2024年9月30日月曜日

花だより 順風満帆の時こそ自戒 ナナカマド 

 



  やることなすことが次から次へ、ことごとくうまく運んで、順風満帆の時がある。気力充実、自信満々、心楽しい日々である。しかし、「好事、魔多し」という諺がある。思わぬ落とし穴が待ち受けているのは、往々にしてこういう時である。
 順風が続くと、人はとかく謙虚さを失いがちになる。待てよ、と自らの足元を顧みることを忘れ、ついつい調子に乗る。そんな思い上りが知らず識らずのうち生じてきて、言動が尊大になり思いやりを欠く。その結果、自分にはその気がないのに、周囲を軽んじ、傷つけ、何でもない人をいつの間にか敵に回してしまったりする。
 やることなすことが失敗ばかりというのは、無論かなわないが、成功の連続はもっと危ない。追い風が続く時こそ、いっそうの自戒を怠らないようにしたい。(PHP 松下幸之助)

    紅葉が始まった網走湖



2024年9月29日日曜日

花だより ケジメをつける 萩 カボチャ

 

 人は誰でも、自分が可愛いし、大事である。ああもしたい、こうもしたいと願う。何かをなすとき、わが思いや願いが中心になる。それは、人間として自然な感情であり、行動だろう。だからこそ仕事や人生にたくましく取り組んでいける。
 しかし厄介なことに人はとかく、私心に執着し、とらわれる。自分の都合のいいことばかりが優先され、周りが見えなくなる。すると正しい判断を誤って、失敗を招くことになる。
 倒産する企業に共通してみられる現象の一つは、経営者の公私混同だという。私利私欲へのとらわれから判断の狂いが生じ、それが全体に及んで社内の規律が乱れ、志気が低下し、破局を招くというものである。
 企業活動の場に限らない。昨今の世相を見るにつけ、公私のケジメをしっかりつけるという姿勢が、今強く求められている気がする。(PHP 松下幸之助)

2024年9月28日土曜日

花だより 絵画指導は良い作品を見ること ツユクサ コスモス

        
 教育大付属小学校を訪れたとき、廊下には、各種コンクールで入選した絵画作品を額に入れて飾ってありました。描き方を指導するより、お手本となるような絵を飾り、普段から目にすることの方がずっと効果があるからです。
 フランス人やイタリア人がなぜファッションセンスや美的センスがあるか、それは街のいたるところに美術品(有名な彫刻や絵画)があり、ウインドウには、高級ブランドの服飾品が飾られていて、日常的に目に触れているからだと言われています。日本では、壁にカレンダーや写真、メモなど所狭しと貼られている家が多くあります。ところが欧州の家を見ると、気の利いた絵画や家族の写真とかがきちんと額に入れて飾ってあります。レストランの良し悪しは料理だけでなく、店内の雰囲気が大事です。
 学校近くの中華料理店に入ると、壁に子どもが描いた絵が額に入れられて飾られてありました。一枚一枚に「長男〇○ 〇〇幼稚園〇歳 〇月〇日 遠足の絵」と表示してありました。「〇○君のお店ですか?」「そうなんです。〇○がお世話になっています。高価な絵を飾ることができなので、子どもたちの絵を飾っています。うちの子、結構上手なんです。お客さんからも好評なんですよ。」、「大手チェーン店にはない、温かい家族経営のお店でいいなあ!と思いました。

2024年9月27日金曜日

花だより 言語環境を大切にする ゲンノショウコ ヤブラン

 

 



 令和5年度「国語に関する世論調査」の結果が文化庁から発表されました。
 時代が変わると言葉も変わるのは当然です。「さくっ」「もふもふ」「まったり」を使う人が5割を超えた。国語として認められる?こんな結果も載っていました。
 学校教育では、言語環境が大事です。言語環境は、教師の言葉使いが一番の環境(お手本)です。
 例えば、「これから、〇○をしたいと思います。」とよく言いますが、これは曖昧な表現です。こういうときは「これから〇○をします。」と言うべきでしょう。
 ちなみに、「それでは〇○様に、ひと言、ご挨拶をいただきます。」こういう言い方もよくします。ところが挨拶する人が、「それでは僭越ですが、ひと言ご挨拶申し上げます。」とへりくだって言う時に使う言葉で、あいさつを頼む方が、「短く話してください」と催促するようで相手に大変失礼な言い方です。
 また、先生の中には、校長さん、教育長さん、と「さん」を付けて呼ぶことがありますが、これも非常識です。〇〇部長、〇○課長と名前の後ろに役職を付けると敬称になります。ですから「教育長さん」は敬称が重なるので誤りです。子どもと話すときに使う言葉使いに慣れると、大人としての常識が分からなくなってしまいます。
「敬老の日」の読売新聞の社説に、こういうことを伝えるのが、年寄りにできること、書いてありました。
 しかし、今は誰もが、どこでも「一言、お願いします」、「これから、〇〇したいと思います」、「教育長さん」と言っています。5割を超えるとそれが国語として認められてしまうのでしょうか? 

