2021年3月31日水曜日

花だより 通知表の見方 玩物喪志 ハハコグサ ネコヤナギ

 



 「玩物喪志(がんぶつそうし)」
①無用なものをもてあそんで、本心を失うこと。② 学問上細かな部分に力を注いで、真に習得すべき大切なものを見失うこと。
 支援員さんの採用面接で履歴書の短所欄に書かれてあったものです。恥ずかしながら、何と読むのか?どういう意味なのか?分かりませんでした。
 学校に戻り、〇〇先生の電子辞書を借りて調べてみました。〇〇先生に「校長先生、逆に試されたんじゃないんですか?」と言われました。なるほど人を評価するということは、自分が評価されていることなのです。採用試験(面接)は、その人の生活にかかわることです。その責任の重大さを感じた次第です。私自身、大変勉強になった面接試験でした。
 年度末、子どもを評価するということは、この一年間の教師としての自分を評価することになります。
 通知表を見せに来た子がいました。「算数の一か所だけ真ん中に〇がついているね。惜しかったね。」と言うと、「算数の2番目のところは、『よくできたました』は、あんまりいなかったよ。」と言いました。これは、教えた側の問題ですね?

 

2021年3月30日火曜日

花だより 苛立ちの時代 ネコヤナギ

 

 ~苛立ちの時代~ 
 小さい子どもから高齢者まで、いつもイライラしています。その理由に、マナーの悪さ、モラルの低さにあります。モラルの低さは学校とか子どもとかでなく、日本国中に蔓延しています。それが苛立ちを起こさせている一つの原因です。モラルの低さに対して、規範意識の低下があります。規範意識がなくなったというよりも、頼るべき規範が見えない。ということではないかと思います。
 平成17年に「義務教育に関する意識調査」を文部科学省が行いました。「学校で何を学びたいか」と、子どもたちに聞いたアンケートで、第1位が「善いことと悪いことの区別を教えてほしい。」でした。2番目が「人間関係の作り方を教えてほしい。」4番目に「勉強を教えてほしい。」でした。
 なぜこうした結果になったのか。子どもたちは今の大人が善悪の判断を自分の好みでやっていると思っているからです。自分のやっていることが「善い」であって、他人は関係ない。みんな違ってそれで良い。私はこう思う、それが善であるということです。これは自分自身で主体的に判断するという意味では大事なことですが、対話というのは、「あなたは、どうですか」から始まらなければならないのです。ところが対話がないまま決めてしまっているから、その様子を子どもたちが見て、何が善で何が悪なのか分からないという状態にあるのではないか思います。 横山利弘(元文部科学省道徳調査官)の講演より


2021年3月29日月曜日

花だより ホウレンソウダネ カタクリ(2)

 

 私の目にトゲはないか 私の言葉にトゲはないか 私の心にトゲはないか
 もとよりトゲは瞬間のことである。直ぐ気付いて急いで取り直さなければならないが、しかし、トゲはいつもちょこっと刺すものである。そのひと突きは、相手の皮膚を破っているのである。(「育ての心」倉橋 惣三著より)
 普段気をつけていても、ふと気が付くと我慢が足りなかったり、目や言葉にトゲがあったりしたのではないかと反省します。取り上げたいことは、いつもにこやかに接し怒らないこと、人の立場を思いやる人間尊重の精神で子どもや親そして、同僚一人一人に接しているだろうかという自問です。
 怒ったら負け、怒ったらお終いという人もいます。少しくらいのことでは、決して怒らない心を貫く修行が大切だと思うのです。最近は理不尽なことを言う親が多くなりました。  
 教育の第一線である現場は、様々な課題を抱えています。柔軟で多様な考え方やその職場の実情に合わせた方法で解決策が見えてくるように焦らずに間合いをとりながら対応することが大切です。
 あえて「教師道」という道を考えると、教師としての引き継ぐべき精神、教育において目に見えにくいファジーな心とも言える人情的・感性的なものもあるように思います。それは「教育は人なり」と言われるゆえんだと思います。ただし、教員の人間関係は、保護者や地域から厳しいものがあって、そんなに易しいものではありません。いずれにせよ学校は、教育効果を上げなければなりません。学校運営上改善を図らなければならないと判断したならば、より人間的な深みのあるものにする道をどのように切り開いていくかということです。
 👀その方法として
①議論より聞き手に回るように心がける。
②その人が、今どんなことに興味関心を持っているかを見抜いて話すようにする。
③抽象的な理論や議論を避けて、問題を具体的に取り上げて話すようにする。
④教育動向から広く深く考慮して、具体的な方策を出し、相手が賛成できるようにする。
 そして、最も大事なことは、職場での「ホウレンソウダネ(報告・連絡・相談・打診・根回し)」です。


 


2021年3月28日日曜日

花だより 年度末、1年を反省して「焦らない」 カタクリ

 


 年度末、1年を反省して
 3月はまとめの時期です。1年を振り返って、あれもこれも不十分だったと気が付き 焦る!ものです。
 指導者というのは、教え導く生徒や部下、後輩がなかなか上達しない、要領を得ないと、ともすれば苛立ち、頭を悩ます。そして、こまごまと口を出し、手を貸してしまうことが少なくありません。
 それは家庭での子育てや学級での指導も同様です。子どもが思うようにしなかったり、できないと、イライラしたり気を揉んだり。つい口うるさく注意し、世話を焼くものです。
 しかし、人にはそれぞれ持ち味があり、成長の仕方もそのスピードもみな違うのです。着実に少しずつ力をつけていく者もいれば、あるとき急に伸びる者もいます。いずれにせよ、懸命に取り組んでいれば、遅かれ早かれ必ず伸びていくものです。もちろん適切な指導や助言は必要ですが、手のかけすぎは本人が本来持っている力を奪い、かえって成長を妨げることになります。大事なのは、辛抱強く、気長に待つほかないのです。指導者として、また親として、教師として、心にとどめておくことではないでしょうか。こう悟れるほどの心に余裕を持ちたいものです。


