2018年7月31日火曜日

花だより チングルマ オオマチヨイグサ PTAとは


 「牧野先生、変わらないですね。髪の毛はまだあるし、黒いし…。」と若松小学校時代の保護者から声をかけられ、「来年3月で退職です。体のあちこちにガタがきていて、もう潮時です。」最近こんなやりとりが多くなりました。北見市では、南小(教頭)3年、若松小(校長)3年、最後北小学校で4年、通算10年お世話になりました。
 子どもたちの安全を脅かす事案が年々増加しています。ある保護者から「学校でケータイ・スマホを禁止してください。」と頼まれました。インターネット等によるサイバー空間の脅威に対しては、保護者が、知らない、分らないでは済まされません。持つことを前提として、子どもたちが安心して有意義に使えるように学校だけでなく、家庭・地域の積極的な取組が、今求められています。
 PTAは、保護者が主となって家庭と学校と地域をつなぐ子どもを中心に置いた地域教育活動を活性化させる役割を担っています。子どもたちのために活動していますが、実は保護者が、人とのつながりや地域とのつながり、社会を知り自分を成長させることができる場でもあります。子どもがいるからできる。今だからできることに真摯に取り組む。これがPTAのあるべき姿ではないかと感じています。
 これから益々、学校と家庭の連携が重要になってきます。市P連活動の盛会をご祈念申し上げます 。(平成27年 北見市PTA連合会 機関誌)

2018年7月30日月曜日

花だより クルマユリ 論語を学ぶべし


「学力」の向上を中核とした教員の参画を促す学校経営について 
   校長として何をなすべきか ~『論語』に学ぶべし~ 
                 北見市立北小学校長 牧野 喜充 
第一章 学而編一 「人生の最上の楽しみ」
「孔子先生がおっしゃった。学問を学び、それを反復すれば自分のものとなり、こんなに喜ばしいことはない。また、学んでいると同学同志の友が遠方より訪ねて来て、ともに語り合い、いっそう楽しくなる。たとえ学問が成就したことを世間の人が認めてくれなかったとしても、それを嘆くことはあるまい。その道を求めていく人を君子というのだから…。」とある。
 また、論語には、「六十にして耳順(したが)う。修養を積んで他人の言葉を素直に受け入れられるようになる年が六十である。」という。
 定年退職まで残り8ヶ月余りとなった。愚職は、孔子のような悟りの境地には至らないが、後に続く教師には、学問が人生の最上の楽しみであって欲しいと願う。
第二章 為政編十九 「まず実行せよ」 
 孔子の高弟が「君子とはどのような者か」と聞いた。孔子は答える。「君子とは、まず行動を先に見せ、その後にものをいうものである。」
 今回頂いたお題は、「学力向上を中核とした教員の参画を促す学校経営について」である。
「学力向上」=「全国学力調査の点数を上げること」に特化すれば、それほど難しいことではないように思う。 
◎学力調査の過去問題をやる。◎チャレンジテストをやる。◎字を丁寧に書かせる。
◎最後まで諦めずにやらせるなどの取組で正答率を上げることができるはずである。
 しかし、“学力調査で測れる学力は限定的なモノ”と否定的に捉える人がまだ多い。
第一章 学而編十 「学問は自分を磨くためにある」
 「学問は自分自身の教養を深めるためで、人に知られるためにやるわけではない。学問が進み人格が備わったことを、人が知るか知るまいが、そんなことはどうでもいいことだ。それより他人の真価を見抜けない自分の能力の低いことを憂うべきである。」 
 たぶんこれに近いことを言うのだろうが、それより教師自身の能力の低さを憂うべきではないか。とにかくやることはきちんとやらなければならない。北海道、特にオホーツク管内は、全国最低レベルに低迷している現実を真摯に受け止めるべきである。
 今回の執筆依頼は、たぶん退職校長への配慮であろう。“わが教職人生に悔い無し”と言いたいところだが、全国最低レベルのまま、教職人生を終わるのかと思うと悔しくてならない。各市町村では、学力向上委員会などを立ち上げて取組を強化しようとしているが、末端の教室の隅々まで浸透するには、まだ時間がかかりそうである。
《全国平均を上回る学校もある》 地方紙(経済の伝書鳩)に『わがまち自慢の学校』と題した記事が載った。保護者が学校行事に参加して、先生方の動きを見てそう感じた。また、若い先生が、「いつかあの学校に勤務したい。」とも言ったという。“あの学校に違いない”と直感した。妻がこの記事のことを話してきた。「北小はどうなの?」と聞かれ黙っていると、すかさず「校長の違いなのかしらね?」と続けてきた。返す言葉がなかった。
《「教育は人なり」語り尽くされた言葉だが、ここに行き着く》
 特別支援学級の子を見ていて、つくづく思うことがある。ある先生にはよくなつくが、ソリの合わない先生には、悪態をついて毛嫌いする。障害はあっても本能的なものは逆に研ぎ澄まされているような気がする。
 父子家庭の男子は、先生方がどんなに優しく声をかけても言うことも聞かなかったが、母親を想起するような女性の支援員さんだけには懐いた。その支援員さんは、「あの子、かわいいところあるんですよ。」と笑顔で接するのだ。「何という悪ガキだ!親の顔を見てみたい?」と思って接すると、彼はそれを察知するのである。
「人格の完成」が教育の目的である。故に、教える教師の人格が問われる。
《論語に学ぶ》
世の中が乱れて住みにくくなると『論語』がもてはやされるという。近い将来、本屋に行くと『論語』の本がずらりと並んでいる光景が見られるかもしれない。
『論語』というと“儒教の聖典”と呼ばれ、政治家や経営者たちが座右の書としていた。そのため、難しいと思われがちだが、複雑な人間関係の中で、人として何を守るべきなのか、その心構えと実践を説いたものである。「人格を鍛える本」といっても過言ではない。誰もが一人前の社会人であろうとするならば、常識として備えて置かなければならない「人の道」なのである。
第一章 学而編四 「学問は人格形成が第一」
 「人徳を備えた人物になるように努力することをまず実行して、さらに余力があるならば、本を読んで教養を付けるとよい。」
第一章 学而編五 「理論よりも行動」
 「ある人を見ていると、師を尊敬するのにまるで美女を好むように接し、父母に仕えてはあらんかぎりの孝行を尽くし、君主に仕えては一身をささげて忠義を尽くし、友だちと交際するときは誠実をモットーとしている。この人は自分には学問がないというが、ここまでできる人は学問が完成した人だといってよい。こうしたことができる人は、人の道をつかんでいるからであり、立派な学者以上の人といえる。」
第十七章 陽貨編一八八 「学ぶことで人の差が出る」
「人の本性は誰でも似たようなものであるが、学ぶことによってそれぞれ違ってくる。」
態度の悪い問題児○○が校長室にやってきた。担任から厳しく説教してくれと頼まれたのだ。罰として、論語を暗記させることにした。○○が通う児童館に行くと、若い女性指導員から、「校長先生は、校長室で子どもたちに『論語』を教えているのですか?」と聞かれた。○○から、“孔子先生が言うには、言葉巧みにおべんちゃらを言ったり、外見の体裁やファッションだけにこだわるような人は、本当の仁(優しさ)とはほど遠い者だ。”「先生も気を付けなさい。」と言われたそうだ。
 2020年東京オリンピックまでに、日本の教育は大きく変わろうとしている。しかし、オホーツクの教育は、旧態依然とした課題を抱えたままである。教員に課題意識を持たせ、参画を促す学校経営には、“『論語』に学ぶべし”と思うのだが、私にはもうそんな時間がなくなってしまった。(平成27年度)

