ダンスシューズ
母の四十九日の法要とお墓への納骨が終わり、美幌の実家で妹と二人、母の遺品整理をした。
「どこかに私たちの通知表や小学校時代の絵とか習字とかあったよね。」妹は、昔の記憶をたどり、タンスの引き出しを開けた。
「お兄ちゃんは、見たい?私は見たくない!」
妹が2年生の時に書いた作文が出てきた。「仕事で運動会に母が来ないかもしれない。来ないと思うととてもさみしい。」という内容のものだった。母は、そのことを作文に書かれて、相当ショックだったのが、その作文を大事に取っておいたのだ。
違う引き出しには、毛糸や端切れ、ボタンなどがびっしり詰まっていた。中学校に入るまで、兄妹の洋服は全て母の手作りだった。特に妹の服は、いつも手が込んでいた。「私のセーラー服は、フルオーダーメイドで他の子のものとは全然違っていた。」と思い出話が次々と出てきて、一向に片付けは進まなかった。
玄関の下駄箱からは、ダンスシューズが6足も出てきた。
社交ダンスのドレスは2着あり、1着は棺の中に入れてあげた。ダンスシューズがあるのは知っていたが、まさかこんなにたくさんあるとは知らなかった。
箱には「札幌栗林靴店」とあった。特注品である。
祖母から聞いたことがあった。「ミツ子の娘時代は、新しい洋服を自分で作っては、ダンスホールに通っていたんだよ。今なら不良少女だよね。」
自衛官だった父とは、ダンスホールで知り合ったらしい? 父を早くに亡くしてから、母は、洋裁や開発局の賄いなどをして、私たち兄妹二人を育ててくれた。それぞれ独立して、余裕が出てきてから、若いころにあこがれていたドレスやダンスシューズを買い求めたのだろう。
タンスは5竿もあって、帽子や洋服がびっしり整理されて詰まっていた。まだしばらくかかりそうである。妹とこんなに話をするのは、記憶にないくらい前のことだ。そのことを母は、きっと喜んでいるに違いない。
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