2021年3月27日土曜日

花だより 3月“巣立ち”~うれしい便り~ ヒヤシンス

 

  3月“巣立ち”~うれしい便り~
 校長先生、お元気ですか?そして、ありがとうございました。先生のご支援があったからこそ、今の自分があり、今の生活があるのです。そういえば、一年前の手紙、感動しました。その手紙で僕は受験に踏み切ることができたのです。そして、この手紙は、一年前の手紙のお返しに感謝を添えて書きました。もう一度言わせてください。ありがとうございました。  ○○より
 早いもので校長先生が斜里を離れてから一年が経とうとしています。私たち親子には、大切な大切な一年間でした。この度息子○○が斜里を離れることになりました。離れるにあたって道を広げてくださった校長先生にご報告とお礼を申し上げたくお便りいたします。
 5月から受験勉強を始め、この度、札幌の北嶺中学校と千葉の成田高校付属中学校に合格しました。本人と話し合って、3月末より一人立ちすることになりました。成田山新勝寺の発心院という僧侶育成の寮に入り、修行と共に勉学に励むことになりました。私たちも大変な葛藤がございましたが、道は一つではない。間違えたら引き返して違う道を行けばいいと念じて、離れても寂しさをバネに進んで行きたいと思っております。
 斜里はなかなか○○には、心温まる御縁がなかったところですが、ここが終着点ではありません。今までのことを経験に感謝して日々暮らしてほしいと思っています。一年前、私たち家族に正面から向き合ってお話し下さったことを重ねて感謝申し上げてお礼の手紙といたします。  ○○の母より 
 
 何かこれだけ読むと私がたいそうなことをしたように思いますが、そうではありません。
 ADHDの疑いのある子で、学級の中で他の子とうまくいかず悩んだ担任が親に「ADHDかもしれません」言ったところ親が激怒して、「校長先生なんとかしてください。」と泣きついてきたので私が対応したのです。
 私が言ったことは、~○○くんは、どうも頭が良すぎて、他の子と考えていることが違うようです。もしかするととんでもない能力を持っていて、東大に入れるくらいの能力があるかもしれません。しかし、私にはよく分かりません。専門家に見てもらったらどうでしょう?児童相談所というのは、非行とか問題行動を起こした子だけが行くところではありません。子どもに関するいろいろな相談を受けるところです。きっと私よりいいアドバイスをもらえると思いますよ。~
 たぶんこんな話をしたと思います。その中で札幌の北嶺中への進学も薦めたような気がしますが、まさかそれが現実になるとは、私自身驚いています。
 10年前の3月の話です。〇〇くんは、大学を卒業する歳になっています。本当に東大に入ったのでしょうか?


2021年3月26日金曜日

花だより 「現状維持」は退歩 チューリップ

 木曜夜7時夏井先生の俳句添削で人気番組「プレバト」で、司会の浜田が「昇格か降格、それとも現状維持か?」と言う決まりセリフがある。「現状維持」だと一応にガッカリした表情になる。
 人間には進歩か退歩かのいずれかがあって、その中間はない。
   「現状維持」と思うのは、実は退歩している証拠だ。

 年度末を迎え、今年度を反省し、新年度の計画を立てるが「まあ、無理をせず現状維持で…」となっていないか?現状を維持するためには、それなりの努力も必要だが、退歩であると認識しなければならない。

2021年3月25日木曜日

花だより 「話したくない」 レンギョウ

 

 ≪「話したくない」≫
 🤣泣いている子に「どうしたの?」と聞くと、「話したくない。」と答える子がいます。「なぜ?」や「話してごらん」と、無理に聞こうとせず、その場では、「話したくなったら伝えてね。」と一言で離れることです。「話したくない」は、「今は言えないけれど、後で聞いて欲しい。」ということなのです。
 😢見守りながら、話せそうになったら、再度聞いてみることも必要です。「実はあのとき、話そうとしていることが自分でもよくわからなかった。」と整理がつかない気持ちを、自分から話してくれることがあります。「話したくない」ではなく、どう話していいか、分からないのです。
 🤷‍♂️教師側の言葉でも、例えば「やる気がないなら、出て行け!」と威勢よく言ったものの、本当に出て行ったら困ります。伝えたいのは、「やる気を行動で見せてほしい。」ということです。ならば、子どもがやる気を発揮できるような言葉で紡いでいきたいものです。
 👀子どもの発するネガティブな言葉を単なるわがままなのか、つぶさな思いなのかを見極め、どのような言葉で伝えていくか、教師に問われていると思います。それができるのがベテラン教師です。


2021年3月24日水曜日

花だより 桜のようにパッと咲き、さっと散らないコロナ! 蕗の薹 桜

 

 桜のようにパッと咲き、さっと散らないコロナ!
 コロナ禍での不要不急の外出制限も我慢の限界が来ているようです。緊急事態宣言が解除されると一気に人出が多くなったといいます。田舎にいるとあまり感じないのですが、都会の人にとっては、飲食がストレス解消になっているらしい。東京では、例年より桜の開花が早く、見ごろを迎えています。
 杏(あんず)は、ピンク色の花で、薄紅色で桜より濃く、蝦夷山桜に比べると豪華に見えます。開花は桜より少しだけ早いようですが、この辺りでは、桜も梅も杏も一斉に咲き始める。幹の部分は桜と同じく横向きの線が入っているし、梅と桜の中間で梅ともよく似ていて、私には区別がつきません。
 🤦‍♂️近所の庭で、「お宅の桜は、他とちがってきれいですね。」と褒めたつもりが「これは、杏ですよ。」と教えられ、無知を露呈してしまったことがありました。
 ~季節の移り変わりを感じる心の豊かさ~ 春の花見や秋の紅葉狩りをするのは日本人だけだといいます。
 日本人の精神の象徴 ~ぱっと花を咲かせた後、散ってゆく桜の儚さや潔さが非常に好まれている。古くから桜は諸行無常といった感覚にたとえられており、ぱっと咲き、さっと散る姿は、儚い人生を投影する対象となった。
 🤷‍♂️忙殺される毎日の中で、この時期、桜を見て美しいと感じる心を持つことも大切です。「花が美しいのではないのです。美しいと感じる心が美しいのです。」と言ったのは偉いお坊さんです。ただし、パッと咲き、さっと散らないのがコロナです。花見に繰り出して、リバウンドが来るのではないか心配です。