端野の道端にて

2018年7月29日日曜日

花だより アサガオ 板書


 板 書 「板書とノート指導のコツ」という資料が研修部から出ました。
 新卒のとき、先輩から言われたことを思い出しました。
「いいか、大工さんが鋸や金槌をうまく使いこなすように、学校の先生はな。黒板とチョークを上手く使いこなすようになったら一人前だ!だから、板書を見たら、その先生の力量が分かるんだよ。」(学校の先生は、みんな字が上手だと思っていましたが、今の新卒で「この先生は、自が上手だなあ。」と思える人は少なくなりました。しかし、練習すればうまくなります。)
 黒板は、子どもたちの視野の全面に広がっているものです。板書から多くの視覚情報を得て、子どもたちは学習を進める黒板を効果的に利用することは、大切な指導技術なのです。
1 白と黄色のチョークをメインに使う
 教室には、色弱、色覚異常の子がいます。赤緑異常の子、あるいは色弱の子がいることを考えたら、赤色は使えない。青色も同様です。メインは白と黄色です。
2 一目でわかる工夫をする
 内容を焦点化、視覚化すること。芦田恵之介氏は、板書案を帳面に書き留められていた。有田和正氏も板書案を書いて授業をされている。一目でわかる板書は、軽度発達障害の児童には効果的な視覚情報となるのです。
3 黒板を子どもに開放する
 黒板は、教師が使うばかりではいけない。子どもに開放する。例えば次のような方法があります。
(1)黒板を区切って書かせる。
 算数なら黒板を8つに区切り、計算等を書かせる。向山型算数では有名な方法である。
(2)箇条書きに書かせる。
 黒板の上にチョークで、点を打っておく。「空いているところにどんどん書きなさい。」と板書させる。
(3)指で書くところを示す。
 1番目の子は右端、2番目は左端、3番目は、真ん中と指さして書かせる。(混雑が解消される)
(4)原則として、書き直しはさせない。(緊張感が生まれ、書き直しの時間ロスもなくなる。)
(5)板書したら、名前を書かせる。(自分の板書に責任を持たせる)
4 教師の板書のスピードが標準スピード 教師が子どもの筆速の模範となる。次が筆速の目安
 ○低学年・・・分速20字程度 
 ○中学年・・・分速25字程度 
 ○高学年・・・分速30字程度
*「いい授業の条件」青木幹勇著より(牧野が抜粋、要約)これはもう古い本です。電子黒板、実物投影機の時代ですが、基本はまだ黒板とチョークです。

 北見にも暑い夏が…

2018年7月28日土曜日

花だより コマクサ アサガオ 研究授業


・・・「言語活動の充実」 4年生の授業研(~感 想~ ・・・
《原稿用紙が特殊なわけ》 印刷室には、いつでも使えるように2種類(低学年用:15×14,高学年用20×20)の原稿用紙が用意されています。ピース又吉の「火花」が芥川賞を受賞して話題になっていますが、作家さんも今はワープロが主流らしく、彼が原稿用紙を使って原稿を書いているか分かりませんが、林真理子さんは、原稿用紙派で行間の空欄には、推敲後にさまざまな書き込みがされているのをテレビで見たことがあります。過去の偉大な作家たちの原稿もそうです。原稿用紙の行間、わずか5~7mmの空欄はその為にあります。学校現場では、先生が“赤”(添削)を入れるのになくてはならないものです。
《映画や演劇、ドラマの台本も行間を広くとってある》 高倉健の『網走番外地』の台本を見たことがあって、(高倉本人のモノかは分かりませんが、波線や記号、感情、表情など演技の注意事項が細かく書き込まれている。)それは楽譜に似たところがあります。
 アナウンサーの原稿も、大きな字で行間を広くとっているとNHKの見学で教えてもらったことがあります。
 さて、4年生の授業ですが
 校長室によく来る握力が4㎏しかないスレンダーで小さな女の子がいます。どうやら運動は苦手らしく、休み時間は外で遊ぶタイプではないらしいのです。
 彼女は、子ネコが2匹写っている写真を選んで
 ~何か、ないしょ話をしているように見えます。一匹の子ネコが「今日ね。ネコ用品の安売りセールがあるらしいよ!」と耳元でささやいています。そしたらもう一匹のネコが「えっ、そうなの?」とおどろいているように見えます。~となかなかおもしろい発想で、彼女らしいなあ。どんな風にスピーチするのか楽しみでしたが、小さい声で棒読みでした。それもまた彼女らしかったのですが…。
 本時のねらいは、「相手に伝わりやすい話し方を意識し、スピーチすることができる。」、「話の中心に気を付けて聞き、良いところや改善点を伝えることができる。」でした。
《本時は、作文の発表会ではなく、スピーチである》
 彼女の原稿は、原稿用紙ではなく、マス目ノートに書かれてありました。それも一行あけて書いてあればよかったのですが、気づきや改善を書き込むスペースがありませんでした。会話文のところに、“ささやくように”とか、“こそこそ話をするように”、“小さい声で”などの“赤”が入れられるか、波線でも入れられるようなスペースなど、直すことを前提の書き方になっていればよかったのにと思いました。そして、行間が詰まって書かれてある文章ほど、読みづらいモノはないのです。
《それでもスピーチの結果は、周りの子から高い評価を得た》
 プレバトの俳句コーナーの夏井いつき先生は、辛口で有名ですが、出演者が「これ、なかなかいいんじゃない!」と評価したモノも酷評します。そして、言葉を置き換えたりして、手直しをするとみんなが納得する作品へと変身させるのです。
 よいスピーチ、よい文章を知らないとアドバイスや批評はできません。「なるほど!」と思わせるプロの技を見せる!そこに教師の出番があります。
 こんなことを考えながら観ていたら、本時のめあて「~話し方を交流しよう。」と黒板に書いてありました。そうか、よいスピーチをするのではなく、交流することがめあてなのか?そういう授業なんだ?
 助言者 最近は少なくなりましたが、研究会の助言者になることが何度かありました。若いときは生意気で好きなことを言っていました。「本時のねらいとちょっと違うんじゃないですか?」と言ってしまった授業がありました。その授業者は、その後、教育局の指導監になり、東京農大教育学部の教授にもなりました。今でも会うとその時のことを言われます。若気の至りです。
 美幌田中小学校(美幌の自衛隊から東藻琴に行く途中にあった学校、当時は30数名のへき地複式校)に27歳から32歳まで6年間勤めました。その間、年に2回指導主事訪問があって、研究授業を行いました。(やらされた)へき複研の特設授業も2回行いました。
 生意気盛りで指導書通りにやるのがイヤで、定型の“わたり”“ずらし”も素直にやらず、いつも突飛な授業をしては、批判を浴びて落ち込んでいました。
 当時の担当指導主事から「教師は教えるプロだから、授業で勝負できる教師になりなさい。単元のねらい、児童の実態から本時の目標を設定し、その目標を達成するために、どんな教材を用意するか、発問は?板書は(計画)?そして、その結果は?授業後の研究協議できちんと主張する。結果に対して言い訳をしない。」最後に「助言者や偉い人が言ったから、その通りとは限らない。信念や自信がないと授業はできないですよ。」こんなことを思い出すのも退職間近からでしょうか?
 授業者の先生お疲れさまでした。楽しませてもらいました。ありがとうございました。
 
