2020年3月31日火曜日

花だより 喜劇王逝く ネコヤナギ

喜劇王逝く
 「じいちゃん、バカ殿見てる?」 4年生になる孫は、バカ殿(志村けん)が大好きである。志村さんが出ている番組は、欠かさず見ている。
 「8時だよ!全員集合」は、全国PTA連合会が低俗番組に指定し、子どもたちに見ないようにさせた。しかし、高視聴率を続け、国民的番組となり、ドリフターズ、志村けんを知らない人はいない。
 バカ殿、変なおじさん、「アイ~ン!」、「だいじょうぶだあ~」は、何度見ても面白い、見飽きない、それが芸だという。最近はしゃべりで笑わせる芸人は多いが、彼のような演じて笑わせる芸人さんは少ない。「鉄道員・ポッポや」で共演した高倉健さんが、「たけしさんの笑いには狂気を感じるが、志村んの笑いには哀愁がある」と語ったという。一緒に番組制作したディレクターは、志村さんの勉強熱心さ、ストイックさに驚いたという。志村さんの優しさや人間性を感じたのは、「天才!志村どうぶつ園」でのチンパンジーのパンくんやマリンちゃんとの掛け合いである。園長さんは、こんなに人に懐くのは珍しい。動物は本能的に自分のことが好きだということを見抜くという。
 誰からも愛された「変なおじさん」が逝ってしまった。孫は、「バカ殿様(志村さん)のお葬式に行きたい」と言い出した。
 「コロナが憎い!」と言ったのは、長年相方を務めていた加藤茶さんである。小池都知事の要請にもかかわらず、夜の街に出かける若者たち「だいじょうぶだあ~」ではないのである。



2020年3月30日月曜日

花だより どこかで春が生まれてる 福寿草


 どこかで春が生まれてる
 福寿草は、春一番に咲く花で金色に輝き、新しい門出を祝う縁起のよい花とされています。どこにでも咲く花ですが、種から花を咲かせるまでにちょうど小学校と同じ6年かかります。雪の下でじっと寒さに耐え、雪解けがはじまる早春に芽を出します。寒く厳しい条件ほど、金色の鮮やかさを増す花です。福寿草の花言葉は「永久の幸福・思い出」といいます。毎年春になって、福寿草を見かけたら若松小学校のことを思い出して下さい。
   どこかで「春」が生まれてる    どこかで水がながれ出す
    どこかで芽の出る音がする      どこかで「春」が生まれてる。
 

 暖かい空気に包まれて「春」が誕生する光景、生命の伊吹を感じる季節を迎えました。若松小学校での3年間は、豊かな自然に囲まれて、季節の移り変わりを強く感じ、心豊かに過ごしました。
 道端の福寿草に足を止めた春に始まり、フラワーパラダイスが彩る季節から、赤や黄色に染まる野山を駆け回り、真っ白な草原に、山にスキーを滑らし、自然の中にどっぷり浸かって活動する子どもたち。この貴重な経験と体力づくりがリコーダーの豊かな表現力につながっていると思っています。四季の移ろいの微妙な変化を繊細に捉える感受性を持ち続けてほしい。「 校長室だより」もそうした願いから、「花だより」と名付けました。
 子どもたちの一生懸命な頑張りに胸が熱くなったり、人の優しさに触れ感動したこと、教職員のチームワークのよさなど、書くことがたくさんありましたが、それをどこまで伝えられたか・・・。
 若松のよさは、「どこかで春が」の歌詞のようによ~く観ると、今まで気づかなかったところが、まだまだたくさんあります。冬の次に春は来る。
   

2020年3月29日日曜日

花だより 校長五訓 カタクリ

カタクリ
この3月に退職する校長から、「校長昇任のときに頂いた言葉『校長五訓』を大事にしていました。」と感謝されました。
 ~校長心得~
 《斯かる校長は感心せず》  
1 研究心乏しく頑迷固陋(がんめいころう)なる者 
  かたくなで正しい判断、見聞が狭く古いことに固出する
2 自分天狗にして修養を怠る者
3 部下職員の意見を聞かず、自分独りで仕事をなさんとする者
4 官僚的態度をなす者
5 愛憎偏頗(へんぱ)の者 えこひいきすること(依怙贔屓)
6 阿附諂諛なる者(あふてんゆ)  へつらい したがうこと
 《斯かる校長は良い校長なり》 
1 研究心に富む者
2 人格の修養に励み、確固たる信念を有する者
3 公平無私にして性淡白なる者
4 寛弘にして、よく人の意見を容れ、又よく自己の意見を発表すべし者
5 部下職員に対して親切にして且つ其の昇進を計ることを決する者
6 部下職員の美点特徴は之を賞揚発揮せしめ、其の欠点に対しては自ら責任を負う者
7 一定の識見を有し、常識に富むを要する者
   校長五訓(大正5年に示された 校長像)
1 明晰なる判断  2 豊富な学力  3 燃ゆるが如き同情 
4 信頼すべき統率の才  5 確固たる不動の胆力
      
  アメリカの望ましい管理職像(アメリカ キャンベラプログラム)
1 個人的資質
 (1)身体の健康 外見、顔つき
 (2)精神の健康 プレッシャーの下での反応 批判に対する敏感性 ストレスの下での判断
 (3)声  質(説得力)
 (4)道徳観念
 (5)勤勉さと熱心さ
 (6)ユーモアのセンス 敗北を愛想よく認める能力 他人の感情を認めること
 (7)判断と常識
 (8)公正さ 口論を仲裁する能力
 2 専門的資質
 (1)専門教養 (2)専門的態度 (3)協働する能力 (4)責任の認容 
(5)指導技術の理解 (6)児童生徒理解 (7)人間関係の能力 (8)渉外関係の能力

 大正5年に示された校長像(校長五訓)は、①明晰なる判断 ②豊富な学力 ③燃ゆるが如き同情 ④信頼すべき統率の才 ⑤確固たる不動の胆力ですが、アメリカでは、校長の個人的資質として、①身体の健康、外見、顔つき ②精神の健康(プレッシャーの下での反応、批判に対する敏感性、ストレスの下での判断) ③声質(説得力) ④道徳観念 ⑤勤勉さと熱心さ ⑥ユーモアのセンス(敗北を愛想よく認める能力、他人の感情を認めること) ⑦判断と常識 ⑧公正さ(口論を仲裁する能力)となっています。新しく校長先生になられた方、参考にしてみてください。

2020年3月27日金曜日

花だより コロナショックは、学校を変える? 風信子

ヒヤシンス

 コロナショックは、学校を変える?
 2020オリンピックイヤー 意気揚々とした明るい年の幕開けと思っていましたが、新型コロナウィルス感染症の拡大でテレビもネットでも毎日コロナ関連の情報で溢れています。学校も休校となりましたが、対応がコロコロ変わり、現場はてんてこ舞いです。
 学校ばかりではなく、その影響はさまざまなところに波紋を広げています。4~5月は、年度初めで各団体の総会などが目白押しですが、次々と中止や延期になっています。私の関係する団体は、何らかの疾患を抱えている高齢者が多いため、中止の連絡をしても、皆さんすぐ納得していただきました。会場になっていたホテルに「申し訳ないのですが…。」キャンセルの電話を入れました。すると「仕方ないですよね。来年またよろしくお願いします。」と明るく丁寧な対応に少し安堵しました。これもお上の言うことは素直に聞く国民性なのでしょうか。日本で爆発的に感染が広がらないのも分かる気がします。
 世界各地に感染が広がっています。各国で対応が異なるのは、国民性や宗教、文化の違いだと言われています。そうした壁を乗り越えて、世界が一つに結ばれるのが、オリンピックなのですが、開催延期の決断は、正に難しい政治判断でした。
 コロナショックの影響で、大きな会社では、時差出勤やテレワークが進むなど、働き方改革が急速に進みそうです。学校は、今回の卒業式は簡略して行われました。これを機に学校の行事の精選など、一気に変わる転機になるかもしれません。   
 学校は本当に変わる? 学校の働き方改革現場改革(教師の意識改革)が一向に進んでいないと指摘があります。ところがコロナショックで、学校から保護者への連絡は、これまでの文書配布は用を絶たず、メール配信が主流になりました。卒業式は、保護者が出席できなくても動画配信されたり、休校中の学習(ドリル)もペーパーではなく、ネット配信になったり、今回の休校措置は、もしかすると日本の教育を一変させる可能性があります。しかし、落ち着いたときに、やっぱり元に戻そう!と思わないことです。

