「現場(○○)が勝手にやったこと。」などと言うトップがいます。そう言い訳をするトップ(上司)は、現場の人たちから敬遠されてしまいます。
敬って遠ざける、「敬遠」とはおもしろい言葉です。心から敬っているのではなくて、敬うふりをして近づかない。親しくならないということです。いくら企業のトップや政治家の先生が威張っていても、責任がとれないのは、陰で笑われる裸の王様みたいなものです。
しかし、実をいえば「責任の取り方」というのは、教育やしつけではないのです。ごくごく当たり前の常識をたくさん身に付けることによって、いわばその集大成として、責任とは何かということがわかってくるものなので、子供のうちからしっかりと常識を身に付けさせることです。
常識とは、突拍子もないものではありません。人に会ったらあいさつをするとか、自分の思い通りにならなくてもがまんするとか、人には親切にするとか。それはみな当たり前の常識なのです。そういう当たり前のことを、親が当たり前のようにやっている姿を見て、子供の気持ちの中に少しずつ常識が芽生えてきます。
「やってみせ、いって聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」(山本五十六)という教えがあります。親や先生が常識と思っていることを子供に一つずつ伝えていくことです。手間暇のかかることですが、手間暇を惜しまないのが愛情です。
常識とは、突拍子もないものではありません。人に会ったらあいさつをするとか、自分の思い通りにならなくてもがまんするとか、人には親切にするとか。それはみな当たり前の常識なのです。そういう当たり前のことを、親が当たり前のようにやっている姿を見て、子供の気持ちの中に少しずつ常識が芽生えてきます。
「やってみせ、いって聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」(山本五十六)という教えがあります。親や先生が常識と思っていることを子供に一つずつ伝えていくことです。手間暇のかかることですが、手間暇を惜しまないのが愛情です。
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