あさがお 1年生のアサガオが順調です。先週、研修センターのHP講座で来校した網走小学校の教頭先生が「北小の方がうちのより生長がはやいですね!」と言ったので、「学力テストじゃ負けるけど、アサガオくらい勝たないと!」と牽制すると、宙に浮いているツルを見て、「うちは、ツルが伸びてくると横にはわせるようにしています。生活科の学習なので、いろいろなことに気づかせて、いろいろ試してみるようにしています。」と言うので、「うちは宙に浮いて、ほっておいたらどうなるか?試しているんだよ。」と言っておきました。アサガオの花言葉は、「愛情の絆」です。中庭のアサガオもツルがアーチのてっぺんまで届きました。紫のきれいな花を咲かせています。

2018年7月27日金曜日

花だより フデリンドウ 新国立競技場建設白紙!

 

 新国立競技場建設白紙!
     読売新聞 「編集手帳」より 平成27年7月18日
~露店で古い鉄砲を売っている。通りかかった客が道具屋に値段を聞いた。「この鉄砲は何ぼだ?」「一本です。」「いや代はいくらだ?」「台は樫です。」「いや金(かね)は?」「鉄です。」「値をきいているのだ?」「音(ね)はズドン」
 無駄遣いをしたくない客が値段を知りたいのに、会話はいっこうに噛み合わない。落語『道具屋』である。なにやら新国立競技場の工費に無頓着な関係者と、それに苛立つ国民感情の食い違いに似て無くもない。支持率が下がり気味の首相には、現行計画の“値”に不満を募らす世間の声が「音はズドン」、政権の心臓部に命中しかねない一発と聞こえたのだろう。見直しは当然ながら、遅きに失した感もぬぐえない。~
 後世に遺産(レガシー)として残せるものとして、斬新なデザインと機能性を兼ね備えたTOKYOオリンピックの象徴のはずだったのですが、見通しの甘さから国民から非難を浴びてしまいました。
《似たようなことは学校の校舎にも》
 K町の元H小学校は、地域住民の要望を取り入れ天文台のある校舎として、一時脚光を浴びましたが、ほとんど使われることなく、今は菓子工場になっています。また、K市のW小学校は、小鳥が羽を広げた形をした斬新なデザインの校舎で、車で走っていると畑の中に忽然と現れるので、「ここは何ですか?」と旅行者が立ち寄ることがありました。目を引くことはよいのですが、デザイナーは本州の人で、厳しい北国の冬のことを考えていなかったらしく、校舎北側には大きなつららができ、毎年、氷瀑まつり状態になります。 床暖房も経費削減で使われなくなり、FFストーブの排気口が雪に埋もれないように用務員さんは、雪が降る度に校舎ぐるっと除雪しなければならない状態でした。
 北小の校舎のことは、現役なので語ることは避けますが、「ここはどうやって掃除をするのか?」と頭をひねるところが何カ所かある。建物(特に校舎)のデザイン重視はよくない。さまざまな校舎を見てきて感じることである。家は3軒建てないと満足のいく家にはならないと言います。しかし、そんな財力のある人は少ないでしょう。
《デザイナーと建築家は違う》 テレビ番組「ビフォー・アフター」で感心するのは、経験と熟練から、住む人のことを優先する匠の技です。
 論語に“孔子先生が言うには、言葉巧みにおべんちゃらを言ったり、外見の体裁やファッションだけにこだわるような人は、本当の仁とはほど遠い者だ。” とあります。教訓にしたいものです。

2018年7月25日水曜日

花だより マツバボタン ヒマワリ 「こころの強い子」は成績も伸びる


 「こころの強い子」は成績も伸びる  多胡 輝 著(心理学者) 
  ~人間の脳について~ 
 人間の脳は大きく3つに分かれています。一つの頭の中に三つの脳があって分業しているのです。
生き物として生命を維持するための呼吸や体温や血液の循環をコントロールしている「脳幹」、食べたい、寝たいなど動物に共通する欲求を担当している「大脳辺緑系」、勉強したり、周りの人と仲よくしたり、あるいは創造的な楽しみを行ったり、発明・発見を行ったりする人間的な「大脳新皮質」 この三つが層になっているのが人間の脳です。
 一番上にあって人間的な行為を司る大脳新皮質のことを「人間脳」と言います。食べたい、寝たいとかの欲望にかかわる大脳辺緑系を「動物脳」と言います。
 勉強する。マナーを学ぶ。新しいことに意欲的に挑戦する。これはみな人間脳の役割です。それらをイヤだからやらないというのは、結果として人間脳を育てないことになります。すると残っているのはその下にある動物脳ということになります。
 欲望のままにわがままに生きるというのは、動物脳に頼った生き方であって動物のような生き方と言われてもしかたがありません。
 お腹をすかした動物のようにエサを見れば突進するだけの生き方でいいのか、人間としてマナーを守り、周囲に受け入れられて楽しく生きるための知恵を身に付ける生き方がいいのか、答えは自ずと明らかです。
 イヤなことでもそれが回り回って自分のためになるからやる。そうしているうちにイヤなことも好きなことに変わり、人生を明るく可能性ある方向に導いていくというのが人間脳の役割です。
 学校に行きたくないという子どものわがままを親が認めてしまうことは、子どもを愛しているがゆえとは言え、そのことで人間脳が育たず、その子の将来の可能性を狭めてしまうとしたら、それは本物の愛情とは言えません。
 教育とは子どもの「可能性」を育てるということです。
 甘やかすことでそれを閉ざしてしまっていいのでしょうか。
 可能性こそ子どもの全てです。可能性を育む力こそが「がまん力」です。