2020年3月26日木曜日

花だより 「志 未来創造」 チューリップ

「志 未来創造」 
 退職に思う「至誠而不動者未之有也」
 10月の全連小山口大会への参加をきっかけに見るようになった幕末の長州を舞台にしたNHK大河ドラマ「花燃ゆ」が、最低の視聴率で終了しました。その理由は、主人公である吉田松陰の妹の美和と再婚相手の揖取素彦(初代群馬県令)が有名な歴史上の人物ではなかったからだと言います。しかし、共感するところが多くありました。美和は生涯にわたり、女子教育の普及に努めた人物です。「新しい日本をつくるためにも、学ぶことは、とても大切なことです。学ぶことで、考えることができるからです。」という言葉が心に残っています。 表題にある語は、その吉田松陰が揖取素彦におくったものです。
~自ら至誠の限りを尽くして計画し、あるいは実行したにもかかわらず、いずれも失敗に終わったことを振り返ってきたとき、どうしてもこの「未だよくこの一語を解するに能わず」と思わざるを得ない。孟子の語に偽りがあるのか、それとも自分の至誠の不足によるものなのかを考えずにいられない。(原文解説)~退職を間近に控え、我が教員人生を振り返るとき、満足感や達成感など全くありません。学力も体力も最低のままだからです。孟子の語に偽りなく、自分の至誠の不足だということは、十分理解しています。
 これを読んだ教頭が「低視聴率と学力低迷と掛けたのですか?」と聞いてきました。視聴率が低いから「花燃ゆ」は“つまらない駄作だったわけではない”と思いたいのです。我が教員人生を反省して、管内教育を担う後輩たちへメッセージを綴ります。
◇「花燃ゆ」から学ぶ “志を高く持ち、見聞を広める”
  山口県(長州藩)は、熱き志を胸に幕末の激動の時代を駆け抜けた吉田松陰に代表される維新の志士たちなど、数々の時代の転換期に歴史的な舞台や人物を輩出した地です。吉田松陰は、ペリーが再航したときに密航を企てましたが失敗しました。西洋の先進文明に心を打たれていたのです。わずか29年の生涯でしたが、その思想は、門下生の高杉晋作、伊藤博文や山縣有朋など維新の志士たちに受け継がれ、明治維新を成し遂げたのです。
 平成27年度の全国連合小学校長会研究協議会は、その山口県で10月に開催されました。校長になって、大阪、熊本、埼玉、そして今回の山口と4回の全国大会を経験し、そこでオホーツクとの違いを目の当たりにしました。また、中央研修(つくば)や筑波大附属小研究会などの参加は、教育に対する大きな転換となりましたが、もっと早くにこうした経験をしておけばよかったと悔やんでいます。
◇オホーツクに留まっていては、課題は見えないし、解決策も浮かばない。
 ある研究大会のレセプション(酒席)で隣席だった北大教育学部の教授(赴任してまだ2年目)に、酔いが回ったころ「北海道の学力が低い原因は何だとお考えですか?率直な意見をお聞かせください。」と問うたことがあります。すると「いい授業、質の高いものを見る機会が少ないですね。」と言われたのです。ショッキングな内容でしたが、中央から来た教育の専門家には、北海道の教育の現状、教員のレベルは、こう映ったのです。
秋田県校長会の提言で授業風景のVTRが流れました。周りにいた北海道の校長から「ほぉ~?」と驚きの声が上がりました。きちんと伸びた挙手、発表のときの姿勢や声の大きさ、音読の姿勢と本の持ち方、指導が行き届いていることが見て取れました。ところが秋田県の校長からは、「驚いたのはそこですか?当たり前のことなのに…。」と逆に驚かれたのです。
“ところ変われば”です。歴史や風土が違えば、その土地の味噌、醤油、地酒が生まれます。当然、教育観も異なります。比較することで北海道やオホーツクの課題が見えてくるのです。教員は、その職責を遂行するために絶えず研修に努めなければなりません。若いうちに見聞(研究と修養・本物を見る)を広めることです。

2020年3月25日水曜日

花だより わが子を心の真ん中に置いて レンギョウ

“わが子を心の真ん中に置いて”  
「ああ~、結局、叱りつけてしまった!」お母さんたちのそんな苦笑まじりの言い訳が耳に飛び込んできそうです。それこそが親心の正体かもしれません。子育ての壁にぶつかったり、失敗したりしても、やっぱり愛情をもって子どもと向き合うことです。また、これでいいのかな?と我が身をふり返る余裕をもつことです。一番よくないは、決めつけと我流です。子育てや勉強の世界の流行ほどいい加減で信用できないものはありません。
 スマホと家庭どっちが大事? 叱りつけるのではなく 親の威厳を示す。
 家族が崩壊し、人間関係がどんどん薄くなっていくような気がします。これは望ましい姿ではありません。何よりも、家庭が楽しくないと思ってスマホやゲームに逃避している子どもを、家庭に引き戻さなければなりません。
 人に対する免疫力を家庭でつくらなければなりません。それには、とにかく家族が一緒に時間を過ごすことから始めることです。そのとき、もし子どもがスマホを持っていたら、電源を切らせましょう。もちろん親の携帯電話もです。映画館やコンサート会場では、携帯電話(スマホ)の電源を切るようにアナウンスされます。家族が顔を合わせているときも同じです。ふだんあまり子どもと話をしないお父さんは、「話題が見つからない。」と心配するかもしれませんが、続けていれば話題はつぎつぎ出てきます。子どもは未来からの預かりものです。子どもが大人になるころ日本の国は、どのようになっているかを思い描きながら、家族でいろいろ話し合ってみて下さい。  

2020年3月24日火曜日

花だより 危機管理を学んだ教頭会 ムスカリ


 危機管理を学んだ教頭会 
 私は、平成15年オホーツク管内小中学校教頭会の事務局長を務めました。50周年記念のお祝いの記念号(会誌「教頭あばしり」)には相応しくない思い出ですが紹介します。
 4月の管内総会直後、会員が酒気帯び運転の不祥事を起こしました。最初の仕事が、その対応でした。緊急アピール文を作成し、会長と各関係機関への謝罪に走り回りました。酒宴の自粛は、管内教頭会だけでなく各市町村教頭会にもお願いしました。会長から、「ただ酒宴の自粛をして謝罪するだけでは信頼回復にはつながらない。教頭会が中心となって何かできないか。」という提案がありました。当時、「評価規準」の作成が急務でしたので、管内教頭会事務局が中心となって小・中学校学年毎の評価規準を各学校で使いやすいようにCD―R(ワード、一太郎、エクセル)にまとめ管内全ての学校に配付しました。
 年末が近づいた頃、管内校長会長から呼び出されました。「もうそろそろ自粛を解いてもいいのではないか。教頭先生方は、よくやってくれている。忘年会くらいやりたいだろう。局には校長会から言っておいてあげるから…。」と労いの言葉をいただきました。これが教頭会時代の一番の忘れられない出来事です。
 敢えてリスクを負う経験などしたくないものですが、校長になって思うことは、事件・事故や災害は、いつ、どこで、誰に起りうるか予想することができないということ。しかし、対策が無いわけではありません。適切な対策を取ることによって、危機的状況の発生を防止したり発生時の被害を低減したりすることも可能になるということです。“危機管理とは、万が一、事件・事故 が発生した場合には、被害を最小限にするために適切かつ迅速に対処することである。”と教わりました。