2024年9月26日木曜日

花だより 前期終業式 シラヤマギク

 

 ~前期終業式~ 校長先生の話 
 学校には、始業式、終業式、入学式、卒業式、夏休み、冬休みがあります。これは学校の「節目」です。
 節目というのは、竹の節のことです。筍が土から顔を出して2~3ケ月の間に1日1m以上も伸びます。生長が早く一気に10m~15mまで伸びて、それからは生長が止まります。何か人間と似ています。小学生は、竹が伸びる時期と似ています。人間と竹は違うので、いくら伸び盛りでも2~3ヶ月で10㎝以上伸びることはありませんが、頭(脳)や心がそれくらい伸びる時期です。私の年齢になると、いくら本を読んでも、次から次へと忘れてしまいますが、皆さんは、勉強すればすれるほど頭の中にいろんな知識がどんどん入っていきます。ただし、何もしないで、ただお菓子を食べてねっころがっていたり、ゲームばかりしていては伸びません。
 “これはよくできたけれど、こんなところはダメだったと反省して、これからこんなことをがんばるぞと次の目標を決める。”と節目節目で心に決めないと竹のように伸びることはできません。
 ところがまだ子どもです。なかなか自分だけで反省したり、目標を決めたりすることができません。そこで 先生が“前期は、こんなところは、よくできていますが、ここはちょっと気をつけてやるといいですね。”と書いてあるのが通知表なのです。秋休みの間、お家の人と一緒によ~く見て、反省し、後期の目標をしっかり立ててください。

2024年9月25日水曜日

花だより 前期の通知表 ナンバンギセル コスモス

 



 あゆみ(通知表) 「7:褒めて、3:注意」
 前期が終了します。先生方は、評価事務で大変です。 
~休み時間は、男女問わずたくさんの友だちと仲よく過ごしている姿にとても好感が持てます。また、「発表するのが楽しい」と、どの教科も意欲的に学習しています。しかし、授業中に私語が目立ち、度々注意することがありました。私語を慎み、落ち着いて授業に取り組むように指導していきます。~
 こんな所見があります。所見は、数値で表せない子どもの様子(がんばったところや良かった点、注意してほしいところ)を文章で表現しています。わずか数行で書き表すのは難しいものです。
 昔の通知表は、「優・良・可・不可」の4段階でした。その頃は、「可山優三(かやまゆうぞう)がいい」通知表は、「可」が山ほどあって、「優」は3つくらいがいいと言われたそうです。今の保護者は、加山雄三(若大将)は知らないでしょうが…。 
 漫才師洋七さんの著書「がばいばあちゃん」には、体育以外オール1の通知表を見たがばいばあちゃんが「心配ない。足したら5になる」と言いました。こんな大らかさが必要ですが、どんなところが良くて、どんなところが足りないのかをきちんと知ることは大切なことです。会社の社長さんや企業を立ち上げる人、各界の成功者は、自己評価がきちんとできる人です。通知表は、そのためにあります。

2024年9月24日火曜日

花だより お彼岸と秋季例大祭 オトコエシ 

 




 学力学習状況調査の質問紙の分析では、「地域の行事に関心がない。」「社会の出来事に関心がない。」という結果が出ています。これは子どもたちというより、大人社会の問題かもしれません。日本古来からの季節の行事が蔑ろになってはいないでしょうか。
「秋の行事といえば」という問いに多くの若者は「ハロウィン」と答える。その行事の意味より、ファッション性が注目されるようです。
「お彼岸」 ~香華などを捧げるのですが、一番の供養は、亡くなった人を思い出し、偲ぶことです。先祖を供養する思いやりの気持ち(日本の文化)を大切にしたいものです。
「秋季例大祭」~春には五穀豊穣を願い、秋にはその収穫に感謝するのが神社の祭典です。他にも「大漁追福」「商売繁盛」「疫病退散」「無病息災」「家内安全」「安寧長寿」「夫婦円満」「子孫繁栄」「祖先崇拝」「豊楽万民」「天下泰平」などを招福祈願、厄除祈念として行われるのがお祭りです。日本人は農耕民族です。農耕は集団作業であり、互いに助け合って生きてきました。日本の祭りは、日本人気質と大きく関わっています。
 今日では世俗化も進んでいますが、今なお祭のときは都市化によって人間関係の疎遠になった地域住民の心を一体化する作用があると言われています。地方では人口減と若い人がいなくなり、お神輿はトラックの荷台に積んで町内を回るようになってしましました。地域のお祭りを大切にしたいものです。

2024年9月23日月曜日

花だより 子どもにスマホを持たせてはいけない? 彼岸花 秋刀魚

 


 「最近の子どもに関する事件・事故のほとんどにSNS、スマホ、TVゲームが関わっている。自由に使わせてはいけない」と主張する教育関係者は多い。特に最近はAIの急激な普及に制度やモラルが追いついていない。今や幼稚園児でもスマホを持っている。先進国では情報モラルが深刻な問題になっている。道徳観や倫理観を十分に持ち合わせていないとSNS上にいじめの書き込みや平気で人を中傷する。ところが「持たせていけない」と言っても親は与えてしまう。
 ネット上では、自分の本当の名前を言わなくても使うことができる。それを悪用して、偽名を使って、人をだます犯罪が多発している。ホームページが写真や絵などを入れてきれいに作られていると、うっかりだまされてしまう。うその名前だけでなく、本当にいる人(有名人)の名前を名乗って、その人になりすまし、悪いことをする。今や写真も声も生成AIで作り、見分けがつかなくなっている。自分がした悪いことをその人のせいにするという許せない手口だ。さらに有名な会社になりすまして、利用者を安心させて悪いことをする。それもリーダーが外国にいて指示する。このような悪人にだまされ犯罪被害にあってしまう人も後を絶たない。
 また、子どもに好ましくない情報を親が知らないところで簡単に見ることができる。「うちの子は、パソコンやタブレットを自由に使いこなせるんですよ!」と自慢する親は要注意!「持たせて指導する」と言う人もいるが、指導できる大人はいる?
        