2018年7月24日火曜日

花だより ナデシコ ニッコウキスゲ 前半を振り返る


  平成27年度 前期前半をふり返る  
 今年は、特別支援学級在籍児童が32名になったことから、来年の特支全道大会を見据え、特支担当者の配置を考慮した人事異動を行いました。ところが想定外の1年生の学級増に伴い、教員の配置(期限付教諭)が整ったのは、5月の中旬でした。支援員さんも急に辞めるなど、厳しい船出になりました。その影響からか、入学式から運動会まで、校舎内は毎日が運動会状態で、子どもも先生も走り回り、校長室も連日大賑わいでした。落ち着かない日々が続きましたが、やっと最近、少し穏やかになってきました。これも先生方の指導の賜だと感謝しています。
◇担任を替えないで欲しい! 現在中2になったこうへい君のお母さんと久しぶりに話をしました。「杉の子の親や子どもが一番心配するのは、新学期になって担任が誰になるかということ、その先生が良いとか、悪いかということではなくて、かわることへの不安なの?やっと慣れたと思ったら、かわってしまうと、また一からやり直しになる。信頼関係ってすぐにできないしょ!学校の事情も分かるけど、子どもや親の気持ちも校長先生、分かってあげて…。」と言われました。学校は、さまざまな問題を抱えているため、杉の子学級だけを考慮した校内人事にはなりません。しかし、保護者の心情も考える必要があると反省しました。
◇7月16日 北見市特別支援教育連携協議会 (出席者~専門医師、保健所、支援センター、児相、幼稚園、支援学校、他関係団体などから19名+市教委担当者)
 北小からは、教頭先生が、巡回相談部会の委員(北見市教頭会代表)で、私は専門家チーム部会のメンバー(北見市校長会、昨年度特支研担当)という立場で参加してきました。信田教頭から北小の実態について報告した後、関係機関からの報告と交流がありました。
 関係団体からは、「特別支援学級在籍の保護者から学校の対応のことで相談を受けています。」とか、児童相談所からは、「多くの事例を抱えています。学校からウィスクをかけて欲しいという依頼がありますが、学校でもできる先生はいるはずです。」という話がありました。学校から児相に依頼がいくときは、第三者機関から、客観的な立場で保護者に伝えて欲しいというねらい(思惑)があるからだと思います。「それが各関係機関の連携のはずでは?」と反論したい気持ちをぐっと堪えて聞いていました。
 他にも、「学校では、発達障害のお子さんが、きちんと認識されずに、正しい教育を受けていないのではないか」と指摘する意見もありました。こうした会議では、学校が批判の矢面に立つことがしばしばあります。しかし、真摯に受け止めなければなりません。
◇朝から爆睡、乱暴な言葉遣いは何故? ここ数年、特別支援にかかわり、研修会や講演会にも参加して、特別支援教育の重要性や問題点など理解してきたつもりでいました。しかし、実際のこの4月からの子どもの実態を観ると頭をかしげたくなる事例が多くあります。
 給食を食べて、午後から眠たくなる。だから、保育所ではお昼寝の時間がある。入学間もない1年生なら、それも分かりますが、1時間目から、職員室に来て寝てしまう子がいました。寝不足で機嫌の悪い子は、一人二人ではありません。聞くと「12時近くまで、宿題をしていた。」と嘘をつきます。本当は、ゲームをしていたのです。「遅くまで、家族で居酒屋に行っていた。」と正直に答える子もいました。朝ごはんを食べてこない子も多い。障がいを抱えている子こそ、規則正しい生活習慣が必要なのに、非常識な行動に目を疑いたくなります。甘やかし、放任、過干渉など、その子が抱える障がい以前に保護者の姿勢に問題があるのではないかと思いたくなります。
◇母子家庭・父子家庭 「準要保護家庭は観劇代を免除します。」と劇団側から言われ、「100名近くいるのですが、本当にいいのですか?」と担当者が念を押すと「ちょっと待って下さい。東北地方の同じ学校規模では10人くらいしかいなかったものですから…。すみませんが、それではいただきます。」笑えない話です。
 準要保護家庭の平均は19%ですが、北小では23%です。母子家庭のほとんどが対象になっています。 
◇問題行動の絶えない子の親と面談 着ている服、言葉遣いがいかにもヤンキー風でした。刺青もちらっと見えました。挨拶もなく爆音を残して、ヤンキーな車で走り去っていきました。「なるほどなあ!家庭環境に原因があるのかな?」とため息が出ました。
 高級ホテルがなぜ料金を高くしているか。それはホテル側が客を選んでいるからだそうです。高級マンションも価格を落とすようなことはしない。なぜなら住民の質が落ちるのを嫌うからだといいます。豪華客船の旅番組がBSで放送されています。妻とよく見て「一度乗ってみたい?」という話になりますが、ドレスコードがあったり、フォーマルパーティーがあったり、いかにもセレブという感じで、庶民には高嶺の花、逆に疲れる船旅になってしまいそうです。私立の学校は、児童生徒を選ぶことができますが、公立の学校ではそれはできません。「名もなく、貧しく、美しく」という言葉がありますが、幸せな生活(教育)にはお金は必要!だと正直思います。
◇片親だから問題なのか? 私は、小学生の高学年のときから母子家庭になりました。父が亡くなったとき、祖父母や親戚から、「いいかい、世間様に笑われないように子どもたちをしっかり育てるんだよ。」と母が言われていたことを覚えています。
 教頭当時、校長先生に連れられて行ったスナックのママの娘さんは、お医者さんでした。「このママは偉いんだぞ!女手一つで一人娘を医大に入れたんだからなあ!」と校長先生は上機嫌で教えてくれました。片親だから、親が水商売をしているからということは問題ではありません。
◎解決策は、教育の充実 問題行動が続く女の子に対応に、母親に言っても埒(らち)があかないので、母方の祖母を呼んで相談しました。私より遙かに年下で、髪は茶髪で今流行の破れたジーンズを履いたおばあちゃんとは思えないほど若いおばちゃんがやってきました。同じく生活保護を受けているので、「孫を見ることはできない。娘にも手を焼いている。」とあっさり断られました。結局、その子は児相預かりになり、施設に送られました。負の連鎖は、どこかで断ち切らなければならない。きちんとした教育を受けさせなければならないと思いました。それが私たちにできること、やらなければならないことです。障がい児を抱えている保護者のほとんどは、その現実と向き合っています。悩み、日々戦っています。そんな保護者には、寄り添い、力になってあげたいと思います
◎信頼される学校づくり「いい情報を流す」 参観日、学級懇談会、講演会、PTA研修会には、来てもらいたい保護者は来ない。スマホやケイタイの所持や使い方について、学校だよりで何度も問題提起をしました。関心があって読んでいる保護者は理解してくれるはずです。しかし、問題は、関心が無く、学校だよりも読まない親です。「学校だよりを出しても、たいした効果はない。」という人もいます。
◎気動車の馬力をUPして、客車を引っ張る 「あいさつをしない子がいます。きちんとしましょう!」とできないことを指摘するより「毎朝、きちんと『校長先生、おはようございます』と深々と頭を下げてあいさつする子がいます。朝から気持ちがいいです。」と言う方が効果はあると思っています。
 保護者のほとんどは良識のある立派な親だと思いたいです。学校だより(学校広報)は、テレビや新聞報道と違い、悪いことはなるべく書かないで良い情報を伝える。問題提起をすることで、良識ある保護者に共感してもらい、良識ある保護者を増やす。そのことで信頼される学校につながると考えます。
◎やるべきことをきちんとやることが学校の信頼につながる。過日、法務局の人権擁護委員が来校しました。「いじめに合うので、学校に行かせられない。学校は何もしてくれない。」と保護者から法務局に電話があり、事情聴取に来たのです。担任は、これまで何度も家庭訪問を繰り返しています。昨年は、教育委員会の立会のもと、保護者を召喚し、不登校の解決に向けて話し合いを持ちました。学校の対応は、逐一教育委員会に報告しています。人権擁護委員の方も学校に落ち度はないことを理解してくれて、「保護者に話をしてみます。」と言ってくれました。このように学校としてやるべきことをきちんとやって、誠意ある対応をとることが大事です。
 4月から、大きな役職を降りたので学校に居ることが多くなりました。毎日、いろいろなことが起きました。これまで教頭先生に苦労をかけていたんだ!と反省しました。
 先生方、本当にお疲れさまでした。夏休みはリフレッシュに専念して、前期後半に備えてください。
 サクランボ ハウスの横にある梅は、今年は不作の年のようですが、正門横にあるサクランボの木に今年は実がなりました。サクランボは、同じ品種の花粉では受精しないので、品種の組み合わせをして複数本植えなければなりません。例「佐藤錦→高砂orナポレオン」「ナポレオン→高砂」「高砂→ナポレオン」「暖地桜桃は、自家結実性があって1本でも大丈夫」 学校の木がどの品種なのか分かりません。最初に見つけた5年生に「内緒で食べていい!」と言いました。虫が付いているから、気を付けて食べなさい。