2020年3月23日月曜日

花だより 『当たりまえのことを当たりまえに』 桜

 ~研修録発刊に寄せて~ 『当たりまえのことを当たりまえに』 
                    北見市立北小学校長 牧 野 喜 充  
 学力向上のキーワードは、「当たりまえのことを当たりまえに」すること。実績を上げている学校力向上推進校が提唱している言葉です。「決して、難しいことや新しいことをやるのではなく、当たり前のことを当たり前にやることで学力は必ず向上する。」と断言しています。
 ところで「当たり前のこと」とは具体的にどういうことでしょうか? それは、教員の愛読書「小1教育技術」(4月号)に書いてあることではないかと思います。
 ○チャイムが鳴ったら席に着く。 ○次の学習の準備をしてから休み時間に入る。など
実家の本棚から30年前の「小1教育技術(4月号)」引っ張り出し、書店で最新のモノと比べてみましたが、ほとんど変わっていません。
 当たり前のことを普通にこなすこという、一見簡単に見えることをずっと続けることで、ものすごく差がつくものです。
 メジャーリーガーのイチロー選手は、「小さいことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道である。」という素晴らしい言葉を残しています。
「誰よりも早く球場に行く」、「毎日準備を欠かさない」、「道具を大切にする」
小さなこと(「当たり前のこと」)を小学生のころからずっと愚直に続けて世界のトップに立ったのがイチロー選手なのです。
 2月の年度末反省会議で、ある先生から「学校経営計画に学習規律(学習のルール)について記載されていますが、全校的にどの程度徹底されているか、生徒指導部ではおさえていますか?」という質問がありました。
 研修部からは、「学習環境を整える取り組み」が盛り込まれた次年度の研修内容が発表されました。学校の課題解決のために最も重要なのは「校内研修」です。研修部は、次年度の方向性をまとめ上げるために何度も会議を重ね、議論を積み上げてきました。そこには、子どもたち一人一人を大切にし、確かな学力を身に付けさせたいという強い思いを感じました。
 自分たちの足下を今一度見つめ直す。そんな取り組みが研修ばかりでなく、今年は、随所に見られました。
 今年も全員が授業公開をしました。授業力、指導力を磨くのは、管内大会や全道大会ではなく校内研です。授業者を知り、子どもの実態を知っている者が、指導案づくりから参加し、遠慮無く評価し、もの申すことができるのが校内授業研だからです。
 この研究集録は、教職員の心血を注いだ教育実践の足跡であり、貴重な基本です。これがまさに「当たり前のことを当たり前に」なのです。
 また、今年は地域連携研究主体校の指定を受け、特別支援教育の充実にも取り組みました。8月には、発達障害者支援道東地域センター「きら星」センター長丸山芳孝氏と北見特別支援学校の久戸 優先生を招き研究会を開催しました。全教職員が特別支援教育に対する理解を深めるきっかけになりました。
 さらに今年度から始まった授業改善推進チーム活用事業では、小泉小の佐野先生、南小の大高先生、本校の小柳先生が各学級に入り、担任と一緒になって、子どもたちに確かな学力を身に付けるための授業改善に取り組みました。最終日、6年生の女子が佐野先生に「算数の勉強がよく分かるようになりました。」と感謝の手紙を渡したそうです。その成果を目の当たりにしているところです。ありがとうございました。

2020年3月22日日曜日

花だより なぜいま、アドラー心理学 バイモ 福寿草

 なぜいま、アドラー心理学が教育現場で求められているか
     ~不登校の原因論を放棄し目的論に導いた心理学~
           (有)ヒューマンギルド代表取締役 岩 井 俊 憲
                    月間「生徒指導」2020年4月号
 《不登校には6大原因がある(?)》
1 母親が素直に喜べない思わぬ妊娠だった。
2 妊娠中ストレスが多かった。
3 難産だった。
4 母乳で育てなかった。
5 生まれた後のスキンシップが足りなかった。
6 父親が育児に協力的ではなかった。
 不登校の相談に来た母親に尋ねると、この6つのいずれかに100%該当した。
 ところが、精神科医で不登校の専門家である野田俊作先生は、この原因論を一蹴した。
 野田先生に「不登校の原因は何ですか?」と質問すると
「知りません。知ってどうするんですか?」と答えたのです。
 不登校の6大原因といったものは、学校に行っている子どもの家庭に尋ねても実はどれかに当てはまる。不特定多数の家庭を追跡調査したならまだしも、不登校の家庭だけ調べて「全員が該当するからこれが原因だ」とするのは科学的手続きとしておかしい。
 そんな原因探しは役に立たないどころか、親を責めるだけで有害でしかない。より大事なことは母親を勇気づけることで、そのためには不登校の原因を探すより「いまから未来に向けて何ができるか」を考えることだ。
 これは、過去に目を向ける原因論ではなく、未来志向の「目的論」から考えるというアドラー心理学の理論に基づく姿勢です。
 《不適切な行動を取る子どもの4つの目標》
 問題行動を起こすと、先生方は、「何が原因でそんな行動を取ったのか」と考えがちです。アドラー心理学ではそうではなく「どんな目的を成すためにその行動を取ったのか」を考えます。
 *具体的にはどのような目的が考えられるか?
① 注目を得たい~先生や親の関心を引きたくて問題を起こす。
② 主導権争い~例えば、先生との関係が悪化したとき、学校や教室でその先生に負けまいとして反抗する。
③ 復習~例えば、先生に「傷つけられた」と感じた子どもが「傷つけ返してやる」として望まれない行動を取る。
④ 無気力・無能力のアピール~追い込まれた子どもがこれ以上くじかれないよう、無気力に振るまったり、自分の殻に閉じこもる。
子どもの問題行動を未来志向でとらえていくと、少なくともそこに目標はあるので、先生にも協力できる余地がある。
《問題行動よりも良かったことに注目する》
子どもの行動の「目的」を見据えていくなら、もう一つの大事なことがあります。問題行動ばかり見ようとせず、それ以上に子どもたちの「良かったこと探し」をして、そうした行動の目的もとらえていくことです。
《アメとムチで子どもを導くような教育をアドラーは批判》
 体罰や脅しといった恐怖による指導は「長期的には教育上、何の効果もない」
アメとムチというのは、望ましい行動なら賞賛し、望ましくない行動なら罰を与え、望ましい行動の頻度が高まるようコントロールすることです。動物実験では有効性が確認された行動主義心理学のアプローチですが、人間は他の動物と同じように行動するのかということです。
 人間の特性は、未来を見つめる力や、過去を顧みる力を持っていて、「いまここ」だけではない長い時間軸の中で生きていることです。このため、ただ問題行動を罰しても、望ましい行動に変容するとは限らないのです。その場では従っても将来罰せられない環境になれば豹変する,「面従腹背」の人になるかもしれない。過去に罰せられた恐怖を引きずり、行動を選べず凍りつく人になるかもしれない。動物実験では有効でも、人間の行動にそのまま適用できないのです。
 教師が強引に子どもを従わせれば、もう反発を受ける時代なのです。つまり、先生が上からコントロールするような指導がいよいよ成り立たなくなってきたのです。