2021年3月23日火曜日

花だより 「がんばる」を使わない?  ソメイヨシノ

 

 「がんばる」を使わない?
 卒業式、卒業生一人一人が、小学校での思い出と中学校での抱負を語る場面がありました。「中学校では、部活と勉強を両立して頑張ります。」などと100%「がんばる」と言います。また、学校の先生が一番多く使う言葉も「がんばりなさい」です。
 「明るく元気で楽しい学校」に異論を唱える人はいないと思います。しかし時に、学校がそれを押し付けてしまう構造にあると感じます。ポジティブでなければならないという雰囲気が蔓延している学校になっていないでしょうか。
「がんばりなさい」や「もっとがんばれるでしょう」と伝え、子どもたちからも「がんばります」という言葉を聞かない日はないほどです。また、さほどがんばらないのに「がんばります」と言えば、意思表示や決意表明がすんでしまう便利な言葉として使われているときがあります。
 そこで、作文やスピーチでは、子どもたちに「がんばります」を使わないこと、がんばることを伝えたいなら、別の表現をするように話をしています。すると「明日は、もう少し大きな声で言ってみます。」と、具体的な行動を言語化ができるようになる子や「ここまではできるようになりました。」と、振り返って自ら成長に気づくことができる子、そして、「よく取り組んだから、余韻に浸りたい。」と労わる子もいます。
 👀ネガティブなときもポジティブなときも、またどちらでもないときも、人間の行動と感情の奥には、「他者に共感されたい」という欲求があると思います。ネガティブもポジティブも、まずは自分の感情に気づき、受け止めること、そして、共感的理解を示すことです。
 簡単に「がんばる」を使わないで、「がんばる」の意味をきちんと教えることです。


2021年3月22日月曜日

花だより 植物には人の心を癒す働きがある バイモ

 

 植物には人の心を癒す働きがある
 校長室前に観葉植物のキョウチクトウ、金の成る木、カポック、青年の木があります。校長室には天井まで届く「青年の木」がありました。2階のプレイルームには、哀れな「ゴムの木」がありましたが、内緒で処分しました。自分の代になって植物が増えたと思っている方がいるかもしれませんが、実は学校の周りの樹木も含めて何本も処分しているのです。
 😢瀕死の状態で見るも無惨な状態だったキョウチクトウやカポックは、この4年間で何とか生き返りました。校長室にあった「青年の木」は、思い切って処分を覚悟しましたが、思い止まり30センチほどに切り分けてビニルハウスの片隅に植えておきました。すると1月後に新しい芽を出しました。植物の「生きる力」は感心しますが、子どもたちの成長も植物の生長以上にあったと信じています。
 😃中庭の癒しの空間は、3年目にして花壇コンクールで賞をいただくまでになりました。「校長先生は、花が好きなんですか?」とある子から言われました。特別、花に興味があるわけではありませんが、校長の仕事は、いかに学習環境を整えるかにあります。花や植物のある優しい環境が、子どもたちの学力向上につながると考えます。先生方には、多忙感とストレスが溜まりがちです。心がホッとする場所が必要です。
 👀日赤病院のロビーには、素敵な観葉植物が並べられています。よい老人ホームの見分け方の一つに植物があることが条件だそうです。また、モデルハウスには必ず観葉植物が置かれています。植物には人の心を癒す働きがあるといいます。


2021年3月21日日曜日

花だより 「愛」という字は心を受けて「ノ」をつける 蕗の薹

 

 「愛」という字は心を受けて「ノ」をつける
「心」を「受」けて「ノ」をつけると「愛」という漢字ができます。この字のように相手の心を受け止めて、それがこちらにも伝わったことを示すために「ノ」をつけて返す。それが愛のある接し方です。
 😍好きな人必ずしも恋人ではない。愛を育んでこそ本当の恋人である。
たとえ天使の言葉をささやいたとしても、愛がなければ、それはやかましい音でしかない。
 こんなロマンチックなことを言う歳ではなくなったが、昨日は、妻の誕生日だったので、少しおしゃれをして、お手頃な和食のコース料理を食べに行った。
 😊「昨年の今頃も、お越しいただきましたよね。」と女将に言われ、「来年も来ます。」と応えると「お仲がよろしいですね。」


2021年3月20日土曜日

花だより 「子どものため」が感染する スミレ 福寿草

 



 「子どものため」が感染する 名古屋大学院准教授 内田 良 
 卒業シーズンに入ると「黒板アート」の話題を目にする。無機質に見えた黒板がキャンパスに様変わりして、文義通り「アート」が繰り広げられる。すぐに消されてしまうところに卒業のイメージが重なり、はかなさも感じられる。気がかりなのは、先生が作成しているような場合だ。黒板アートばかりではない。1年間の思い出をたっぷり詰め込んだオリジナルDVDを作る先生もいる。長時間労働が懸念される中で、付加的なサービスのために、先生の負担がさらに増えることにならないか。
 「働き方改革」が叫ばれるようになった結果、「自分が好きでやっているだけ。皆さんはやる必要はないよ、」と、あくまで自分勝手なことだからと、仲間を思いやる人もいるという。心配なのは、本当に好きでやっている人のことではない。それを受けて、学校の中に「やらざるを得ない」空気が広がっていくことだ。「去年は、隣のクラスは、あの学年は、あの先生はやってくれた。」と、好きで始めた人の付加的なサービスが、いつの間にかスタンダードになり、現場に定着する。
 立教大学経営学部中原 淳准教授は、「残業学」(光文社新書)の中で「職場内の無言のプレッシャーや同調圧力によって残業してしまう」現象を「感染」と表現する。一人の先生の趣味にすぎなかったものが、いつの間にか同調圧力によって、学校全体に広がっていく。
 教育というのは常に「子どものため」だ。だから、学校では付加的なサービスが「余計なこと」にはならずに「子どもために頑張っている」に変換される。これが「教師」としての同調圧力を生み出していく。
 それでも、卒業式の感動で「やってよかった」と、すべてが涙とともに流されていく。そして、来年も同じことが繰り返される。 「内外教育」3月16日
 🤦‍♂️全く自分も現職のときそうだった。周りのことなど何も考えずに、「子どもたちが喜ぶのなら…」自分のやりたいことをやりたいようにやっていた。今になって深く反省している。働き方改革が進まないはずだ!


