平成23年9月
『網走市学校図書館教育研究会講演会』 東京から宮川俊彦先生を講師に招いた
~「言葉の数は夢の数 表現教育と読書」~
「色」(そのときの宮川先生のブログを紹介します。)
完全にイメージが覆された。網走は冬ざれた枯れた茶色の街だと思っていた。オホーツク海もグレーで凍てつく風を纏っていて、寒々としたところと思っていた。人々は襟巻や手抜いを頭からかぶっているような。
全然違う。家々はみんな新しくカラフルで丈夫に作られている。北欧か北米の感覚。綺麗な家なのだ。どうしてだろう。古いものが見当たらない。白が基調。品のいい白。光沢と厚みがある。これは家そのものに金を掛けている証拠。この町は大尽だ。
優雅さがある。佇まいも豊かだ。日本の田舎は急速にいい家になっていく。この辺境。北端の街。決まり切った極端な傾斜の屋根は少ない。平らだったりする。雪も暖房に活用する。賢いものだ。頑丈な構造だからできる。
花は縞模様に綺麗に咲いていた。冬はゲレンデにする。丁寧なつくりだ。オホーツクはブルー。オホーツクブルーと云うのだそうだ。鮮やかだった。色が明快だ。それがなんとも明るい。船も綺麗だ。どこから見ても生活の感覚が乏しい。何でこんなに綺麗なのだろう。
解放的なのだ。色が息づいている。日照時間が長いと云う。華やかなセンスフルな街。網走番外地、ロシア船。冬の垂れこめた場面。それが目を曇らせていた。
沖縄より明るい。国境の街なのに。北浜などの駅舎に行ってホッとした。それこそイメージしていた網走の場面。くすんだ木の色。馬車の車輪が置いてあったりする。これだ。こういう光景がボクの原風景。
覆された。それは記念品でしかない。夕陽も大きかった。網走湖に沈もうとする直前の輝きは見事。現地の先生たちでさえ感嘆していた。
いい勉強をした。土地のイメージは外れる。ボクの中にはまだ土が盛り上がったような日本の家屋が随所に残っていると思っていた。崩壊したのだ。それは分かった。
授業をやり講演をやった。一人で行けた。無論羽田も女満別も車椅子が準備されていた。
生徒たちも食いつきがいい。すぐにでも弟子にしたい子が何人かいた。大丈夫。
多士済々だ。この国は捨てたもんじゃない。また若い先生方が意欲的だ。いい表情をしている。 この地に行ってボクは頼むに足る人士を見た思いがした。
こんなことは珍しい。辛口すぎるのに、今日は妙に素直になっている。
意欲的でアイデアを語っている。最後の懇親会は楽しかった。こんな日がちょいちょいあるといい。
*自分もこんな素敵なブログが書きたい。
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