2020年3月21日土曜日

花だより スクールロイヤー 蕗の薹

蕗の薹

 学校は、保護者からのクレームに対して、何とか穏便な解決を図ろうとする。最近は、理不尽なクレームが増え、保護者対応で苦慮している校長は多い。そんな現場の声にやっと救いの手が…。
 ~スクールロイヤー~ 
  「教育の空間」に「法的観点」での問題解決の考え方を
                  吉田総合法律事務所弁護士 吉 田 俊 介
 【スクールロイヤーとは】
 「法律の専門家(弁護士)として」「裁判になってからではなくトラブルが予測される段階からかかわり」「学校(長)や教育委員会では迷う事案について」「子どもの最善の利益の観点から」「法律に基づく対応の助言を行う」存在である、と定義できる。
 【学校のニーズ】
 従前「学校」「教員」は権威そのものであり、学校現場における「紛争」や「学校生活上のトラブル」などは「教育的指導」によって、大半が学校内で解決されてきた。
 しかし、昨今の社会情勢の変化、具体的には、保護者、児童生徒および住民等の意識変化により、学校内トラブルの解決には「教育的観点」のみならず「法的観点」が必須になってきた。たとえば「児童AとBのケンカで、Bがからかったことが原因だったため、教員がBを叱ったところ、Bの保護者が『何の証拠があって悪いと判断したのか説明せよ』と乗り込んできた」事案などである。
 教員はもとより「教育の専門家」であるが「法律の専門家」ではない。先の例のように、学校という「教育の空間」に「法的観点」での問題解決の考え方を持ち込まねば対処しきれない事態が増えてきている。
 現場で問題の対処にあたる先生方が最も敏感に感じていると思うが、このような時代変化に対応するため、「すぐに」「ちょっとした」相談ができるスクールロイヤーが求められている。
 【スクールロイヤーの実際】
 就任のきっかけは、自治体の学校設置者(教育委員会)の要請により、年間契約(月額定額制)で引き受けることになった。当該自治体内には、6つの小中学校がある。相談したい案件があると校長が「相談概要カード」に記入のうえ、直接弁護士事務所に電話連絡して、相談日を設定し、学校長が来所のうえ相談する。(1件1時間程度。一度で解決しない場合は継続相談)相談概要カードは、事前または事後に教育委員会にファックスする。というものである。
 2019年4月から約半年の間に、平均して月に1件を超える相談があり、事案としては、教員による不適切行為の処分の程度、保護者からの担任教員に対する不当要求に対する対処法、児童間事故について学校が法的責任を負う場面かどうかの判断、など多岐にわたる。担当区域内の学校からは、「いざというときにすぐ相談できるため、たいへん助かる」との声をいただいている。
 スクールロイヤー契約後、学校長等は少しでも迷った事案があれば、抱え込まずに積極的に相談利用するようにしてほしい。対応が後手に回るほうが解決が困難になることが多いからである。
 【スクールロイヤー制度の展望】
 文科省は、スクールロイヤーを全国に約300人配置する方針を示した。具体的には各都道府県の教育事務所に各1名、政令指定都市と本庁直轄自治体に各2~3名の弁護士を配置する。
 当職は、これが運用開始されてもなお、各学校設置者が独自に契約するスクールロイヤーのニーズはなくなることはないのではないかと考えている。



2020年3月20日金曜日

花だより 東日本大震災を忘れてはならない 菫

スミレ(菫)

 東日本大震災を忘れてはならない
 今年の3月11日は、コロナショックなため大々的な追悼式が自粛されました。しかし、大震災と原発事故がもたらした衝撃、復旧・復興に向けた現状と課題について、私たち日本人は、考えなければならない日です。 
 ちょっと古い新聞記事ですが、
 震災後間もなく一人のベトナム人記者が取材で被災地に入った。避難所で少年にインタビューする。少年は津波で両親を亡くし、はげしい寒さと飢えで震えていた。一つのおにぎりを家族で分けて食べるような状況だった。
 記者は見かねて少年に自分のジャンパーを着せかける。その時、ポケットから1本のバナナがぽろっとこぼれ落ちた。記者が、「バナナほしいか」と問うと、うなずくので手渡した。ところが少年はそれを食べるのではなく、避難所の片隅に設けられたみんなで共有の食料置き場に持って行き、もとの場所に戻ってきたという。
 記者はいたく感動する。帰国すると、〈こういう子どもはベトナムにはいない……〉と報道した。
 この記事が反響を呼ぶ。かつて、ドラマ「おしん」が大人気になったお国柄だ。ベトナムからの義援金は、1千万ドル(約8千万円)にのぼったが、このうち「バナナの少年にあげてください」という条件付きが5万ドルもあったというのだ。
 実はこの佳(か)話(わ)、谷内(やち)正太郎元外務次官が〈東日本大震災の最中、日本外交を考える〉と題して講演した中で紹介された。谷内はこの時、「少年は大変けなげな日本人の美質、DNAをきちんと受け継いでいる。将来の日本を支える若い人たちのなかに、こういう子どもは少なくない。上に立つ政治家も心のなかに美学を持ってほしい」と訴えている。
 この話を紹介した岩見隆夫氏(毎日新聞客員 編集委員)は、「悲劇と苦難のもとでも失われない民族的な強靱さを、一少年の小さな行為から教えられた思いだ」「今の日本は一見、いい材料がない。悲観主義が広がり、亡国論がはびこっている。この物語は大きな救いだ。あきらめることはない」と結んでいます。
 大震災の記憶を風化させないために悲惨な出来事を子どもたちに伝えることも大切だと思いますが、こうした心温まる話をたくさん子どもたちに語っていきたいと思います。
   

2020年3月19日木曜日

花だより スマホと不登校 枝垂桜

シダレザクラ
スマホと不登校                      
 中学生の不登校数の推移は、平成24年まで減少傾向にありましたが、そこを境に増加に転じています。なぜでしょう?
 平成24年はロンドンオリンピックの年です。他には、東京スカイツリーができたり、山中教授がノーベル賞を受賞したりしました。この辺りから、子どもたちにスマホが浸透し始めたのです。
 子どもたちの日常的な連絡がLINEに統一されていき、携帯音楽プレーヤー等の音楽再生もスマホでやるようになってきました。スマホが子どもたちの生活を変えたのです。
 スマホ前の不登校生は、漫画やビデオを見飽きてしまい、ゲームも何度もクリアして面白くない。友達もいないので、毎日が暇でしょうがない…。
 スマホ後の不登校生は、YouTubeに動画が無尽蔵、オンラインゲームは日々進化している、ネットに友達はたくさんいる…。不登校でも毎日ある意味、充実しています。
 もちろん昔ながらの心因性の不登校は今もいますが、学校に行かなくても暇を持て余すことは少なくなっています。スマホが原因で不登校になるというよりも、不登校になってしまっても不自由を感じないので、不登校状態が長く続いている。そんな子が増えているのかもしれません。
 しかし、スマホが悪いのではありません。スマホが大人を含めて、私たちの生活を変えてしまっています。スマホ時代に対応した生徒指導が必要です。不登校については、スマホより楽しい学校でなければ、不登校生は教室に帰ってきません。そういうことです。
    「スマホに負けない教師であるために」 兵庫県立大学准教授 竹 内 和 雄