2021年3月19日金曜日

花だより 心に響く3行ラブレター しだれ桜

 

 心に響く3行ラブレター
「いつもパパとママはいっしょにおでかけ。まるで磁石みたいだね。NとSくっつけくっつけ。わたしおじゃまかな。」(小学2年生 女子) 
 😍やきもちを焼きたくなるほど、いつも一緒で仲のいいパパとママ。でも、そんなパパとママの姿がうれしいし、ちょっぴり自慢でもあること。そして、パパとママも大好きという気持ちがよく伝わってきます。仲のいい両親に育てられたこの子は、素直で優しい性格であることがこの文面から伺われます。
 😘愛する人へ、自分の意志を伝達することをテーマに、文章のノウハウを伝授することを目的に、3行60文字以内の文章で思いを伝えるラブレターコンテスト。
 💕ラブレターの対象は、恋人ばかりでなく、家族や夫婦、ペットや物などへの感謝の気持ちや愛情を表した作品が多く寄せられるそうです。
 👀子どもたちの素直で優しさがあふれている文章がたくさんあります。感動する素晴らしい文章にたくさん出合うことが作文上達の第一条件です。文章を書くこと(書く勉強をすること)を大切にして欲しいと思います。


2021年3月18日木曜日

花だより 中学生になる子どもを持つ親へ クロッカス

 

 中学生になる子どもを持つ親へ 
△△△心も身体も大人ではないけれど、全くの子どもでもない△△△
 😉思春期とは、身体の成長に心の成長が追いつかず、誰もが不安定な気分になりやすい時期です。「私は何なのか」「私はどう生きたらいいのか」などと自分に直面し、自分を見る「もう一人の自分」が意識されるようになります。小さなことで有頂天になったり、逆にひどく傷ついて落ち込んでしまったりします。異性を意識したり、Hな本やビデオに興味を持ったり、親や先生がうっとうしく感じるようになり、自分だけの秘密を持ち始めます。こうした心の変化に対し、身体は、体型全体の大人化が著しく進みます。女性では月経、男性では射精が始まります。また抑えがたい性衝動が性非行を含むさまざまな問題行動の原因につながることもあります。反抗的になり、特に女の子と父親は、メールでしか会話しなくなったりします。
 👍しかし、腫れ物に触るように接したり、逃げたりしてはいけません。これまで以上に会話を大切にしてかかわる努力が欠かせません。自分も通ってきた道ですから・・・
 思春期の子どもと向き合うことです。大人へと成長する階段をまた一歩昇ったと思いましょう。


2021年3月17日水曜日

花だより 10年前の卒業式での国旗国歌の取り扱いについて クサボケ

 


 卒業式での国旗国歌の取り扱いについて 10年前の3月の「校長室だより」から 
 ある学校で「校長は、『日の丸』の意味を知っているか?中央の赤い丸が天皇で、周りの白い部分が国民を表している。そんな国旗に敬意を払えるか!」と言った職員がいたそうです。「言論自由、内心の自由を尊重して、その意見は聞きましょう。」と校長は応えたそうです。
 震災直後、「国民に直接説明し、お願いしたい。」という菅総理の強い思いから記者会見が実現しました。そこで印象的だったのが、登壇するとき、国旗に対して深々と礼をしたことです。この礼は、犠牲者への哀悼と被災者へのお見舞い、そして、献身的な救助活動をしている警察、消防、自衛隊など、関係職員の皆さんに対する敬意の表れと見ました。
 国旗国歌論争がかみ合わないのは、まさに心情にかかわることだからです。総理も官房長官も野党時代は、反対の立場にあった人です。未曽有の大震災は、このことさえも変えてしまったと思いました。

 今は、正常に実施されるようになった卒業式ですが、10年前は、「立つ、立たない、歌う、歌わない」という激しいやり取りが、オホーツク管内のどこの学校でもありました。


2021年3月16日火曜日

花だより 東日本大震災から10年 式辞を読み返す ハルリンドウ

 

