、国を率いた首相はそうはいない。
(2025年10月18日 読売新聞より)


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