2020年3月18日水曜日

花だより 褒め言葉初めて聞いた送別会 クロッカス

~褒め言葉 初めて聞いた 送別会~(サラリーマン川柳より)
 木目澤教育長の講話と網走市三者合同送別会(教育委員会・校長会・教頭会)がありました。教育長さんは「教育人生多毛作」と題しての講演の中で、
【多種多芸多毛作】
 ~紙幅と時間の関係で異動される校長先生に限っての所感となりますが、潮見小学校の校長室を訪れたことがありますか?見事な牧野校長先生ご自身の絵画と書が掲示されてあります。
 各教室には、牧野校長が着任された年の夏休みに、すべての学級分の「学校の教育目標」を毛筆で書かれ掲示されました。市立博物館やモヨロ貝塚館、帽子岩の水彩画と…。その解説文を拝見すると小職は、飽きなく美や書道を追求に対する“修行”“稽古”という言葉を連想します。~
 教育長さんは、“絵ばかり描いていて、肝心の学校経営は大丈夫か?“と心配されていたようです。
 3年前の4月、網走川に架かる橋を渡ったところで、錆が浮き、もう使われてはいないだろう陸に上がっている《捕鯨船》に目がとまりました。
 せっかく網走に来たのだから、網走を描こう!
(異動のあいさつ)
 網走に魅了され、我が身の技量も省みず、網走ゆかりの建物や四季折々の風景を描いては、校長室に飾っていました。
「お前ほど、暢気に過ごしている奴(校長)はいない。」と、同僚の校長からよく言われます。
 目まぐるしく変化する社会にあって、地域や自然の中にどっぷり浸かって、四季の移ろいの微妙な変化を繊細に捉える感受性を持ってほしい。網走に生まれ、網走で育ち、網走で生きる。郷土「網走」を愛する潮見っ子に育ってほしい。そんな願いを込めて描いてきました。
 送別会で新谷教育委員長さんから「牧野さんのあいさつや文章は、校長っぽくないよな!」と言われました。研修センターの河村所長さん(HPの愛読者)からも、「牧野さんは相変わらずだな。」と言われています。「あなたに難しいことは書けないでしょ。一人くらいそんな校長がいてもいいんじゃない!だって赤塚不二夫の漫画のある学校の校長なんだから…。」と妻がよく言います。
 3月のはじめ、人事や何やらで悩んでいたときです。木目澤教育長さんからお電話をいただきました。「牧野先生は、フランスに行ったことがありますか?フランス人がよく使う言葉に“セ・ラ・ビー”という言葉があるようですよ。」と助言されました。調べてみましたら「人生そんなもんさ!」という意味でした。優しく気遣い、慰めてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。そういえば潮見小にも似たような言葉があります。「これでいいのだ!」です。潮見小の校長です。お気楽な3年間を過ごさせてもらいましたが、この言葉に免じてお許し下さい。(平成24年3月)
 今年は、コロナショックで一切の送別会が中止になりました。仕方ないこととはいえ、寂しさを感じます。

2020年3月17日火曜日

花だより 考えさせる前に知識量を増やす クサボケ


 考えさせる前に知識量を増やす
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の対話型講義(学生に考えさせる)が脚光を浴びる。
例:イチローの年収とオバマ大統領の年収、教員の年収を比較して、果たして妥当だと思いますか?(イチローの年収は、オバマ大統領の10倍)
 学生と対話(意見交換)をしながら、講義を進めるという内容で、一方的に聞く講義ではないので、学生がよく考えるようになって好評だそうです。
しかし、「考える」とは、過去に経験したことと比較したり、持っている知識の中で似たようなものや違うものと比べて判断したりすることです。ある程度の経験や知識がないと考えることはできないのです。
 考える授業、話し合いを重視する授業が大切だといいますが、ハーバード大学と小学生と一緒にはできません。どれだけの経験や知識があるかを見極めないとなりません。小学校で大事なことは、まず「考える基」になる経験をさせること、知識の量を増やすことだと思うのです。

2020年3月16日月曜日

花だより 卒業式の式辞 ハルリンドウ

2010年網走市立見小学校 卒業式式辞
 はじめに、卒業生が書いた「うさぎとかめ」という作文を紹介します。
~なぜ、違う者同士が競争するのか、私にはそれがどうしてもわかりません。うさぎは走るのが得意。亀は泳ぐのが得意。得意なものが違うのに競争する意味があるのだろうか。人間だって同じだ。得意な者が違う姉妹を比べる意味はないのに比べられる。私は、「うさぎとかめ」は、そういう人間と人間を比べても意味がない。ということを言っている話だと思う。~
 私は、この作文を読んで赤塚不二夫さんを思い出しました。
  『これでいいのだ!』
 それは、赤塚不二夫さんが、漫画の中で幾度も繰り返してきた言葉。
 現実はままならない。うまくいかないことばかり。毎日ほとんどは、これでよくないのだ、の連続だ。
 自分を責めて、誰かを責めて、何かを責めて、そして、やっぱり自分を責めて、
 だけど、たしかめてみる価値はある。
 これでいいのだ、という言葉のちからを。信じてみる価値はある。
 あなたが、もうこれ以上どうにもならないと感じているのなら、余計に
 胸を張る必要はないし、立派になんて、別にならなくたっていい。
 あなたは、あなたのままでいいのだ。
 あなた自身がそう思えば、世界は案外、笑いかけてくれる。
 人生は、うまくいかないことと、つらいことと、つまらないことと 
 その間に、ゆかいなこと楽しいことがはさまってできているから、
 どうか、あなたの人生を大切にしてください。
 26年前、赤塚さんは潮見小学校に来て4枚の漫画を描いてくれました。この漫画には、赤塚さんの「あなた自身を大切にしてください。」というメッセージが込められています。
 皆さんは、このメッセージをきちんと受け止めていることを「うさぎとかめ」の作文から分かりました。中学校で、もしつらいことがあったら、思い出してください。社会に出て、うまくいかないことがあったら、思い出してください。「あなたは、あなたのままでいいのだ。」
 赤塚不二夫さんの漫画のある潮見小学校を卒業したことをどうか誇りに思ってください。
 次に保護者の皆様にお祝いを申し上げます。
 ただ今、128名に卒業証書を渡しました。保護者の皆様には、この6年間のいろいろなことを思い出しながら、お子様の晴の舞台を見ていたことと思います。
 いよいよ中学生になり、難しい時期を迎えます。もし、間違った道を歩もうとしたときは、「これでいいのだ。」とは言わないでください。これまで以上に心の触れ合いを大切にしていただきたいと思います。お子様の健やかな成長を願って止みません。
 今年は、新型コロナウィルス対策で、保護者、在校生、来賓不在の卒業式のようですが、校長の式辞はカットされないようです。

2020年3月15日日曜日

花だより 通知表 水仙



通知表・通知箋・通信簿 
 私の祖父母の時代は「甲乙丙丁」、父母の時代は「優良可」、そして、私の時代になると「5・4・3・2・1」の5段階の相対評価でした。相対評価では、「5」は学級の上位7%(45人学級では3~4人)と決まっていて、テストで95点をとっても、上に100点が3人いたら「5」は付きません。また、80点でも上にいなければ「5」が付くことになります。それが私の娘の時代になると相対評価から絶対評価に変わりました。絶対評価の3段階評価(例:「よい」「ふつう」「努力を要する」)では、目標に達していれば(例:85点以上)であれば人数に関係なく「よい」という評価になります。通知表では、一般的にこの絶対評価に個人内評価が加味されています。個人内評価とは、絶対評価では、「ふつう」であってもその子の中では、「この部分は、特にがんばっていると認める」という場合は、「よい」という評価を付けます。また、「よい」ばかりを付けるのではなく、「この子の能力からするとこの部分は、もっとがんばれる」と思われる場合は、あえて「ふつう」と付けて次に期待するということもあります。ですから、評価は、決してその子に点数を付ける評定が目的ではありません。「指導と評価は一体のもの」と考えています。
 通知表は、学校での学習状況や生活の様子を家庭にお知らせするものです。次の指導にどう役立てていくかというのが最も大切なことですし、通信表は、学習の状況を客観的に把握して、どこをどう頑張ればよいかということがわかるものでなければなりません。その方法について各学校でそれぞれ工夫しているところです。
ただ評価が変わってきたのではなく、学習内容や指導法が変わってきたのです。
 ◎観点別評価について◎ 
「算数」の4観点:「関心・意欲・態度」「数学的な考え方」「表現・処理」「知識・理解」を例に説明します。
 これまでは、「かけ算九九ができる」とか「2ケタのたし算ができる」「図形の面積を求めることができる」など「知識・理解」や「技能」を中心に評価してきました。ところが「たし算九九ができる」ためには、まず、「勉強しよう」とか「かけ算九九は、おもしろそうだ。やってみよう!」「毎日唱えて覚える」といった「関心・意欲・態度」が大切です。次にいくら暗記しても、それを間違えずに使えないと意味がありません。それが「数学的な考え方」です。もちろん速く正確に計算ができることも大切です。それを「表現・処理」能力といいます。また、かけ算九九のしくみも理解していなければ覚えることもできません。それが「知識・理解」です。
 どの学習でもこの4つの観点で評価しています。(テストが左右半分ずつ問題が分かれていて上に【表現・処理】【考え方】などと書かれているのをご存知ですか?あれがそうです。)
 この4つの観点は、ただ単に、たし算やかけ算ができるかどうかではなく、長さを測ったり、面積を求めたりすることも含めた算数の力として指導しています。ただし、これを3段階で評価するだけでは、何がどうなっているのか保護者の皆さんに伝わらない部分もありますので、その部分は所見(記述)で補います。
 〈客観的評価と所見(記述)の組み合わせ〉
  例)「表現・処理」で「◎」と評価された子の場合の所見では、「かけ算九九をすべて確実に唱えることができました。どの段でも、また逆からもすらすら唱えることができます。・・・」とよい点が記述されます。
 また「△」と評価されたこの場合の所見では、「かけ算九九の表を苦労して作ることができました。その表で九九を唱える練習をして、順に唱えることができるようになってきました。さらに順番ではなく一つ一つ九九が言えるように、繰り返し練習することを助言しました。」とどこにつまずきがあるのか、それに先生はどんな指導をしているのか具体的に分かるような記述するようにしています。
 〈行動の様子〉
 所見欄には、学習の状況ばかりでなく、特別活動や生活の様子についても記述されます。家庭では見られない学校での様子(係活動や児童会活動で頑張っている様子など)、友人関係や生活態度についてもお知らせしています。教師の評価が絶対ではありません。親とはまた違った観点で見ていますので、子育ての参考にしてください。通知表を叱る材料には使わないで下さい。
 