2018年7月23日月曜日

花だより ハス 親の離婚が子どもに与える影響


 ~親の離婚がどんなふうに子どもの不調や不適応に結びつくか
   カギは親の「自己分化度」~
 これまでの調査では、親が離婚の事情をきちんと子どもに伝えたか、父と母のどちらと暮らしたいかについて子どもの意向を尊重したか、子どもたちが別居親との面会を続けているかどうかなどは、離婚後の子どもの成長(悪影響)には、あまり関係がないというのです。
 大きな影響を及ぼすのは、親の「自己分化度」(自分の心の中の感情的な部分と、理性的な部分をバランスよく分化させて機能させることができる能力や程度)だというのです。
 自己分化度が低いと、自分の感情、特に不快な感情(離婚時の)に強く引きずられた言動や態度を取りがちになります。自分の感情を晴らしたり、何とかしようとするために、相手の気持ちを無視して、周囲の人に当たったり、責めたり、身近な人の優しさや気遣いを踏みにじったりするようになるのです。
 さらに子どもが健気に寂しさや不自由さに耐え、親を気遣い、頑張って日々過ごしているのに、それを分かってあげたり、ねぎらったりすることができず、それどころか、自分の苦しさや不快感のあまり、そんな子どもに不機嫌に接したり、些細なことで責めたり、子どもの犠牲を当然のことと思ってしまったり、別れた相手の愚痴を聴かせ続けたり、極端な場合になると、苦情や文句を直接言いに行かせたり、復習や嫌がらせのようなことを子どもにさせたりします。こうした親の離婚の悪影響が深刻化し、結果として子どもに長期的なダメージを与えていくのです。
 逆に離婚したとしても、親の自己分化度が高いと、悪影響を最小限に止め、子どもの自立性や成熟性、社会性、その後の家族との一体感や連帯感が強まるようになるのです。
       駒沢大学教授 藤田博康著「親の離婚を経験した子どもたちのレジリエンス」より
 離婚率が高まり、「バツ1」、「バツ2」と平気で公言する世の中になりました。「離婚をするな!」とは言いません。顔も見たくない相手とずっと連れ添うよりも、スパッと別れて早い時期に人生をやり直す選択も有りです。離婚は親の勝手です。しかし、片親で育てる勇気と責任を持ってもらいたいものです。


2018年7月21日土曜日

花だより ヤマユリ 心の居場所


 教師の多忙さと子どもたちの心の居場所
 家庭のみならず世の中の多忙さが、学校への期待(と批判)の高まりを生み、教師を多忙にしている。多忙さは居場所づくりを阻害するものである。多忙な教師に気に入られるために、よい子でいなければ学校に居にくくなる。一部のお気に入りの子ども以外は、居ても居なくてもよい存在になりかねない。教師は、すべての子どもたちにしっかりと向きあおうとするとますます多忙となる。教師のメンタルヘルスの悪化は、このようないたちごっこの循環にある。
 厳しい環境ではあるが、教師の本業は授業である。子どもが楽しいと目を輝かせ、できないことができるようになったという実感を持つ、そんな授業を教師はしたいと思う。そのような授業の場こそが「居場所」として最高の場なのである。
このことは、ほとんどの教師が、そして子どもたちが知っていることである。しかし、学校生活は、授業だけでなない。休み時間や放課後などの同級生とのかかわりの中で、居場所を見いだせるかどうかが、授業への取り組み方に影響する場合がある。授業時間以外の目配りは、多忙な教師ほど余裕がない。児童生徒と用事もないのに雑談をしあえる時間の確保は、多忙な教師には極めて難しい。
学校にせよ家庭にせよ大人の忙しさは、子どもをさびしい気持ちにさせる。朝早く出かけ夜遅く帰宅する父親、せわしなく動き話を聞いてくれない母親、両親の多忙さが子どもの自尊心を低下させる。
 しかし、これまで父母が子育てに十分時間を割くことができた時代があっただろうか。そのかわりに、祖父母や親戚、多数のきょうだい、近所の同世代の子どもたちが、幼子の面倒を見、子どもの育ちを見守り、切磋琢磨して成長するコミュニティ(居場所)がかつてはあった。このような場が、現代社会では学校とならざると得なくなっている。 
子どもの減少や親戚関係の縮小、近所づきあいの希薄化の中で、学校はコミュニティの育ちを保障するための居場所的役割がさらに増しているのである。
 教員の働き方改革は、学校がこれまで背負っていたことを家庭や地域に返すという動きがある。本当に、家庭や地域に受け皿としてのキャパシティがあるか疑問である。学校にも家庭にも地域にも居場所がなくなった子どもたちは、どこに行くだろうか?
 ゲームやYouTube、LINEに向かうのは当然のことかもしれない。