 東日本大震災から10年、記憶を風化させてはいけない。
  平成22年度 卒業式式辞(平成23年3月18日)を読み返す
 卒業式の1週間前に、東日本・太平洋沖地震が起きました。
千年に一度といわれる地震と津波は未曽有の大災害となりました。自然の猛威は、人類の知恵と想像力をはるかに超えていました。想定外の地震や津波は、英知を結集した原子力発電所の安全神話さえ崩壊させました。10mの防潮堤も耐震を強化した建物も、天変地異の脅威には、成す術がありませんでした。ニュースに耳を澄ますたびに、何百人単位で犠牲者が増えています。被災地では、被災者が力を合わせて懸命に生きています。全国から自衛隊や警察、消防の皆さん、そして、世界の国々からも救援隊が来て、救助活動をしています。そうした人たちの勇気と善意、使命感にすがる思いです。
 被災者は、肉親や家を失い、悲しみの中で避難生活を強いられています。「お母さん!どこにいるの?」と叫ぶ子どもの声に胸が締め付けられました。この惨状を目の当たりにするとき、私たちはささやかな不便さは喜んで引き受けなければなりません。日本に住む限り、誰もが被災者になり得るのです。
 日本は、戦後の焼け跡から奇跡的な復興を成し遂げ、平和な国を築きあげてきました。今回の震災は、それに匹敵する国難です。目の前の現実に学ばなければ、平穏な生活を断たれた人が浮かばれません。首相は、「日本人は、必ずやこの国難から立ち上がるはずです」と言いました。これまで以上に日本人の知恵と想像力と努力が必要です。
 完全に復興するには何十年もかかるでしょう。日本の将来の安全で安心な国づくりの担い手は、先生やお父さんやお母さん方ではなく、皆さん方です。そのことを肝に銘じてほしいのです。
 私たちはテレビを見ているだけで、何も手助けができないもどかしさを感じています。しかし、皆さんにできることは、被災者のことを思い、節電や節約など、できる限りのことをすることです。わがままな行動を自粛することです。我慢することです。そして、しっかり勉強して、人の痛みの分かる大人になることです。


2021年3月15日月曜日

花だより 10年前の東日本大震災の時 スイセン

 

 10年前の東北地方太平洋沖地震  
 職員室に大型テレビを持ち込み、先生方と食い入るように見ていました。そこにはリアルタイムで、がれきと海水の混じり合った津波が、濁流となって家を、畑を、道路をのみ込んでいく映像が映し出されていました。明治以来の観測史上国内最大の地震とそれによる津波が三陸地区を襲い、その被害は日を追うことごとに広がっています。自然の猛威、天変地異の脅威に私たちは何ができるのか?
 子どもの中には「テレビは地震のことばっかりで、つまらなかった。」と言う子がいましたが、この現実を直視して欲しいと思います。被災者の皆さんとつなぐための手が、私たちの心にはあると信じたいです。
 戦後最大の国難  日本に住む限り、誰もが被害者になり得る。千年に一度は、明日かもしれない。3月11日(金)は、卒業式の式辞を書いていました。土日は、テレビをずっと見ていました。被害の状況が少しずつ分かってくると、卒業式の1週間前に起きた今回の歴史的未曾有な出来事を卒業生にもきちんと理解し、考えてもらいたいと思い、全て書き直すことにしました。「眼前の現実に学ばねば、平穏を絶たれた人は浮かばれません」
                             ~10年前の学校だよりから~


2021年3月14日日曜日

花だより 英語教育の心配 ムラサキハナナ

  英語教育の心配
 4月から中学校の教科書が全面的に変わる。英語の教科書は、小学校で教えられたであろう単語については、一応説明はついているが、一度習ったものとして扱われている。さらに、ゆとり教育時代の2倍に当たる新しい英単語が加わっている。文科省は、英語教育に重点を置くのは、「それが国際的な標準レベルだから」という。しかし、こうした教科書が中学校で使われるということについて、意外なほど小学校の教師は知らないことだ。英語が嫌いにならないように、歌とチャンツ(音楽に合わせて単語を口ずさむ)の指導ばかりしているのではないか。これで本当に英語力が身につくのか心配である。
 地理の教材が削減されたときに、その理由は「暗記は駄目だから」と文科省は言った。結果、都道府県がどこにあるか分からない若者が増えた。理科の教材に飼育や栽培活動がやたらと増えたときの理由は、「生命尊重だから」だった。理科と道徳を混同してはいないか?
約10年に一度の指導要領の改訂に伴い、教科書が新しくなる。これは国の運命に大きくかかわる問題である。決して文科省の方針が間違っているとは思わないが、現場に降りると変わってしまうのである?



2021年3月13日土曜日

花だより 教育効果はそう簡単には出ない ユキヤナギ

 


  教育効果はそう簡単には出ない  
 近年、国の政策を検討する際に「エビデンス(科学的根拠)」という言葉が多く用いられるようになった。国民から徴収した税金の使い道を説明する義務があるため、財務省から各省庁に対して、各事業の効果に対するエビデンスを示すことが求められる。
 文科省関連予算において、高校授業料無償化などの直ちに可視化される政策がある。校長は、学校説明会などの折に「本校から〇〇大学に〇人合格した。」というふうに分かりやすいエビデンスを学校紹介の材料としてよく使用する。しかし、教育活動の多くは、新たな試みを実施しても、その効果が表れるまでには時間がかかる。
 勉強を頑張り始めた生徒の点数が直後の定期テストですぐ上がることはない。そこで諦めてしまうと低学力のままで終わるが、頑張り続けると確実に上昇する。教育や学習には、その効果が表れるまでタイムラグが生じることは、教師なら誰もが経験上知っている。
 財務行政においては、国民個人や企業への給付金などの効果が見えやすい政策に注視する傾向がある。それに比べて教育(文科省の予算)は、予算を注いでもその効果がすぐには見えるように表れないので、国政として手を着け難い政策なのである。
 今後の財政政策には、小学校で実現した1クラス定員削減の中学校、高等学校への拡張や教員定数の増加などのエビデンスが明確になるまでに時間を要すると思われる。その効果が表れるまで待つ、時間的、精神的なゆとりが必要なのではないかと考える。
 「内外教育」3月12日「教育活動のエビデンス」小栗 洋(全国高等学校長協会元会長)より牧野要約 


2021年3月11日木曜日

花だより 新しい衣装をまとったキーワード キランソウ

 