                                                                                                                  

2020年3月14日土曜日

花だより 卒業式 ムラサキハナナ

ムラサキハナナ

卒 業 式
 職員室では、6年生担任の夏先生が、卒業式に着る着物と袴の準備や普段しない化粧をどうするか?同僚の先生に相談していました。
「せっかくきれいに化粧しても、涙でぐちゃぐちゃになってしまうだろ!」と言うと「今から、泣いていて、卒業式当日はもう涙は枯れているかもしれない。」と返ってきました。卒業式は、卒業生担任にとっても特別なものなのです。
 3月1日 斜里高校の卒業式 
 来賓控え室から式場に向かう途中、卒業生が廊下に整列している横を通ると「おはようございます」という元気よくあいさつされました。今風のブレザー姿と女子高生のミニスカートを見て、自分の高校時代との違いを感じましたが、式が始まると整然として、立派な態度に社会人としてスタートを切る心構えが感じられました。特別な趣向は無くても大変立派な卒業式でした。
 卒業証書授与の他に「皆勤賞・精勤賞」の表彰と介護ヘルパーの資格や危険物取り扱い資格、英語検定、漢字能力検定、数学検定、商業簿記検定、情報処理検定、珠算、電卓検定、ワープロ検定、ビジネスマナー検定など各種検定や資格合格者の表彰も行われました。総合学科となって2回目の卒業式を迎えましたが、総合学科としての特色ある教育活動の成果が現れてきて進学率も高くなっているそうです。
 校歌斉唱 歌っていないのは、小中学校の校長だけで、他の来賓、保護者の口も動いていました。斜里高がいかに地域と密着しているかわかりました。

2020年3月13日金曜日

花だより 「叱られる側」の子どもの立場 ユキヤナギ


 感情にまかせて叱ることとしつけとは違います                  
  ~「叱られる側」の子どもの立場も考える~
 しつけは大切ですが、しつけなくては、という気持ちから、ついたたいてしまい、その行為に歯止めがきかなくなってしまう場合もあります。子育てのイライラやストレスが、子どもへの愛情を忘れさせ、叱るという行動にすりかわっているのではないでしょうか。上手なしかり方のヒントは、「叱られる側」の子どもの立場にもなって考えること。「そう言われたら子どもはどう感じるだろうか」「子どもはどう受け止めるだろうか」まずここから考えてみましょう。子どもの心や身体を傷つけるような叱り方は、教育的な効果がないばかりでなく、児童虐待につながる可能性もあります。
  また、「自分の子だけ良ければいい」という考え方(自子主義・モンスターペアレント)が増えています。学校の窓ガラスを割った子の親が、学校に対して「石が当たったくらいで割れるガラスを使っているのが悪い。近くにそんな石が転がっているのが悪い。」と言ってくる時代になりました。

2020年3月12日木曜日

花だより 斜里の温泉 デイジー

                      デイジー
***斜里の温泉で「人は見かけによらぬもの」***
 冷えた体を温泉で温めようと斜里町内にある温泉に行ってきました。
 熱い湯につかっていると、サウナから出てきた人が水風呂にザブンと飛び込んだのです。潜ったまま10秒くらい経ってやっと浮かんできました。大柄で短髪、金のネックレス、こわそうな顔。これはまずいと思い、視線を合わさないようにして熱い湯に我慢して入っていました。すると水風呂から出ると他の客に「じいさん、背中流してやるか?」と声を掛け始めたのです。(知り合いか?と思ったがそうでもないらしい。)次に散らかっていたシャンプーボトルを並べ、シャワーを元に戻し、風呂桶を片づけだしました。(従業員か?そうでもないらしい。)最後は、床のアワをお湯で流して、「お先!」と言って出て行ったのです。一連の行動を熱い湯の中でずっと見ていたので、すっかりのぼせてしまいました。
 “斜里にはすごい人がいる”とすっかり感心しました。反面、見る目がない自分を反省して、見習いたいと思いました。
「雪解け」春近し

2020年3月11日水曜日

花だより 正しいしつけは、子どもへの大切な贈り物 キランソウ

                  キランソウ

正しいしつけは、子どもへの大切な贈り物
   子どもが相談したくなる親は、どこがちがう?
 人は愛され理解されたがっている存在です。理解されないときの不満がたまるとキレることもあります。突然子どもがキレたとき、本人も親も理由がよく見えず、怒ったり苦しんだりしますが、理由はあるものです。
 日頃から相手の話をじっくり聞く、同じ目の高さで考える、深い関心を払う、といった姿勢を親が身につけることで子どもは親に愛されている実感を得ることができます。
 子どもは愛されていると感じるとき、安定した気持ちで問題に立ち向かうことができます。そして、不必要に攻撃的にならず、他者や問題を受け入れることができ、大きく成長できるのです。
 子どものしつけに関することは。おじいちゃん、おばあちゃんとも話し合うことが大切です。
    子どもが愛されていると実感できるコミュニケーション(やる気にさせる回転)
 「校長先生の校長室花だよりいいですね。」とあるお母さんから言われました。たとえ挨拶代わりの社交辞令であっても、うれしいものです。ましてや子どもは、褒められるとやる気が出ます。やる気が出ると成績が上がります。成績が上がるとまた褒められる。するとますますやる気を出して頑張ります。ところが、怒られるとやる気を失います。やる気がないと成績も下がります。するとまた怒ります。するとますますやる気をなくします。どっちの回転になるかは、まず「褒める」か「怒る」かがポイントになります。「怒る」(感情的)と「叱る」(さとす)は違います。ときには叱るときもありますが、やる気を起こさせるような叱り方が大切です。
 校長先生、あのね「昨日、80点と90点だったんだ。」ちょっと悔しそうな顔で言いました。「いつも100点だったら、先生は教えることなくて困るから、1つか2つくらいは間違ってもいいよ」と言っても表情は変わりませんでした。これは褒めたことにならず、回転が悪いほうへ行きそうになりました。この言い方は失敗でした。