通勤途中で見つけた 7月20日

2018年7月19日木曜日

花だより コバイケソウ 独眼竜政宗


  歴女ブームで歴史漫画が流行っている
  歴女の中で一番人気の戦国武将は、「独眼竜伊達政宗」だそうだ。
「伊達政宗五常訓」に見る人生の奥義 
 一  仁に過ぎれば弱くなる 
 二  義に過ぎれば固くなる 
 三  礼に過ぎれば諂(へつら)いとなる 
 四  智に過ぎれば嘘をつく 
 五  信に過ぎれば損をする 
 気長に心穏やかにして、この世に客が来たと思えば何の苦もなし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日行くのを送り、子孫兄弟に良く挨拶し、娑婆(しゃば)(現世)の御暇(おいとま)申すがよし。
 【現代語訳にすると】
1 過度な思いやりや慈しみは、相手のためにならない。
2 正義を振りかざすと、融通の利かない堅物だと嫌われる。
3 礼儀正し過ぎると相手に対する諂い(媚びること、おべっか)になる。
4 物知りで賢い人は、平気で嘘をつく。
5 他人を信用しすぎると騙されて損をする。
 戦国時代の武士の教訓ですが、現代社会にも通じるものです。激動の時代をたくましく生き抜いた政宗の研ぎ澄まされた境地を見習いたいと思います。

連日猛暑の地域の人には申し訳ないが、暑い夏が待ち遠しい

2018年7月18日水曜日

花だより エゾスカシユリ 福井県に学ぶ


  常にトップレベルにある福井県に学ぶべし
1 全国学力・学習状況調査は常に上位
 学力は、ほとんどの教科で例年同様上位5位以内、英検取得、生徒も教員も全国上位
 福井県の高い学力を支える要因は、小中教員による授業研究のレベルの高さにある。
《結果を基にした授業の改善》
 福井県は、学力調査における誤答の原因・パターン分析、授業の改善案などを話し合う研修を行っている。学校の枠を超え、毎回2~3時間の授業研究を行っている。良い授業をするための教科ごとの自主研修が機能しているということだろう。
2 体力は、日本一
《基本は学級づくり(1)》
 体力日本一を続ける秘密は「学級づくり」だとベテラン教員は言う。その背景の一つが少人数学級。国の基準よりも特に中学校でかなり少ない。中1は多くの問題を抱えやすい学年である。そこをあえて30人学級にして、きめ細やかな指導を加えていく環境を整えている。丁寧な学級経営・学級づくりで、頑張ろうと思う児童生徒を育てれば、学力も体力も伸びて当然だろう。
3 生徒指導関連
 中高の暴力行為52件で全国最少、多忙化解消向け30年度から、中学・高校部活に指導員を導入する。
《基本は学級づくり(2)》
 暴力行為52件は、各県の人口の差を比率で比較すると、1000人当たり0.6と秋田県と並び全国で最小の数値である。優れた学級づくりが行われていることが、暴力行為の少なさに大きな影響を与えていると想像できる。
4 教員の研修関連
 教員の多忙化、新年度から緩和 校内研修・講習を1割減
《教育環境の整備こそ重要》
 教員の研修では、5年目研修の廃止や10年研修を免許更新講習とするなどの工夫で、15日間だった免許更新研修を6日にするという。また、遠隔システムや通信講座を利用して、教員の負担軽減を図るなど、現場の授業力向上に直結させた実質的研修制度にシフトしていく意図が感じられる。学級定数、部活指導員、ALTの増員等、人も金も使って現場を励まし続けることが結果につながっている。

2018年7月17日火曜日

花だより ハマオモト エゾスカシユリ 不登校問題


 不登校問題「人と関わるのが苦手
 不登校の子が“人と関わりたくない”“人と関わるのが苦手だ”と言う。しかし、人はみな他人と関わりながら生きている。人間である以上、なかには気の合わない人、苦手な人もいて、ときにはそうした人とともに作業したり、気乗りしない行事やつきあいの場にも出たりしなければならないこともある。それは少なからず憂鬱で面倒なことであろう。
 しかし、どんなにわずらわしくても、他人との関わりから逃げることはできない。それが嫌でしかたがないというのは、毎日が苦痛になるばかりである。
小中学生なら、それから逃避して不登校になっても親が面倒を見てくれるが、社会人になるとそうはいかない。
 ~どうせ逃げられないのなら、心を入れ替えて、それをむしろ楽しみに変えるべきだろう。いろいろな人と出会い、人間関係を結んで、さまざまに関わりあいつつ日々を送る。これこそ生きている証だと積極的に受け止め、関わっていこうそうすれば、鬱陶しいと思っていたのが案外そうでもなかったり、意外と面白いことに気づいたりして、新たな何かが見えてくるにちがいない。それが人生というものだ。一度きりしかない人生、この日、この時である“嫌だ、厄介だ”と自ら心を暗くしていては、あまりにもったいない。~(PHPより)
 しかし、子どもにそれを理解させるのは難しい。親がそうした人との関わり方をしていれば、子どもも必然とそうなるに違いない。不登校の児童生徒への指導は、親の心を入れ替えることだ。

2018年7月16日月曜日

花だより トキソウ アクティブ・ラーニングの基本


 教育は「引き出す」こと(アクティブ・ラーニングの基本)
 教育と訳されている英語の「エデュケーション」は、本来「引き出す」という意味をもっています。
教育とは、何かを教え込む、知識を詰め込むことではなく、教えることによって、子どもたちの持っているいろいろな個性や資質、能力を人格的な触れ合いを通して引き出し、成長させることです。そのために必要な教師の能力は、コミュニケーション能力です。学習指導でも生徒指導でも、子どもたちときちんとコミュニケーションが取れることが大前提になります。
 授業では、「教師が子どもたちに考えや思いをわかりやすくきちんと伝える」「教師は子どもたちの考えや思いを肯定的に受け止める」ことが大切です。
 伝える力のある教師は、説明や指示が子どもたちにとって分かりやすいだけでなく、自分の発する言葉が子どもたちの立場で聞くとどのように受け取られるかを常に意識しています。
受け止める力のある教師は、子どもたちの発言に対して「聞いているよ」という受動的な態度を上手に使っています。笑顔をつくったり、うなずいたり、「なるほど」と肯定したり、たとえ間違っていても「なぜ」と子どもたちに説明させたり、いまの説明で「納得できた」と確認したり、きちんと聞いています。子どもたちに認めてくれていると感じさせることで考えや思いを共感・共有できるようにしています。
 「正解を示す」よりも「あなたなら~どうしますか」と「問い続ける」、課題解決に向けて子どもたちと協働し「自分で考えたり、表現する力」を引き出すことが、これからの教師に求められています。
北見ぼんち祭り(7月15日) 