 新しい衣装をまとったキーワード  国立教育政策研究所名誉所員 菱村 幸彦
 教育界では、ほぼ10年のサイクルで新しいキーワードが生まれる。時代に即して視点や観点に違いはあるが、まったく新機軸ということは少ない。多くは従来のテーマが新しい衣装をまとって登場するにすぎない。
 1987年改訂の学習指導要領で強調された「自ら考える力」は、89年改訂では「新しい学力観」という新しい衣装で登場し、今は「新しい時代に必要となる資質・能力」という衣の中に「思考力・判断力」として包み込まれている。
 古くからいわれている「知育・徳育・体育」は、96年の中央教育審議会答申で「生きる力」というニューファッションでデビューし、今も指導要領に引き継がれている。今回、中教審答申が掲げた「日本型学校教育」も「知・徳・体」のバリエーションと言える。
 最新のキーワードは「個別最適な学び」である。「主体的・対話的で深い学び」がスタートしたばかりなのに、また新しい指導法かという声もあるが、これは新しい指導法ではない。答申の解説にあるように「個別最適な学び」は「個に応じた指導」を学習者の視点から捉えてものである。
 「個に応じた指導」は、半世紀前からの課題である。71年の中教審答申(四六答申)で、学校教育の在り方として、画一教育を排し「個人の特性に応じた教育」の重要性が提言されている。
 四六答申を受けて、78年の高校指導要領で習熟度別指導が導入され、さらに89年告示の指導要領で、小中学校ともに「個に応じた指導」が明記された。
 個別最適な学び=子に応じた指導は、古くて新しい課題である。ただこれまでと違うのは「GIGAスクール構想」の実現で情報通信技術(ICT)が学びの有力なツールとなったことである。




2021年3月10日水曜日

花だより まだまだ甘えん坊~放課後児童クラブ(児童センター)の役割~ 白梅

 

 まだまだ甘えん坊 ~放課後児童クラブ(児童センター)の役割~
 😊家ではがんばれなかったり、甘えん坊だったりするのが小学校低学年の特徴です。これは幼児期の名残です。特に生活の区切りには、気持ちを切り替えるためのエネルギーが必要なため、大人に甘えてエネルギーを補給するのです。
 😁児童センターに帰ってくると、支援員におんぶや抱っこを求めてきたり、膝に乗ってきたりして甘えます。ホッとすれば甘えるのが人間のあたりまえの姿なのです。家に帰って母親に甘えたいところを我慢して児童センターに来ているのです。学校とは異なる「放課後を過ごす場」である児童センターでは、子どもは学校ほど頑張ることができないのです。
 😉放課後は本来、誰かと、どこで、いつまで、何をするかは「自由な時間」です。低学年の子は、この「自由な時間」にいろいろなことを試しながら「自分の好きな世界」を確かめるのです。この思考錯誤が青年期の「自分らしさ」を築く基礎になります。
 😜甘えん坊が「学校生活」という「学び」中心の生活から「試行錯誤」の冒険に出るためには、ホット一息つき、気持ちを切り替えることが必要です。児童センターでは、甘えも出るし、ボーっとしたいし、勝手気ままにしたいと思うのはあたりまえのことだと受け止めることが必要です。
 😃ですから児童センターは、安心できるところでなければなりません。ただし、高学年になっても甘えん坊だと困ります。


2021年3月9日火曜日

花だより 「祝 満職」 梅

 

 祝 満職
 3月に入り、コロナ前であれば、定年退職を迎える校長の囲む会が計画されるところですが、コロナ禍のため昨年から送別会など一切の集まりがなくなりました。
 大学の同窓会から、「今年も送別会ができなくなりました。定年退職を迎える校長先生には、長年のご労苦を慰労する機会もなく、お別れするのは残念でなりません。」という案内が届きました。
 「退職」とか「ご勇退」の他に、職を退くのではなく、校長としての職を全うすることを祝うという意味で「祝満職」という言葉もあります。なるほど今の時代、無事に職を全うすることはお祝いに値します。しかし、今年定年退職する校長からは、「年金はすぐ出ないので、次の職を見つけなければならない。再任用もある。すでに4月1日から働くことになっている。コロナ禍で飲み会もしばらくやっていない。もうそんな生活に慣れた。無い方が気が楽!」と言う。
 ある先輩の校長先生から、「3月31日夜中12時過ぎ、ああ~、無事終わった!そして、それまで我慢していたお酒を口に含んだ。」という話を聞いたことがありました。現職のときは、休日に電話が鳴ると、一瞬ドキッとする。そんな緊張感からやっと解放される。ましてや今は、コロナのクラスターの発生を心配し、緊張の毎日でしょう。今年、定年退職される校長先生、本当にお疲れ様でした。しかし、やれやれと一息つく暇もありません。次の仕事が待っています。


2021年3月8日月曜日

花だより 10年前のテレビCM 公共広告機構(AC)3・11「東日本大震災」 辛夷

 

 10年前のテレビCM 公共広告機構(AC)3・11「東日本大震災」
~今、わたしたちにできること 買い占めをしない。節電に心がける。みんなでやれば大きな力に“和”の気持ち 日本人の底力 あなたはどんなときも一人じゃない。日本の力を信じて~
 👍ACジャパンでは未曾有の大災害に対して、直後より震災臨時キャンペーン制作を決定。全国の広告会社からの自主提案企画を受け、また各界で活躍中の方々の出演ご協力により制作し、震災から一週間後の3月18日から放送局にCM素材送付を始めています。 まず「みんなでやれば、大きな力に」をスローガンにして「今、わたしにできること」を文字で呼びかけた「文字篇」2種類が放送しました。覚えていますか?
 🤦‍♂️このCMについてネットでは、「ACのCMばかりでうざい!」という書き込みがたくさんあったそうです。残念なことです。
 👀現在のコロナ禍でも、同じことがいえます。~今、わたしたちにできること マスクをして不要不急な外出を避けること みんなでやれば大きな力に 日本人の底力 日本の力を信じて~こんなCMをテレビやSNS、YouTubeで流してもいいのではないでしょうか?







