2022年10月6日木曜日

花だより お葬式の弔事 アシタバ 栗

 


「日本人の心はどうなってしまったんだ?校長さん、子どもたちの教育しっかり頼むよ!」 

~おじいさんの嘆き~
 「校長さん、ちょっと聞いてくれないか。この前な・・・。死んだばあさんの葬式を息子がしないという家があってな。わしは、『それはおかしい。』と言ったら、『喪主の俺がしないといっているんだ。文句あるか!』こう言うんだな。死んだじいさんとばあさんが一生懸命働いて広げた畑を息子の代になって売ってな。そのお陰で今の生活があるんだろ!葬式というものは、関わりのある人が集まって故人を偲ぶものだ。あんた一人で決めるもんじゃないだろ。そんなことも分からんのか!と意見したんだ。わしらは、戦前の教育を受けてきている。家族や親、先祖を大切にすることは当たり前だと思っている。戦前の教育が全て悪かったわけではないだろうと思う。“いったい日本人の心は、どうなってしまたんだろなあ~。」
 安倍元首相の国葬での菅前首相の弔事について、あるコメンテーターは、「違和感を感じ、吐き気がした。」とか「あれはライターが書いたもの…」、「アベ政治は嘘にまみれたハリボテだった。この国のレベル、儀礼にふさわしい弔辞だったかもしれない」とまで言ったコメントもあった。
 私は、退職校長が亡くなったときの弔辞を書く係を何年かしたことがあります。書き方については、先輩から教わりました。弔辞は、そもそも亡くなったことへの悲しみ、故人の人柄や仕事ぶりなど、具体的な例をあげる。残された者の責任と決意などを綴る。そのために退職時に、経歴等を書いてもらい会に提出してもらっています。また、遺族などに生前のエピソードなどを伺うなどして資料を集め、失礼の無いよう気をつかいます。
 国葬を決める過程には、問題があったと思いますが、葬儀や弔辞、故人への誹謗は、いかがなものかと思います。そうすることがマスコミの正義なのでしょうか? 


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