2024年9月22日日曜日

花だより 収穫の秋、神様に感謝 ホオズキ

 

 
 
 こども園では、町が管理している「銀河農園」で、じゃがいもやサツマイモ、とうきびを栽培しています。その管理(草取りなど)は園長の仕事です。迎えを畑は日下さんです。野菜栽培の師匠です。私は週に一度くらいしか畑に行きませんが、行くと必ず師匠に会います。多分毎日、ほとんど一日中畑にいるのでしょう。雑草は一本もない、きれいな畑です。草取りはそこそこで、後は師匠からレクチャーを受けて、昔話を聞きます。
 菜園活動は、植物を育て、継続的に世話をすることで、生きていることの尊さや素晴らしさ、枯れたり死んだりすることの悲しさや恐ろしさ、農家の方の苦労などを自らの体験を通して学ぶことをとねらいとしています。これは、今問題になっている“心の教育”にもつながるものです。
 過日、園児たちと芋ほりをしました。この後、収穫祭をします。関わっていただいた方への感謝と収穫の喜び、これまでの活動を振り返るものです。毎日の食卓にあがる食材は、農家の人が手間暇掛けて大切に育てたものだということを学びます。
 地域の秋季例大祭で、園にお神輿がやってきました。「『今年もおかげ様で豊作でした。ありがとうございました。』と感謝しましょう。神社に行って、お賽銭箱に10円入れて、『〇〇が叶いますように』とお願いごとをするのは間違いですよ。」と言いました。

2024年9月21日土曜日

花だより 小学校になぜ校則はないのか? ヒメジュオン コスモス

 



   《小学校になぜ校則はないのか?》
 札幌のある学校を訪問したとき、茶髪どころか金髪の子が何人もいて(外国人ではありません)ビックリしました。先生方の中では冗談で、「もうどうしようもないから、人間の髪の毛の色以外のピンクや青でなければいいか!」とまで言っているそうです。
 保護者や子どもの中には、「中学校に行ったら、校則があって厳しくなるから、小学生のうちに…。」とか、「そのことで別に他人に迷惑をかけていないのだから、自由だろ!」と思っている人もいるようです。
 中学生ともなると自分の判断で行動することができるようになりますが、小学生は無理です。まだ、親や教師の指導が必要です。大人としての常識が身に付いていないから子どもなのです。子どもは、教育(子育て)を通して、常識が身に付きます。子育ての最高責任者は保護者です。保護者の常識に頼るのが、小学校の立場です。
 「常識」とは? 常識とは、長い年月をかけて積み重ね練り上げてきた「地域社会や職業仲間のつきあいの知恵」で、ストレスを感じることなく和やかに、感情の行き違いやトラブルをなるべく少なくし、それぞれがそれぞれに振る舞いや生き甲斐をもって生活できるように共有している知識や価値観であり、行動です。 
 ~常識が身に付いていると~
 ①社会人として認められる。 
 ②人間関係がうまくいく。   
 ③無用なトラブルが少なくなる。
 ④信頼される。  
 ⑤情報が得られやすくなる。  
 ⑥指導・助言をしてくれる人が増える。
 ⑦相談に乗ってもらえる。  
 ⑧応援してくれる人が現れる。 
 ⑨協力し合える人間関係ができる。
 ⑩本当にしたいことに打ち込めるようになります。

  ある法律家は、「自分たちの常識で解決できる成熟した社会には法律はいらない。ところがそれができないから、争いを解決するために法律が必要なのだ。」と言っています。「常識力」を高めたいものです。


2024年9月20日金曜日

花だより 面談のコツは、傾聴すること フヨウ

 


 子ども頃からずっと通っていた床屋のおじさんが亡くなった。92歳だった。73歳まで現役だった。床屋さんは、実家の道路を挟んだ向かいにあった。葬儀に出られず、日曜日、自宅を訪ねてお参りしてきた。一人残ったおばさんは、「よっちゃん、よく来てくれたね。」とそれから1時間近く、おじさんのこと、昔のことを話し出した。最後にまた、「よく来てくれた。うれしかったよ~。」おばさんは笑顔だった。
 面談のコツは、傾聴すること、相手に話させる。相手の話を受容的、共感的、支持的に聞く。具体的に聞く。そして、忠告、激励、批判は控えることだと教わった。
 校長(園長)は、保護者の皆さんの声に耳を傾ける姿勢が大事。
「校長室に来られても、お茶菓子、ケーキなどは用意できませんが、どうぞお気軽にお越しください。お話を聞かせていただきます。」校長室は、「お得意様サロン」です。

2024年9月19日木曜日

花だより 朝の預かり需要 ツユクサ

 

             

   こども家庭庁 ~朝の預かり需要把握~
 小学校になった子どもの預け先が見つからず、親の就労が困難になる「小1の壁」と呼ばれる問題について、こども家庭庁は調査に乗り出す。適切な支援策につなげる狙いがある。(読売新聞)
 ~学童保育がカバーしていない朝の時間帯、親が先に出勤した後に自宅で一人で過ごし、玄関のかぎをかけて登校する子どもがいる。親はこうした事態を避けるため出勤事案の変更を迫られるなど、キャリア形成に影響を及ぼすことになり、女性の活躍を妨げる要因にもなっているとの指摘もある。~
 こども園の登園は、8時から830分頃がピーク、帰りのお迎えは、1630分から18時ころまで続く。最近は、お父さんの送迎も増えた。その日によっては、祖父母のお迎えもある。それに子どもが熱を出したり、体調が悪くなってお迎えに来てもらうこともある。
 「会社の方は大丈夫ですか?」と聞くと「うちは、お蔭様で理解があるので…。」と言うお母さんもいる。
 始業前に子どもを預かるとなると、その分人手が必要になる。しかし、その時間帯だけ働いてくれる人を見つけるのが大変だ、子どもの命と安全を守ることが一番な仕事だけに責任の重さもある。そう簡単なことではない。何でも行政がすればいいというものではないだろう。社会全体で子育てをするには、働き方を変えることだ。
 学力学習状況調査では毎回、朝食をとらない家庭の率が高いのが問題になっている。朝、子どもを預けるとなると、さらに新たな問題が出てくるのではないかと心配になる。子育て中の家庭(母親)の就労については、企業側が働き方(柔軟な就労時間)を考えるべきだと思う。女性の就労も大事だが、子育ても大事、子育ての第一の責任者は「親」であることは、これからも変わりない。

 