2020年3月10日火曜日

花だより 斜里ならではの料理が食べられるお店 白梅

~斜里ならではの料理が食べられるお店紹介~
  「一度行ってみて下さい」と言われた店は?
 「これ本当に居酒屋なの?」と思う店構えで、半信半疑で縄のれんをくぐると元漁師の奥さんだったという元気のいい女将さんがいました。斜里に来たなら、ここがお薦め!と紹介されましたと言うと、今日の午前中自分で採ってきた山菜を是非食べて欲しい。というのでおまかせコースを注文しました。出てきたのは、アマドコロのマヨネーズ和え、ハマボウフウ、ミツバの山葵合えと続きました。その都度講釈があって、山菜料理のコツは、薄味にして、シャキシャキ感を残すことで山菜本来の味を引き立てるのだそうです。お店の名物料理「バターたっぷりじゃがいも煮」を持ってきたときは、隣に座って生い立ちから、漁師だった旦那さんを亡くしてからの苦労話や番屋で若い衆に料理を作っていたとき、いつか居酒屋をやろうと思っていたことなどを熱く語り始めました。つぶが出て、毛ガニの身がいっぱい入った玉子焼きが締めでした。料理も話もたっぷりいただきました。
 道南出身の女将さんは、「斜里は、海の幸、山の幸の宝庫。これほどの食材に恵まれたところはないよ。美味しい物が沢山食べられて、お客さん、斜里に来てよかったしょ。」と言っていました。

2020年3月9日月曜日

花だより 6年生と一緒に給食 紅梅

紅 梅

  ~6年生と一緒に給食~ 話題は「6年間の思い出」 
 一番は、どの子も修学旅行をあげます。2番は、5年生のときの宿泊学習です。
「修学旅行の何が楽しかったのか?」と聞くとホテルの部屋と言います。「寝食を共にする」と言いますが、どんなことで盛り上がったのかは秘密だそうです。
 いつの時代も学生時代の思い出は「修学旅行」です。何年か経ってこの子たちがクラス会をしたら、たぶん修学旅行のホテルで過ごした夜の話で盛り上がることでしょう。
 中学生になったら、先生より先輩が恐い
 ほとんどの子が部活を頑張りたいと言っています。そこで心配なのが恐い先輩です。「1年生のときは、目立たないでおとなしくしていないといけない。服装とか、礼儀とかちゃんとしないとね。それに他の学校の子たちとも仲良くしなければならないし、中学生になったら気を遣うよね。」と言っていました。
 3月に入ると、卒業生を校長室に読んで一緒に給食を食べながら、話を聞くのですが、今年は、コロナウィルスの臨休で、できなくなってしまいました。

2020年3月8日日曜日

花だより 家庭の教育力が低下した背景 辛夷

ずいぶん厳しく叱られたけど、今では感謝している。
 いけないことをいけないことと思わない子どもが増えています。「自分さえ良ければいい」「ルールを守らない」という人は、なかなか人から信頼されないものです。間違った行いは本気で叱り、その場で正すことが本当の愛情です。「自分の子だけ良ければいい」という考え方(自子主義)は止め、叱るときには何がいけないのか、理由をきちんと伝えましょう。また、気分や感情に流されず一貫性をもって叱ることも大切です。そして、親自身もルールに反することはしないように気を付けましょう。子どもに信頼され、尊敬される親であり続けるためにも家庭の教育力をどう高めるか?教育再生会議で問題になりました。「国が家庭教育に介入するな!」という意見もあります、何もしないと何も変わりません。
  家庭の教育力が低下した背景 (道立生涯学習推進センター調べ)
①核家族化蓄積されてきた様々な知識経験、技術などが親子の間でとぎれる。
②少 子 化~過保護、過干渉の子を生み出す原因になる。
③女性の社会的進出仕事と子育ての両立に悩む問題が指摘されている。
④離婚率の増加教育的機能を十分に果たし得ない単身家族が増加している。
⑤家族を取り巻く環境変化子どもの仲間集団も同年齢化、少子化し、その教育機能を衰退させている。                      
⑥子どもの生活・環境が大きく変化~親と子の関係を希薄化し、子どもの孤 立化を助長すしている。
 とは言え、たとえば、今から祖父母と同居できるでしょうか?女性だって働きたい。それに夫の収入だけで生計をたて、子どもを4人も5人も産んで育てることができるでしょうか?子どものためにと夫婦不仲を我慢して、夫婦生活を続けるのが本当に良いのでしょうか?子どもからテレビゲームを取り上げ、「外で遊びなさい。」と勇気を持って言える親がどれだけいるでしょうか?
 課題をあげるのは簡単ですが、それをどう解決したらいいのか難しいところです。

2020年3月7日土曜日

花だより 一万時間で一流になれる パンジー

パンジー

 “一万時間で一流になれる” 子どもの才能を伸ばすヒント
 「天才じゃなくても夢をつかめる10の法則」 
 プロゴルファー石川遼、全盲のピアニスト辻井伸行をはじめ、坂本龍馬やエジソンなど歴史上の人物がどのように育てられたか、それを知ると子どもの才能を伸ばすヒントになります。
 石川の父親は、子どもが興味を持つことなら何でも挑戦させた。母親は、子どもを叱るときはきびしく接し、時には手を挙げることもあったという。
 「一万時間で一流になれる」という法則が当てはまる。
 石川は5歳の時からゴルフを始めました。一日3時間の練習をすると10年で約1万時間になります。15歳でツアー優勝(最年少記録)したのですから、この法則が成り立ったわけです。
 最年少の15才で冬季五輪(スピードスケート)に出場した幕別町の高木美帆選手(札内中3年)もそうです。彼女も5才からスケートを始めてちょうど10年目にオリンピックに出場しました。彼女の場合は、スケートだけでなくサッカー選手としても将来を嘱望されている逸材です。また、趣味はヒップホップダンスで、片道10㎞あるダンス教室まで自転車で通っている今どきの女の子です。そして、学校の成績も優秀だというのです。なるほど高木選手もこの法則がぴったり当てはまります。しかし、サッカーとダンスの指導者は、「彼女を天才ではなく、努力家である。」と言います。
 一万時間練習した人が、すべて石川 遼や高木美帆選手のような超一流になれるわけではありませんが、一流にはなれるかもしれません。
 “天才じゃなくても夢をつかめる”一番大切なのは、本人の努力を支える親の温かな愛情が必要なのです。

2020年3月6日金曜日

花だより 叱ってばかり、褒めてばかり 木五倍子

《叱ってばかり、褒めてばかり》
 「褒めて育てよ」と言われるようになりました。褒めることは大事なことです。しかし、誤解してはいけないのは、“叱ってはいけない”ということではないということです。
 なぜ「褒めて育てよ」と言われるようになったのか。それは、これまでの子育てが、叱ることが中心になっていたからです。褒めると子どもはダメにするという伝統的な主張があったようです。つまり、叱ることが中心だった子育ての反省として「褒めて育てよ」という主張が出てきたのです。叱られることがあるから、褒められる喜びを知るわけです。
 しかし、最近は「褒めて育てよ」がいつの間にか「叱ってはいけない」にすり替わっているように感じます。先生方が叱ることに迷いを持ち始めています。それは親御さんたちも同じようです。叱ってばかりでも、褒めてばかりでもダメなのです。どっちかに偏れば褒めても、叱っても動かない子どもになります。いくら好きなものでも、食べ続ければ飽きます。褒めることと叱ることのバランスが大切なのです。
そして、一番悪いのは無視することです。子どもが何をしても反応しないのは、叱るよりも害が大きいのです。メリハリのない対応こそが子どものやる気を確実に奪います。
  瀬戸内寂聴著 「生きる言葉 あなたへ」より 
 叱るということは愛情があるからです。愛情がなければ叱る情熱も湧いてきません。
本気で叱るには、情熱とエネルギーがいります。自分に向かって、本気でぶつかってくる親に対して、子どもも真剣にならざるを得ないでしょう。
 わたしは母と本気でよくけんかをしました。母は本気で怒ったときは、子どもの私を大人のように一人前にみて泣いて怒りました。わたしはそんな母が好きでした。私を一個の人格として認めてくれ、全身でぶつかって怒りをぶちまける母に親愛感を抱きました。私はいつものときより母に愛されているんだなという実感を持ったのです。 