2018年7月15日日曜日

花だより ネムノキ 読書スキーマ エゾノゼンティカ


 読書スキーマ(文章をどう読むか?)
 「読書大賞100冊達成おめでとう!」読書指導で、教室の後ろに読書の冊数を棒グラフを掲示しているのをよく見かける。目標に達すると先生からご褒美に賞状が渡されるので、学級の読書数が増えるだろうが、ただたくさん読めばいいというものでもないような気がします。
 人は文章を読むときに、予めその文章に関するスキーマ(物語スキーマ・説明文スキーマ)と文章の内容に関するこれまでの知識を用いて比較したり、統合したりして読んでいます。
 文章に関するスキーマとは、文章がどんな種類か、物語か説明文か、どんな展開をするか認識することです。物語は小さいころから慣れ親しんでいるため、物語スキーマは、説明文スキーマよりも先に身につけていると言われています。
 文章を読む際、どういう目的で読むかという読み手の意識が、読み方に大きく影響を与えます。同じ本を読んでも感想が全く違うことがあります。
例えば、家の中の様子を説明した文書を読むとき、家を買うつもりで読むのと、泥棒に入るつもりで読むのとでは、記憶に残る内容が違ってきます。そのため、文章を読む前に関係する知識を与えておくことや、目的意識を持たせることが重要です。
 「うちの子は、本を全く読まなくて!」とお悩みのお母さん、読みたくなるような動機づけと予備知識を与えることが必要です。


2018年7月14日土曜日

花だより テッポウユリ 育ての心 サクランボ


     育ての心    倉橋惣三
   この心情が最も深く動くのは親である 
   次いで幼い子らの教育者である 
   そこには抱くわが子の成長がある 
   日々に相触る子の生活がある 
   自ら育とうとする者を前にして 
   育てずにはいられない心 
   それが親と教育者の最も貴い 
   育ての心である 

  「育てずにはいられない心」とは
 親であれば本能的に持っているのが「親心」?
 不登校児を抱える保護者に「子育てにお悩みであれば、相談機関を紹介しますよ。」と声をかけて「いいえ、子どもの意思を尊重して、子どもときちんと向き合いますから、大丈夫です。」と返えす親が一番心配です。
 さらに、自分の意に合う答えが返ってくるまで相談機関をはしごする親もいます。そうした親は、それぞれの相談機関で言うことが違います。自分の子育てに間違いはないと思っているのか、それとも間違いを指摘されるのが嫌なのか?
 倉橋先生は、「育てずにはいられない心、それが最も貴い育ての心」と言っていますが、もっと具体的に言わないと分からない親がいます。
 子どもを授かったから親になったのではなく、親は子どもと共に成長しなければならない。子どもが小学校に入学したら、小学生としての親の勉強が始まると覚悟しなければならない。

 

2018年7月13日金曜日

花だより カライトソウ まめやかさ ジャガイモの花


     まめやかさ     倉橋惣三
  生きる力 伸びる力 それに驚く心がなくては 
  子どものことは本当には分からないが、 
  驚きだけでは 詩とか研究が生まれても 教育にはならない 
  教育者は 詠嘆者たるだけでは ないからである 
  子どもの力に絶えず驚きながら、詠嘆の暇も隙間もないほどに 
  細やかな心遣いに忙しいのが教育であり、教育者である 
  驚く心がそのまま すぐに実際のまめやかな人 
  そういう人が教育者である 

「詠嘆の暇も隙間もないほどに 細やかな心遣いに忙しいのが教育者
 教員の働き方改革が叫ばれるときに、この言葉は逆行するのではないか?という意見が出そうです。(倉橋惣三先生は、大正から昭和にかけての教育者なので、もう古い!と言う人もいるでしょう。)
 教員の仕事に“これでいい”と言う範囲はないが、教員の一日は30時間ではない。本来やらなければならないことができないのなら、削れるものは削るしかない。
「まめやかな人」とは、超多忙な人ではなく、細やかな気遣いができる人です。どんな時代であっても教師は「まめやかな人」であってほしいものです。


2018年7月12日木曜日

花だより ヤグルマソウ Fischer‘s


 若者文化辞典
 月刊「生徒指導」に、フリーライターの今 一生氏が寄稿する「若者文化辞典」というコーナーがあって、時代に取り残されないように毎回興味深く読んでいます。
 ~若者はテレビを見なくなり、変わってユーチューブを見ている?~
Fischer‘s【ふぃっしゃーず】 ユーチューバーとして大人気のグループ
 フィッシャーズは、中学3年生のころに「楽しい」を動画にすることからはじまった思い出系ネットパフォーマー軍団。YouTubeで動画を公開することをツイッターで知らせているが、彼らのフォロワーは98万人以上に達している。YouTubeの登録者は390万人で、ユーチューバーとして有名な「はじめしゃちょー」「HIKAKIN」に次ぐ日本人3位の登録者数を誇る。これだけの数がいれば、余裕でTV視聴者数を超えている。
 YouTubeには動画を公開する人に広告収入が割り当てられるため、彼らがこの番組制作を仕事にすることも十分可能だ。
 動画の多くは10分以内のものだが、複数のメンバーたちが「歌詞乗っ取りゲーム」や「英語禁止ボウリング」などで遊んでいる様子を一緒に楽しめるようになっている。TVのバラエティ番組を素人がやっている印象だが、出演者たちがみんな明るいキャラクターで、中高生にとっては隣のお兄さんたちのような親近感がわくのだろう。
 ユーチューバーが小学生の人気職種ランキングの上位に入る今日、TVよりYouTubeのほうが面白いと感じている世代が生まれていることは確かなようだ。ちなみに彼らの決まり文句は、「それでは皆さん せ~の、アデュー!」
「なぜ、こんなのが人気なのか理解に苦しむ?」「だから、時代に取り残されるのだ!」と切り返された。

2018年7月11日水曜日

花だより ハイビスカス 商店街の七夕まつり


 *** 七夕まつり *** 街中商店街の七夕まつり
 露店がたち並び、両脇には、幼稚園・保育所・児童館に通う子どもたちの短冊を吊した柳の木が並んでいました。
 「サッカーせんしゅになりたい。」、「すいかがたべたい。」という幼児らしい願いごとがやっと読めるような字で書かれてありました。それが小学2年生ともなると変わってきます。(北小の教室前の廊下にも短冊が飾られてあります。)
「おかあさんのおなかの中の赤ちゃんがげんきに生まれてきますように」、「パパ、ママ、じじ、ばば、○○、○○、ぜんいんがしあわせになりますように」 こんな大人びたことを書くようになります。
「すてきなおよめさんになりたい。」「いつも5歳くらいわかく見られたい。」という短冊を見つけました。“誰だ!こんなこと書くのは?”よ~く見ると担任の先生ものでした。
 商店街で人だかりを見つけました。大道芸人でした。おもしろそうだったので前の方に行って見ていると、大きな声で「あっ!校長先生だ。こんにちは」と声をかけられました。(ちょっと恥ずかしい思いをしました。)
ショーが終わり、大きな箱のふたを開けて、「私の芸はいかかでしたか、お子さんはコインでも構いませんが、大人の方は是非、紙の方をお願いします。」とお代の催促がありました。北小の子どもたちもたくさん見ていて、それぞれお小遣いの中からでしょうか、10円玉、100円玉を入れていました。そして「校長先生は、いくら入れるのだろう?」と 私の方をじっと見ました。???
夏祭りのシーズンを迎えました。短い北国の夏を満喫してください。ただし、お金は計画的に使いましょう!