 



2024年9月18日水曜日

花だより 「お金」で少子化解決困難  オミナエシ ススキ

 

 
「お金」で少子化解決困難 9月15日 読売新聞 「地球を読む」より
              ジャレレッド・ダイアモンド氏(地理学者・作家)

 日本や他の裕福な国々の政府は、出生率の低下を深く憂慮している。国民にお金を払って子どもを持てるようにすれば、この問題は解決するのか。答えはノーだ。スウェーデンは育児支援に惜しみなくお金を使ってきた。オーストラリアは、赤ちゃんが一人生まれたら「赤ちゃんボーナス」を付与した。フランスは親の所得税を減免した。こうした金銭的誘因があっても、これらの国々では自国民の数は減り続けている。日本もそうだ。
 政治家たちが決して口にしないのは、人口減の利点だ。それは世界の資源逼迫の圧力を緩和することである。今日の最大の問題は、人口が多すぎることだ。少なすぎることではない。真水、海産物、森林、農地、鉱物などの不可欠な資源は、現在の人口規模を支えるだけでも十分とは言えない。資源獲得競争は、第二次世界大戦がそうだったように、戦争に至る最も重要な要因である。そう考えると、出生率低下で人口が減る世界は、平和で安定し、幸福で豊かな世界だと言えるのかもしれない。(牧野要約)

 こども園の園児も年々減少している。町は「子育てに手厚い町」をPRするために、東京に出向いて移住者を募ることにした。
 どの町も考えることは同じだ。少ないパイの取り合いが始まっている。首長さんにしてみたら、少子化対策は最大の課題だ。「人口が減れば、それなりの街づくりをすればいい」こんなことを言ったら、選挙には勝てないが、こうした発想が大事ではないかと思う。
 

2024年9月17日火曜日

花だより 「貢献寿命」と「健康寿命」 ゲンノショウコ

 

 「敬老の日」の読売新聞の社説
 65歳以上の高齢者は過去最多の3625万人になった。総人口に占める割合は約3割で、これは世界200か国の中で最も高い割合となる。 
 「貢献寿命」という考え方が注目されている・~高齢になっても社会とかかわり、世の中に貢献する期間を延ばそうと東京大学の秋山弘子名誉教授が提唱した。

 定年退職後も、仕事を持つ、ボランティア活動に参加する、人生経験を若い人の伝える、といった社会貢献を続けることで、人から必要とされ、感謝される。そうしたやりがいや充実感が、心身の健康にもつながるという。
 自分は定年後、年金が出ないので働かざるを得なかった。今もおかげさまでこども園の園長をさせてもらっている。人生の経験を若い人に伝える役割を果たしているかどうか、もういい加減辞めたらと思っているのかもしれない。定年退職者は次から次へといるので、その人たちのポストも用意しておかなければならない、身を引くことも大事だ。「もうあんたは用無し」と言われないようにしたい。そのためには「知力・体力」が必要で「健康寿命」が大事である。

              能取湖のサンゴソウが見ごろ

2024年9月16日月曜日

花だより 時間が過ぎるのを早く感じる?(敬老の日) ススキ

 

 9月も半ば、1年の4分の3、年度でも半分になった。時が過ぎるのは早い。最近、特にそう感じると思っていたら、9月13日、読売新聞の「編集手帳」で納得した。
~感じる時間の長さは年齢に反比例するという説を思い出す◇発案した哲学者の名をとって「ジャネーの法則」と呼ばれる。例えば10歳の1年は人生の10分の1だが、50歳の1年は50分の1でしかない。つまり50歳は10歳の子の5倍も早く感じられるというものだ。この説が発表された時期に前後して、英国の作家ギッシングが別の視点で論じている。「時がたつのが早いというのは、人生というものがそろそろ分かってきたから」~
 こども園の5歳児と70が迫ってきた私を比べると14倍の違いになる。その分、人生のことが分かっているかと言えば、そうでもない。
 過日来園した教育公務員弘済会の参事は大学の同級生だった。「牧野さん、髪の毛はあるし、若いね」と言われた。そう言われて喜んでいる場合ではない。5歳児の2週間は、私の1日なのだ。1日1日を大切に生きなければならない。

稲刈り始まる


2024年9月15日日曜日

花だより パラリンピックの課題 アキノタムラソウ

 パリパラリンピックは、オリンピックの感動とは、またちょっと違う勇気と希望、感動をもらいました。
 東京オリンピックの自国開催でパラスポーツへの理解が深まったはずなのに、現状では障害者がスポーツを選択肢は、まだ狭い。一般の体育施設では、車いすなどの競技用具で体育館の床を傷つけたり、汚したりするので拒否されるケースもある。また、東京パラリンピックのときは、スポンサーがついて協賛金収入もあったが、それが今では半減した。    
 冬季パラリンピック(チェアスキー)で活躍した狩野 亮選手のお母さんと職場を共にしたことがありました。ご主人も教員でした。ところが先生は、ポンコツの軽自動車に乗っていたので、「
2馬力なのに、随分辛抱していますね?」と言うと、「私の給料は、全て息子に使っています。」と言いました。まだ、オリンピックで活躍する前のことでした。器具の購入、遠征費など、健常者がスポーツをやる以上にお金がかかる。スポンサー企業もなかなか付かない。それでも、子どもの夢をかなえてあげたいというのが、親心です。
 それが金メダルを獲得すると、パチンコ企業からオファーがありました。ご主人は「何だ、パチンコやか?」と言ったようですが、「何、言っているの!ありがたい話じゃないの」と快諾したそうです。
 スポーツで活躍するには、個人の努力だけでは通用しない時代です。クイズ番組に出て、その賞金を遠征費に充てた女子のフェンシング選手がいました。国体が各都道府県の経費負担が重くなりなくなりそうです。中学校では、部活担当が教員から地域移行になり、地方では教員に代わる指導者がいません。パリパラリンピックで大活躍の日本選手団でしたが、先行き不透明です。オリンピックのときだけ応援するのではなく、インクルーシブ教育をもっと浸透させることです。

