2018年7月2日月曜日

花だより タチアオイ 教員の逃げ道


 学力危機 「指導力向上 学校全体で」 兵庫教育大教授 日 渡  円 氏
 学力向上に教員個人の指導技術が重要だという点は否定しないが、全く別の視点に立って考えてみたい。
 文科省の委託研究として、学力向上と学校の組織運営の関係について、北海道を含めた調査を全国ではじめたところだ。組織としての学校の役割や、教育委員会の支援の在り方を見直すきっかけにしたいと考えている。
 学校は近年、子どもたちの学力向上について、直接話題にすることを避けてきたように思える。教員が学力向上から逃げてきたという側面もあると思う。
 学力偏重と言われたことへの反動も、その理由の一つだろう。順位をつけること自体を問題視する考え方や、勉強ができることよりも道徳的に正しい子どもを育てることが重要だという考え方も背景にある。
 こうした考え方が長く続いたことで、教員自身が学力向上の技術そのものをなくしてしまったか、学力向上を悪いことととらえる価値観が広まってしまったのではないだろうか。
 「学力向上だけが教育ではない」という言い方は、教員の逃げ道になっていないか。学力が向上すれば、その他の大切な能力をなくしてしまうのだろうか。国民は、頭でっかちの子どもを拒否しても、学力そのものをなくしてもいいとは思っていない。
 学力向上から逃げる価値観が北海道ではとりわけ強いように思う。この価値観から抜け出すことが、まず第一歩ではないか。教員の都合を優先して、公務員として当たり前の努力すら放棄しているとしたら問題である。
 教員は「この学校の子どもは書く力が弱い。」「この地域は計算する力が弱い。」「今度の学年は…。」という言い方をする。しかし、教員の指導する能力、ひいては組織としての学校の指導力が弱いから、子どもたちのその力がつかないのではないか。その点に早く気づいてほしい。
端野「屯田の杜公園」暑い夏を待つ

0 件のコメント:

コメントを投稿