「良夫賢父」
板東眞理子(昭和女子大学学長)「母の品格」より
現代の「良妻賢母」に必要とされるものは、裁縫、調理、掃除などの家事能力ではなく、家計を管理し、子どもを教育し、そして何より良きパートナーとして夫を理解し支える能力が必要です。将来が見えない社会でどういう子どもを育てるか、洞察力と子どもが社会人として職業人として生きていく力を与える人間性が求められています。
一方儒教的な社会では男性に対しては良い夫であれとか、良い父親であれという特性は強調されませんでした。むしろ忠義とか友人との信義(付き合い)が優先され、妻子の愛に引かれて進退を誤らないように、女性の色香に迷わないようにと教育されていたのです。家族に対する愛情のうちでは親に対する孝だけが推奨されたのです。もともと儒教は国を治める官僚や組織の倫理が中心だからか、妻への貞節、信義は軽んじられ、子孫繁栄のために妾(めかけ)を持つことも正当化し、良妻は夫の浮気や妾に嫉妬しないことを期待されたのです。
板東眞理子(昭和女子大学学長)「母の品格」より
現代の「良妻賢母」に必要とされるものは、裁縫、調理、掃除などの家事能力ではなく、家計を管理し、子どもを教育し、そして何より良きパートナーとして夫を理解し支える能力が必要です。将来が見えない社会でどういう子どもを育てるか、洞察力と子どもが社会人として職業人として生きていく力を与える人間性が求められています。
一方儒教的な社会では男性に対しては良い夫であれとか、良い父親であれという特性は強調されませんでした。むしろ忠義とか友人との信義(付き合い)が優先され、妻子の愛に引かれて進退を誤らないように、女性の色香に迷わないようにと教育されていたのです。家族に対する愛情のうちでは親に対する孝だけが推奨されたのです。もともと儒教は国を治める官僚や組織の倫理が中心だからか、妻への貞節、信義は軽んじられ、子孫繁栄のために妾(めかけ)を持つことも正当化し、良妻は夫の浮気や妾に嫉妬しないことを期待されたのです。
儒教だけが悪いのではありません。仏教も男女の愛や子どもへの愛は煩悩として退けたのです。こうした煩悩から解脱して悟りの境地に達するよう修行することが理想とされました。しかし、本来日本人は、万葉、平安時代の恋歌や物語に見るとおり、ものの哀れや男女の恋愛を尊重していたのです。それを描くのが中国文学と異なる日本文学の特徴です。
ところが、それが外来の儒教や仏教が重んじられるようになってしまったのです。ここでもう一度日本男性に、本来のものの哀れを解し、妻や子への愛にあふれる生き方や価値観を取り戻してほしいと思うのです。
ところが、それが外来の儒教や仏教が重んじられるようになってしまったのです。ここでもう一度日本男性に、本来のものの哀れを解し、妻や子への愛にあふれる生き方や価値観を取り戻してほしいと思うのです。
徐々にそうなりつつありますが、介護休暇を請求した男性職員が、上司から「介護は女性がするものだろう?」と言われたそうです。こども園の送迎にお父さんの姿が多く目立ちようになってきましたが、まだ、このような考えが残っていうのは残念です。


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