 

2021年3月7日日曜日

花だより 常識・非常識 子どもは親の「所有物」ではない パンジー

 

  子どもは親の「所有物」ではありません 「母の品格」 多湖 輝 著
「子どもは、両親の血を分けて生まれてきたのだから、どう育てようと親の自由だ!」
 🤦‍♂️この考え方は間違いです。子どもを親の所有物と考えるのは、子どもをペットとして見ているのと同じです。法律ではペットは飼い主の所有物とされていますから、自由に売買ができます。人間の子どもは、そんなことができないのは当然です。
 😒では、子どもに付ける名前はどうでしょう。自分の子どもだから、どんな名前を付けようと親の自由といえるでしょうか。以前、自分の子どもに「悪魔」という名前をつけようとして役所に届け出た親がいましたが、受け付けられませんでした。これは世間の“常識”が働いたからでした。
 🤷‍♂️これは命名権だけの問題ではありません。親が自分の子どもに対して行使できる自由には限界があるということです。子どもはやがて親元を離れ社会に出て行きます。社会を支え、動かしていく構成員になるわけです。社会の構成員にふさわしくないような突拍子もない名前などは、認められないというのが“常識”なのだと思います。子どもを育てるということは、喜んで世の中に受け入れてもらえるような、きちんとした常識を身に付けさせるということなのです。非常識な親では、常識のある子どもを育てられません。
 😢多胡先生は、そうおっしゃいますが、今の親は常識と非常識の見極めが分からない。周りは非常識だと思っていても、当事者の親はそう思っていないことが問題です。


2021年3月6日土曜日

花だより 「かきかた」何が正しい? 辛夷 

 

  「かきかた」何が正しい?
 「文字を正しく整えて、読みやすく書くことができる。」これが小学校の書写のねらいである。書写の教科書に使われている字体は、デザイン的な明朝体やゴシック体ではなく、書き文字に近い教科書体活字になっている。小1の最初の学習は、鉛筆の持ち方など、書くことの基本を学ぶ。しかし、子どもたちの書いている字を見ていると筆順も字形もめちゃくちゃだ。例えば「ふ」は「3」に「ノ」・「、」・「ら」は「5」と見分けがつかない。これは指導する担任に問題があると思っていた。特にコロナの休校で、入学したばかりの1年生は、ひらがなの練習用プリントがたくさん配られ、ひたすら書き写す練習を強いられた。しかし、筆順が正しいかは、誰もチェックしていない。ただし、ひらがなを読めない、書けない子はいない。
 過日こども園に訪問して、原因が分かった。園に入ると廊下や教室の壁にたくさんの掲示物が貼られてあった。その文字を見ると、教科書体とか明朝体とは大きく異なるゴシック・ポップ・丸ゴシック字体で書かれてあるものばかり、先生の手書きの字も子どもたちが目を引くように、量販店のカラフルなポップ文字になっている。園児たちは、いわゆる手書きの美しい文字を見ないまま小学校に入学してくるのだ。散々見慣れた文字ではなく、教科書体を示し「『ひらがな』はこうして書きなさい。」と言われても書けないのも無理はない。
 小学生の中に、正しい筆順でとってもきれいな字を書く子を見つけた。聞くと進研ゼミのタブレットで「かきかた」の勉強をしているという。日本伝統の文字文化もデジタルが必要なのだ。  


2021年3月5日金曜日

花だより 「デジタル教科書を問う」 慎重論が多い中で 木五倍子

 

 「デジタル教科書を問う」 慎重論が多い中で
 昭和35年、我が家に初めてテレビが入った。父から「一日1時間、それ以上見ると目が悪くなって、バカになる。本を読め!」と言われたことを覚えている。しかし、そんなことを守るはずがなかった。
 以前も書いたが、日曜日の朝、「兼高かおる世界の旅」を観るのが楽しみだった。世界観を変えたテレビ番組だった。毎日のように「テレビばっかり見てるんじゃない!」と𠮟られた。時代が変わって、テレビゲームが普及すると、また同じことを親は子どもに言った。マンガばかり読んでいてもそうだった。しかし、クイズの東大王は、子どもの頃テレビゲームを夢中になり、日本史は、「漫画日本の歴史」で学んだという。
 ワープロで打った文章を、一度プリントアウトして推敲することが多い。我々の年代は、それに慣れているからで、若い人たちは、そんなことはしない。打つのも速いし、文章の構成の仕方も手書きとは違って、挿入、切り取り、訂正が簡単にできる。頭を使わないわけではない、むしろ手書きでは使わない字や言葉も使ので、頭を使うような気がする。
 導入にあたっての慎重な議論には意義はない。反対意見ばかりではないはずだ。


2021年3月4日木曜日

花だより デジタル教科書 教育格差広がる恐れ ムラサキケマン

 

 教育格差広がる恐れ 中間まとめ案 連載(下) 2月27日 読売新聞 
 文科省の中間まとめ案では、デジタル教科書の端末には、教科書のデータを入れず、学習する際はサーバーに接続して読む方式を前提としている。自宅学習でかかる通信費は、各家庭の負担となる方向だ。
 内閣府が昨年、小中学生のオンライン授業の受講率を調べた結果を協働分析した法政大の多喜弘文准教授(38)(教育社会学)によると、都市部在住や親の収入・学歴が高い家庭の子どもほど、学校のオンラン授業を受けていた割合が高かった。多喜准教授は「教育のデジタル化で、家庭環境によって教育を受ける機会に格差が生じることが懸念される。」と指摘する。
 中間まとめ案では、デジタル教科書に加えて、有料のデジタル教材を使うことで学習効果が高まる、と強調している。有料の教材を導入するかどうかは自治体ごとに分かれる。多喜准教授は、「子どもは生まれる環境を選べないが、家庭による教育機会の格差がさらに拡大する恐れがある。デジタル教科書の導入は、教育機会の保障を含む、慎重な制度設計を抜きに行うべきではない。」と語った。
 政府は「GIGAスクール構想」を掲げ、小中学生1人1台の端末配備を進めている。だが、数年後に老朽化する端末の更新費用をだれが負担するのかは決まっていない。早稲田大学の片山善博教授(69)(地方自治論)は「現場の実態やニーズに合わない、無責任な施策だ。」と批判する。
 デジタル教科書が本格導入されれば、教育内容が自治体の財政事情や首長の教育施策に左右されかねないとして、「義務教育で達成すべき水準は国が責任を負うべきなのに、地域や家庭の実態を踏まえた支援の議論が欠けている。」と指摘した。