 

2024年9月14日土曜日

花だより 年寄りに学べ キキョウ

 

 明日は「敬老の日」
 ~お米一粒には、7つの神様がいるんだよ。たくさんの人の手間暇がかかってごはんを食べることができる。一粒たりとも粗末にしてはいけない。~ 
 物の見方、考え方、全てばあちゃんから教わりました。
 おじいちゃん・おばあちゃんのいいところは、異なる価値観を伝えられることです。 
 基本的には、祖父母は、両親の子育ての価値観を尊重すべきだと思います。しかし、親といっても実際はつい最近大人になったばかりです。わからないこともあるし、判断を誤ることもあります。
 そういうときに、今までの長い人生経験から、「こういう考え方もあるよ」と別な価値観を伝えることは、子どもにとっても新しい世界を発見することになります。別のものさしを教えられることで、自分の存在価値を再発見することもあります。子どもは、さまざまな価値観に触れながら成長していくものです。地域の関わりが希薄になった今、親や学校と別の価値観を伝えられるのは、祖父母だけといってもいいかもしれません。積極的にアドバイスを受けるべきです。おじいちゃん、おばあちゃんも遠慮しないでください。
 私も子どもや孫の手本になる爺さんでありたいと思っています。

2024年9月13日金曜日

花だより 進歩阻む「平等偏重」(北海道が学力が低いのは) ヒョウタン 

 


 
 進歩阻む「平等偏重」 
        中田美知子さん(東京都出身 慶大卒後、北海道放送アナウンサーとして北海道へ)
 昭和30年代の全国学力テストで、北海道と同様に順位の低かった秋田県は、平成の学力テストでトップクラスになった。努力した所としなかった所の違いかもしれない。いま努力を始めなければ、今後も変わらないだろう。
 東京で育ち、“受験戦争”を戦ってきた団塊世代。その後の札幌での生活や子育てなどを通して、地域間格差を実感してきた。ちまたで、お母さんたちに北海道の子どもたちの学力が高くないことを話題にすると「だってお勉強ばかりできてもね。」という答えが返ってくる。学力は二の次という意識があるのだと思う。
「学力偏重」というが、テレビからの情報は東京の情報が多い。テレビの情報が北海道の状況だと決めつけず、現実を見てほしい。
 学力の向上自体を目的にしては、その先が見えなくなる。明日の北海道を作る人材を育てるのだと考えたい。
 競い合うことの楽しさ、競い合って勝った人を賞賛する風土が必要だと思っている。横並びではなくそれぞれの分野で能力に優れている人を育てないと、地域も豊かにならない。
 国の施策として土地をもらって開拓を始めた北海道では、抜け駆けのような特殊なことをする人は排除せざるを得なかった。このことが、何事も平等にやっていきましょうという風土を生んだのかもしれない。
 「学力が高い」ということを、あたかも悪いことのように幼い頃から言われたという人がいる。突出したことを嫌う風土は、北海道が成長していく上でブレーキになる。
 まず「変える」という気持ちを本当に持つことが大切だ。昨日と違う今日があるから楽しい。均質であることを求めすぎては、進歩はない。「変化を恐れるな」と言い続ける必要があると思う。~
*東京から来た人は、「北海道の人は何て素朴でのんびりしているんでしょう。」と言います。外から見ている人の方が、北海道の本質を見抜いているかもしれません。 

2024年9月12日木曜日

花だより 生活科「ウサギの飼育」はもうしない ツリフネソウ 

 

  うさぎの飼育(生活科の学習)
 低学年の生活科に小動物を飼う学習があります(ありました)。そのねらいは、生き物をただ眺めて観察するだけでなく、手で触ってみたり、抱いたり、水や餌をやったりという活動から、生命をもっていることや成長していることに気付き、生き物への親しみをもち、大切にすることができるようにするものです。
 乗馬で心身の回復を図るなど、生き物との接触が心の安定に良いことはよく知られているところです。優しい心はこんな活動から、自然に生まれてくるものです。
 この学習には、“うさぎ”が最も適しています。子どもたちは、「うわあ~、かわいい。ふさふさで気持ちいい。」とうさぎに直接触れます。ところが思った以上に筋肉や骨でごつごつしていることに気づいたり、心臓の鼓動を感じたり、餌の食べ方、うんこの仕方まで詳しく観察します。ずっと観ていても飽きません。
 ところが、教員の負担が大きいということで、うさぎの飼育をやめる学校が増えてきました。その代わりにカメを飼うことにしたらしいのですが、カメはほとんど動きません。さらに生き物の様子を各自が端末(タブレット)で見て終わりにする学校もあるようです。

2024年9月11日水曜日

花だより あなたの子どもは思っているほど「かわいくない」 コスモス 葛

 