7月8日 小清水原生花園のハマナス

2018年7月10日火曜日

花だより シモツケソウ 正しい書き順(筆順)


 正しい書き順(筆順)《地域の方から、こんな話を伺いました。》
「最近の学校は、書き順をきちんと教えないのですか?私は商売柄、高校生のアルバイトを雇うのですが、書き順がめちゃくちゃなのに驚きます。」
 漢字の書き取りテストは、書き順が間違っていても×にはなりません。そのため書き順や止め、はね、はらいがいい加減になっているかもしれません。
「めんどうくさいこと言わないで、いいじゃん。ちゃんと形になっていれば…。」(子どもの反応)
「口」という字を一筆書きのように書いたり、漢字の「つくり」を先に書いてから「ヘン」を書く若者を見たことがあります。手書きが減り、文字を“打つ”時代になったとは言え、淋しい限りです。
 書き順(筆順)は、運筆といって、無駄なく字を美しく書くためのきまりです。「必」とか「飛」とか難しい書き順の字は別にして、上から下、左から右など、基本的なことを無視して書くのは日本人としてちょっといただけません。(学校ではきちんと指導していますが、どうも最近の子は面倒なことを嫌う傾向にあります。)
 日本の文字は、漢字、ひらがな、カタカナ、最近はローマ字も使います。それに縦書き、横書き、さらに書き順のきまりも含まれます。世界的にも珍しい複雑で難解な文字文化ですが、これを小さい頃から使いこなすことで日本人の知能が高いと言われています。 そして、文字を書道という芸術に高めたのも日本の文化です。時代は変わってもこうした日本の文化を大切にしたいものです。
「ああ~、面倒くさい!」 最近の子の口癖  
 過日、知人から「ふきの煮付け」をいただきました。子どもの頃、祖母がどこからか採ってきて1本1本包丁で筋をむいて、大きな鍋で煮ていたのを思い出しました。今はスーパーで、すでにむかれたふきが売られていて、高級食材だそうです。簡単、便利、電子レンジでチンして何でもすぐ食べられる時代ですが、それを否定するものではありませんが、家事など効率化することでうまれた時間を手間暇かけなければならないことに使うとよいと思うのです。“面倒なことは全てしない。”これでは困ります。「こころの強い子」には育ちません。

7月8日 小清水原生花園にて エゾスカシユリ 7月中頃までが見頃

2018年7月9日月曜日

花だより キボウシ “イヤなことはやらなくてもいいのか?”


「こころの強い子」は成績も伸びる  多胡 輝 著(心理学者) 
 “イヤなことはやらなくてもいいのか?” 
 人間にはイヤでもやらなければならないことがあります。
たとえばある子にとって学校に行くのがイヤなこと、勉強もイヤなことでしょう。学校に行きたくないし、勉強もやりたくない。こういう子どもをあっさり受け入れてしまう親がいます。
「本人が行きたくないのだからしょうがないでしょう。子どもの気持ちが一番です。」
学級崩壊が問題になったとき、そんな親が出てきて世の中を唖然とさせました。
 授業中に席を立つのも自由、教室から出て行くのも自由と考えています。先生の注意には、「放っておいてください。」となります。
 これでは親も子も自由の意味がわかっていないのではないかと思われてもしかたがないでしょう。それは自由ではなく、たんなるわがまま、自分勝手なんです。イヤなことをしなくてもいいのなら、社会のルールやマナーは無視してもかまわないことになります。
 身勝手な生き方は周りの大迷惑ですが、本人にも何も良いことはありません。どんな国や社会においてもルールやマナーがあります。それを教えるのが「しつけ」になります。しつけとは、その社会の中でより自由に、そしてより自分の力を発揮するためのベースを子どもたちに教えるということです。
 社会には社会の決まりごとがありますから、それを守った上で自分のやりたいことを選択する。そこに自由があります。
 この点、しつけのできていない子は野放図な動物と変わりないのです。動物はところかまわずフンをします。しつけのできていない子は、それと同じようなことを社会の中で平気で行ってしまいます。

香りゃんせ公園 7月7日 ラベンダーとゼンテイカ

2018年7月8日日曜日

花だより グラジオラス 修学旅行


  修学旅行の思い出  6年生 6月26・27日 旭川方面
 かつて一般家庭の所得が低かった頃は、なかなか遠方へ家族旅行に行く機会も持てなかったため、見聞を広めてもらうことが修学旅行の大きな目的とされていました。しかし、現在では海外も含め遠方へ旅行に行く家庭が多くなってきたことから、修学旅行の存在意義を問う声もあり、修学旅行を廃止する学校もあります。しかし、友人たちと一緒に昼夜を過ごすことの意義、集団行動の経験などを通し、「多感な世代の人間形成に大切な役割を担う。」などの理由から、学校関係者・生徒・保護者のいずれも今のところ修学旅行に肯定的な見方をしています。また、修学旅行という呼称をやめて「宿泊研修」などに言い換えた学校や観光地めぐりではなく、ある程度のコースを用意しその中から生徒一人一人の希望に応じたコースを選ばせる学校が増えています。
 「なぜ、校長先生が一緒についてくる?」
 中学、高校では、生徒の修学旅行先の不祥事から修学旅行を中止した学校もあります。ある中学校の校長先生が、「小学校の修学旅行は楽でいいよな!中学校の修学旅行は、帰ってくるまで神経使って大変なんだ!」とよく言います。なぜ、校長が修学旅行に一緒に行くか?それは、不祥事が起きたときに謝る(責任をとる)ためです。ですから修学旅行中、校長の出番がないといい修学旅行なのです。
 北小の6年生は最高 バスが北小に到着する直前でした。バスガイドさんが「北小の6年生の修学旅行は最高でした。あいさつはていねいにしてくれるし、時間はきちんと守るし、バスの中はきれいだし、一番感心したのは、荷物の出し入れを手伝ってくれたのは、北小さんだけです。男子が女子の荷物を運んでいる姿を見ました。そして、何よりみんな仲よく、元気で明るく、ゲームや歌に参加していました。とても感心しました。」とお褒めの言葉をいただきました。私もこんな楽な修学旅行の引率は初めてでした。どの子もとても立派な態度でした。
 お土産 最初の見学場所の旭山動物園で降りると、動物見学の前に、みやげ店に入ってまずはお土産の購入です。「先に買うと持って歩くのが大変でしょ。それにお土産の品物より、みやげ話の方がうれしがるって言ったのに…。」と言うと、「お土産が気になってしょうがないから、妹やおじいちゃん、おばあちゃん、それにお父さんとお母さんでしょ、それに○○でしょ、それから○○と○○だから、何するか決めるのも大変なんだよ。みやげ話は、お土産を買った話をするから大丈夫!」(お小遣いは5,000円です。)

 河川敷 香りゃんせ公園 7月7日