2018年10月9日火曜日

花だより ショウカイドウ お葬式 おもちゃカボチャ


 【葬儀の手伝い】
 地域の人が亡くなったと知らせが入った。小希望校の校長は、だいたい自治会の顧問になることが多く、葬儀の手伝いをしなければならない。
 式場の設営や食事の準備、香典の整理、ひつぎの搬入、搬出など、葬儀社の指示に従い、自治会役員のそれぞれが裏方を努める。
 通夜と告別式の2日間と前夜の打ち合わせを含めると。かなりの時間、束縛される。
 酪農家も朝晩の搾乳の合間を縫って、作業服の「つなぎ」から喪服に着替え、手伝いにやってくる。よほどのことがない限り、葬儀を優先せざるを得ない。輪番で班長もやらなければならない。葬儀の準備や手伝いは予定のうち。万全の覚悟で臨まなければならないのだ。
 都市部では、葬儀の全てを民間業者に任せるのが一般的だが、田舎の葬儀は、今なお自治会主催のところが多い。地域の濃い薄いで片づけるのは簡単だが、そもそも都市部では、葬儀を取り仕切るだけの手伝いが集まらないそうだ。
 新参者として自治会に加わると、祭りや葬儀に欠かさず出席しなければならない空気をおっくうに感じる半面、それくらいの手伝いを通じて周囲の人たちと親しくなっていく気もする。
   若松地区も昔は、地域の会館で葬儀をした。今は各班の構成員も減り、私の班は6軒で教頭先生と交互に班長をすることになっている。高齢化によりお手伝いする人も少なくなり、最近は街の葬儀場でするようになった。それでもビートの収穫などで忙しい時期でも、多くの人がお手伝いに集まった。若松での葬儀の手伝いの2度目になると、だいたいの要領も理解し、顔も覚えてもらって、「校長さん、校長さん・・・」と気軽に声をかけてもらえるようになった。
 手伝いが一段落すると、役員には歴代の若松小PTA会長さんが何人もいて、特認開校当時の話や校舎改築の陳情に何度も市長さんのところに行った話、昔の先生の話などが出てくる。
  いずれ若松の子はいなくなる。それでも若松に学校を残したい。将来の子どもたちのためにと自治会が一丸となって取り組んだ結果、今の特認若松小学校がある。自治会で不幸があれば、どんなに忙しくても手伝いに駆け付ける。厳しい条件の中、互いに助け合ってやってきた開拓農民の気概が、まだ若松には残っています。

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