 ~あなたの子どもは思っているほど「かわいくない」~ 
 子どもというのは無条件でかわいいものだと思っていませんか?それは実は危険な思い込みです。子どもというのは当たり前ですが親の思いどおりにはいきません。理想どおりにはぜんぜん育たないものです。3歳が過ぎて自我が目覚めてくるとお散歩も一筋縄ではいきません。
「そっちは行かないの。こっちよ。こっち。ちゃんと言うこと聞きなさい!」
「イヤ!あっちに行きたいの!」
「ほら、暗くなってきたから、そろそろ帰ろうね!」
「イヤだ!もっと遊ぶ」
 ~買い物に行けば~「ママ~、買って、買って!」
それにいちいち腹を立てていては、ストレスになります。
「ちゃんと育ててきたはずなのに、どうして言うことを聞かなくなったのか?」
 子どもへの期待が大きすぎてはいけないのです。
 過剰な期待は、親自身を追い込んでしまうし、結果的には子どもの成長を阻害してしまいます。親の夢を押しつけて、「うちの子なら、もっとできるはず」と期待し続けると、いつまでも親に認めてもらえない不安感、親の目標に到達できない自己否定感でいっぱいになってしまいます。子どもに期待するのは親として当然のことですが、その期待の寄せ方には、親としての根気とコツがあります。
 日常の中で、できたところをたくさん見つけてほめて、子どもを認めていくことが大切です。そうしたら小さな自信がいっぱい生まれて、次に実を結ぶことになります。
 最近は、赤ちゃん雑誌やモデル事務所に、赤ちゃんモデルや子どもタレントの募集や応募がものすごく多いそうです。それこそ、ママが果たせなかった夢を、赤ちゃんのうちから子どもに託そうとしている人が多いということです。
 「うちの子はなんてかわいいの!将来女優になれるかも?」なんて鼻息の荒い親もいます。どんな子どもも、親が思っているほどかわいくはないのです。そう思えば気が楽です。子どもものびのびと育ちます。
 子どもは親の思いどおりにはならないのです。思いどおりにならないから想像もしなかった発見があり、驚きがあり、喜びがあるのです。だから子育てはおもしろい!
                  “尾木ママの『叱らない』子育て論”から (牧野要約)
 

2024年9月10日火曜日

花だより 絵なんか、かきたくない! ソバの花 コスモス

 


 芸術の秋 絵なんか、かきたくない!
 質屋の修行(目利き)は、有名ブランド品の偽物を見分けるために、本物にいかに多く触れるかということです。音楽プロデュサーの小室哲哉氏が作曲の道に入るきっかけは、学校の先生に作品を褒められたからです。子どものころの出会いやきっかけから将来の夢を持ち、芸術家になるケースが多いようです。子どものうちに本物の芸術に触れることは、文化芸術の裾野を広げるためにも学校教育ばかりでなく、家庭教育の中でも大切なことです。スポーツや運動会で活躍の場を得て目を輝かせる子どもがいるのと同じく、文化芸術で感動する子どもたちも大勢います。子ども一人一人の持ち味や個性を引き出すのも大切なことです。急かされてあわただしいときこそ、心のゆとりと質の高い豊かさが大切です。
 5歳の女の子が「絵をかくのはイヤだあ~!」と泣き叫んでいました。園では、どんな変な絵でも「あら、上手にかけたわね。」とまず褒めます。この子に何があったのでしょうか?


2024年9月9日月曜日

花だより 芸術の秋 100回の説教よりも、心から涙する演劇や映画の一場面 ジンジャー

 


 問題行動に対する100回の説教よりも、心から涙する演劇や映画の一場面の方がずっと効果がある。」 感動する心は文化芸術に止まらず、学術や科学技術の分野でも大きな影響力を持っています。新しい発見や工夫が、感動や美意識といった心の動きと関係しています。学力向上には、育むべき豊かな心を含むものでなければなりません。
 国際舞台で活躍する著名人がよく言うのは、自国の文化についての知識や経験がいかに大切であるかに気づかされる。文化芸術は国際人の教養であり、国際社会での学力に他ならない。豊かさや品格の伴わない学力は国内でも通用しない。何より文化芸術は人間としての豊かさ、本物の心の豊かさを保障してくれるものです。人間の弱さにつけ込んだバラエティ番組や中身のないゲームソフトなどに子どもの心を委ねてよいはずはありません。まして、いくら成績が良くて化学の知識があっても、SNSで他人を誹謗中傷する子どもを育ててはならないのです。芸術の秋、文化の秋です。この機会にちょっと文化に関する催し物に足を運んでみませんか?
 過日、札幌での会議の帰り、北海道近代美術館で「鳥獣戯画展」が開催されていたので見学に行こうとしたら、1時間半待ちだと言われ断念しました。先週は、こども園の遠足で北見の北網圏北見文化センターに行き、プラネタリウムを子どもたちと一緒に見ました。入館料はかかりますが、お金も人手も時間もかけずに教育はよくなることはないのです。

2024年9月8日日曜日

花だより 生活の乱れは、心身の乱れ タマスダレ

 


 ~「食」生活の乱れが心身のバランスを乱す~ 
 セブンプレミアムのカレーは美味しい。スーパーの売り上げを左右するのは、お総菜コーナーだそうだ。冷凍技術の進歩で冷凍食品も美味しくなった。週末はファミレスも大賑わい、共働き家庭が増えて「おふくろの味」は、もう存在しない?
 心身の成長期にある子どもにとって食事は極めて重要なものです。最近、子どもの朝食欠食や孤食、偏った栄養摂取による肥満傾向の増大、生活習慣病の若年化など、食に起因するさまざまな健康問題が生じています。言うまでもなく、子どもの健康な体の形成のため栄養バランスのとれた食事を作って上げるのは親の努めです。もちろん食事は単に子どもに栄養を与えるだけのものではありません。親が心を込めてつくった食事は、親の愛情を自然に子どもに伝え、それによる満足感・安心感は子どもの心を豊かで強いものに育てる機会にもなるのです。
 郊外にある外食産業の飲食店の駐車場はどこも満車状態です。夜9時過ぎに居酒屋で食事をしている母子にも会ったことがあります。「たまにはみんなでどこか食べに行くか?」というお父さんの声に「やったあ!」と喜ぶお母さんと子どもたち。それが毎日だと困りませんか? 