2021年3月3日水曜日

花だより デジタル教科書 長時間利用 消えぬ不安 モモ

 


 長時間利用 消えぬ不安 中間まとめ案(中) 読売新聞2月25日 
 
デジタル教科書は、家庭で使うことが想定される。保護者らの間に、子どもの健康への不安が広がっている。夢中になるとやめられない。深夜までゲームや動画視聴に興じる子どももいる。視力や学力の低下、生活リズムの乱れを招きかねない。「使いすぎにはブレーキをかけて」と訴えても、親からは、「家で子どもの利用時間を管理するのは難しい。」という声が漏れる。
 中間まとめ案では、デジタル教科書で子どもに最適な学習を提供し、対話的で深い学びの実現も期待される、と位置付けている。だが、脳科学者の川島隆太東北大教授は、「子どもの脳や学力に良い影響を与える、という科学的根拠はない。」と言い切る。
 川島教授の研究によると、端末を平日に1時間以上使う子どもの学力は極端に低かった。端末の利用時間が長いと脳の発達が阻害され、認知能力が落ちているためでは、とみている。川島教授は「動画や音声で受動的に情報を得るよりも本を読む方が、情報を処理する脳の領域は活発に動く」と指摘し、「スマホなどが普及する中、紙の教科書は能動的な学習の訓練になっていたが、デジタル化でその機会が失われてしまう。」と懸念する。
 全国連合小学校長会の喜名朝博会長は、GIGA構想で「授業活性化や学校事務の効率化が期待される。」と歓迎する一方、端末配備を機に教科書を全面デジタル化すべきだ、という意見には「違和感がある」という。新年度から、国の実証事業が始まる。「紙とデジタルをどう使うと学習効果が高いのか、国は慎重に検証して、科学的な根拠とともに現場へ伝えてほしい。」と求めている。






2021年3月2日火曜日

花だより デジタル教科書 調べる・覚える・使い分け デジタルと紙の関係 タチツボスミレ

 

 デジタル教科書 調べる・覚える・使い分け デジタルと紙の関係
 スウェーデンの精神医で「スマホ脳」の著者であるアンデシュ・ハンセン氏は、「端末を学習目的の情報集めに使うのは有効だ。」と評価する。ただ、デジタル教科書の本格導入は「やめた方がいい」と明言した。
 根拠として、さまざまな国の研究で「画面より紙の方がじっくり読むことができ、内容が頭に入りやすいことが分かっている。」ことを挙げている。ハンセン氏は「紙の手触りや本のどこに書いてあったという記憶と絡めて覚えやすいのではないか」とみている。また、端末で学ぶ多くの子どもは深く理解せずに「分かったつもり」になってしまう。「難しい文章や複雑な課題を理解するには、紙に手書きする作業が欠かせない。」としている。
 教育評論家の尾木直樹氏は、一人一台の端末を調べ学習に有効活用するのは賛成だが、十分な検証をせずに教科書までデジタル化するのは危険だ」と警鐘を鳴らす。デジタル教科書の本格導入後に「効果がなかった」という結果が出ては取り返しがつかない。国は拙速に進めず、海外の先行事例を慎重に分析すべきだと強調する。端末の方が荷物が軽くなるというメリットを挙げているが、重さの問題を解決する方法は他にもある。 
       読売新聞 2月24日 デジタル教科書 中間まとめ案(上)より
~紙とデジタルの特徴~
 【紙】 
・細部の読み取りや深い思考をしやすく複雑な文章に適している。
・内容が記憶に残りやすい。
・手書きでメモをとりやすく、手書きで行うとより深い理解につながる。
 【デジタル】
  ・速く読める反面、浅い理解にとどまる。
  ・特に子どもは気が散りやすく、内容が記憶に残りにくい。
  ・必要な情報を取り出すなど、表面的で単純な作業に適している。



2021年3月1日月曜日

花だより 「しつけ」とは、礼儀を教えること フリージア

 

  つけ」とは、礼儀を教えること
 😁「みっともないでしょう。はずかしいと思いませんか。行儀良く食べなさい。」「笑われますよ。あなたの食べ方は、礼儀知らずと思われますよ。」これは、日本人のお母さんやお父さんが、あるレストランで子どもに話している言葉です。
「やめなさい。隣の人が、いやな思いをしますから、礼儀正しく待っていなさい。」「他の人に迷惑をかけるようなことは、してはいけません。食事中のマナーを守りなさい。」これはイギリス人の親が子どもに話す言葉です。日本人とイギリス人では、注意する言葉が違っています。日本人は、笑われてはいけない。イギリス人は、他の人にいやな思いをさせてはいけない。ということになります。注意の仕方は違っても、自分の周りの人に不愉快な思いをさせない。ということでは同じです。
 礼儀正しくすることは、教養が高くなり、しつけが行き届いたときにできるものです。約束事ですから、約束した事柄を知らなければなりません。子どもの頃から、一つ一つ約束を覚えて、大人になるまでに全部覚え、それを日常の生活の中で正しく実行するようにすることが「しつけ」で、これは親の役目です。
 😃「朝、子どもたちから『おはようございます』と声をかけてくれます。」と近所の方から言われました。「あいさつで人を大切に」が定着しつつあることにうれしく思いました。あいさつは、「あっ、先生だ。あいさつしよう」と頭で思ってから言うのではなく。かけ算九九の「2×2=4」が暗唱してぱっと出るのと同じように、自然に人と出会ったら「おはようございます」と言えるくらいに体の中に染み込ませることが大切です。