2020年3月5日木曜日

花だより マスク着用 ムラサキケマン

ムラサキケマン
マスク着用
 「赤い羽根」を胸に着けていると、共同募金の協力者だと一目でわかる。
 マスクは新型コロナウィルスに対策にさほど効果はない。「しないよりは、している方がいくらかまし」と専門家が言っている。それでもマスクは品薄状態で、安倍首相は、北海道に重点的にマスクを配布することを決めた。
 学校の臨休もどれほど効果があるか分からない。ましてや学童保育や保育所を閉所しないなら意味がないという人もいれば、保護者のことを考えるとそれもできない。「学校を臨休にしたり、閉所しない、科学的根拠を示せ」と総理に詰め寄った野党議員がいたが、専門家も明確に対応方法を説明できる人がいるのだろうか。行政は前例のないことには判断を躊躇する。だから政治的判断(トップの英断)が必要となる。
 鈴木道知事がマスクをして記者会見を行い、緊急事態を宣言し、不要不急の外出を控えるように訴えた。「マスクをする。学校を臨休にする」とは、その効果だけでなく、緊急事態を広く喚起するシンボル的な意味がある。国を挙げて、この難局に取り組みましょうというメッセージである。
 緊急事態宣言には、不平不満もあっただろうが、大方は、仕方がないと思ったに違いない。ふだんから人通りの少ない北見市街だが、週末は人の姿が消えた。
 ところが、臨休になって中学・高校生が暇を持て余し、カラオケボックスに出掛けているというニュースがあった。国難の緊急対策は、もちろん政府がリーダーシップを発揮してやるものだが、受け止めて実行するのは国民である。マスクをするのは、その意思表示だと思う。

2020年3月4日水曜日

花だより 校長のモーニングコート 梅

モーニングコート(正礼装)
 校長になったとき、先輩校長から、「モーニングコートはどこで作る?いい店を紹介するぞ」と言われました。そういえば卒業式の校長はモーニングコートを着るのです。
 校長の一番の仕事は何か、それは“卒業認定だ”とその先輩校長は言うのです。
卒業証書をよく見なさい。「小学校の課程を卒業したことを証する。」と書いてあって校印、職印、割印、3つも押してあるだろ。それを一段高いステージ上で渡す。体育館にステージはあるが、昔は勝手にステージに上がることは禁止されていた。卒業式は式であり、厳格な格式が重んじられる。卒業証書を渡す校長が平服でいいわけがない。紋付袴かモーニングコート(正装)でなければならない。
 但し、「紳士服の〇〇」(量販店)でも一式そろえるとなると10万円以上はします。卒業式以外では、わが子の結婚式くらいで、着る機会もそれほど多くありません。しかし、ほとんどの校長は、モーニングコートを設えるのです。
 卒業式当日、病気で欠席した子がいて、さらに不登校の子のために、後日改めて卒業証書を授与することになりました。その時も、その子だけのためにモーニングに着替えて、壇上で授与し、式辞を再度読みました。
 それほど大事な卒業式ですが、今回は新型コロナウィルス対策で簡素化して実施することになりました。まだ校長は、モーニングコートを着ることができますが、この日のために一年間努力してきた卒業生担任は、複雑な心境でしょう。
 6年生担任が言っていました。子どもたちが大きくなって、同窓会に呼ばれたら「俺たちの卒業式は、コロナのためにできなかったよなあ~」と絶対言うよね~。

2020年3月3日火曜日

花だより 節目を大切にする日本人の心 桃の花

   □□□節目を大切にする日本人の心 日本の五節句□□□
◎人日(じんじつ)/陰暦正月7日「七草がゆ」
◎上巳(じょうし)/陰暦3月3日「桃の節句」
◎端午(たんご)/陰暦5月5日「端午の節句」
◎七夕(たなばた)/陰暦7月7日「七夕祭り」
◎重陽(ちょうよう) /陰暦9月9日「菊の節句」
 9月9日の「重陽の節句」はなくなりましたが、他の節句は現代まで伝わる行事です。
  初節句のひな祭りは、身のけがれを祓う災厄除けの行事です。
 ひな祭りは、平安時代に高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての「桃の節句」が、江戸時代になって庶民の間にも定着して行われるようになったお祝いです。ですから単なるお祭りではなく、お七夜やお宮参りと同じく女の赤ちゃんのすこやかな成長を願う行事、いうなればお雛さまは、赤ちゃんに降りかかろうとする災厄を、代わりに引き受けてくれる災厄除けの守り神のようなものです。気持ちの問題ですが、新型コロナウィルスが流行っている今だからこそ、省略せずにきちんとお祝いしてあげたいものです。
 「お雛様だから、今日はごちそうだよね」と姉ちゃんに言ったら、「男は関係ないの!」と言われた。「そしたら、5月5日は、女は関係ないんだよね。」と言ったら「バカだね。『子供の日』だもの、男も女も一緒でしょ」と勝手なことを言っていた。 
『桃の花』言葉は「気立てがよい」です
タチツボスミレ

2020年3月2日月曜日

花だより 学校の影響力 タチツボスミレ

新型コロナウィルス対応から「学校の影響力」を考える
 もう20年も前の話ですが、学校の2学期制がいよいよスタートするとき、前年度から児童館など関係機関に連絡して了解を得たつもりでしたが、予想しなかった旅行業者から、「秋休みの期間は、どれくらいで、各学校同じ対応ですか?」という問い合わせがありました。
 秋休みを利用して、TDLの旅行ツアーを企画するつもりだったようです。野球やサッカーの少年団からは、各学校が同じ時期に休みになるのなら、大会や練習試合を組みたいという話もありましたが、各学校の対応が違ったので実現しませんでした。
パート勤めの保護者からは、「シフトを替えてもらわないとならないので、なるべく早く知らせてほしい。」と言われました。
 市内の行事の都合で、運動会の日程を例年より1週間は早めなければならないときがありました。このときも決定してお知らせしたとたん、保護者だけでなく、大手スーパー、仕出し屋さんからの問い合わせで、学校の電話が鳴り続けました。
 教職員が考えている以上に、学校が社会に与える影響は大きいということです。そして、子どものため、学校のためだと、保護者や地域住民は、多少のことは犠牲にして協力してくれるということを肝に銘じておかなければなりません。

2020年3月1日日曜日

花だより 博物館「網走監獄」 福寿草

  博物館「網走監獄」 
~網走市民なら知っておきたい網走刑務所と北海道開拓の歴史~
 博物館「網走監獄」は、明治時代から実際に網走刑務所で使用されてきた建物を保存公開している世界で唯一の刑務所野外博物館です。2月1日から7日まで、体験・体感展示施設「監獄歴史館」のオープンに合わせて、網走市民限定で無料公開すると聞いて、2月7日(日)吹雪の日、きっと空いているだろうと思って行ってきました。
 悪天候にもかかわらず、観光バスでやってきたツアー客に紛れて、網走市民を証明する免許証を提示する人も多くいました。子ども連れには、リアルな人形は刺激が強く泣き出す子もいました。
 学校評議員連携会議で「網走市民に無料開放されたが、せっかくの施設なので小学5年生になったら全員が見学するようにしたらどうか?」という提案をした委員さんがいました。網走刑務所は、北海道開拓の中央道建設のために建てられました。そうした歴史を知ることも大切なことだと思います。
 博物館「網走監獄」に新しくできた建物には、高倉健の映画「網走番外地」のポスターがたくさん展示されてありました。もし、健さんの映画がヒットしなければ、網走刑務所が博物館になることもなく、こうした歴史も埋もれていたかもしれません。道外や管外からきた知人には、網走観光スポットの一番に薦めたいと思います。