2024年9月7日土曜日

花だより 今どきの年寄り オシロイバナ ミニトマト

 



 「病院でもマイナンバーカードだけで済むようにする。」と言うと、「年寄りはどうするんだ!」と反発する。「スーパーのレジが無人化すると、年寄りは使えなくなる。」と言う人がいるが、そんなことはない。「年寄りのためにすることだ。簡単便利になる。」と説明すればいい。地方のコンビニの利用者の半数以上は高齢者だという。渋沢さんの新札が出たが、大事にしまって、買い物はキャッシュレス、テレビもYouTube、買い物は、ネット通販、そんな年寄りが増えた。レジで支払方法がわからないおばあさんが、近くの若い店員さんに「私の代わりにあんたがやって」とスマホを差し出した。これでいいのだ!
 ある町では、お年寄りにiPhoneを無料配布して緊急連絡やさまざまなサービスの利用に使っているという。お年寄りたちは、上手に使いこなし、「iPhoneのない生活は、考えられない。」と言っている。時代は変わったのだ。亡くなったアップル社のスティーブ・ジョブス氏は、お年寄りの生活まで変えた偉大な人です。
 来週は「敬老日」、紅白まんじゅうを配ってもだれも喜ばない。時代は変わった!

2024年9月6日金曜日

花だより 「3つのあ」前田八郎校長先生 ヤマブドウ 向日葵

 



 今日もらってきたプリントに「あいさつで人を大切に」とありましたが、“1年生がするのに高学年の子に限ってあいさつができない”と思います。私は、あいさつは本当に大事だと思っているので校長先生にも話してみて下さい。~とお便り帳に書いてくれた保護者の方がいます。と担任の先生が持ってきました。
 道新「読者の声」に前田八郎退職校長先生の投稿
~この3月に定年退職を迎えます。長い間「あいさつで人を大切に」「あんぜんで命を大切に」「あとしまつで物を大切に」と子どもたちに語り続けてきました。この「3つのあ」がいつも笑顔で実行できたら素晴らしいことだと思っています。昨年末、この「3つのあ」のことを本校の5年生の女子が「みらい君の広場」(道新)に投稿し、掲載されました。その直後、これを読んだという苫小牧の主婦の方の投稿が「『3つのあ』を読み、気持ち和やかに」というタイトルで「読者の声」に載りました。新年になると「3つのあ」をテーマにした手作りカレンダーが、匿名の方から送られてきました。知人の教員からも「新聞読みました。『3つのあ』引き継ぎます」と声を掛けていただきました。大変うれしいことです。教員生活37年間のご褒美をいただいた思いです。「3つのあ」がつなげてくれた多くのご縁に感謝します。~
 わかりやすく、いい言葉なので私も真似をすることにしました。それ以来この“「3つのあ」を大切に”を子どもたちに語っています。 
 「あいさつ」は、簡単なようでできないものです。
 毎日交差点に立って交通安全指導員の方から、“全員に「おはよう!」と声をかけるけれど、あいさつが返ってこない子が何人かいる。それでも毎日しつこく声を掛けていれば、「おはよう」と言うようになってきたよ。”と言われました。
 業務主事(用務員)さんは、毎朝、子どもたちに声を掛けて、返事がなければ「どうした?返事がないぞ!」と言ってくれています。
 北見のある中学校を訪れたとき、グラウンドで野球部が練習をしていました。練習の様子を眺めていると、一人が私に気付き、「こんにちは」とあいさつをしました。それに合わせて全員が練習を中断し、帽子を取り、深々と礼をするあいさつを受けました。
 校長先生にその話をすると、「うちの野球部は、毎年優勝候補にあがる強豪チームなんです。うちの学校は、お陰様で、いじめや不登校がないんですよ。」と自慢しました。私は、改めて「あいさつ」の大切さを知りました。

2024年9月5日木曜日

花だより 宮川俊彦先生 コルチカム 

 

平成23年9月
 『網走市学校図書館教育研究会講演会』 東京から宮川俊彦先生を講師に招いた 
   ~「言葉の数は夢の数 表現教育と読書」~

  「色」(そのときの宮川先生のブログを紹介します。)
 完全にイメージが覆された。網走は冬ざれた枯れた茶色の街だと思っていた。オホーツク海もグレーで凍てつく風を纏っていて、寒々としたところと思っていた。人々は襟巻や手抜いを頭からかぶっているような。
 全然違う。家々はみんな新しくカラフルで丈夫に作られている。北欧か北米の感覚。綺麗な家なのだ。どうしてだろう。古いものが見当たらない。白が基調。品のいい白。光沢と厚みがある。これは家そのものに金を掛けている証拠。この町は大尽だ。
優雅さがある。佇まいも豊かだ。日本の田舎は急速にいい家になっていく。この辺境。北端の街。決まり切った極端な傾斜の屋根は少ない。平らだったりする。雪も暖房に活用する。賢いものだ。頑丈な構造だからできる。
 花は縞模様に綺麗に咲いていた。冬はゲレンデにする。丁寧なつくりだ。オホーツクはブルー。オホーツクブルーと云うのだそうだ。鮮やかだった。色が明快だ。それがなんとも明るい。船も綺麗だ。どこから見ても生活の感覚が乏しい。何でこんなに綺麗なのだろう。
 解放的なのだ。色が息づいている。日照時間が長いと云う。華やかなセンスフルな街。網走番外地、ロシア船。冬の垂れこめた場面。それが目を曇らせていた。
 沖縄より明るい。国境の街なのに。北浜などの駅舎に行ってホッとした。それこそイメージしていた網走の場面。くすんだ木の色。馬車の車輪が置いてあったりする。これだ。こういう光景がボクの原風景。
 覆された。それは記念品でしかない。夕陽も大きかった。網走湖に沈もうとする直前の輝きは見事。現地の先生たちでさえ感嘆していた。
 いい勉強をした。土地のイメージは外れる。ボクの中にはまだ土が盛り上がったような日本の家屋が随所に残っていると思っていた。崩壊したのだ。それは分かった。
 授業をやり講演をやった。一人で行けた。無論羽田も女満別も車椅子が準備されていた。
 生徒たちも食いつきがいい。すぐにでも弟子にしたい子が何人かいた。大丈夫。
 多士済々だ。この国は捨てたもんじゃない。また若い先生方が意欲的だ。いい表情をしている。 この地に行ってボクは頼むに足る人士を見た思いがした。
 こんなことは珍しい。辛口すぎるのに、今日は妙に素直になっている。
意欲的でアイデアを語っている。最後の懇親会は楽しかった。こんな日がちょいちょいあるといい。  
 *自分もこんな素敵なブログが書きたい。

