2017年3月28日火曜日

花だより ソメイヨシノ 耳順


【平成21年度 網走市立潮見小学校 校長室花だよりから】
 耳 順 講 話 会 (退職校長の講話)がありました。
耳順(じじゅん)とは、[論語為政「六十而耳順」](修養ますます進み、聞く所、理にかなえば何らの障害なく理解しうる意) 60歳の異称です。(恥ずかしながら、私は知りませんでした。)
 人生の区切りとなるような年齢の呼び名にはいろいろありますが、論語為政篇から生まれたこの耳順もその一つです。この言葉は、孔子が自分の人生を振り返って、区切りとなった年齢での進境を語った言葉から出たものです。為政篇のこの言葉は、

  吾十有五にして学に志し (志学 しがく)
  三十にして立つ (而立 じりつ)
  四十にして惑はず (不惑 ふわく)
  五十にして天命を知る (知命 ちめい)
  六十にして耳順ひ (耳順 じじゅん)
  七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰(こ)えず(従心 じゅうしん)

 というもので、後ろに書いた( )の中の言葉が耳順同様、年齢の異称として今も使われています。
 耳順は「六十歳では、人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになった」と言う意味です。
 人の言葉は助言にせよ諌言にせよ、なかなか素直に聞けないものです。その理由は相手との人間関係であったり、自ら恃(たの)むところが強過ぎるためだったりといろいろありますが、人の言葉を言葉の意味のままに理解するのは意外に難しいものです。孔子にして60歳になってようやく、その境地に到達したと語っています。
 現在は当時に比べて寿命も延びています。耳にする情報の量も当時と比べてはるかに多くなってきていますから、耳順の心境に到達するのは60歳よりもっと遅くなっている気はします。60歳で耳順の境地になれなくとも、60歳にして耳順の境地を目指そうと決意するくらいでも充分かもしれません。
 今年網走市内で退職される校長先生は、二中の小田校長先生と呼人小中の杉山校長先生です。お二人とも中学校の先生です。教員時代は、中学校が荒れていたときで、夜中まで生徒指導対応に追われたときのことを話されていました。そんな経験から「夢と希望を子どもに語るのが教師です。その教師が下を向いてどうする!」と、さすがお二人とも耳順の歳です。私も耳順の境地を目指そうと決意しました。

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