2024年9月4日水曜日

花だより 本校の教育の責任は、私、校長にあります。 ヨルガオ とうきび

 

  尊敬する先輩:河村隆夫校長先生の「学校だより」の巻頭言です。 
 小さな生活態度の乱れがあります。例えば、シャツを出す、だらしなくズボンを下げる、ミニスカートにする、靴のかかとを踏む、茶髪にする、ピアスをする、化粧をするなどが見られます。
 現代の教育は、過度な「平等主義」や自由、そして、「個性を尊重する」という世評があります。その中で形式的な平等と自由だけを求めた結果、目的意識をなくした勝手気ままな利己主義だけを容認したともいわれています。
 当たり前のことですが、学校生活は、勝手気ままな振る舞いを認める場ではありません。もちろん、個人としての個性は尊重し、集団の中での自由はあるといえます。
 子どもたちは、大人への架け橋を一歩一歩上がっている段階にあります。これからの変化の激しい社会に生きていくため、集団の一員としてのルールを守る規範意識と行動力を付けるのが、学校の役割の一つです。このことを支えてくれるのが家庭教育にあるといえます。(途中略)子育ての最高責任者は保護者ですし、本校の教育の責任は、私、校長にあります。 
  
 



2024年9月3日火曜日

花だより 心に残った講演会 レンゲショウマ ミョウガ

 



 心に残った講演会
 それは、講師:香取貴信氏と同じディズニーランドで働いていた親友加賀屋氏との掛け合い漫才のような軽妙なトークの講演でした。講演内容が気になる方は、1,430円の「社会人として大切なことは、みんなディズニーランドで教わった」をアマゾンで買って読んでみてください。
「ミーティングとは話し合いでなにかを決めること。評論家はいらないんだ」。
東京ディズニーランドのアルバイトを通して、ヤンキー少年が社会人として成長し、さらに企業の現場教育をするまでになった体験をまとめた一冊。
 彼女にミッキーマウスと一緒の写真を撮ってあげたい そんな軽い気持ちでアルバイトを始めた高校生男子(ヤンキー)がディズニーランドの文化、キャストの先輩たちの姿勢、ウォルト・ディズニーの教えから学んだ働くこと、教えること、本当のサービスとは…。
 ディズニーランドで働いていた頃の私は、自分からこうしたい、こうなりたいと思って始めたことが波乗り以外なかった。すべて周りの人から言われたことをやっていただけでした。そんな自分が誰かの役に立てていることが素直にうれしく感じた。もし、タイムマシーンがあったら、あの時の自分に「今は叱られてムカつくかもしれないけど、未来で変わるから腐らずにいこうぜ」って声をかけてあげたいです。
 仕事の根底にある本質のところは時代が変わっても変わらず生き続けているはず。
その本質『働くこと・教えること・本当のサービス』を教えてくれたのが。東京ディズニーランドなのです。何年たっても夢も魔法の国ディズニーランド、大人気であり続ける理由がよくわかります。

2024年9月2日月曜日

花だより 寅さんが今の教育を語る ツルボ 玉ねぎ

 



 BSで寅さんシリーズを見るのを楽しみにしています。
「男はつらいよ」の映画監督山田洋次氏 今の教育について語る 
 核家族化になって、その中で育った子どもたちが親になって、本格的な家族の断絶が起きているのではないでしょうか?
 寅さんの映画を作っていた時代は、「そうなんだ。こんな風に人と人が愛し合い、仲よくなるために面倒な努力をしながら社会が成り立っているのだ。」という思いで観客は満足してくれた。けれども、今の若者たちとその思いを共有することができないと不安になるのです。何故か日本人は毎日ゆとりなく過ごしていて、人と人が深く関わり合う時間がない。それは学校の先生にもいえる。先生は学校で子どもたちと仲よくすることが仕事なはずなのに、それができない状況にあるようです。子どもは先生の生活をひとり占めしたいと願う者ではないでしょうか?寅さんシリーズには、日本人が忘れかけている「人情」がテーマになっています。こんな映画はもうできないのでしょうか?


2024年9月1日日曜日

花だより パラリンピック=特別支援教育  ホウセンカ 夏ミカン

             

 パリパラリンピック テーマは「共生社会の実現」 
 オリンピックの感動がまだ冷めない中、障害者の祭典パリパラリンピックが始まりました。障害のある人々が自立して暮らしていける共生社会の実現は、そう簡単なものではありません。ましてやスポーツに打ち込めるような環境は、これまであまりありませんでした。
パラリンピックをじっくり見たのは、3年前の東京大会が初めてでした。地元開催ということもあり、テレビ中継があったからです。障害のある方が、水泳や陸上競技に取り組む姿、その能力の高さに驚き、感動しました。また、ブラインドフットボールやボッチャなど、緻密な戦略と精度が勝敗を分ける独自の球技を初めて見ました。パラリンピックは、障害者だけでなく、私たちにも勇気と希望を与えてくれる大会です。オリンピックとは、また違った感動を与えてもらえます。
 何故、パラリンピックが開催されるようになったか調べてみると、スポーツを通じて協働・共生を目指す。パラスポーツの普及は世界の潮流に~分け隔てる障壁をより低く~ SDGs(持続可能な開発目標)では、「だれ一人取り残さない、持続可能な多様性と包摂性のある社会の実現」が基本理念です。ですから、パラリンピック観戦は、特別支援教育に打ってつけの教材です。